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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第32章 1903(明治36)年春分~1903(明治36)年夏至
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大阪の試練

 1903(明治36)年3月29日土曜日、午前11時半。

「す、すみません」

 大阪府大阪市南区茶臼山町にある、内国勧業博覧会の会場。その正門そばにある愛知県の売店に私はいた。

「このお味噌……八丁味噌ですか?」

 店員さんに私が指し示したのは、お味噌の入った小さな桶だ。すぐ前に置かれている見本品のお味噌は、間違いなく八丁味噌のあの色をしているけれど、念のため確認しなくてはいけない。

「はい、そうですよ」

 店員さんは、飛び切りのスマイルで私に答えてくれた。

「……!」

(す、素晴らしい!)

 私はガッツポーズを決めた。……もちろん、心の中で。

 大阪城のすぐそばにある国軍将官倶楽部を宿にして、内国博の会場に通い始めてから、今日で5日目。たくさんあった展示品をようやく見終わった今日は、会場の内外にある売店でお土産を買うことになっていた。私がどうしても行きたかったのは、正門のすぐそばにある愛知県の売店だ。八丁味噌を自分で手に入れたいというのもあるのだけれど、この愛知県の売店……名古屋城の大天守と小天守の模造建築なのだ。

 模造天守の高さは約9メートル、もちろん、屋根の両端には金鯱が鎮座している。そんな素晴らしい建物が正門の側にあるのだから、寄りたくて仕方なかった。ところが、我が臣下ときたら、毎日博覧会の会場に着くたび、馬車から降りて愛知県の売店を眺めようとする私の手をがっちりつかみ、「さ、参りましょう。見学の時間がありませぬゆえ」と、引きずるようにして展示会場に連れて行くのだ。もちろん、見学最終日となる今日も、である。流石に、美味しいエサを何回もお預けされてはたまらない。という訳で、私についてきている一行が買い物に夢中になっている隙をつき、私は愛知県の売店へ、くるぶしまである紺色のロングスカートの裾を翻しながらダッシュしたのである。

(よし、八丁味噌を買ったら、じっくり内部から売店の構造を見学して……!)

 私がバッグから財布を出そうとした瞬間、

「見つけましたよ」

右肩がトントン、と叩かれた。

「やはりここでしたか。急に走り出されたので、心配しましたよ」

 大山さんの声は穏やかだけど、有無を言わさぬ迫力が混じっていて、私の動きは凍り付いてしまった。背後からは、「宮さまー!」という叫び声に交じって靴音が響き、「(ふみ)姉上!急にいなくなるなよ!」という、輝仁さまの声も聞こえてくる。

「み、“宮さま”って、まさか……増宮さま?」

 顔をひきつらせた店員さんに、

「あ、は、はい、そうです……」

とりあえず、営業スマイルを送っておく。すると、

「増宮さま?!」

「増宮さまやて、あんた!」

「やっぱ、別嬪さんやなぁ」

「ああ、最敬礼せんとあかん!」

売店内のお客さんたちが、一気に興奮状態になった後、一斉に深く頭を垂れた。

(あーあ……)

 この騒ぎでは、ゆっくり買い物を楽しむことも、もちろん、売店の構造を観察することもできない。ため息をついた私に、

「何か、お買い上げになりたいものがありましたか?」

大山さんは、再び私の右肩を叩いて尋ねる。

「……自分用のお土産に、八丁味噌をね」

「他には?」

「……って、大山さん。もうお土産は買いそろえたじゃない」

 昨日までの4日間、展示を見学して回りながら、梨花会や医科分科会の面々へのお土産として、様々な美術品や工芸品を買い上げている。それに、先ほど、輝仁さまと一緒に、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)、兄夫婦や妹たち、それに迪宮さまと淳宮さまへのお土産は買ったのだ。

お父様(おもうさま)にはステッキ、お母様(おたたさま)には日傘、兄上と節子さまには帽子、昌子さまたちには扇子、迪宮さまと淳宮さまにはおもちゃ……思い付く人には、全員お土産を買ったと思うけど、あと誰の分を買ってない?」

 私が首を傾げると、

栽仁(たねひと)王殿下たちをお忘れではないですか」

大山さんが優しい声で言った。「今度、名古屋城の模型が完成するのでしょう?修理してくださったお礼をしなければ」

「……そうだ、それは大事だ」

 昨年の秋に破損してしまった名古屋城の模型は、もうすぐ修理が終わる。そのお祝いを兼ねたお茶会を、4月初めの日曜日にやることになっていた。有栖川宮(ありすがわのみや)栽仁王殿下と北白川宮(きたしらかわのみや)輝久(てるひさ)王殿下に加え、修理には参加していない北白川宮の成久(なるひさ)王殿下と芳之(よしゆき)王殿下と正雄(まさお)王殿下、久邇宮(くにのみや)鳩彦(やすひこ)王殿下と稔彦(なるひこ)王殿下も出席するらしい。多分、栽仁殿下と輝久殿下以外は、おやつ目当てでやって来るのだと思うけれど、私が旅行から帰ったばかりなのに、彼らにお土産が何もないと、流石に気まずくなってしまう。

(本当は、お祝いのお茶会もやりたくないんだけどなぁ……)

 お茶会だけならば、開催するのは別に構わない。問題は、名古屋城の模型の修理が終わってしまうということだ。模型修理が終わってしまったら、また、模型の部屋に立ち入れなくなってしまう。それは、……少し辛い。

「いかがなさいました?」

 ふと見ると、大山さんが心配そうな表情で私を見つめている。

「ううん、何でもない」

 私は首を横に振ると、「それにしても、何を買えばいいかな?」と大山さんに尋ねた。

 すると、

「ふふ、では、課題に致しましょう」

ニヤリと笑った我が臣下は、とんでもない言葉を口にした。

「は?課題?課題って……軍医学校の課題?!」

「さようでございます」

「こ、こんなの……お土産選びって、医学にも軍事にも、全然関係ないじゃない!」

 抗議する私に、

「いいえ。増宮さまの場合は関係がございます」

大山さんは全く揺らぐことなく、落ち着いて返答する。

「増宮さまは軍医になることと同時に、立派な淑女(レディ)になることも目指されています。軍医と淑女(レディ)とは、別々に切り離されているものではございません。密接に関係しているものでございます。淑女(レディ)であり、軍医であるならば、殿方への贈り物も選べて当然でございますよ」

(なんか、無理がある論法のような気がするけど……)

 反論したくてたまらなかったけれど、大山さんの声には、先ほどのような迫力が再び混じっている。“No”と言った場合の悲惨な末路が容易に想像できたので、私は渋々頷いた。

「わかった。じゃぁ、何にしようかな……。外郎(ういろう)は日持ちが厳しいから……あ、そうだ。京都府の売店に、干菓子があったわね」

 私が思い付きを口にすると、

「畏れながら、手許に残るものの方がよろしいかと」

大山さんは首を横に振り、私の耳に口を近づけた。

「ご家族以外の男性に、菓子を贈られるとなりますと、梨花さまがお辛くなってしまうのではと……(おい)はそれが心配でございます」

(あ……)

 そう言えば……。前世で失恋した時、私は相手にガトーショコラを渡そうとしていたのだ。それ以来、確かに、家族以外の男性に贈り物をしたことはないのだけれど……。

(あれ?)

「申し訳ございません。お許しを」

 大山さんが、私の右手をきつく握る。「ご不快なことを、思い出せさせてしまいました」

「ううん、違うんだ、大山さん」

 私は慌てて小声で答えた。「確かに、思い出しちゃったよ。野田君と、工藤さんがキスしてる所。でも……倒れるほどではない」

 どうしてだろうか。野田君と工藤さんがキスしている光景が、頭の中にまざまざと蘇っているのに、昔のように、身体中で血が渦巻いて、意識が闇に飲み込まれる感じはしない。もちろん、身を切られるような痛みと辛さは感じているし、鼓動も少し、速くはなっているけれど……。

「本当だよ。倒れるほどではないんだ。大山さんがそばにいるからかな。……嘘だと思うなら、私の目を見て」

 大山さんが、私の右手を握ったまま、私の目を真正面から見つめた。彼にしては、表情に余裕が無いなと感じた時、「確かにその通りのようです」と、大山さんが私に深々と頭を下げた。

「しかし、ご無理は禁物です。本当に申し訳ございませんでした」

「ありがとう」

 私も頭を下げると、

「ねぇ、(ふみ)姉上、話は済んだ?」

横から、輝仁さまが不満そうな顔で声を掛けた。

栽仁(たねひと)殿下たちにお土産買うんでしょ?早くしてよ。遊ぶ時間が無くなっちゃうから」

「あ……」

 そう言えば、お土産を買い終わったら、もう一度ウォーターシュートやメリーゴーラウンドに乗りたいと輝仁さまは言っていた。ここで時間を食っていたら、確かに思いっきり遊べなくなってしまう。

(七宝のお皿だと高すぎるしなぁ……)

 他人に贈るものなのだから、といいものを選ぼうとすると、七宝の焼き物はとんでもない値段になってしまう。海外で非常に人気が高いため、値段が高騰しているのだ。例え小ぶりの作品でも、7つも買ってしまうと、流石に青山御殿の財政に響いてしまう。

 売店内をキョロキョロ見回していると、懐中時計を並べてある一角が目に留まった。

「懐中時計ならどうかな?」

「なるほど、確かにそれならばよろしいかもしれません。軍隊生活でも時計は使います。増宮さまが贈られた時計ならば、きっと王殿下の方々も、肌身離さず身につけてくださるでしょう」

「肌身離さずは大袈裟だよ、大山さん……。でも、どうせ贈るんだったら、文字盤が見やすいのがいいわね」

 苦笑しながら、懐中時計のコーナーに向かい、品物を吟味する。7つの懐中時計をようやく選び終わったころには、正午を大きく回っていた。

(ふみ)姉上、遅いよ!ほら、さっさと昼ご飯食べよう!」

 買い物が終わるや否や、私の手を取って、輝仁さまが売店の出口に向かって走り出し、私は売店の内部構造を観察する機会を永久に失ってしまったのだった。


(ふみ)姉上、こっちこっち!」

 昼食を食べ終わると、輝仁さまは私の手を引っ張り、大はしゃぎで遊戯施設のある方に駆けていく。

「ちょ……待って、輝仁さま!私、スカートなんだから!」

「待たない!それに、さっきは(ふみ)姉上だって走ってたよ!」

「そうだけど……!」

 制服以外の洋装に合わせる靴は、ヒールが7、8センチあるものなので、走りにくい。さっきはこの靴で、愛知県の売店までよく全力疾走出来たなと思う。

(この靴じゃなかったら、もうちょっと速く走れて、売店の構造を観察できただろうけど……)

 心の中でブツブツ呟いていると、大きな池のほとりにたどり着く。池の側には高さ15mほどの大きな滑り台のようなものが建てられている。どうやら、あれがウォーターシュートらしい。滑り台の上からボートに乗り込むと、ボートが斜面に設けられたレールを走り、池に飛び込む、というアトラクションだ。滑り台の周りには、ボートに乗り込む順番待ちの行列が出来ていた。きちんと30分ほど順番待ちをしてボートに乗り込むと、ボートが斜面を滑り落ち、池の中に水しぶきを上げて突っ込む。

「楽しいね、(ふみ)姉上!」

「あ、ああ、そうね……」

 座席の最前列に座っていたので、ボートが池に突入した時、私と輝仁さまは大量の水しぶきを浴びた。輝仁さまはご満悦だけど、母に縫ってもらった白いレースのブラウスと紺色のロングスカートを台無しにされてしまった私は、余り機嫌が良くなかった。

(前世で小さいころに行った遊園地だって、ウォーターライドはポンチョかレインコート着用が勧められてたのに……)

「章子さん、着替えますか?和服ならすぐ出せますよ」

「その方がいいな……洋装だと、すごく目立つし」

 会場に洋装をしている女性は、ほとんどいない。だから、洋装しているだけで目立ってしまい、「増宮さまがいらっしゃる」「一目お姿を」と言いながら、観客たちが集まってきているのだ。私は母の言葉に甘え、荷物を置かせてもらっていた事務局に戻り、桃色の無地の着物と海老茶色の女袴に着替えた。その間に、輝仁さまは展望楼に上っていたらしい。「すっごい景色だったよ!」と言いながら私を迎えに現れた弟は、また私の手を引っ張って、遊戯施設のある方に連れて行った。

 日本で初めて設置されたというメリーゴーラウンドに乗り、世界の絶景を描いた大きな絵を見せる世界一周館や、電気やエックス線などの仕掛けを観客に見せる不思議館を回って、サーカスの公演を見たら、もう夕方になっていた。本来ならもう会場も閉まるのだけど、今日は4月からのライトアップのリハーサルに立ち会わせてもらえることになっていて、夕食を取った後、私たちは展望楼に上った。

「これはすごいわね」

 展望楼の高さは約45メートル。エレベーターで最上階まで上がることができる。そこから見下ろすライトアップされた会場は、まるで光の海のようだ。輝仁さまは大はしゃぎで、「俺、ずっとここにいたい!」と輔導主任の金子さんに熱く語っていた。

「今日はいかがでしたか?」

 隣に立つ大山さんが、私に優しく尋ねる。

「……童心に返るのも、悪くないなって思ったよ」

「おや、今まで、このような場所に行っていただいたことはなかったように記憶しておりますが……」

「前世よ、前世。こういう遊具を集めた場所を、“遊園地”って呼んだんだけど、そういう所に小学生の頃、2、3回行った」

 首を傾げる大山さんに、私は小声で答えた。「でも、遠い記憶になってるな。死ぬ前に遊園地でデートしてたら、もっとしっかり覚えてたんだろうけど……」

 すると、

「ほう、そうですか」

大山さんが軽く目を見張ったのが、ほの暗い中でも分かった。

「どうしたのよ」

 軽く咎めると、

「梨花さまから“デート”という言葉が出るとは、思ってもおりませんでしたから」

大山さんはそう言った。「そういった物は、極力排除なさりたいのではないかと思っておりましたから」

「そ、そりゃ、私だって余り考えたくはないし、今生ではそんな機会、無いと思うけど……って、何ニヤニヤ笑ってるのよ」

 私が睨み付けても、我が臣下は笑顔を引っ込めず、こう言った。

「梨花さま、いつか申し上げましたでしょう。ご結婚の可能性をすべて否定するようなことはなさらなくてもよい、と」

「私が言ってるのはデートの可能性だよ?嫁入り前の娘が、男の人とデートするなんていかがなものかと……」

「梨花さまの場合は、淑女(レディ)としてご修業していただかなければなりませんから、特別でございます」

「……っ!」

 無茶苦茶な論理だ。大山さんを引っぱたいてやりたいと思ったけれど、「淑女(レディ)らしくありませんね」と反論されるのが目に見えているので、私はどうにも、行動が取れなかった。

「梨花さまの時代では、デートでこのように展望台に上ることがあるのでしょうか?」

 ここで何かを答えたら、絶対に大山さんの術中にはまってしまう。頑張って口を閉じていると、

「お答えください。これも、軍医学校の課題でございます」

彼はニヤニヤ笑いを消さないまま、こんなことを言う。

(それは絶対ないだろう!)

 心の中で激しくツッコミを入れる。だけど、出題者の意向に逆らうことはできない。

「そ、……そうかもしれない。よく知らないけど」

 私はようやく答えた。

「なるほど、確かに、素晴らしい景色を眺めながら愛を語り合うのは、ロマンティックですからね。他にはどうでしたか?」

「う、うーん……」

 考え込んだ私に、

「ご自身が、デートする立場になったとしてお考え下さい。いかがですか?」

我が臣下は容赦なく答えを催促する。

「だ、ダメだよ、それ……。多分私、“天守台の跡でデートしたい”とか、“一緒に山城(やまじろ)の跡を探したい”とか、男子がドン引きするようなことしか思いつかない……」

「それでも、同好の士ならよろしいのでしょうが……。他には、何かございますか?」

「い、一緒に食事したり、ドライブしたり……?」

「ドライブ……今なら馬車に相乗り、でしょうか。流れる景色を楽しみながら、というのもよろしいですね。他には?」

「あと、買い物したり、こんな風に、夜景を見たり……って、もう勘弁して」

 必死に質問の答えを考えていた私は、とうとう出せる答えが無くなって、大山さんを睨み付けた。

「こんな恥ずかしい質問に答え続けなきゃいけないんだったら、本当にデートする方がまだマシ……」

(え……?)

「梨花さま?」

 大山さんの囁きに、驚きが混じっている。驚いているのは、この私も同じだった。まさか、この私が、……ヴェーラにも梨花会の面々にも、散々“奥手”と言われているこの私が、“デートする方がまだマシ”と思ってしまうなんて。

「……拷問の受け過ぎで、頭がおかしくなったのかしら」

「おや、この程度で拷問とおっしゃられていては、将来が思いやられますよ」

「何とでも言いなさいな」

 軽くため息をついて唇を尖らすと、頭の上に、大山さんの手が乗せられた。

「しかし、ご成長されていることは確かです」

「……そうかな?」

「そうです」

 大山さんは私の頭を優しく撫でながら断言する。

「しかし……今日は少し、ご無理をさせ過ぎました。お顔が真っ赤になっておられますから。課題はこのくらいにしておきましょう」

「是非、そうして欲しいな……」

 力無く希望を告げると、大山さんはクスッと笑ったのだった。

※内国博の愛知県売店ですが……実際にも名古屋城の模造建築でした。(「第五回内国勧業博覧会愛知県出品報告」より)

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