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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第31章 1902(明治35)年処暑~1903(明治36)年大寒
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1902(明治35)年10月の梨花会

 1902(明治35)年10月11日土曜日午後2時、皇居。

「今日は、皇太子殿下がいらっしゃらないのですか」

 月に1度の、私と兄が参加しての梨花会が開かれる日。会議の冒頭、参謀本部長の斎藤さんが確認するように発言した。

「ええ、今日は学習院で運動会があるから、それを見に行きました」

 軍医学校の制服を着た私は、斎藤さんにこう答えた。学習院では毎年秋に運動会が開催されていて、皇族が来賓として招かれることも多い。今年は兄が来賓として招かれた。

「満宮さまも、皇太子殿下がいらっしゃるので、運動会を楽しみにしておられました。今頃、元気に競技に参加していらっしゃるでしょう」

 青山御殿の別当である我が臣下が、私の隣でほほ笑む。

(そうであって欲しい、本当にそうであって欲しいけれど……)

 大山さんの言葉を聞いた私は、祈るような気持ちで頷いた。

 先週の土曜日、名古屋城の大天守の模型を壊した輝仁さまを、私は怒りに任せて打ち据えようとした。栽仁殿下が止めてくれなかったら、輝仁さまに怪我をさせていたかもしれない。輝仁さまにはきちんと謝罪したし、あの後も輝仁さまは「(ふみ)姉上」と相変わらずなついてくれてはいるけれど……。

「章子」

 お父様(おもうさま)が私を呼ぶ声に、私はハッとして頭を上げた。

「先週、輝仁をこっぴどく叱ったそうだな」

「はい……やり過ぎました。反省しています」

 私は深くお父様(おもうさま)に一礼した。「一応、兄上に、今日の運動会の時、もし輝仁さまと話す機会が出来たら、私が怖くないか、話を聞いてあげて欲しいとは頼んだんですけど……」

 すると、

「そこまで心配せずとも大丈夫であろう」

お父様(おもうさま)が苦笑する気配がした。「あれは、強くて元気な子だ。小さいころの朕を見ているようだ」

「確かにそうですな」

 文部大臣の西園寺さんが頻りに頷く。

「陛下も悪戯が酷くて、一位局に叱られてばかりでしたからな。女官に水鉄砲で水を掛けたり、大事に育てられていた万年青(おもと)の葉を、全部ハサミでちょん切って丸坊主にしたり」

「公望!」

 お父様(おもうさま)が慌てたように叫ぶ。それを完全に無視して、

「亡くなられた正親町(おおぎまち)卿の着物の背中に、左の袖から右の袖まで使って、筆で大きく“一”の字を書かれたこともございましたな」

西園寺さんはニヤニヤ笑いながら追撃する。話を聞いた列席者たちに、温かい微笑が広がっていった。

「ひ、ひどい……。お父様(おもうさま)、なんという悪戯を……」

「子供の頃だ、子供の!まだ分別も付いておらんかった頃のことだ!全く、公望は余計なことばかり覚えておって……」

 お父様(おもうさま)は声を大きくして私に弁解する。その両頬は真っ赤に染まっていた。

お父様(おもうさま)に比べたら、輝仁さまが可愛く思えてきた……)

 私はそっとため息をついた。それに、名古屋城の模型を壊したと言っても、輝仁さまは自分の過失を認めてきちんと謝罪してくれたのだ。それでよしとしなければならない。

「とにかくだ、章子」

 お父様(おもうさま)は一つ咳ばらいをすると、真面目な表情に戻った。

「金子とも話していたが、輝仁をきちんと叱ることも必要だ。輝仁が悪いと思えば、遠慮なく叱れ。それが輝仁のためだ」

「かしこまりました」

 私はお父様(おもうさま)に一礼した。ただ、先日のような叱り方はしないよう、適切な方法を見つけなければならないだろう。

「では、本題に戻るか」

 お父様(おもうさま)の声に、列席者たちが一斉に頭を下げた。


 まず国内の話題から……ということで、議題は先月末に日本を襲った台風のことになった。特に、神奈川県の西部では、台風の通過時刻と満潮の時刻が重なってしまい、高潮が発生してしまった。堤防を越えた海水は市街地に侵入し、特に小田原町、国府津村、酒匂村を中心に、2000軒余りの家屋が流出・破損してしまった。伊藤さん、原さん、斎藤さんが発生を覚えていたから、住民の高台への避難は完了していて、人的な被害はほとんどなかったのだけれど……。

「被災地で、伝染病が流行してるなんてことはないですよね?」

 要点を報告してくれた内務大臣の黒田さんに、私は手を挙げて質問した。一般に、災害が発生した地域での衛生環境は低下する。それが原因で、特定の感染症が流行してしまうこともあるのだ。

「そちらも今のところ、問題は起こっておりませんよ、増宮さま」

 黒田さんが微笑んだ。「赤十字社の医療班をあらかじめ派遣しておりましたからね。防疫の対処も滞りなく終了しています」

「なるほど……国軍の軍医が派遣されるほどにはならなかった、と。もしかしたら、国軍が派遣されるほどの規模になって、軍医学校の生徒もお手伝いで派遣されるのかな……と心配していたんですけれど」

 すると、

「梨花さま、もし梨花さまが派遣されたら、小田原城をご覧になりたかったのでしょう」

私の隣で大山さんが、クスクス笑いながら指摘した。

(隠し事ができないなぁ……)

 小田原城は、明治初年にほとんどの建造物が壊されてしまったけれど、唯一、二の丸にある平櫓だけが現存している。関東大震災で壊れてしまうので、なるべく早く見ておきたいのだけれど……。

「勘違いしないで、大山さん」

 私はわざとしかめっ面を作った。「もし、小田原に派遣されたとしても、小田原城の平櫓を見るのは任務が終わってから。軍人の端くれである以上、まずは任務が優先なんだからね」

「それは頼もしいことです」

 国軍大臣の山本さんが、私を見てニヤニヤ笑っている。

「相変わらずだな、章子は」

 苦笑するお父様(おもうさま)に、

お父様(おもうさま)の刀剣鑑賞には負けます」

と言い返すと、お母様(おたたさま)が「あらあら」と軽く笑い声を立てた。

「そう言えば、自転車と自動車の免許制の方はいかがですか、黒田閣下?」

 威仁親王殿下が黒田さんに問いかけると、

「やはり気にされておられるようですな、殿下」

黒田さんが苦笑した。

「それは当然です。東京での自動車免許第一号をいただきましたからね」

 親王殿下はこう言って胸を張る。都市部、特に東京では、自転車や自動車が少しずつ増えてきている。原さんや斎藤さんによると、増加のペースは“史実”より少し上がっているらしい。そこで昨年、私の時代での交通ルールを参考にして、“道路交通法”が制定された。更に、今年10月から、自転車と自動車は免許証を携帯していないと運転できないことになったのだ。自転車の免許は警察署で、自動車の免許は運転試験場での簡単な試験に合格すれば、10銭ほどの手数料でもらうことが出来る。

「自転車の免許の登録は上々の滑り出しですね。自動車免許の方は、東京だけで100名ほどが登録しています。自動車の方は、全国で500台あるかないかですから、免許取得者が増宮さまの時代並みまで増えるには、相当な時間がかかるでしょうが……」

 黒田さんが答えると、

「自動車が普及して、物資運搬の手段として使われるようになったら、国軍の兵には、兵役の期間中に自動車免許を取得することを義務付けようと思います。そうなれば、自動車免許の取得者は今より更に増えるでしょう」

斎藤さんが意気込んで答えた。

「軍の機動化には必須ですな。兵全員に運転技能を持たせておけば、運転手が倒されても、別の兵士が代わって運転できますから」

 満足げに頷く桂国軍次官に、

「……嫌なこと思い出させてくれたな、ったく」

井上さんが憮然とした表情で言った。

「と言いますと?」

 満面の笑顔を崩さない桂さんに、

「って、分かってんだろ、お前も。自動車の燃料だ、燃料。それをどこから手に入れるか、って話になる訳だ」

井上さんは言いつのった。

「将来の燃料の入手先の状況が、これでは、な……」

 枢密院議長の山縣さんが眉をしかめる。

(満州のことね……)

 聞きかじった知識を記憶から引っ張り出すと、すぐに答えが出た。

 満州に自動車の燃料となる石油資源があるのは、私の“史実”の知識で分かっている。けれど、ロシアが朝鮮に対する欲望をむき出しにしている今、朝鮮ともロシアとも隣接している満州で石油資源の開発をするのは危険だ。

「清では、蒙古、西蔵、新疆の地方政府に更に権限を与え、数年後に独立させることを計画していましたが、ロシアの対外政策の転換により、その計画が止まっています」

 外務大臣の陸奥さんが冷静に指摘する。

「今独立させてしまえば、蒙古は確実にロシアの脅威にさらされるからのう」

 大きな体を折り曲げるようにして椅子に座っている大隈さんが、そう言って口をへの字にした。蒙古……要するに、私の時代で“モンゴル”と言っていたところは、ロシアと国境線を接している。

「シベリア鉄道も“史実”より北回りで建設されていて、ノボニコラエフスクより東の路線は開通していない。新疆・蒙古の征服のために、ロシアが大量の物資と兵員を運ぶのは難しいだろうが……」

「伊藤さん、“現段階では”、やろ?」

 内閣総理大臣の伊藤さんに、三条さんが優雅にツッコミを入れる。「さっさとニコライの目を、国外から国内に向けさせんとねぇ」

「ニコライの周りにも、国内に目を向けさせるためのエサは色々と蒔いておりますが……プレーヴェが邪魔をして、一向に食いつきませんな。ウラジオストックでの軍艦の建造も、徐々にですが進んでしまっています」

「本当に、色々難しいわね……」

 大山さんの言葉に、私はため息をついた。でも、それだけではなく、頭の中で必死に考える。そうでないと、この臣下から後で飛び出す質問に答えられない。

(何とかして、ロシア国内での対外強硬論を止められるのが一番いいけれど、その手段も選ばないといけない。プレーヴェさんを何らかの手段でロシアの中央政界から外させるのがベストだけど……暗殺はダメね。ロシアの中央政界に混乱を招きすぎる。そうしたら、また共産主義がロシアで復活しちゃうかも。折角、レーニンもスターリンも無力化したのに。やっぱりロシアとは、戦争するしかないのかな……)

 日本周辺の地図を、頭に思い描いてみる。朝鮮を巡って、ロシアと日本・清が戦争になるなら、日本海と黄海の制海権は重要になる。この時の流れでは、ロシアの勢力は遼東半島には及んでいないから、制海権を得るには、ウラジオストックにいるロシア太平洋艦隊を何とかすればいいということになる。

(一応、日本の艦隊の戦力だけでも、ウラジオストックの艦隊に今なら勝てる。場合によっては清の艦隊に応援してもらってもいい。海軍力だけを考えれば、“史実”よりは簡単な作業になるけれど……)

「医者としては、戦争が起こらない方がありがたいのよね。医者と軍人が暇っていうのは、平和だっていう証拠だし……」

 でも、そううまくは行かないだろう。そんな予感が、心の中からどうしても消えてくれなかった。

※陛下の悪戯?エピソードは「明治大帝」(大日本雄弁会講談社編)「明治天皇」(坂本辰之助)より。


※「日本帝国統計年鑑」によると、1912(大正元)年度末で日本にあった自動車は535台、自転車は388523台でした。もちろん、この時点だと人力車や馬車がまだまだ現役ですが、両方とも、すでに「人力車営業取締規則」「乗合馬車営業取締規則」があり、運転するためには免許が必要でした。


※ノボニコラエフスクは実際には1925年に「ノボシビルスク」と名前が変わりました。

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― 新着の感想 ―
[一言] お父様 ま、男の子って、程度の差はあれ、ろくでもない悪戯をやらかすものですと、言っときましょうか(苦笑)。 政治家を政治的に抹殺するには。 古今東西、こういう場合に有効な手段は金か女か。ロシ…
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