逆鱗
1902(明治35)年10月4日土曜日、午後2時。
青山御殿の私の居間。いつもの医科分科会だけれど、ベルツ先生、森先生、北里先生、三浦先生の他に、今日はお客様がいる。東京帝国大学医科大学衛生学講座教授の緒方正規先生である。彼がなぜ、この席に呼ばれているかと言うと……。
「緒方先生、ノーベル生理学・医学賞の受賞、まことにおめでとうございます」
真正面に座っている緒方先生に、私は会の開始早々、深々と頭を下げた。
去る10月1日、緒方先生に、スウェーデンのカロリンスカ研究所から1通の電報が届けられた。内容はもちろん、「貴殿にノーベル生理学・医学賞を授与する」……第2回のノーベル生理学・医学賞の受賞者に、緒方先生が選ばれたという連絡だった。緒方先生は、マラリア原虫を発見し、そして、その原虫が蚊によって媒介され、人間に感染するということを証明している。その業績に対して、ノーベル生理学・医学賞が与えられたのだ。これで、昨年の北里先生に続き、ノーベル生理学・医学賞を、日本人が2年連続で授与されたことになった。
「増宮さまの知識のおかげでございます。本当にありがとうございました」
緒方先生はそう言って私に一礼する。
「いえいえ。たくさんのことをやっていただいて、こちらこそありがとうございました。これで仕事は一段落つきましたか?」
私は緒方先生に微笑した。マラリア原虫の仕事の他にも、北里先生と一緒にペスト菌も発見しているし、志賀先生と秋田の田中先生と一緒に、ツツガムシ病の病原体も発見している。緒方先生は日本ではもちろん、いや、世界でもトップクラスの研究業績を打ち立てていた。
すると、
「いえ、やることはまだまだたくさんございます。後進も育てなければなりませんし、増宮さまが御存じない病原体も、たくさん見つけなければなりません」
緒方先生は穏やかに笑って答えた。
(ああ、そうか……)
私は心の中で反省した。確かに、彼の言う通り、後進も育てなければならない。そして、緒方先生だけではなく、医科分科会のメンバーの“未知の病原体を知りたい、病気の治療法を確立したい”という熱意はすさまじいのだ。
(私も負けてられないな。少しでも“史実”より、医学を発展させないと)
決意を新たにしていると、
「いい球です!」
「よーし、じゃあ次だ!」
庭の方から、とても大きな声が響いてきて、私の思考をかき乱した。
「……ちょっとうるさいですね。輝仁さまたちかな」
少年たちの声に、私は立ち上がった。大山さんがいたら、彼に注意してくれるように頼むのだけれど、今は別館で仕事中だから、こんな仕事も私がするしかない。居間の障子を開けて、縁側を模型部屋の方に回り込むと、庭でキャッチボールをしている3人の少年がいた。先月の末に青山御殿に引っ越してきた私の弟・満宮輝仁さまと、北白川宮輝久王殿下、そして有栖川宮栽仁王殿下だ。
「ごめん!キャッチボールしてる所、申し訳ないけれど、ちょっと声、抑えてもらっていい?!会議をしてるから!」
庭に向かって声を張り上げると、3人とも一斉に私の方を向き「はい!」と返事してくれた。
「キャッチボール……野球の練習ですか」
居間に戻った私に、三浦先生が微笑した。
「はい、輝仁さまと、輝久殿下と栽仁殿下ですね。学習院で野球が流行ってるから、熱心にやってるみたいです」
すでにこの時代、野球は日本に入って来ていて、学習院にも野球部がある。もちろん、他の中学校にも野球部を持っているところがたくさんあり、盛んに対外試合をしているそうだ。
「おや、満宮さまは、確か麻布にお住まいになっていたと思いましたが……」
「先月の下旬に、ここに引っ越して来たんです。輔導主任だった林子爵が、体調を崩してしまったので……」
緒方先生の質問に私は答えた。一応、官報に引っ越したことは載せられたけれど、新聞紙上で話題になっている様子は無かったから、緒方先生が知らないのも当然だ。
「いかがですか、満宮殿下は」
そう尋ねたベルツ先生に、
「元気ですよ。ちょっとずつ、金子さんにも慣れてきたみたいです」
私は微笑した。
輝仁さまはお父様の言葉通り、この青山御殿で使っていなかったエリア……私が今使っている部屋のすぐ近くに入居した。起床時と就寝時に、私の居間にあいさつにやって来る輝仁さまは、迪宮さまや淳宮さまに負けず劣らず、とても可愛らしい。私がいない日中に、学習院の友達や、年上の王殿下たちと遊んでいるせいか、御殿の障子が破れる頻度が増えた気がするけれど、まだ10歳にもなっていない男の子のことだから、しょうがないのだろうと大目に見ることにした。
「朝晩の食事は、なるべく輝仁さまと一緒にとるようにしてるんです。夕食が終わると、学習院での出来事を、“章姉上、章姉上”って言いながら、一生懸命報告してくれて……。私も、爺の家から花御殿に引っ越したけれど、その頃の兄上から見た私って、こんな感じだったのかなぁ、と思いながら輝仁さまを見ています。もし輝仁さまに必要があれば、勉強も見てあげようと思っていますけれど、これは金子さんと手はずを相談してからですね」
「そうですか。それはよかったです。“増宮さまにひどく叱られてしまうのではないか”と、林閣下が心配されていましたから」
ベルツ先生の表情が穏やかになる。輝仁さまの前の輔導主任だった林子爵の主治医をしているからだろう。
「多少の悪戯は、大目に見ることにしています。どうぞご安心ください、と林さんに伝えてください」
私はベルツ先生に頷くと、
「さて、本題に戻りましょうか。今日は大山さんがいないから、思う存分医学の話をしましょう」
一同を見渡して、ニッコリ笑った。
「ところで北里先生、最近、医科研はいかがでしょうか?」
千夏さんが淹れてくれたお茶の湯呑が一同に行きわたると、緒方先生が北里先生に尋ねた。かつては脚気の原因を巡って、対立したこともあった2人だけど、ペスト菌を共同で発見した時からは、関係も良好になっている。
「ビタミンBの抽出の目途が付きましたからね。次はどうするかと、増宮殿下とも議論しているところです」
北里先生が答えると、
「ほう、では、帝大の高橋教授と三重の森先生の、肝油と脾疳の研究の方にも、いよいよ本格的に協力ができそうだということですか?」
緒方先生が身を乗り出した。東京帝国大学医科大学薬物学講座教授の高橋順太郎先生には、三重の森正道先生と共同で、数年前から肝油と脾疳について研究をしてもらっている。肝油の改良も史実より数年早く完成し、肝油ドロップの開発にもつい先日成功していた。この研究の最終目標は、肝油から“史実”でいうビタミンAを抽出することなのだけれど……。
「あの、実は、私が北里先生に、別のビタミンを研究できないかとお願いをしてしまっていて……」
私は緒方先生に軽く頭を下げながら答えた。“別のビタミン”というのは、“史実”でいうビタミンB12のことだ。胃を切除すると、その何年か後で身体の中で足りなくなって、貧血を引き起こすビタミン……もちろん、2年前に幽門側胃切除をした西郷さんを念頭に置いてのお願いである。
「どうするかは、また折をみて考えます。人材さえいれば、両方研究できるんですけれど、清からの留学生に手伝ってもらっても、まだまだ人手が足りなくて……。私が研究課題を、皆さんに色々と投げてしまうのもいけないんですけれど」
私がため息をつくと、
「課題を投げると言えば、一つお伺いしたいことがあったのです、増宮さま」
と緒方先生が真剣な表情になった。
「先日、理科大学の長岡半太郎先生に会いましたら、“増宮さまに言われて、電子顕微鏡の研究を始めた”と言っていたのですが……一体、電子顕微鏡とはどんなものなのでしょうか?」
「今ある顕微鏡より、もっと小さなものが見える顕微鏡です」
私は苦笑しながら答えた。「ただ、問題は、私が“観察したいものに、光の代わりに電子を当てて拡大する顕微鏡だ”としか覚えていなかったことなんですよね。とりあえず、電場や磁界を使って、電子の振る舞いを確かめるところから始めるって長岡先生は言ってましたけど……」
「それはすごい。今はまだ捉えることのできない小さな病原体も見えるかもしれないということですか!是非、長岡先生には頑張っていただきたいですね」
「ええ、緒方先生、電子顕微鏡ができた暁には、未知の病原体を白日の下に曝してやりましょう!」
緒方先生と北里先生が興奮しているところに、廊下から「宮さま!」と千夏さんの声がした。
「申し訳ありません、お茶菓子を出し忘れてしまって……持って参りましたが、いかがいたしましょうか?」
「ああ、ありがとうございます。じゃあ、今から出してもら……」
バンッ!
バキッ!
「あああっ!」
「?!」
異音が響いたのは、私が立ち上がって、障子を開けようとした時だった。居間の奥の方からだ。
「何でしょう?」
ベルツ先生が眉をしかめる。
「悲鳴も聞こえましたね」
三浦先生も椅子から半分身体を浮かせた。確かに、叫び声のようなものも、異音と同時に聞こえた。
「模型の部屋の方かな。……千夏さん、お菓子はテーブルの上に置いたままにしてください。それで、私についてきてもらっていいですか?」
「はいです!」
千夏さんの返事を確認すると、私は居間の隅に立て掛けてある竹刀を手に取って廊下に出た。もちろん、不審な気配への警戒は怠らない。
縁側を回り込むと、すぐに異常に気が付いた。模型の部屋の入口の障子が破れている。その側の庭に、輝仁さまと、輝久殿下と栽仁殿下が立っていた。
「どうしたの?!」
3人に声を掛けると、輝久殿下の口が動く。
「あ、姉宮さま、その……球が、その部屋に……」
セリフを聞き終わる前に、私は全速力で壊れた障子に駆け寄り、障子を勢いよく開けた。
部屋に入ってすぐの所には、名古屋城の大天守の模型がある。もちろん、前世で私が見ていた鉄筋コンクリートの再建された天守閣ではなく、創建当初の5層5階の大天守の模型である。これは、桂さんが名古屋から東京に転属した時に、私に贈ってくれたものだ。実物に忠実に再現されており、もちろん屋根の上には、黄金に輝く金の鯱が載っている。この部屋に入るといつも、この大天守の模型をじっくり眺めて、天守閣に登った思い出を反芻し、この時の流れでは、名古屋城をはじめ、現存の天守閣を可能な限り後世に残そうという誓いを新たにするのだ。
その大切な大天守の模型の最上層の屋根が、破壊されていた。両端の金の鯱は畳の上に落ち、その横には野球ボールが転がっている。
「な、名古屋城が……」
私はその場にへたり込んだ。全身から力が抜け、涙がじわりと眦から湧きあがったのがわかった。
「金鯱が……畳の上に……」
その畳に、涙がポトリ、ポトリと落ちていく。名古屋城は、“史実”では1945(昭和20)年5月14日、アメリカ軍の空襲により、主要な建物が破壊されてしまった。紅蓮の炎に包まれた天守閣の写真を見たことがあるけれど……きっと、今の私も、あの燃え盛る天守閣を見てしまった人たちと同じような気持ちになっているのだろう。「たかが模型で大袈裟な」と言われるかもしれないけれど、私にとってこの名古屋城の模型は、前世の故郷を偲ぶ唯一のよすがでもあるのだ。
(名古屋が……前世の故郷が……!)
悲しみと怒りとやりきれなさで、心がいっぱいになった時、
「ふ、章姉上、俺が……俺が、ボールぶつけた」
弟の声が聞こえた。
私は無言で模型の部屋を出ると、竹刀を持ったまま、縁側から庭に飛び下りた。すぐそばには、許すことのできない狼藉者が立っている。
「ふ、章姉上、ごめんなさい!」
「……貴様か、輝仁」
睨み付けると、狼藉者は弾かれたように地面に這いつくばった。
「私の大切なコレクションに手を掛けたのは」
「み、宮さま!」
乳母子が叫んでいるけれど、私は無視した。
「我が心のふるさとにも等しい名古屋城の大天守を、しかも、金の鯱を落とすとは……。この大罪をどう償うか、分かっておろうな?」
竹刀を持った右手に、痛いくらいに力を籠める。でも、そうしなければ、全力で竹刀を振り下ろすことはできない。この不届き者には、私自らの手で、大上段から渾身の一撃をお見舞いしなければならないのだから。
「そこに直れ、輝仁!成敗してくれる!」
竹刀をしっかり構えようとしたその時、
「ダメっ!」
突然、私の両腕が動かなくなった。誰かが、私を後ろから羽交い締めにしたのだ。
「?!は、放せ大山!邪魔をするな!この章子の魂を傷つけた痴れ者、この手で罰を与えねば……!」
両腕を振りほどこうともがいていると、
「姉宮さま、落ち着いて下さい!」
私のすぐそばで、栽仁殿下の叫び声がした。
(え?)
思わぬ声の近さに、私はハッと我に返った。左右をキョロキョロと見回すと、栽仁殿下の顔が、私のすぐそばに……ちょっと首を傾ければ、彼の顎におでこがぶつかりそうなほどすぐそばにあった。
(わ、私を羽交い絞めにしてるの、大山さんじゃなくて栽仁殿下?!)
戸惑う私に向かって、
「竹刀から手を離してください、姉宮さま!」
栽仁殿下はなおも叫び続ける。
「おい、た、栽仁、そこまで姉宮さまにするか?!」
横から輝久殿下が、ひきつった顔で栽仁殿下に叫ぶ。「危ないのは確かだけど、姉宮さまを、本気で羽交い絞めに……」
「ダメだよ!危ないよ!このままじゃ、満宮さまの身が!」
栽仁殿下は、私を羽交い絞めにしたまま反論する。その声で輝仁さまの方を見ると、彼は完全に泣き出してしまっていた。千夏さんも、真っ青な顔で私を見つめている。
「増宮さま!」
別館の方から、私を呼びながら駆けてきたのは大山さんだ。
「ものすごい殺気を感じましたので、慌てて参りましたが……」
もがくのを止めた私の側にたどり着くと、大山さんは私に一礼した。
(あああ……)
「わ、私、やらかしたっぽい……」
項垂れた私の手から、竹刀がポトリと落ちた。
大山さんに促され、居間に戻って竹刀を置き、汚れた足袋を履き替えると、私は再び、模型の部屋に入った。既に輝仁さまと輝久殿下と栽仁殿下が、床に散らばった模型の破片を拾い集めてくれていたけれど、どうしても、壊れた名古屋城の大天守が、部屋に入ると視界に飛び込んでしまう。
「ああ、名古屋城が……金の鯱が……」
無惨な姿になってしまった大天守を見るのが耐え難くて、涙をぽろぽろとこぼしていると、
「章姉上、本当にごめんなさい!」
輝仁さまが私に向かって、がばっと頭を下げた。
「俺、球が上手く投げられなくって……!」
「いや、いいんだよ。……私の方こそ、怖い思いをさせてしまってごめん、輝仁さま」
私はその場に正座して、輝仁さまに謝った。怒りと悲しみで完全に我を忘れてしまったとはいえ、私は可愛い弟を、情け容赦なく叩きのめそうとしていたのだ。この出来事が、輝仁さまのトラウマにならないことを祈るしかなかった。
「はぁ……だけどこれ、修理しなきゃいけないなぁ。桂さん、どうやってこの模型作ったんだろう。問い合わせなきゃ……」
私が大天守を見ながらため息をつくと、
「あの、姉宮さま?」
栽仁殿下が私に呼びかけた。
「もしかしたら、僕、この模型を直せるかもしれません」
「?!」
私は立ち上がり、思わず栽仁殿下の手を掴んだ。
「本当に?!本当に、この大天守の模型を直せるの?!」
私の縋るような声に、
「はい、父上が、軍艦の模型を作っていたのを手伝ったことがあって……それと作り方が似てる所があると思うから、何日かかかると思うけど、何とかなるかなって」
栽仁殿下はしっかりと答えてくれる。
「すごいなぁ、栽仁の父上。和歌も上手だし絵も描くし……」
(本当にそうだよなぁ……)
輝久殿下の賛嘆の声に、私も心の中で同意した。和歌や絵の他に、書道にも秀でているし、英語とフランス語も得意で、自転車も自動車も乗りこなし……。本当に、威仁親王殿下は、できないことを探すのが難しいのだ。
(それに引き換え私ときたら、教養方面は不得手だからなぁ……)
こっそりため息をつこうとしたその時、
「せっかくの機会ですから、増宮さまも満宮さまも、栽仁王殿下が修理なさるのを、お手伝いなさってはいかがですか?」
部屋の隅の方に立っていた大山さんがこう言った。
「大山さん、本当に?!」
私は大山さんにニッコリ笑いかけた。「何日か修理にかかる」と栽仁殿下は言っているから、栽仁殿下に、模型の修理をこの部屋でしてもらえば……。
(そうすれば、修理のお手伝いを言い訳にして、模型の部屋に入り浸り放題……ふふふ、日ごろの軍事訓練に疲れた身体にとって、最高の癒しが……!)
バラ色の未来に胸をときめかせていると、
「千夏どの」
大山さんが私の乳母子を呼んだ。
「増宮さまがお手伝いにのめり込み過ぎないように、見張っていてください」
「ちょっと、大山さん?臣下が主君を見張るって、どういうことよ!」
私の抗議の声に、
「お、大山閣下、いくら閣下のご命令でも、それは……」
千夏さんも合わせて、有能な別当さんに反論する。
すると、大山さんが千夏さんの側にすっと寄り、何事かを耳打ちした。
「……!」
「千夏さん?どうしたんですか?大丈夫ですか?」
あっという間に顔面蒼白になった千夏さんに、心配になって声を掛けると、
「か、かしこまりました、大山閣下。別当である閣下のお言葉に従います」
千夏さんは固い声で大山さんに返事した。
「え?!ちょっと、千夏さん?!」
慌てる私をよそに、
「時に、道を誤る主君を諫めることも、臣下の大事な務め。そうですよね、千夏どの?」
大山さんは私の乳母子にこんなことを言う。
「は、はいです」
答える千夏さんは、微かに身体を震わせているようにも見えた。
「千夏さん?!もしかして、大山さんに脅されてませんか?!何か、私で対抗できることがあったら……」
側に駆け寄った私に、
「お、脅されてなどおりませんよ」
千夏さんはひきつった微笑を向けた。
「……千夏さんに一体何を言ったの、大山さん?場合によってはとっちめるわよ?」
「さて、何を言いましたか。先ほどの増宮さまの凄まじい殺気で、忘れてしまいました」
問い詰めようとした私を、我が臣下は軽くいなした。こんな調子では、白状させるのは100%無理だろう。
「栽仁、俺も注意を怠ってた責任があるから、直すのを手伝っていいか?」
「もちろんだよ、輝久。じゃあ、姉宮さまと満宮さまと、4人で直そう」
機嫌よく頷いた栽仁殿下に、
「とにかく、君が頼りだから、よろしくお願いします!」
私は深々と最敬礼したのだった。
※威仁親王は軍艦扶桑(1878年に就役した装甲艦。1885年から1886年にかけ、威仁親王が分隊長として乗り組み)の模型を組み立てて皇太子殿下に献上したことがあったそうです。(「威仁親王行実」より)




