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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第30章 1902(明治35)年小満~1902(明治35)年処暑
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病を治す刀

 1902(明治35)年8月31日日曜日、午前9時半。

「用意は出来ましたか?」

 青山御殿の私の寝室。鏡台の前に座り、母と千夏さんに髪を結われているところに、障子の外から大山さんが声を掛けた。

「もう少しです!」

 千夏さんが三つ編みを編みながら、元気に返事をする。

「あの……千夏さんも母上も、今日は妙に、シニヨンに時間をかけてませんか?」

 視線だけを左右に動かして2人に尋ねると、

「ですが、ここをちゃんとしなければ、髪が解けてしまいますよ、章子さん」

と母がニッコリ笑って答えた。

「今日は大事な日ですからね」

「……しょうがないなぁ」

 私は軽くため息をついて、母と千夏さんの手から髪が解放されるのを、じっと待つことにした。

 今日は、私が国軍軍医学校の制服を着て、皇居に初めて参内する日だ。

 新しく着ることになった制服は、男性とほぼ同じデザインの白い詰襟のジャケットに、白いズボンか、くるぶしまで丈のある白いスカート。今日は参内するし、その後で花御殿に行って兄の誕生日祝いもするからということで、スカートをはいている。それに、白い軍帽を合わせ、左腕に赤い十字が染め抜かれた白い腕章を巻く。10年以上前、国軍合同となった時、まだ幼かった私が“白衣の色にしましょうよ”と提案したせいで、国軍の医療関係者の正装や礼装の色は、夏も冬もすべて白と決まったのだけれど、まさか自分がその軍服を着ることになるとは思ってもいなかった。

 と、

「はい、出来ました。これでバッチリです」

母が私の肩を叩いた。差し出された軍帽を頭の上に載せると、

「宮さま……とても、とてもお綺麗で、とても凛々しくていらっしゃいます……」

千夏さんがほとんど泣きそうな顔で言った。

「ありがとうございます」

 お礼を言いながら立ち上がって、廊下に面した障子を開けると、大山さんが私に向かって一礼した。

「本当にお美しゅうございます」

「ありがとう、大山さん。……じゃあ、行こうか」

 一つ頷いて、廊下を歩き始めたその時、

「梨花!」

庭から兄の声がした。振り返ると、和装の兄と節子さまが、迪宮さまと淳宮さまをそれぞれ抱きかかえ、こちらに向かって歩いてくる。後ろには、西郷さんと児玉さんもいた。

「兄上……お父様(おもうさま)の所に行った帰りに、そっちに行こうと思ってたのに……」

 困惑しながらそう言うと、

「気にするな。俺たちは朝の散歩に出ただけだ。少しだけ足を延ばしたら、たまたまお前が部屋から出てくるところに行き合ったのだ」

すぐ近くまでやって来た兄がニヤッと笑った。

「嘉仁さまったら、梨花お姉さまの制服姿を見るのが待ちきれないとおっしゃって、朝からそちらに何度も電話をかけて、予定を確認していたんですよ」

 淳宮さまを抱っこした節子さまが、あっさりネタばらしをすると、兄は「こら、節子」と苦笑いして、また私に顔を向けた。

「よく似合っているぞ。……上医らしい風格が出てきたか?」

「何言ってるの、兄上。まだ半人前だよ。また学生をやらないといけなくなったんだから」

 私は廊下に屈んで、兄の方に手を伸ばした。兄の腕に抱かれた迪宮さまは、私の方を嬉しそうに眺めている。

「おー、よしよし。迪宮さまも淳宮さまも、いつも可愛いねぇ」

 迪宮さまの、次いで淳宮さまの頭を、私は優しく撫でた。兄と節子さまの2人の子供は、私にとっての天使である。

 と、

「梨花さま、もうそろそろ出ませんと、間に合わなくなります」

大山さんが私に穏やかに声を掛けた。

「わかった。……じゃあ兄上、節子さま、またあとで」

 そう言うと私は立ち上がって、玄関へと向かった。

 玄関には、総理大臣の伊藤さんが立っていた。

「おめでとうございます、増宮さま。元輔導主任として、鼻が高うございます」

 恭しく頭を下げる伊藤さんに、

「こちらこそ、ありがとうございます。それから、色々と迷惑を掛けました」

私も深く頭を下げた。

「傍で見学させてもらっていたけれど、……大変だったでしょう、一連の作業」

「何、増宮さまがそばにいらしたので、かえって仕事の能率は上がりました」

 伊藤さんはそう言ってほほ笑む。大山さんの言葉もあったからだけれど、徴兵令の改正案と女子志願兵法が成立してからは、私は永田町の総理大臣官邸に日参して、関連する勅令の改正作業の一端を見学させてもらっていた。随分と作業量が多いように思えたけれど、伊藤さんがこう言うのは、もしかしたら私に気を遣ってのことかもしれない。そもそも、伊藤さんもだけれど、他の閣僚の面々や、梨花会のメンバーも、関連作業に追われて夏休み返上になってしまっているのだ。

「無理しちゃだめですよ、伊藤さんもだけれど、みんな……。これで作業は一段落ついたんですから、速やかに夏休みを取って、休んでください」

 私は伊藤さんをしっかり見つめながらお願いした。

「そうそう、お父様(おもうさま)もです。“議会の開院式があるから”“関連の勅令に速やかに署名をしなければいけないから”と言い立てて、嬉々として東京に居残って……今日、私からも申し上げますけれど、来月初めにでも葉山で休んでもらおうと思いますから、協力をお願いします」

「もちろんでございます。しっかり休んでもらわなければなりませんからな」

 伊藤さんが頷くのを確認すると、私は大山さんの方に右手を伸ばし、エスコートをお願いした。

「あ、増宮さま!お帰りになったら、一緒に写真を撮っていただけるのでしょうか?!」

 大山さんのエスコートで馬車に乗り込もうとした私の背中に、伊藤さんの声が投げかけられる。

「……撮らなきゃいけない?」

 私は大山さんを見やった。

「ご入学の公式発表用には、写真を撮らなければなりませんよ。元々、今日は花御殿からお帰りになったら、写真を撮影する予定でしたが……その時に」

 大山さんはそう答えて、穏やかにほほ笑む。

「あなたと兄上と伊藤さんとだけが撮ると、他の面々がもめそうだけれど……」

 一応、不安を解消しておこうと思って質問すると、

「ご心配なく。梨花さまがお帰りになるころには、皆さま、呼ばなくてもいらっしゃるでしょう」

我が臣下は別方面での不安をかき立てるような答えを返してきた。

(つまり、全員と写真を撮れ、ってことか……)

「……はい、じゃあ伊藤さん、帰ったら写真を撮りましょう」

 顔に愛想笑いを浮かべながら伊藤さんの方を振り返ると、「ありがたき幸せ!」と伊藤さんはとても嬉しそうに頭を下げた。その姿は、前世の入学式でよく見られがちな、子供よりもはしゃいでいる両親を連想させた。しかも、私の場合、その親役が10人を軽く越してしまうのだ。帰宅後の写真撮影は長丁場になるだろうな、と私は覚悟したのだった。


 午前10時半、皇居。

 夏用の白い軍服を着たお父様(おもうさま)と、水色のデイドレスをまとったお母様(おたたさま)の前に私は立っていた。私の斜め後ろには、大山さんが当然のように控えている。

「よく似合っている」

 満足げに頷くお父様(おもうさま)の言葉に続いて、

「ええ、まるで雪のよう……“梨雪”のようです」

お母様(おたたさま)が歌うように言う。「春の本格的な訪れを告げる、暖かくて美しい、真っ白な雪……。当然ですね。増宮さんは、戦場で病み、傷ついた者にとっての、春のような存在になろうとしているのですから」

「恐れ入ります」

 お辞儀をした私は、今の一番のお気に入りの着物……空色に、白い梨の花を描いた着物を、お母様(おたたさま)に仕立ててもらった時のことを思い出していた。清では梨の花の白さを雪に例えて“梨雪”と呼ぶのだ、と教えてくれたお母様(おたたさま)は、

――でも、この雪は、本格的な春の訪れを告げる雪ですね。冬の辛い寒さに耐えていたからこそ、人々の目を楽しませることのできる、暖かくて美しい、真っ白な雪です。

そう私に言ってくれたのだ。言われた当時は、意味がよく分からなかったけれど、今なら、少しは分かる。

(覚えててくれたんだ、お母様(おたたさま)……)

 涙がポロリと落ちそうになったけれど、慌てて堪えた。今は、きちんと両親にお礼を言わなければいけない。

「国軍軍医学校入学に際し、色々とお骨折りいただき、ありがとうございました。おかげをもちまして、明日、入学致します」

 頭を下げたまま、お礼の言葉を申し上げると、「うむ」とお父様(おもうさま)が返事をして、

「章子、こちらへ参れ」

と声を掛けた。私は指示に従って、お父様(おもうさま)の側に寄った。

「会津の窮地を軍刀で救う、か……いつもの思い付きだろうが、なかなかよう出来た」

 微笑するお父様(おもうさま)は、右手でサーベル拵の刀の鞘を掴んでいる。先日、会津兼定さんに打ってもらった軍刀だった。

「いえ、大山さんにかなり修正されました」

 私は正直にお父様(おもうさま)に言った。「最初は、私が2万円出資して、お父様(おもうさま)に“軍刀の拝観料”という名目で1万円ほどいただこうと思っていたので……」

「こやつ、親から金を強請るつもりだったか」

 苦笑いするお父様(おもうさま)に、「申し訳ありません」と私は最敬礼した。

「まぁ、よい。朕もこの刀を見させてもらったが、なかなかよい刀だ。スラリとした姿だが、一本筋が通っておる。打たせた理由も気に入った。……軍医学校に入学しても励めよ、章子」

 お父様(おもうさま)が前に突き出した兼定さんの軍刀を、私は両手で受け取り、軍刀を捧げ持ったまま、元いた位置まで下がった。

「では、私はこれで……」

 退出のあいさつを言おうとしたその瞬間、

「あー、待て、章子」

お父様(おもうさま)が、また私に声を掛けた。

「もう一度こちらに参れ」

 そう言われたので、軍刀を捧げ持ったままお父様(おもうさま)の側に寄ろうとしたら、

「待て待て、その軍刀は大山に預けよ」

お父様(おもうさま)はこんなことを言う。

(?)

「梨花さま」

 戸惑う私に、大山さんが声を掛けた。

「陛下のお言葉通りに。その軍刀はお預かりいたします」

 非常に有能で経験豊富な臣下の指示に従い、彼に軍刀を預けると、私はお父様(おもうさま)の所に再び歩いて行った。

「さて……」

 ニコニコしているお父様(おもうさま)の手には、また一振りの刀が握られている。

「これは朕からの入学祝いだ」

「はぁ?!」

 私は思わず、大声を上げてしまった。

「ちょっと待ってください!今の兼定さんの刀で満足したんじゃないんですか?!」

 全力で抗議すると、

「そなたは何を言っておるのだ」

お父様(おもうさま)は不思議そうな顔で私に言った。

「会津兼定の刀は、あくまでそなたが注文して、朕に買い取らせたものだろう。それを買い取る前に、朕はそなたにやる刀をとっくに準備しておって、拵もサーベル拵に直させていたのだ」

 そう言いながら、お父様(おもうさま)は軍刀を鞘から抜いた。

「どうだ、刃の長さは2尺余り……この長さなら、そなたでも問題なく使うことができるだろう。“文化財だから”と言って、蔵にしまい込むのは許さんぞ」

「流石に蔵にはしまい込みませんけど、差すのは儀式の時だけにしますよ?」

「儀式の時だけではなく、仕事の時にも差せ。何せ、この刀は、病を治す刀だからな。医者が持つのにふさわしい刀であろう」

「はぁ……?」

 顔を思いっきりしかめた私に、

「そなた、豪姫は知っているか?安土桃山時代の前田家の姫だが」

と、お父様(刀剣マニア)は嬉々として尋ねた。

「あ、はい……」

 そのくらいなら私でも知っている。前田利家の娘で、豊臣秀吉の養女となって宇喜多秀家に嫁いだ人だ。

「その豪姫がある時、病にかかった。その病を払うため、父親の前田利家が豊臣秀吉からこの刀を借りた。すると、豪姫の病が癒えたので、利家は秀吉に刀を返した……」

(ん?なんか、聞いたことあるぞ?)

 お父様(おもうさま)の話を聞きながら、私は記憶を必死に探った。確か、この話は……。

「ところが、豪姫の病が再発したので、利家はまたこの刀を秀吉に借りた。病が癒えたので刀を返したが、そうすると豪姫の病がまた再発する……そんな貸し借りが繰り返されたので、秀吉は利家に、“昔からのよしみゆえ”とこの刀を譲った……」

「それ……まさか、大典太(おおでんた)光世(みつよ)……」

 私が驚きとともに呟くと、

「知っていたか!」

お父様(刀剣マニア)の顔が一層輝いた。

「あの、前世で金沢城跡を見に行った時、県立美術館に寄ったら特別に展示されていて……」

 私は前世の記憶を、必死に手繰りながら答えた。「確か、天下五剣の一つで、前田家に代々伝えられたって……」

「うむ、豪姫の話を思い出してな、利為(としなり)に命じて献上させた」

「はああああああ?!」

 軽い調子で言うお父様(おもうさま)に、私は思わず叫んだ。利為さんというのは、現在の前田家の当主で、私より2歳年下だ。まだ学習院の中等科に在学しているはずだけれど……。

「そ、それって、一種のパワハラなんじゃ……」

 私が突っ込むと、

「ぱわはら、というのが何だかよく分からぬが、そなたがやかましく言うと思って、ちゃんと対価は支払ったぞ」

お父様(おもうさま)がムスッとした。「小竜景光を利為にやった」

 余りのことに、私は言葉を返せなかった。大典太光世を前世で見た時、確かキャプションに“国宝”と書かれていたし、お父様(おもうさま)が軍刀として使っている小竜景光も、国立博物館のキャプションでは“国宝”と表記されていた気がする。

(こ、国宝と国宝を交換って……え、ええと、ええっと……)

「す、するとお父様(おもうさま)、小竜景光を利為さんにあげたとして、今、腰に差していらっしゃる軍刀は……」

「ああ、そなたの話を聞いて、会津兼定に打たせた。仕上がったのはつい3日前だ」

 ようやく私が質問すると、お父様(おもうさま)は自分の左腰に目をやった。確かに、真新しい軍刀が差されている。

「これは、そなたに先ほどやったのより良い刀だぞ。刀工の魂が感じられるような……見るか?」

「つ、謹んで遠慮致します!」

 慌てて首を左右に振ると、お母様(おたたさま)がクスクス笑ったのが聞こえた。

「梨花さま」

 兼定さんの軍刀を持った大山さんが、後ろから声を掛ける。「早く大典太をお受け取りなさいませ。そうでなければ、陛下の講釈が、いつまで経っても終わりませぬ」

「大山!」

 お父様(おもうさま)が顔を真っ赤にして叫ぶと、お母様(おたたさま)の笑い声が一層大きくなった。

「あの、お父様(おもうさま)

「ん?」

「その刀、受け取らせてください」

 講釈の機会を奪い去るべく、お父様(おもうさま)に力強く言うと、「あ、ああ、うむ……」と頷いたお父様(おもうさま)は、鞘に大典太光世を納めた。

「章子……」

 お父様(おもうさま)は真面目な表情になり、正面から私を見据えた。

「医師免許を得たとはいえ、そなたの修業は始まったばかりだ。上医となるのには、まだまだ道は遠い。だが、くじけず、たゆまず、上医を目指して進め。よいな」

「はい。かしこまりました、お父様(おもうさま)

 お父様(おもうさま)が私に向かって突き出した大典太光世……病を治す刀を、私は恭しく受け取ったのだった。

※大典太光世が「病を治した」という伝承には諸説あるようですが、ここでは豪姫の説を採用しました。


※ちなみに、2015年に大典太光世が石川県立美術館に展示されたことがあったようなので、章子さんはその時に大典太を見たのだと思われますが……。


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― 新着の感想 ―
テレビドラマで見たいですね。 特に今の日本には必要な内容だと感じます。 日本人が無くした心と精神が ちりばめられています。 大作です。 ぜひ、書籍化、漫画化へと進むことを祈っております。 読む…
[気になる点] 国宝の刀を錆びさせるだけでも一大事だから、こまめに手入れをする必要がありますね。 大典太光世ですと、手入れするだけでも梨花の胃が痛くなりそうな気がするのですがw [一言] 後世になる…
[一言] いくら小説とはいえ天下五剣の一振国宝大典太光世を鍛え直させるとは驚きました
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