軍刀の値段(1)
1902(明治35)年7月1日火曜日午後1時、皇孫御殿。
「ねぇ、兄上」
私は、迪宮さまとおもちゃで遊んでいる兄に声を掛けた。節子さまは、別の部屋で淳宮さまに授乳中だ。
「ん?」
迪宮さまに視線を固定させたまま返事をした兄に、
「相談したいことがあるんだけど」
と更に言うと、
「どうした?」
兄はようやく顔を私に向けた。
「実は、私の軍刀のことで……」
話を始めようとしたら、
「おい、それを俺に聞くか?お父様に聞いたらよかろうに」
兄はこんなことを言って、不満そうな顔になる。
「……私が皇居に軟禁されてもいいの?刀剣の講釈が、永遠に終わらないわよ!それが嫌だから、兄上に聞いてるのに!」
兄に猛抗議すると、「しょうがないな」と兄は答え、「裕仁、こっちにおいで」と言いながら、迪宮さまを抱き上げて、自分の膝の上に座らせた。
「あのね……お父様、どうしても私に刀を一振渡すって言って聞かなくて」
「おや、大山大将にそれは止めてもらったのではなかったのか?」
「止まらなかったのよ……」
私は兄の質問に肩を落とした。「全国から刀を探す、っていうのは諦めさせられたんだけれど、私に刀を渡すこと自体は止められなかったって、さっき大山さんから報告を受けたわ……。ああ、貴重な文化財が破壊されてしまう……」
「それはそれは」
苦笑する兄に、
「それで、大山さんに相談したの」
と私は続きを話し始めた。「そうしたら、お父様にいただく刀は、儀式の時だけ差すことにして、それ以外は、新しく打ってもらった実用に適した刀を差せばいいんじゃないかって言われた」
「ふむ……刀工を育てるという意味では、それは非常に理にかなっているな」
兄はそう言って頷く。美術・工芸の作家さんたちに作品を依頼することは、その分野の技術の保護と発展につながる。私が“軍刀を打って欲しい”と刀工さんに頼むのも、刀の製作技術の保護と発展の一助になるのだ。
「だけど、誰に頼めばいいかがわからないんだ。帝室技芸員の先生方とも思ったんだけど、仕込み傘はその先生方の作品だから、別の人に頼む方がいいかなって思って。兄上、誰か知ってる?」
「と聞かれても、俺はお父様のように、刀に詳しくはないからな……」
私の質問に、兄は少し困ったような顔をして、
「実物を見る方が早いかもしれない。と言っても、俺もそんなに刀は持っていないが……よし、持ってきてやるから、裕仁を見ていてくれないか」
と、迪宮さまを抱き上げ、私に渡した。
置いてあるおもちゃも使いながら、相変わらず天使のような迪宮さまと遊んで癒されていると、兄が侍従さんを連れて部屋に戻って来た。侍従さんの手にも、兄の手にも、細長い包みがある。その中に刀が納められているのは明らかだった。
「俺が持っている刀は、この2振りだけでな」
侍従さんを下がらせると、兄は包みを一つ解いて、中から刀を取り出した。
「これは?」
「榎本子爵が、俺に献上してくれたものだ」
兄が抜いた刀を、私は着物の袖で口元を覆いながら眺めた。刀身には、木の年輪のような模様が淡く現れている。
「流星刀と言うそうだ。鉄隕石を鋼と混ぜて鍛え上げたとか」
「い、隕石?!」
私は目を丸くした。確かに、前世ではそういう武器を持っている漫画のキャラクターもいた気がするけれど、まさか実際にそんな武器があるとは思わなかった。
「お前にやってもよいぞ」
「……学術的な意味で貴重そうだから、遠慮しとくよ」
私は兄の申し出を丁重にお断りした。そんな刀を持ってしまえば、つまらぬものを切らないといけなくなってしまうかもしれない。
「で、もう一振の刀は?」
話題を変える必要性を感じて、慌てて兄に尋ねると、「これは俺の軍刀だ」と言いながら、兄はサーベル拵の刀を抜いた。
「会津の兼定という者の作だ。10年ほど前に、俺に献上してくれた」
私はまた袖で口元を覆って、兄の軍刀を眺めた。反りが少なくて、スラッとした姿だ。
「この拵にしてもらったのは、容保侯が亡くなった直後だったかな。亡くなったと聞いて、この刀のことを思い出したのだ。容保侯に会うことはできなかったが、せめて、この刀を身近に置いて、容保侯のことを、……戊辰の役以来、この国で起こった戦のことを考えられたらいいと思ってな」
「そうか……その話、初めて聞いた」
「まぁ、刀の話など、お前としたのはこれが初めてだからな」
――戊辰の戦以来、この国で流れた血は、皆、意見の相違はあれど、お父様を大切に思っていてくれた者たちのもの……。
去年、徳川慶喜さんに初めて会った時、兄が慶喜さんに言っていた言葉を私は思い出した。かつての敵味方、かつての官軍賊軍関係なしに、犠牲者の冥福を祈ることは、皇族としての私の義務だと思うし、兄も、お父様もお母様も、その気持ちは一緒だ。
「……よし、決めたよ、兄上」
私は一つ頷いた。「私も、その兼定さんに軍刀を打ってもらう。それで、私も兄上と同じことをする」
「ほう、そうか」
兄が微笑した。「ただ、10年ほど前の話だ。もしかしたら刀工が亡くなっているかもしれない」
「亡くなっていても、お弟子さんがいるんじゃないかな。大山さんに頼んで探してもらうよ」
兄に力強く答えると、
「それがいいだろうな」
兄も私を見て頷いて、刀を鞘に納めた。
その翌日、7月2日水曜日、午後4時。
私は青山御殿の応接間に、思わぬお客様を迎えていた。大山さんの義兄で、東京帝国大学のトップ……総長でもある、山川健次郎先生だ。私が医療用酸素の生産を依頼して以来、10年以上のお付き合いになる。
「あの……山川先生、一体どうしたんですか?」
いつになく真面目な表情の山川先生に、姿勢を正してから私は尋ねた。
「まさか、医療用酸素の生産に大きな事故が?あの、それとも……」
帝大病院の外科の面接に行った時、私に意地悪した外科の先生たちのことでお詫びでも……と言おうとして、私の斜め前に座る大山さんの姿が目に入り、私は慌てて口を閉ざした。万が一、山川先生の用件が違う場合、帝大病院で無用な犠牲者が出てしまいかねない。
すると、
「いえ、違います」
山川先生は頭を振って、
「今日は、東京帝国大学の総長ではなく、会津松平家の家政顧問として参りました」
と、緊張した声で言った。
「!」
私は目を軽く瞠った。そう言えば、大山さんの奥さんの捨松さんは、会津の出身だ。そのお兄さんなのだから、山川先生は会津の出身だということになる。
「そちらのお仕事もなさってたんですね……」
「我が山川家は、会津藩の家老職の家柄でして。以前は兄が家政顧問を務めていましたが、兄が4年前に死んでから、私がその職を引き継ぎました」
私に過不足なく事情を説明すると、山川先生は一礼した。
「ところで増宮殿下。兼定どのに軍刀を打って欲しいとおっしゃったと大山閣下から伺いましたが、いかなるご事情でございましょうや?」
「ええとですね……」
大山さんに「全部の事情を話していいのよね?」と確認すると、彼が軽く頷いたので、私は改めて山川先生の方に身体を向けて、口を開いた。
「実は、ロシアのニコライ陛下が、私が医師免許を取ったら改めて求婚するって言ってたんです。だから、医師免許を取ったことは公表してなかったんですけど、ロシア側に医師免許を取ったことが露見してしまったんです。そこで、徴兵令を改正して、私が国軍に入って軍医になれば、私に結婚条例を適用することが出来て、外国人との結婚が許されなくなるので……」
すると、見る見るうちに山川先生の顔が赤く染まった。
(あ……)
やはり、東京帝国大学の総長である山川先生にとっては、女性が軍隊に入ることなどありえないのだろうか。
(言い方を考えるべきだったかな……)
後悔していると、
「おのれニコライ!増宮殿下を毒牙に掛けようとするとは!」
山川先生が両の拳を握りしめた。
「かくなる上は、私も殿下とともに国軍に入って、この国難を打ち払い……」
「ちょ、ちょっと待ってください、山川先生!」
私は思わず椅子から立ち上がった。
「先生が国軍に入ったら、東京帝国大学はどうなるんですか?!それに、松平家の家政は、誰が面倒を見るんですか?!」
「で、ですが、増宮殿下のこの危機に、私も何かしなければ……」
「とにかく落ち着いてください、山川先生。もし、附属病院の外科の先生たちが私に意地悪したから、総長の自分がお詫びに……って考えてるんだったら、その考えは即刻捨ててください!さもなければ、国軍に入るなと、先生に令旨を出します!」
睨み付けながらこう言うと、
「くっ……仕方がありません。殿下のお言葉に従います」
山川先生は本当に残念そうに私に答えた。
「それならいいです」
私はほっと息をついて、椅子に座り直した。
「それで、話を元に戻しますけれど、私が使う軍刀が必要になったんです。お父様が一振くださる、というのですが、お父様のくださる刀は、本当なら博物館や美術館で展示しなければいけないような刀でしょうから、実戦の場に差して行って折れでもしたら、貴重な文化財がこの世から消えてしまうことになります。そこで、技術振興という意味で、普段私が使う軍刀は、今回刀工さんに新しく打ってもらおうと考えたんです。兄上に相談したら、兄上が兼定さんから献上された刀を、軍装の時に使っていると聞いたので……」
「何と……!」
山川さんの眼が真ん丸くなった。
「ええ、“容保侯に会うことはできなかったが、せめてこの刀を身近に置いて、容保侯のことを、戊辰の役以来、この国で起こった戦のことを考えられたらいいと思った”……兄上はそう言っていました。なので、私も兄上と同じことをしたいと……」
続けて話していると、山川さんの両目からは大粒の涙が流れ出した。
「ありがたい……実にありがたいことです……」
「山川先生……」
「我が会津を、ここまで想っていただけるとは……」
流れ落ちる涙をぬぐおうともせず、山川先生は言う。その姿が、数年前に私の前で涙を流した時の原さんとダブった。あの時は、原さんの主家の元当主……戊辰戦争の際、“逆賊”とされた南部利剛さんが亡くなり、その葬儀に、“史実”では無かった、お父様からの勅使と、お母様と兄の使いが派遣された。盛岡藩の家老の家に生まれた原さん。そして、会津藩の家老の家に生まれ、主家の家政顧問を務める山川先生。2人にとっても、そして、他の盛岡藩や会津藩の藩士たちにとっても、かつての逆賊の汚名が雪がれるというのは、とても大切なことなのだ。
「増宮殿下、お願いがあります」
山川先生が私にこう言ったのは、私が口を閉じて、数分が経った時だった。
「何でしょうか」
「お話をいただいて、会津にいる兼定どのには直ちに電報を発し、刀を打ってもらっております。恐らく、今月下旬には出来上がりますが、それと別に、この機会に、増宮殿下にお目に掛けたいものがございます。ご覧いただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。よろしくお願いします」
私は非常に真面目な表情の山川先生に頷くと、「予定の調整、お願いね」と大山さんに声を掛けた。
※榎本子爵……榎本武揚さんは、実際にも1898(明治31)年に皇太子殿下に流星刀を献上しています。ご本人が書いた「流星刀記事」(地学雑誌、1902年所収)を参考にしました。また、11代会津兼定さんも、1895(明治28)年に皇太子殿下に刀を献上しています。
※もちろん、壺切御剣もあるはずですが、そちらはさすがに見せないだろうと思って省略しました。




