2例の出産(2)
「すぐに至誠医院に行ってくれ。弥生さんの陣痛が始まった!」
吉岡荒太先生が叫んだ時、
「!」
(来たか!)
私は反射的に、生理学の教科書を閉じた。
弥生先生の陣痛が始まったら、どう対応するか。それは、女医学校に関係する先生たちの中でも何度も話し合われ、手はずが決められていた。平日の、東京至誠医院が開いている時間中に陣痛が始まったら、医院を代診している先生が弥生先生の診察をすることになっていて、私はその先生方の代わりに、医院で患者さんの診察を担当する。分娩そのものは、弥生先生が頼んだ助産師さんが担当することになるけれど、私は勉強のため、可能な限り弥生先生と助産師さんに付き添い、助産師さんの手伝いをすることになっていた。ちなみに、今日の代診担当はベルツ先生である。
(まさか、節子さまと同じ日になるなんてね……)
「とにかく、急行します!」
私が荒太先生に答えた時には、生徒たちは興奮状態になっていた。実は、弥生先生は生徒たちに、
――私のお産、見学していいですよ。
と前もって伝えていたのだ。
「事故に遭わないように気を付けて、ゆっくり至誠医院に向かってくださいね!」
生徒たちにはこう注意して教室を出たけれど、その注意を彼女たちが聞いてくれたかどうか、あまり自信がなかった。
自転車を飛ばして到着した東京至誠医院の前は、静けさに包まれていた。今月に入ってからは、私目当ての見物人が門前に群がることもあったのだけれど、最近は見かけなくなった。どうやら、今月中旬の新聞に「千種子爵の妹は美人ではない」という記事が掲載されたのと、見物人を警察が取り締まったのが原因らしい。背後で、我が臣下の手が動いているのは明白だった。「流血沙汰にしないように」とは、大山さんに繰り返し厳命したから、多分けが人や死人は出ていないと思う、多分。
支度をして診察室に入ると、ベルツ先生から簡単に状況を引き継いだ。待合室に、まだ診察していない3、4人の患者さんが残っているということだ。午前の受付時間終了までには30分ほどあるので、もしかしたらもう少し、患者さんが増えるかもしれない。弥生先生の診察に向かうベルツ先生を見送ると、私は看護師さんと一緒に、診察の準備に入った。
今日は上気道炎の患者さんが多い。マスクをしっかりして、患者さんを入れ替える合間に、石鹸を使って手洗いをしながら診察を進め、処方せんを作る。代診を週1回するようになったとはいえ、まだまだ慣れない所も多く、看護師さんのサポートを受けながら一生懸命仕事をこなした。
最後の患者さんが診察室に入ったのは、正午近かった。
「身体の調子が悪くなったのは、1週間前からですか」
問診票を見ながら、30代半ばくらいの男性患者さんに質問をする。
「そうですね。その頃から、咳嗽がありまして……」
穏やかな声で答えるそばから、患者さんは軽い咳をする。眼鏡を掛けた、少し厳めしい顔が歪んだ。
「それで、3日前から痰が出て来て、熱っぽい感じもあったということですか」
「はい。痰は黄色で膿性でした」
「なるほど……」
その他、問診票に書かれている事項を2、3確認して、私は患者さんの身体所見を取り始めた。頭から視診、触診をして、咽頭の様子や、呼吸音も確認していく。胸部の打診を終えたところに、
『殿下!』
突然、ベルツ先生の声が響いて、私は飛び上がりそうになった。動いたはずみでマスクの紐が耳から外れて、マスクが床に落ちてしまう。慌てて振り返ると、診察室の入り口に、ベルツ先生が立っていた。
『先生、ビックリさせないでください!』
ドイツ語で抗議すると、
『申し訳ありません、殿下。“千種先生”と呼んでも、返事が無かったものですから。……そろそろ、お昼休憩ですよ』
ベルツ先生もドイツ語で返して、ニッコリ笑った。
『分かりました。今の患者さんを診終わったら、休憩に入ります』
私はそう答えると、診察に戻り、見立てを患者さんに伝えて処方箋を発行し、午前の仕事を終えた。
お昼のお弁当を食べた後、ベルツ先生と話し合って、今度は私が弥生先生の側につくことになった。今日は女医学校の授業は全部休講になったので、ベルツ先生は午後も医院で代診を続ける。
「ああ、来ましたね、千種さん」
私が弥生先生のいる部屋に入ると、弥生先生は私に笑いかけた。
「陣痛は今、9分から10分の間隔かしら。子宮口がどのくらい開いてるか、診察してくださいな」
弥生先生の言葉に従い、私は石鹸で手洗いを済ますと、清潔なゴム手袋を付けて弥生先生の診察をした。窓の外には、女医学校の生徒たちがいて、部屋の中を覗き込んでいるので、少し緊張してしまった。内診を終えると、弥生先生の了承を取って、下腹部も触診させてもらう。胎児の頭は、まだ骨盤の入り口には入り込んでいなかった。
「子宮口は2cmも開いていません」
弥生先生に報告すると、
「やっぱり、まだまだですね。私、出産は初めてですから」
弥生先生が微笑した。
「ちょうど、“親王殿下、御降誕!”って、号外の鈴の音が聞こえた時ぐらいに、陣痛が始まったから……」
弥生先生はそこで言葉をいったん切り、
「来たわっ!」
突然、おどけた声を出した。
「へ?」
とっさに反応できないでいると、弥生先生の顔が歪んでいく。何らかの苦痛に耐えているのは明らかだった。
「今で、9分です!」
窓の外から、女医学校の生徒の声がかかった。
「あの、先生……今の、陣痛ですか?」
ようやく私が尋ねられた時には、弥生先生はさっぱりした表情になっていて、
「そうですよ」
と事も無げに答えた。今回の陣痛は、すぐに治まってしまったようだ。
「……まだまだ、陣痛の間隔が狭まりませんね。この分だと、分娩が全部終わるのは、皇太子妃殿下に1日遅れそうです」
(その可能性は高いなぁ……)
節子さまの分娩は、8時間ぐらいで終わったけれど、それは、節子さまに出産の経験があったからだ。初産の場合、分娩にはもっと時間がかかる場合がしばしばある。弥生先生の言葉通りの結果になるだろう。
「あなたたち」
弥生先生が首を回し、窓の方に視線を向けた。
「まだまだ、時間がたっぷりあるから、私の内診をしていいわよ」
弥生先生の言葉に、窓の外にいる生徒たちから、わっと歓声が上がる。
「一人ずつですよ!」
すかさず私も窓の外に向かって叫んだ。「部屋の中に入る前に、ちゃんと石鹸で手洗いをしてください!不潔な手は、産褥熱の元になりますからね!」
部屋の中に入って来た生徒さんたちに、順々に分娩経過の説明をして、実際に内診してもらう。前期試験合格を目指している生徒さんたちは、まだ内診の仕方を知らないので、私がやり方を説明した。そんなことをしていると、あっという間に時間が過ぎ、日が落ちるころ、
「千種さん、女中さんがいらしたよ」
荒太先生が部屋に顔を出した。ベルツ先生もその後ろにくっついていたので、彼に弥生先生のことを託し、玄関から外に出ると、千夏さんと大山さんが立っていた。
「大山さん……」
「お夕食とお夜食をお持ちしました。4、5人分ほどの量がございますので、皆様と一緒にどうぞ」
四角い重箱を持った大山さんが、私に向かって軽く頭を下げた。同じく重箱を持った千夏さんも、黙って私にお辞儀する。
「今日は、お帰りにはなれないのでしょう?」
「うん、ごめんね、大山さん。……今日は帰れないって、母上に伝えてもらっていいかな?」
「かしこまりました」
再び頭を下げた大山さんに、
「けど、よく分かったわね、弥生先生の分娩が始まったって」
と尋ねると、
「ベルツ先生が、昼の休憩の時間に、電話で知らせてくださったのですよ」
彼はこう答えて微笑した。……もしかしたら、それ以外の方法でも、状況を把握していた可能性はあるけれど、そこには敢えて触れないことにした。
「経過はいかがですか?」
「……迪宮さまの時より、時間が掛かってるかもしれない」
周りに誰もいないことを確認してから、私は小声で答えた。「でも、弥生先生曰く、“順調に進んでますよ”って。確かに、出産の経過は、個人差も大きいものだから、弥生先生としては、許容範囲内に入ってるんだと思う。けど、弥生先生の容態の変化は、見逃さないように頑張るよ」
「さようでございますか」
大山さんは頷くと、
「申し訳ありませんが、この重箱を持って、医院の中に入っていただけないでしょうか」
と私に頼んだ。
「大山さんが医院の中に持って入ればいいと思うよ。千種家の職員だって言えば、荒太先生も弥生先生も誤魔化せると思うけど……」
すると、
「お言葉に甘えたいところですが、そうもいかぬ事情がありまして」
我が臣下はこう言って苦笑した。
(……やっぱり、あの紳士って大山さんだったんだ)
東京女医学校が開校したばかりの頃、済生学舎を退学させられ、今後の勉学に困っていた女子学生たちの前に、“黒いフロックコートを着てシルクハットを被った立派な紳士”が現れ、東京女医学校への入学を勧めたことを私は思い出した。どうやら、私の推測は当たっていたらしい。けれど、それは表情に出さないように頑張って、
「わかった。じゃあ、母上に報告をよろしくね」
私は我が臣下から重箱を受け取った。
荒太先生と助産師さん、そしてベルツ先生と交代で休憩を取りながら、私は弥生先生に付き添っていた。生徒さんたちにも“長丁場になるから”と声を掛け、交代で休憩を取ってもらう。日付が変わるころ、弥生先生の子宮口はだんだん開いてきて、陣痛の間隔も短くなってきた。
「子宮口が開ききったら、生徒たちを呼んでください」
陣痛に耐えながら、弥生先生は私に指示した。「そうそう、あなたに輸液の針も刺してもらわないといけないですしね」
経口補水液は普及しているけれど、血管に針を入れて身体に投与する輸液は、一般の診療所では殆ど行われていない。ただ、今回は、“翼状針などの道具を、ベルツ先生のツテで手に入れた”と言うことにして、輸液に必要な道具を一式そろえていた。ちなみに、翼状針に関しては、産技研に依頼して、品質のよいものを安価で大量生産することが可能か、現在研究してもらっているところである。
ベルツ先生と一緒に、輸液用のガラス瓶の中に清潔な輸液を作り、清潔なゴム管と接続する。本当は、輸液も、私の時代のもののように、清潔な工場で作られてパッケージに詰められたものを使えるようにしないといけない。これも今後の研究課題である。
輸液の準備を済ませると、弥生先生の左腕をゴム管で縛る。静脈を浮き上がらせてアルコールで皮膚消毒をすると、翼状針を静脈に刺した。弥生先生も助産師さんも、交代で見学している女医学校の生徒たちも、物珍しそうに私の作業を見物している。
「弥生先生、手先に痛みやしびれが走るようなことはないですか?」
弥生先生に尋ねると、
「いいえ、全く。輸液のことを勉強しなきゃいけないという気持ちの方が強くて、痛みなんて全然感じなかったですよ」
弥生先生は即答した。
「医学の進歩は本当に素晴らしいですね。我が国の医科学研究所でも、様々な世界的な研究がなされています。……私たち、東京女医学校も負けてはいられません。いずれは、医科学研究所に優秀な研究者を送り込めるようにならなければ」
まさか、その研究の大半が、私の前世の知識に端を発したものであると言うことはできない。陣痛に時折顔をゆがめながら、楽しそうに語る弥生先生に、私は曖昧な微笑を返すしかなかった。
夜明け前には、弥生先生の子宮口は開ききった。分娩も、順調に進んでいき、私も助産師さんの指示に従って分娩の介助をする。
そして、夜が明けるころ。
「おめでとうございます!元気な男の子ですよ!」
私の腕の中には、大きな泣き声を上げる新生児がいた。
(生まれたんだ……)
なんとも言えない感動に身を任せようとした私の耳に、
「ほら、先生。産後の処置をしないと」
助産師さんの厳しい声が飛ぶ。私は慌てて返事して、助産師さんに指示を仰ぎながら、産まれたばかりの赤ちゃんの処置に入った。
「先輩、手つきがぎこちないですー」
窓の外から室内を見学している生徒たちから、私に向かって暖かいツッコミが飛ぶ。
「しょうがないでしょう!私も初めてなんです!」
そう、私が“医者になった”と公式に発表できれば、昨日の節子さまの出産も、分娩所に入って手伝うことが出来たのだ。だけど……仕方がない。
(そう言えば、この子、昨日産まれた甥っ子と、同い年になるのか。……もしどこかで迪宮さまの弟と会ったら、よろしくね)
赤ちゃんの処置をしながら、私はマスクの下で微笑みを浮かべた。
後産も無事に終了し、今日は女医学校の授業も、至誠医院の診察も臨時休業、ということになったので、私とベルツ先生は帰宅することにした。
「よかったですね」
至誠医院の玄関を出て、ほほ笑んだベルツ先生に、
「はい、とても」
私もニッコリ笑って答えた。
「前世も含めて、赤ちゃんを取り上げたのは初めてでしたから。弥生先生の赤ちゃんを取り上げた時、何とも言えない感動が襲ってきて……産婦人科に進むのもいいかな、って思ってしまいました。私には、外科に進む以外の選択肢はないんですけどね。……でも、とても貴重な経験になりました」
「それは、とてもよかったです」
ベルツ先生は頷いた。
「教え子が、一つ一つ経験を積み重ねて、成長していく。それを見るのが、私もとても嬉しいです」
「はい……私、頑張ります、ベルツ先生。それで、経験をたくさん積んで、上医になります」
今生での医学の師匠に、私も力強く頷き返した。
けれど……私もベルツ先生も、この時全く、気が付いていなかったのだ。
私たちが既に、致命的なミスを、犯してしまっていたことに。
※殿下……ドイツ語の「Ihre Hoheit」の音を移したつもりです。用法がもしかしたら違うかもしれません。(正確を期すなら、「Ihre Kaiserliche Hoheit」かも……)ご了承ください。




