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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第4章 1890(明治23)年小暑~1890(明治23)年処暑
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女医のなり方

 ベルツ先生は、話に全くついていけないようだった。

 それはそうだ。7歳の子供が、「医者として働いたことがある」と口走ったり、その子供に、周りの高官が賛同していたりしているのだから。なんの予備知識もなしに話を聞いて、すべての話を理解できる人間がいたら、超がつくレベルの天才だろう。

 けれど、話についていけないのは、私について予備知識があるはずの伊藤さんたちも同じのようだった。そういえば、前世(へいせい)でも、皇族や王族が医療系の進路に進んだ、という話は聞いたことがない。まして、この時代で女性が医師を目指すのは、すごく大変だった気がする。

 とりあえず、ベルツ先生には、「東京に戻って、勅許が下りるまで待っていてください。それまで、今見聞きしたことは、絶対に言わないでください」と言うことを繰り返し説明して、了承を得た。

 ……いや、“脅して、無理やり首を縦に振らせた”と言った方が正しいかもしれない。山縣さんと黒田さんは、殺気を隠そうともしなかったし、ドイツ語でベルツ先生に話しかける大山さんも、口元は笑っていたけれど、目が笑っていなかった。

「あの、伊藤さん?大山さん、なんて言っているんですか?」

 恐る恐る伊藤さんに尋ねたけれど、「ドイツ語は分からんのですよ」と返されてしまった。

「“もし喋ったら、日本から追放する”というぐらいのことは、言っていると思いますが」

 本当にそうなのかな……?ベルツ先生、明らかに顔が青ざめているのだけれど……。

「伊藤さん、誤魔化してないですよね?」

「いえいえ、本当にわしはドイツ語が分からないのですよ」

「そういう意味じゃないんですけど……」

 私はため息をついた。血の雨が降らないことを、祈るしかない。

 そして、ベルツ先生が帰った後、私と高官たちは、御用邸の応接間に移動して、臨時の会議を開いた。

「増宮さま、増宮さまの時代ではどうなのか分かりませぬが、女子の身で医師になるのは、相当大変ですよ」

 山縣さんが席に着くなり、こう言った。

「まあ、前世でも、かなり大変でしたけれど……」

 前世(へいせい)では、大学の医学部で6年間の専門教育を受け、その終了時に国家試験を受けて合格すれば、医師免許を得られた。まず、医学部に入学するときの入学試験が大変で、大学によっては倍率10倍から20倍、下手をすれば100倍近くある、相当狭き門になる。医師国家試験は、9割程度の合格率だったはずだ。

「うーん……それに比べると、かなりの難関になるかと思います」

 私の説明を聞くと、山縣さんは腕組みした。

「そうなのですか?」

「医師免許の発行は、内務省の管轄になりますから、増宮さまの前世のこともあって、一度確認したことがあったのですが……」

 山縣内務大臣によると、この時代、医師免許を得るためには、3つの方法があるとのことだった。

 一つは、ベルツ先生が教鞭をとっている、帝国大学の医学部に入学する方法。二つ目は、何校かある、高等中学校にある医学部に入学する方法。この二つは、学校の卒業と同時に、医師免許が得られる。

「しかしこの二つは、増宮さまには残念ながら無理なのですよ」

「どうして?」

「帝国大学も、高等中学校も、女子の入学を認めていないからです」

「あー……」

 私は大きなため息をついた。

(そうか……この時代、女子って、まだ医者になるための教育が受けられないのか……)

 残念ながら、女子教育の歴史について、私は殆ど知らない。ただ、“昔は大変だった”という認識しかない。まさか、医師になるための教育を受ける手段が、女子にはないとは……。

「だから、お母様(おたたさま)が、私の前世の話を聞いた時に、感慨にふけっておられたのですね……」

 女性が、大学の医学部に入学して、男性と同等の教育を受け、医師国家試験に合格する。前世(へいせい)では、ごく普通のことが、この時代では“全くあり得ないこと”なのだ。

「はあ……女学校を卒業したら、男装して、帝国大学に入学するしかないのかなあ。ぶっちゃけて言うと、髪の長いのは嫌だから、髪の毛、男の人と同じぐらいに切っちゃいたいのよね」

「ま、増宮さま、それはおやめください!」

 伊藤さんが、椅子から立ち上がった。「増宮さまは、この愛らしさと美しさがよいのであって、か、髪を切って男装などしてしまっては、それが損なわれてしまいます!そ、そんなことが、あってよいものか……」

「男装は意外といけるかもしれませんが……」

「髪を切るのは、うーん……」

 黒田さんと大山さんは、こう言って考え込んでいる。

「髪を切るのは大反対ですが、軍服は意外といけるか……?」

 山縣さんは、意味不明なことを呟いていた。

「山縣さん、医師になる方法は、3つあるっておっしゃいましたよね?3つ目は、一体どんな方法なのですか?」

 ため息をつきたい気持ちを押し殺しながら、私は山縣さんに尋ねた。

「失礼いたしました。3つ目は……一番可能性がありますが、一番大変な方法です」

「一番可能性があるけれど、一番大変、ですか……?」

「はい、医術開業試験、というものがありまして、それに合格することです」

「医術、開業試験……」

 開国により、西洋の医学が本格的に導入された。それに伴い、医師個々人の技量や知識のレベルが、全く異なることが問題になった。極端に言ってしまえば、自分が「医師である」と言ってしまえば、それが通用してしまうのだ。きちんと医学修行をしたものはともかく、全くの素人が医者を名乗るケースもあり、そういう医者たちによる治療レベルの低さが、この文明開化の世の中では、非常に問題視された。

 そこで、医師のレベルを、ある程度国が担保するために、医師免許をある一定の条件で交付することが、明治維新が成って早々に決められた。そして、医師免許を取得できる手段の一つとして、“医術開業試験に合格する”というものが定められたのだ。

「確か、4、5年前に、医術開業試験に合格した女子が出たそうです」

「ああ、新聞で見た覚えがあるな。湯島で医院を開いた、とか……」

 伊藤さんが手を打った。

「それでは増宮さま、その試験を受ければよろしいでしょう。そうすれば、男装などしないで済みます」

「伊藤さん、重要なのは、男装ではない気がしますけれど……まあ、それしか手段はなさそうですね。で、山縣さん、医術開業試験を受ける資格は、どのようなものですか?」

「極端に言ってしまえば……ありません」

「は?」

「1年半“修学”を行うように……という規則はあるのですが、学校の卒業証書を出せ、というような決まりはありません。年齢制限もありませんので、正直なところ……今の増宮さまならば、もしかすると、前期試験は受かってしまう可能性もあります」

 山縣さんは、少し困りながら教えてくれた。

「それは、受けてみないとわかりませんが……科目としては、どのようなものでしょうか?」

「前期試験が、物理、化学、解剖、生理学。後期試験が、外科、内科、薬物、眼科、産科、それと臨床試験です。前期試験と後期試験の間は、1年半は開けるように、という規則があります」

「臨床試験って……口頭試問かしら」

「実際に患者を診察して、所見や診断を述べさせることもあると聞きました」

(うわー……)

 私は頭を抱えた。前世(へいせい)の医師国家試験は、純粋なペーパーテストだ。病院実習が始まる前に、OSCE(オスキー)という実技試験はあったのだけれど、患者の診断までは要求されなかった。

「後期試験に受かる自信が、あまり無いです……」

「え、増宮さまが、ですか?!」

「俊輔、医術開業試験は、受かるのが大変なのだ。前期試験合格に3年、後期試験合格に7年かかるとも言われている」

「前期に3年、後期に7年、ですか……」

 世間的な体裁を考えるなら、華族女学校を卒業してから、医術開業試験の勉強をすることになるだろう。私が卒業するまで、あと10年ぐらいだろうか。それで、更に医術開業試験の勉強に10年かかるとして……。

「どうしよう、そのペースだと、明治が終わっちゃう……」

 私はうつむいた。

「いや、増宮さまなれば、無試験でも特別枠で医師免許を与えてもよいのかも……」

「山縣さん、それは絶対ダメ!」

 私は山縣さんに反論した。「人の命を預かるのよ。たとえ無試験で免許をもらったとしても、それではきちんと医師として働くことができません。私は正々堂々と、医術開業試験を受験して合格して、医師免許をもらうわ」

「ま、増宮さま……」

 山縣さんが、両目を潤ませている。……当たり前のことを言っただけなんだけどなあ。

「あ、でも、華族女学校を卒業したら、女子を受け入れてくれる外国の医学部に留学して、そこで医師免許をもらう手もあるかな……」

 私がふと、思いついた手段を口にすると、

「ダメです!」

「絶対に許しません!」

「そんな……増宮さまが、我々の側から離れてしまうなど……」

高官たちが必死の形相で反対した。

「それに、陛下が反対なさるのが、目に見えております。皇太子殿下も、いい顔をなさいますまい。今の増宮さまは、ご自身が思っておられるよりも、お二人にとって重要なお方なのです。もちろん、我々にとっても、ですが……それを、お忘れなきようにお願いいたします」

 伊藤さんが椅子から立ち上がり、私に恭しく、最敬礼した。

(そうなのかなあ?)

 私は反論したくてしょうがなかったのだけれど、黙っていることにした。

「じゃあ……ベルツ先生の弟子になることを、認めてください」

「そのこと自体はよいのですが……ベルツ先生を“梨花会”に入れるのは、やめる方がよいかと思います」

 山縣さんが言った。

「どうして?私の知識をベルツ先生に伝えることが、どうしていけないの?」

「いや、そうは申しておりません。むしろ、未来の医学の知識は、どんどん、ベルツ先生に伝えていただきたいのです。わしが言うのは、歴史や、国際情勢に関してのことを、ベルツ先生に伝えるのはまずい、ということでして……」

「?」

「あの……増宮さまの言う、“第一次世界大戦”では、ドイツは、我が国の敵国になるのでしょう?ドイツ人のベルツ先生に、国際情勢や歴史に関わる事項まで伝えてしまうのは、万が一のことを考えると……」

「あ」

 すっかり忘れていた。そういえばそうだ。

「山縣さん、増宮さまのご存じの“史実”から、少しずつ、この世の中が変わっているのであれば、第一次世界大戦が、発生しない可能性もあると思うが……」

 黒田さんが反論する横で、

「ベルツ先生を起点に、対独工作の経路を、更に確保する手もあるな」

伊藤さんは、すごいことを言っている。

(やっぱ、そういうことを考えるのね……)

 私は内心、冷や汗をかいていた。

「と、とにかく、ベルツ先生に、私が弟子入りして、未来の医療知識を伝えて、私が将来医者になるというのは、みんな了承済みってことでいいんですか?」

 私が尋ねると、「無論です」「どんどんやってください」と高官たちは力強く頷いた。

「ただし、この4人は……、という話です。他の“梨花会”の人間や、両陛下がどうおっしゃるか……」

 大山さんが心配そうに答えた。

「それは、私が東京に帰ってから、全員を説得します。たとえどんなに反対されたって、私は医者になりたいのですから」

「わかりました。どうやら、御決心は固いようですな。……この伊藤も協力いたしましょう。なあ、みんな?」

「ああ俊輔、他ならぬ、増宮さまのおっしゃることだ。わしも微力を尽くそう」

「伊藤さんや山縣さんには及びませんが、(おい)も協力いたします」

 伊藤さん、山縣さん、黒田さんが口々に言ってくれた。

(おい)も、お助け申し上げます」

「うん、……大山さんの説得が、おそらく一番効くな」

 大山さんの言葉に、伊藤さんが頷く。

(一番効く?)

 私は伊藤さんの言葉の意味を聞きたかったのだけれど、当の大山さんが急に怖い顔をして、

「何者だ!」

と、応接間の襖を開け放ったので、機会を逸してしまった。

「な……!」

「た、威仁親王殿下……!」

 開け放たれた襖の向こう、応接間の入口に立っていたのは、フロックコート姿の、イケメン親王殿下だった。


「殿下……、我々の話を、聞いておられましたか?」

 山縣さんが静かに立ち上がり、威仁親王殿下に問いかけた。

「話、とは……?」

 威仁親王殿下は、落ち着いた様子で、山縣さんに聞き返した。

「誤魔化さないでいただきたい。たとえ殿下とは言え、これは国事に関する極秘の話。立ち入っていただくわけにはいかないのです」

(もしかして……今の話、聞かれてた?!)

 確かに、私が医者になりたいというのは、私の前世とも関連する話だから、“梨花会”以外のメンバーには言ってはいけないものだ。

「国事、か……」

 威仁親王殿下は、山縣さんを見つめた。

「なるほど、増宮さまが未来の知識を持っていらっしゃる、となれば、国事も国事……深く秘さねばならぬことでしょうな」

(バレてるー?!)

 私は頭を抱えた。おそらく、この親王殿下、私たちの話を、ほぼ最初から聞いていたのだろう。

「ほう、そこまでお聞きになっておられましたか……」

 黒田さんが冷たい声で言った。

「ならば、排除せねばなるまいか」

 伊藤さんも真面目な顔でつぶやいた。「……増宮さまに、恋はしていただきたくないですからな」

 はい?

 私は思わずよろめいて、テーブルに突っ伏した。

「ま、増宮さま!大丈夫ですか?!」

 慌てて私の側に寄り、私の身体を助け起こそうとする伊藤さんに、

「その理屈はおかしい!」

私は全力でツッコミを入れた。

「最後のセリフは絶対に要らないから!というか、“排除”とか、物騒な言葉を使わないで!」

「増宮さま、落ち着いてください」

 大山さんが横から私をなだめにかかる。

「だって、伊藤さんが余りにも変なことを言うから!」

 すると、威仁親王殿下が、くすり、と笑った。

「なるほど……。天女のような美貌と未来の知識、そして元勲の方々にも物怖じしないこの態度……陛下が増宮さまを“掌中の珠”とおっしゃった意味が、ようやく分かりました」

「殿下……まさか、陛下から、増宮さまのことをお聞きになっておられたのですか?」

 黒田さんの言葉に、「いいえ、未来の知識をお持ちということまでは……」と威仁親王殿下は答えた。

「ならば、増宮さまのことは、忘れていただかなければなりますまい」

「なめてもらっては困りますよ、黒田閣下」

 威仁親王殿下は、黒田さんを見据えた。「我が有栖川の家は、寛永(かんえい)の昔から、陛下の藩屏(はんぺい)である家。たとえこの身は一将官であるとは言え、その思いはあなた方ごときに負けはせぬ」

「む……」

 山縣さんが眉をしかめた。親王殿下に、少し気圧されているようだ。

「ええと……つまり、私の秘密は守ってくれるって、解釈していいのかしら?」

 親王殿下の言っていることが、半分ぐらい分からなかったのだけれど、私はとりあえず確認してみた。

「無論です、増宮さま」

 威仁親王殿下は、私に一礼した。

「ありがとうございます。多分、その方が、殿下にとってもいいと思います。だって……この人たち、すごく怖いから」

 私の知識を元に、外国に謀略を仕掛けて、“史実”より早く条約改正を達成してしまった人たちである。その気になれば、親王一人の身ぐらい、どうにかしてしまいそうだ。

「となると、威仁親王殿下のこともどうするか、大至急、東京に持ち帰って検討せねばなるまい。……やれやれ、皇太子殿下の見舞いついでに、伊香保でのんびりできるかと思ったが、そうもいかなくなった」

 伊藤さんがため息をついた。

「その方がいいわ。伊藤さんが暇になったら、女遊びをするに決まってるんですから」

 私の言葉に、「これはこれは、手厳しいですな」と伊藤さんは苦笑した。


“4,5年前に医術開業試験に合格した女子”というのは、荻野吟子おぎのぎんこ先生です。合格されたのは、1885年のことでした。

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男装と軍服に閃いた時代を先取りにするロリコンたち…あれですかね、主人公特有の魅力パッシブスキルとかのせいだけで…本当はロリコンじゃないですよね、あでもあの時代は結婚早いし、まだ江戸が終わってからそんな…
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