禁断の部屋
※人名を訂正しました。(2021年2月5日)
1902(明治35)年1月1日水曜日、皇居。
「あけましておめでとうございます、お父様、お母様」
午前8時半。水色の小さな花模様を散らした白地の着物に、群青色の女袴を付け、髪をポニーテールにまとめた私は、お父様とお母様に新年のご挨拶を申し上げていた。
「うむ」
大元帥の正装姿のお父様が短く答える横で、深紅の大礼服をまとったお母様が黙って微笑んでいる。その期待に満ちた瞳が、私に向けられた。
(うっ……)
「お、大山さん、文箱をちょうだい」
私の斜め後ろに控えている非常に有能な別当さんに小声で頼むと、彼は両手に持った文箱を私に渡した。
「あ、あの、お母様……これを渡してもよろしいでしょうか?」
冷や冷やしながら尋ねると、
「まあ!」
お母様の顔が輝いた。
「詠まれたのですね、増宮さん!」
「ああ、はい、何とか……」
文箱を両手に持ち、お母様の側に歩み寄る。私から手渡されたそれに掛けられた紐を、お母様はあっという間に解き、中から折りたたまれた懐紙を取り出した。
「どれどれ」
横から懐紙を覗き込むお父様に、
「あ……やめてください、お父様!は、恥ずかしいから……」
立ち位置に戻った私は抗議した。
文箱の中に入れた懐紙には、今年の歌御会始の題・“新年梅”で私が詠んだ和歌を書き付けてある。和歌は6年前から山縣さんに教わり始め、山縣さんが外遊中の今は、お母様に詠んだ和歌を見てもらっていた。だから、練習はしているのだけれど、私の言葉に対する感覚と、今の時代の言葉の感覚が違うせいか、和歌を詠むのはとても苦手だ。
ところが、昨年末、お母様に和歌を見てもらっていたら、
――歌御会始の題で、和歌を詠んでみたらいかがですか。
と言われてしまったのだ。
――そう言われても、お母様……。お母様のように、上手く和歌を詠む自信がありません。どうか、勘弁してください。
私は逃げようとしたのだけれど、
――常宮さんも周宮さんも、お正月にあいさつにいらした時、歌御会始の題で詠んだ和歌を、私とお上に見せてくださったんです。それから、富美宮さんも。
お母様はこう言って、じっと私を見つめた。“妹がしたのですから、お姉さまの増宮さんも詠まないと、示しが付きませんよ?”と、その瞳は雄弁に語っていた。観念した私は、必死に和歌を考え、それを頑張って懐紙に書いた。和歌は千夏さんにも兄にも見せて、添削してもらったし、懐紙は何枚か清書して、千夏さんと兄と節子さまに、一番よく書けたものを選んでもらったから、何とか体裁は整えられたと思うのだけれど……。
「良い歌ですね。とても増宮さんらしい」
懐紙に視線を落としていたお母様が、顔を上げ、私に微笑みを向けた。
「ああ、そうだな。素直な歌だ」
お父様も頷く。「あとは慣れだ。たくさん歌を詠め」
「はい……」
ほっとしながらも、私は曖昧に首を縦に振った。この両親の場合、和歌を一日何十首も詠むから、“たくさん”となると、恐らく1日6、70首ぐらいになるのだろうか。
(無理です。2日に一首詠むのが限界ですよ、お父様……)
心の中でこう返していると、
「ところで章子、次の医術開業試験は受けるのか?」
お父様が私に尋ねた。
「はい、その予定です」
次の医術開業試験は、4月4日から開始されることが決定している。
「なるべく、次の試験で合格して、医師免許を取れるように頑張ります。梨花会の皆の足を、引っ張りたくないから……」
そう答えると、
「やはり、気が急いてしまうか」
お父様が穏やかな声を掛ける。私は黙って頷いた。
ロシアでウィッテさんが失脚してから、ロシア国内では、対外拡張を主張する政治家がのさばり始めている。彼らの目標は十中八九、事実上清の属国となっている朝鮮だろう。もし本当にロシアが朝鮮に手を出したら、極東情勢は一気に悪化する。
(そんな大事な時に……未熟な私が、皆の足を引っ張る訳にはいかない。早く、早く成長して、せめて皆を助けられるぐらいに……!)
「章子」
不意に、お父様が私を呼んだ。
「こちらへ参れ」
指示に素直に従い、お父様が座る玉座へと近づく。1mほどのところまで歩み寄って立ち止まると、お父様が左手で激しく私を招く。もう1歩近づいても、手の動きが止まらないので、更にもう2歩近づくと、
「もう一歩だ。……それで、屈め」
お父様はこう言った。不審に思いながらも、私は言われた通り、お父様とお母様の間に身体を滑り込ませるようにしながら屈み込んだ。
すると、私の頭の上に、何かが乗った。整えた髪を不器用に乱していくこれは……お父様の手だ。
「先を見るのは、とてもいいことだ」
お父様は私の頭を撫で続けながら言った。「しかし、そなたの本分は学生。従って、今のそなたの目標は、医術開業試験に合格することだ」
(あ……)
「……気持ちは分かるが、焦りは禁物だ、章子」
お父様は、私の頭を、不器用に撫で続けている。その手が暖かいことに、私は初めて気が付いた。
と、
「むう」
私の頭上で、お父様が小さく唸った。
「大山が章子を撫でている時と、何かが違う気がする」
「お上、……増宮さんに嫌われているのではないですか?」
お母様はクスクス笑いながら、こんなことを言う。
「なっ?!は、美子?!」
「お、お母様?!そんなこと、ないですから!」
お父様と私は、同時に叫んだ。
「だって、お父様は、私の今生の父親ですし!……そりゃ、最初は、畏れ多すぎて怖かったですけど、……今も、畏れ多いのは変わらないですけど、でも、大切なお父様ですから……」
お母様に反論を続けていると、
「そうか、怖かったのか……」
お父様がしょんぼりしてうつむいた。
「ご、ごめんなさい、お父様!」
私は慌てて頭を下げた。「で、でも、そう言ったら、大山さんだって、時々怖いし!」
「それは……、そうかもしれぬな」
お父様が顔を上げて苦笑する。振り返ると、私の後方で、我が臣下も黙って顔に苦笑いを浮かべていた。
「まぁ、よい。……今年も励めよ、章子」
「かしこまりました」
私はお父様に、ついでお母様に深く頭を下げると、2人の側を離れた。
青山御殿に戻る途中、花御殿に立ち寄り、兄に新年の挨拶をした後、つわりで体調を崩している節子さまを見舞った。少しずつ、節子さまの体調は良くなっているけれど、つわりはまだ続いているということだった。迪宮殿下は健康そのもので、今日は輔導主任の西郷さんの奥様である清子さんの腕の中で眠っていた。兄夫婦の2人目の子が無事に産まれたら、その子の輔導主任も西郷さんが務めることが既に決まっている。
青山御殿に戻り、散発的にやって来る梨花会の面々から新年の挨拶を受けていると、
「梨花さま、成久王殿下たちがいらっしゃいました」
午後3時過ぎ、大山さんが応接間にいた私に声を掛け、それに言葉を返す間も無く、北白川宮成久王殿下以下、7人のちびっ子王殿下が現れた。去年と違うのは、久邇宮の鳩彦殿下と稔彦殿下の服が、学習院の制服から幼年学校の制服に変わっていることだ。
「鳩彦殿下、稔彦殿下、幼年学校合格おめでとう!」
この2人が幼年学校の入学試験に合格したことは――しかも、皇族の特権を使わず、他の学生と同じように、正面から入学試験を突破したことは――久邇宮家の教育顧問でもある児玉さんに聞いていたけれど、会うのは、去年のお正月以来だ。お祝いを言うと、
「ありがとうございます」
と、鳩彦殿下が私に頭を下げ、
「姉宮さまも、御無事で何よりです」
稔彦殿下がこう言った。
「ご、ご無事……?」
稔彦殿下のセリフに引っかかった私は、首を少し傾げた。確かに、去年1年、大きな病気も怪我もせずに、新年を迎えられたけれど……。
すると、
「はい、ご結婚なさらなくて、何よりでした」
鳩彦殿下がこう言ったので、私は思わず体勢を崩し、床にへたり込んだ。まさかいきなり、王殿下たちが苦手な話を振って来るとは思っていなかった。
「姉宮さま?!」
「大丈夫ですか?!」
王殿下たちが、私の側に一斉に駆け寄る。
「ああ……ご、ごめん、ちょっと、動揺しただけだから」
私はゆっくり体を起こして、椅子に腰かけた。
「あ、あのね、君たち。私、まだ結婚しないよ?そういうのを考えるのは、医師免許を取った後って決めてるし……」
王殿下たちにこう言うと、
「それを聞いて、安心しました」
王殿下たちの中で一番年上の、幼年学校2年生の成久王殿下が答えた。
「だって、今、姉宮さまの結婚相手について、色々と噂が流れてるから……」
心配そうな顔でこう言ったのは、有栖川宮栽仁王殿下だ。
「……嫌な予感がするけれど、一応、結婚相手と噂されている人の名前を聞いていいかな?」
王殿下たちに恐る恐る尋ねると、
「外国だと、ロシアのニコライ陛下とか、オーストリアのフランツ・フェルディナント殿下、イギリスのコンノート公のご子息、清の皇族も何人か名前が出てるし……」
北白川宮輝久王殿下が、指を折りながら名前を列挙し始めた。
(うわぉ……)
私は力なく、椅子の背に身体を預けた。
「日本だと、二条家の厚基さんや、西園寺家の八郎さん?」
学習院初等科6年の、北白川宮芳之王殿下が横から付け加える。
「どうして、そんな噂が流れるのかな……」
私は大きくため息をついた。「八郎さんなんて、御学問所にいたころ、私に怯えてたわよ。厚基さんも、私に怯えてるし……。それに、私、外国に嫁に行くつもりはないよ?フランツ殿下も、結婚したんじゃなかったっけ?」
「はい。昨年、皇帝家の分家の出の、マリア・クリスティーナ嬢と」
大山さんが答えた。原さんや斎藤さんによると、フランツ殿下は、“史実”では、自分より家柄が著しく劣る女性と結婚して、色々と問題になったらしいのだけれど、この時の流れでは、家格に相応しい女性と結婚した。
「と、とにかく、まだ医師免許は取ってないから、結婚なんて先の話よ。ただ、こんな時代の最先端を走ってる女を貰ってくれる男性なんて、世の中にそうそう……」
いるわけがない、と言おうとした私は、正面から掛けられた圧につられて、軽くうつむかせていた顔を上げた。7人の王殿下たちが、澄んだ美しい瞳で、私をじっと見つめている。それを意識した瞬間、心が異様に飛び跳ねた。
(お、落ち着け、落ち着くんだ、私……。相手、子供だぞ?一番年上の成久殿下だって、私の時代の中学3年生なんだぞ?子供にこんなに動揺するなんてっ……!み、見るなっ、そんな目で、真正面から私を見るなぁ!)
苦手とするものに立て続けて襲われ、一気に頭が熱くなったところに、
「増宮さま」
私の横から、大山さんが声を掛けた。
「少し、休まれますか?」
私のすぐそばの床に跪いた彼は、私の右手を下からそっと握る。
「ああ……」
私は大山さんの手を、縋るように握り返した。
「休むって言うより……頭を冷やして、精神統一をする方がいいのかもしれない……。剣道の稽古をたくさんするとか、滝に打たれるとか……」
息を整えながらそう答えると、
「では……模型のお部屋に行かれるのはいかがでしょうか?」
我が臣下は私にこう提案した。
(!)
私は目を見開いた。
大山さんが言う“模型のお部屋”というのは、小さいころから梨花会の皆が私に献上してくれた、日本各地の城郭の模型を陳列してある部屋のことだ。青山御殿に引っ越してきた当初は、その部屋の掃除は私がしていたのだけれど、大山さんが伊藤さんの後任の輔導主任に就任してから、立ち入らせてもらっていない。
――恐れながら、この部屋に梨花さまが掃除のために入られますと、1時間、いや、ひどい時には2時間以上、外に出てこられません。掃除をしながら、模型を眺めて時間をお忘れになっておられるのでしょうが……これでは、医学の勉強に、支障が出てしまうのではないでしょうか?
非常に有能で経験豊富で、私が逆立ちしたって敵わない我が臣下に、真剣な眼で見つめられながらこう言われてしまっては、私に「No」と言う選択肢は残されていなかった。だから、信頼する臣下の忠告に従い、模型の部屋の掃除は千夏さんに任せることにして、昨年の10月以来、模型の部屋には立ち入っていないのだけれど……。
「入っていいのね、大山さん?本当に、模型の部屋に入っていいのね?!」
大山さんに確認すると、彼は満面の笑顔で、「はい、もちろんです」と答えてくれた。
「やったー!」
喜びの余り、両手を思いっきり上に挙げると、
「俺たちも行きます!」
「姉宮さまの秘蔵の模型、見たいです!」
王殿下たちが激しく食いついてきた。
(ええ?)
戸惑う私をよそに、
「児玉閣下から聞いた時、見る機会は無いと思っていたけど……!」
「運がいいな、俺たち!」
久邇宮の鳩彦殿下と稔彦殿下が興奮している。
「あー、児玉さんから聞いてたのか、お城の模型のこと……」
(まぁ、男の子だったら好きそうだからね、こういうの……)
私は一瞬苦笑いを浮かべたけれど、
「よし、いいよ。皆で一緒に模型を見よう」
と、王殿下たちを見渡して頷いた。
……こうして、1902年のお正月は、ちびっ子王殿下たちとお城の模型を見ながらわいわい騒ぐという、激しくマニアックなものになったのだった。
※フランツ殿下の結婚相手は、実際ではゾフィー・ホテクさんですが、変更しています。この2人が恋に落ちたのは1894年ということなのですが、……全部ロリ〇ンが悪い。




