悪阻
1901(明治34)年12月18日水曜日、午前10時。
(大丈夫かな、弥生先生……)
麹町区飯田町にある東京至誠医院。実習中の私は、指導医の吉岡弥生先生の様子を、こっそり窺っていた。
今朝、実習の開始時にあいさつしたのだけれど、いつも元気な弥生先生の声に、張りが無かったのだ。違和感を覚えて、それから弥生先生を注意して見ているのだけれど、顔色も少し悪いような気がする。患者さんを診察するときには、いつもの元気な弥生先生なのだけれど、どうも、元気なことを無理やり装っている感じがしてしまうのだ。
「ねえ、半井さん、弥生先生、ちょっと変じゃないですか?」
私と同じく、後期受験合格を目指して勉強している白石さんが、実習の合間に私に話しかけてきた。彼女は私より6歳年上で、元々、済生学舎に通っていたのだけれど、済生学舎の女子締め出し騒動の後、東京女医学校に転入した学生の1人である。
「うん、私もそう思います。なんかあまり元気がないんじゃないかな、って……」
頷きながら小声で答えると、「やっぱり、半井さんもそう思います?」と白石さんは言い、
「ちょっと、先生に大丈夫かどうか聞きましょうよ」
と提案した。反対する理由はないので、患者さんが途絶えた間を狙って、私と白石さんは診察室に入った。
「あのー、弥生先生……」
声を掛けると、うつむいていた弥生先生は、パッと顔を上げ、
「どうしたの、あなたたち?今の患者さんの診断で、分からないことがあった?」
と私たちに尋ねた。元気な声だったけれど、やはり、無理に出しているような感じがする。
「いいえ、そうではありません」
白石さんは首を横に振ると、「先生、お身体の具合が悪いんじゃないですか?」と聞いた。
「いいえ、全く」
弥生先生は白石さんの質問を、即座に否定する。
「朝から、顔色が悪いような気がしたので……本当に大丈夫ですか?」
私が尋ねると、弥生先生は顔に苦笑いを浮かべた。
「大丈夫ですよ」
口ではそう言っているけれど、弥生先生の顔は、どこか強張っている。
「ありがとう、私の心配をしてくれて。……ああそうだ、半井さん。あなた、先ほどの患者さんで、胸部の打診をしてくれたけど……」
更に動こうとした弥生先生の口が止まった。微かに眉をしかめると、弥生先生は私たちにくるりと背を向け、台の上に置いてあった洗面器に顔を近づけた。
「「弥生先生?!」」
駆け寄った私たちの前で、弥生先生は洗面器の中に胃の内容物を吐き出している。ただ、実際に洗面器の中に出たものは、少量の胃液と唾液のみだった。
「弥生先生、熱と血圧を測りましょう!」
白石さんが小さく叫ぶ。
「そうですね、それから、横になってもらう方がいいかもしれません」
私もこう言うと、
「あ、あなたたち、大丈夫だから……」
上体をようやく起こした弥生先生が答えた。声は先ほどとは違い、弱弱しくなっていた。
「大丈夫じゃないでしょう!先生、他に具合が悪いところはないですか?胃腸症状は?!」
勢いよく尋ねる白石さんの横で、私は頭の中に引っかかるものを感じていた。
そう言えば、節子さまも、最近また、体調を崩しているのだ。食欲が無かったり、嘔気が出たり……。食べられていない時の顔色は、今の弥生先生とそっくりだ。
(もしかして……)
「あの、弥生先生」
私は弥生先生に身体を近づけると、左の耳に口を近づけて囁いた。
「……妊娠している可能性はありますか?」
そう尋ねると、弥生先生は、黙って頷いた。
15分後。
「ありがとう、白石さん、半井さん」
私と白石さんが大慌てで作った経口補水液を一口飲むと、弥生先生は大きく息をついてお礼を言ってくれた。
「ちょっと今日は、つわりがひどくてね」
弥生先生は力無く微笑むと、
「それにしても半井さん、私が妊娠しているとよく分かったわね」
と言いながら、顔を私に向けた。
「あー、その……“女を見たら妊娠と思え”って、兄に言われていたので……」
私は曖昧に微笑した。これはもちろん、兄ではなくて、前世の祖父に言われた言葉である。
「お兄さんって、開業していらっしゃる?」
白石さんの質問に、「ああ、はい」と私は機械的に返した。数年前に東京府に編入された多摩地域の山奥で兄が開業していて、その兄の勧めで医師を目指している……クラスメートたちには、“東京府士族・半井梨花”のプロフィールを、こう説明していた。
「けど……弥生先生、どうしましょうか。もしこれから、つわりがひどくなったら」
私は白石さんの追撃を振り切るべく、弥生先生にこう尋ねた。偽名の偽名のプロフィールを突っ込まれて聞かれてしまうと、どこからか嘘がバレてしまいそうで怖いのだ。
「そうですよね」
白石さんは私のセリフに相槌を打ってくれた。「弥生先生に何かあった時のために、もう一人先生がいてくれる方が……」
すると、
「いいですよ、そんな。このぐらい、気合で行きます」
弥生先生が静かに首を横に振った。
(あ……)
――男どもにナメられたくありませんから、気合で行きます。
私の脳裏に、前世の母の姿が過ぎった。妹の純花を妊娠していた時に、つわりで体調を崩しながら、そう言って通常勤務も夜間の緊急手術の麻酔もこなしていた母……。その前世の母と、今の弥生先生の姿が重なった。
「……それ、よくないと思います」
私は口を開いた。「今は休むべき時だと思います。そうじゃないと、お腹の赤ちゃんに影響が出ますよ。着帯までは、余り無理をしない方がいいと思います」
「でも半井さん、このくらいで休んでいたら、男たちに馬鹿にされますよ?」
弥生先生の表情は、とても真剣なものだった。恐らく、そのような場面を、何度も見聞きしたことがあるのだろう。
「先生、もし先生と同じような症状の女性が診療所にやって来たら、先生、その人になんて言いますか?」
「それは……“なるべく身体を大事にして、休める時は休みなさい”と……」
私の質問に、先生は弱弱しく答えた。
「それに先生、男だったら、仕事を休むほどの病気や怪我になることは無いんですか?」
「……」
「男が家族の看病をしたり、育児をしたりしないといけないことだって、あるんじゃないですか?」
「……」
うつむいて、口を閉ざした弥生先生に、
「男とか女とか、そんなの関係ないです。男も女も、苦しい時は助け合うべきなんです!医療現場でも、役所でも、他の色々な職場でも!」
私は更に言いつのった。
「何を言っているかよく分からないけれど……でも、半井さんはすごくいいことを言っているのは確かです」
私の横から、白石さんも言った。「先生のお腹の中のお子さんに、万が一のことがあったら大変です。どなたか、代診してくださる先生を探してみましょうよ」
弥生先生は、黙ったまま、少し考えていたようだけれど、やがて、
「分かりました。そうね……」
と答えてくれた。
午後3時。牛込区市谷仲之町にある東京女医学校。
「へえ、そうだったんですね」
授業の合間の休み時間、私と同じく後期受験を目指している河村さんが、白石さんの話を聞くと、私を尊敬のまなざしで見つめた。白石さんも年上だけれど、河村さんも私より12歳年上で、やはり、済生学舎から転入してきた人である。
「半井さん、すごいですねえ。弥生先生の妊娠を見破るなんて」
「あ、ああ、そうですかね……」
私はまた、曖昧に笑った。
「確か、この間、半井さんは、お知り合いのお産を見学出来たんですよね。だからなんですか?」
白石さんが興味津々に私に尋ねてくる。
「さぁ、それは分からないですけれど……」
こう返すと、
「ねぇ、そう言えば私たち、半井さんが見学したお産、どんなだったのか聞いてないわ!」
「そうね!ちょうどいい機会だから、聞かせてくださいよ!」
河村さんと白石さんが、眼をキラキラさせながら私に尋ねた。
(い、言えない……。見たのが、範子さまのお産だったなんて、絶対言えない!)
10月の末に範子さまに行われた手術のことは、大評判になってしまった。3000ml以上の出血がありながら成功した手術というのは、今の医療技術のレベルでは最高の部類に入ってしまう。本来なら、医学雑誌に症例報告が載せられてもおかしくないのだけれど、患者が皇族なので、流石にそれは載ることはなかった。ただ、輸血に必要な10人以上の供血者を集めるために、青山御殿、花御殿、そして皇宮警察にまで総動員を掛けたので、その動きが、新聞記者たちの目に留まらないはずがなく、翌々日の新聞では、範子さまに大手術が行われたことが報じられた。幸い、新聞の論調は全て、執刀した東京帝大産婦人科の中島先生を褒め称えていたので安心したのだけれど、宮中の一部には、“皇族に手術をするとは……”と文句を言っている人たちがいるらしい。
(立ち会ったお産が、癒着胎盤で、最終的に子宮摘出になったけど、たくさん輸血して母子ともに助かりましたって言ったら、“それは範子さまのお産だ”って特定されちゃう……。そこから、“なんで半井さんが皇族のお産に立ち会えるの?”って話になって、私の正体がバレる……!そ、それだけは避けないと!)
「あ、あのですね、ごく普通のお産だった、って先生に言われましたよ」
私は言葉を慎重に選びながら答えた。「母子ともに、健康だったし……。産婦人科の本を見ながら見学しましたけれど、本当に、本に書いてある通りでした」
「へー」
「そうだったんですね」
頷く河村さんと白石さんに、
「そ、それより、弥生先生の代診、どうするか考えないと!もしかしたら、明日もまた、つわりで倒れちゃうかもしれないですし!」
私はわざと困ったような表情をしてこう言った。
すると、
「そうですね!」
「ベルツ先生に頼んでみましょうか?」
善良な同級生たちはあっさり、私の誘導に乗っかった。
「解剖の木村先生はどうかしら?」
「でも、もし、授業と診察の時間がかぶったら、どうするんですか?」
「その時は、私たち後期生で、解剖の授業を受け持ちません?復習にもなるでしょうから」
そして、私たち3人の会話は、無事に私の見学したお産のことから逸れていき、私はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
……結局、弥生先生がつわりで体調が悪い時は、女医学校に関係する手の空いた先生たちが、弥生先生の代診をすることになった、と、午後の授業がすべて終わった時に荒太先生に聞かされ、私たち生徒は喜び合った。
(とりあえずは一安心、だけれど、弥生先生が臨月になった時のことも考えないといけない。それから、産休のこともなぁ……)
青山御殿への帰り道、千夏さんと一緒に自転車を走らせながら、私はぼんやりと考えていた。12月の午後5時過ぎなので、辺りは薄闇に包まれている。もちろん、交通規則を守って、自転車に付けた小さな石油ランプを灯して、前方を照らしている。ただ、石油ランプは使いづらいので、電池式のランプか、ペダルをこぐと発電して点灯する方式のライトを、目下、産技研で開発してもらっている最中である。
(最初の方だから、余計にしっかりやらないといけないよね……)
今、日本には、女性医師が約80人いるらしい。医者全体が3万3000人ほどいるということなので、女性医師は医師の1%にも満たないことになる。医師の2割ほどが女性になっている私の時代とは状況が全然違うけれど……、最初の方だからこそ、男女問わず、体調が悪い時や家庭都合で休まないといけない時の休暇の制度は、しっかり作らないといけないと思う。女性にとっても、男性にとっても、働きやすい環境にするために。そうでなければ、未来に絶対、泣く人が出て来てしまう。
(医療機関に関しては……開業を抑制して、医療機関あたりの医師の人数を増やすしかないのかなぁ。“常勤が2人以上所属しないと開業不可”って感じにしないと、過疎地の診療所でよくある、医者が1年中休む暇なく働いているという状況になっちゃう。けど、患者さんが、医療機関にアクセスできるまでの時間が長くなっちゃうかなぁ。検査機器の小型化と高性能化を押し進めて、検査の機械だけを患者さんのいる所に持って行って、高精度なオンライン診療が出来るようになれば……そこまで機械と通信が発展するのに、一体どのくらいの時間が掛かるのかな?ああ、でも……)
ペダルを踏んでいるうちに、私の考えはまた別の方向に進んでいく。
(普段は適切に休めるようにして、いざという時に120%の力を出せるようにしなきゃいけないのは、軍隊や役所、それから公共交通機関とかライフライン関係とか、通信・運輸・金融関係とかもだよね……。雇う人を増やして、交代制で勤務するような体制を確立しておかないと、スペイン風邪のパンデミックの時や、ロシアと戦争になった時に、適切に休めなかったり、適切に仕事ができなかったりする。だけど、人を多く雇うと、人件費がかさむから、1人当たりの人件費を抑制しないといけない。余り給料を安くし過ぎると、生活できなくなる可能性も……ああ、物価が上がり過ぎなければいいのかな……)
そこまで考えた時に、ちょうど青山御殿の門の前にたどり着く。私は自転車を、敷地の中へと走らせた。
「お帰りなさいませ」
本館の玄関には、フロックコートを着た大山さんが立っていて、私の姿を見ると一礼した。
「ただいま」
帆布で出来たカバンを背負い直し、仕込み傘を抱えて大山さんの前を通り過ぎようとした時、
「いかがなさいましたか」
大山さんが私に尋ねた。どうやら、色々と考えにふけっていたことが、表情に出てしまったらしい。
「ああ、ちょっとね」
それだけ答えて、自転車に乗りながら考えていたことを大山さんに言うべきかどうか、私は迷った。中央情報院総裁でもある大山さんは、最近忙しい。ロシアで大蔵大臣と内務大臣を兼ねていて、政治の中心にいたウィッテさんが、今月初めに失脚してしまったからだ。大山さんはロシア国内の情勢を分析するのに精力を注いでいて、青山御殿の本館で彼を見かける回数は少なくなっている。そんな、国事で忙しくしている大山さんに、私が考えていたことを言ってしまっていいのだろうか。
(でも……言わないと怒るしなあ、大山さん)
――俺にとっては、国と同様、ご主君も大切でございます。ですからどうか、何か思い悩むことがございましたら、この大山にご遠慮なく話してください。何があっても悪いようには致さないと、お誓い申し上げます。俺は、梨花さまの臣下でありますゆえ。
頭の中に、フリードリヒ殿下が亡くなったと知らされた直後、大山さんに言われた言葉が蘇る。ああまで言われてしまったのだ。話さなければ、かえって臣下に対する礼を失することになる。ただ、余りに詳しく話すと、大山さんの時間を浪費することになるから……。
「将来の医療機関の配置のことについて考えていたの」
私は、考えたことを、なるべく大まかにするように努力しながら言った。「それから、医療機関に限らず、色々な機関の、人員配置についてのこと。でも、とても長い話になりそうだから、あなたに今話していいのかどうか、迷っていたの」
「なるほど」
大山さんは微笑した。
「それならば、医療機関のことについては、医科分科会の席で話してみてはいかがでしょうか。土曜日には、ベルツ先生たちがいらっしゃいますから」
「そうね。そうしてみる」
私が頷くと、「ただし」と我が臣下は付け加えた。
「先生方に、まとまっていない考えをいきなりお話になると、それこそ、お話が長くなり過ぎてしまいます。ですから、思う所や問題点を、土曜日までに文書にまとめていただけますと幸いです。それならば、医療機関以外の人員配置のことについても書くことができるでしょうから」
「ああ、そうか。それで、私が学校に行っている間に、その文書をあなたが盗み見る、という訳ね。それなら、あなたの時間の節約になりそう」
そう答えると、
「人聞きが悪いですよ」
大山さんは苦笑した。
「文書の隠し場所を、色々考えようかな……って無駄だね。あなたには、隠し事はできないから」
私も顔に苦笑いを浮かべると、
「よくお分かりで」
大山さんが真正面から私を見た。優しくて暖かいその瞳……それに捉えられてしまうと、私の心の何もかもが、白日の下に曝されてしまう。どんなに成長したと息巻いても、私はやはり、この非常に有能で経験豊富な臣下の掌の上で転がされているだけに過ぎないのだ。でも、なぜか、全く不愉快ではないし、なんだか心地がいい。
「じゃあ、文書、頑張ってまとめておくね。大山さんの鋭い指摘を、震えて待っているわ」
そう答えると、大山さんは頷いて、私の頭をそっと撫でてくれたのだった。
※一応、白石さんと河村さんは、日本医史学雑誌の「明治女医の基礎資料」から引っ張ってきました。実際には、女子医学研修所がこの時期に女子医学生の教育機関としてあったのですが、拙作では恐らく設立されていないと思ったので、彼女らはそのまま女医学校に合流させています。
※医者の人数に関しては明治34年の衛生局年報を参照しました。女医の人数についても、上記の「明治女医の基礎資料」の表から参照しています。




