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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第28章 1901(明治34)年立夏~1901(明治34)年大雪
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ノーベル賞と外遊

 1901(明治34)年10月5日土曜日午後2時、青山御殿。

「おめでとうございます!」

 深々と最敬礼した私に、

「いや……これも増宮殿下のおかげでございます。感謝申し上げます」

北里先生も頭を下げ返す。その声は、明らかに喜びに満ち溢れていた。

 10月1日、北里先生に、スウェーデンにあるカロリンスカ研究所から、1通の電報が届いた。その内容は、「貴殿とエミール・アドルフ・フォン・ベーリング氏に、ノーベル生理学・医学賞を授与する。ついては12月10日にストックホルムで行われる授賞式に出席されたし」……というものだった。

――や、ヤバいよ、大山さん、これ……。

 10月1日の夕方、大山さんからその報を聞いた私は、青山御殿の居間の床にへたり込んだ。

――ノーベル賞って、私の時代まで続いている、世界一権威ある賞だよ。その第1回に、北里先生がちゃんと選ばれるなんて……。

 すると、

――“北里先生がちゃんと”、というのは、一体どういうことですか、梨花さま?

と大山さんが私に尋ねた。

――あのね、“史実”では確か、第1回のノーベル生理学・医学賞って、ベーリング先生が、“ジフテリアに対する血清療法を確立した”という功績で受賞したの。北里先生もベーリング先生と一緒に、ジフテリアと破傷風の血清療法を研究していたはずなのに、ベーリング先生が単独でジフテリアに関する論文を書いていたから、北里先生は血清療法を創出したと見なされなくて、ノーベル賞を受賞できなかったって聞いた記憶が……。

 私が前世の知識を披露すると、

――なるほど。……もしかすると、北里先生がノーベル賞を受賞されたのは、梨花さまのおかげかもしれません。

大山さんはこんなことを言い始めた。

――は?私のおかげ?私、血清療法に関しては、北里先生に知識を伝えてないわよ?!

――はい、それは(おい)も存じております。ですが梨花さま、北里先生に他にどんな仕事を依頼されましたか?

――ええと、ペニシリンの抽出でしょ。それから、緒方先生と一緒に、ペスト菌と、その感染経路も発見してもらったけれど……。

 そう言ったところで、私はハッとした。

――待って、ペニシリンの発見って、確か“史実”でノーベル生理学・医学賞を受賞してた気がする……。

 しかも、受賞したのは、確か1940年代だ。

――つまり、私が北里先生にやってもらった仕事が、北里先生の名声を“史実”以上に高めて、北里先生の血清の研究への関与度合いを正当に評価することに繋がったってこと?!

――そのように(おい)は見ます。

(うわあ……)

 大山さんの言葉を聞くと、私は床にへたり込んだまま、頭を抱えた。私がやったことは、後世の医学に、……いや、その医学を通じて、後世の人たちに、どれだけの影響を及ぼしてしまったのだろう。そのことに思い至って、今更ながら背筋が寒くなった。

(だけど……)

 気が付くと、大山さんが床に両膝をついて、私の両肩を後ろから支えていた。彼の手の暖かさが着物越しに伝わってきて、私は励まされるようにして口を開いた。

――人を助ける手段を知っているのに、助けられないなんて……そんなの、私、嫌だもの。

――梨花さま……。

――たとえ逆賊だの、大悪人だのって、罵られても構わない。私は未来に生きた人間として、兄上とお父様(おもうさま)を助けるために、できることをするんだ。それで生じる問題も、出来る限り解決するように努力する。そう、決めたんだから……。

 大山さんが、両腕を私の後ろから回して、私をあやすように抱き締めた。

――ありがとう、大山さん。……手間が掛かる主君で、ごめんね。

私はそう言うと、大山さんに身体を預けた。

 そんなことを思い出していると、

「やはり、ヨーロッパでの下馬評通りだったね、北里君」

ベルツ先生が興奮気味に北里先生に話しかけた。「昨年ヨーロッパに行った時は、ノーベル賞を誰が取るかが、熱心に予想されていてね。生理学・医学賞は、コッホ・北里・森・長井・三浦・緒方の誰かが取るだろうと言われていたんだ」

「それだけではありませんよ、ベルツ先生」

 そう言う三浦先生の微笑も、いつもより温かみを増しているように思える。「近藤先生の血液型、京都帝国大学のインスリン、石神先生のシズオカマイシンとリファンピシンによる結核治療の確立……増宮さまのおかげをもちまして、日本はドイツと並ぶ医学研究の先進国になりつつあります」

(そうなんだよね……)

 私は三浦先生の言葉に苦笑いした。森先生が手掛けているビタミンの研究も、長井先生が抽出してくれたアルテミシニンも、緒方先生が従事しているマラリア原虫の研究も、……もちろん、血液型も、インスリンも、“史実”でノーベル生理学・医学賞を受賞している。抗結核薬に関しても、確かノーベル賞を受賞した研究があったはずだ。

「それに、エックス線の研究も、物理学賞を受賞しましたしね」

 大山さんが付け加えると、

「そうです、その通りです」

ベルツ先生が大きく頷いた。

 そうなのだ。今回のノーベル賞では、京都帝国大学の村岡範為馳(はんいち)さんと島津梅次郎さんも、“エックス線の発見とその医学分野への応用を実用化した”という理由で、物理学賞を受賞した。エックス線に関しては、前世の学生時代に学習した初歩的なことを、村岡先生と島津さんに伝えているので、この受賞に関しては、完全に私のせいである。受賞の電報を受け取った2人は、“いかがすべきか”と電報で問い合わせてきたのだけれど、

――お願いですから、堂々と胸を張って受賞してください。

と京都の村岡先生に、長距離電話で直接伝えておいた。当時10歳にも満たない少女が、エックス線の知識を研究者に伝えたなんて、ノーベル賞の選考者たちは絶対信じないだろう。

 “史実”では、もっと後になされる、医学的・科学的な発見の数々。それらを、私は未来の知識として、この時代にもたらしてしまった。抗生物質や抗結核薬に関しては、耐性菌の問題。エックス線に関しては被ばくの問題。抗マラリア薬も、耐性を持つ原虫が出てくる可能性がある。血液型は発見されたけれど、輸血に関しては、輸血後の感染症などの副作用対策も必要だ。……進歩によって生じた問題の数は、本当にキリがない。

(でも、それでいい。兄上を助けるために、出来ることはする。大山さんにも言ったけれど、それで生じた問題も、出来る限り解決するように努力しなきゃ……)

 と、

「森先生?」

三浦先生が、白い軍服姿の森先生に声を掛けた。けれど、森先生は、遠くを見つめたまま反応しない。三浦先生がもう一度森先生を呼ぶと、ようやく彼は反応して、

「あ、ああ、申し訳ない、三浦君」

と軽く頭を下げた。

「どうしたんですか、森先生?気分でも悪いです?」

 私が尋ねると、森先生は軽く首を横に振りながら「いえ……」と答え、

「今、日本を離れたくはないと思いまして。ビタミンBの研究が軌道に乗ってきましたから」

と言った。ビタミンB……私の時代で言うビタミンCのことだけれど、モルモットの壊血病モデルを使いながら、森先生は地道に抽出を試みていた。私としては、早くそちらの目途を付けてもらって、私の時代で言うビタミンB12を実用化して欲しいと思っている。

(えーと、この時の流れだと、ビタミンB12じゃなくて、ビタミンC?いや、ビタミンA2って呼ばれるのかな?ややこしいけど、とにかく、その製剤ができたら、西郷さんに胃切除後の貧血予防で投与したいんだよね……)

 西郷さんは、正妻の清子さんと一緒に、新しく完成した皇孫御殿に住み込んで、迪宮さまの養育に従事している。皇孫御殿には兄夫婦も出入りしていて、節子さまは迪宮さまに毎日授乳していた。節子さま付きの女官の万里小路さんが、「皇太子殿下と妃殿下に、かように皇孫御殿に出入りされては、しきたりが……」などと言っているらしいけれど、もちろん、兄夫婦も西郷さんも黙殺していた。

(ビタミンB12?いや、A2?とにかく、それが発見される前に、西郷さんにビタミン欠乏性の貧血の兆候が出て来たら、とりあえずレバーを食べてもらうしかないけれど……ん?)

 ふと見ると、ベルツ先生と三浦先生と北里先生が、意味ありげな目配せを交わし合っている。前にこれと同じような場面に出くわしたような……と記憶を遡ろうとしたら、

「梨花さま」

と、大山さんに囁かれた。

「ご記憶をたどるのは、医科分科会が終わった後にお願いいたします」

 小さい声だけれど、有無を言わさぬ口調だった。私は非常に有能な輔導主任の指示に従い、北里先生を褒めたたえることに集中した。そして、ベルツ先生たちが退出した後、

(ドイツにいる、森先生の別れた恋人のことかっ……?!)

目指す記憶にたどり着いて、思考が止まってしまった私は、千夏さんが夕食の支度ができたと私を呼びに来るまで、身体を熱くしたまま、全く動けなかったのだった。


 そして、北里先生がスウェーデンに出発した直後の、10月19日土曜日午後4時、青山御殿。

「ご挨拶に参りました」

 私の前で礼儀正しく頭を下げたのは、外務大臣の陸奥さんだった。

「ええと、ということは……」

 戸惑う私に向かって、

「はい、来週の火曜日から、山縣殿とともに、イギリスに出発します」

陸奥さんはなぜか、顔をしかめてため息をついた。その様子を、原さんと大山さんが、ニヤニヤしながら見守っている。

「あの……陸奥さん。何か、イギリスに行きたくない理由があるんですか?」

 私は心配になって、こう尋ねた。

 実は、陸奥さんが山縣さんと一緒にイギリスに行くかどうかは、先週の梨花会でも、結論が出なかったのだ。

――行ったらどうなのだ。次官の小村君の教育を含めて、不在中の外務大臣の業務は、わしが代行しておくから。

 総理大臣の伊藤さんをはじめ、梨花会の全員が陸奥さんのイギリス行きを勧めた。けれど、当の陸奥さんが「アメリカの情勢を見極めなければ」とか「僕がいなくては、党務が上手く進まない」とか、様々な理由を挙げて、外遊を渋っていたのである。一連の議論を聞いていた私は、陸奥さんにしては、余り上手くない言い訳を続けている、と感じた。イギリスに行きたくない理由が他にあるけれど、それを言うと角が立つから、隠そうとしているのではないか、と思ったのだ。

(陸奥さん、……同行する山縣さんのことが、もしかしたら嫌いなのかな?)

 というのが、私なりに出した結論なのだけれど……。

「もしかして……気が合わない人が一行にいるんですか?」

 恐る恐るこう尋ねると、

「ほう、殿下。……少し、見当違いのお考えをなさっているようです」

陸奥さんが、顔にひきつった笑みを浮かべた。「元はと言えば、殿下のせいですが」

「それ、伊藤さんの慰労会の時も言われましたけれど……、一体、何のことなんですか?私、陸奥さんに何かした覚えはないですけれど」

 すると、

「やれやれ、相変わらずだな、主治医どのは」

原さんが、呆れたように私を見やった。「まさか、廣吉をけしかけたことも覚えていないとは言わせないぞ」

「廣吉さん……ああ、あの意気地なし……」

 結婚を考えている、10年以上想い合った女性がいるのに、一度反対されただけで、父親から結婚の許しを得ることをあきらめてしまったヘタレなイケメンだ。

「その意気地なしが、僕に立ち向かって来るようになったのですよ」

 陸奥さんの声は、若干震えていた。「粉々に論破してやっても、また立ち上がって、僕に論戦を仕掛けてくる。“相手は平民の娘ではないか”と言ったら、“父上の愛する母上も、元は芸者をしていたではありませんか”と来た。相手のことを散々罵ってやれば、“父上が母上を罵られた時と同じような気持ちを、私も今、味わっているのですよ!”と生意気にも反論する。誰に入れ知恵されたのか……」

「さあ、誰でしょうな。わたしは知りませんぞ、先生」

 原さんが、そう言いながら、意味ありげに陸奥さんから視線を逸らした。

「おまけに、どこから聞きつけたのか、伊藤殿も山縣殿も、殿下のいない所で、“イギリスに行って、息子が恋した相手の娘と、一度会ったらどうなのだ”と僕に言うのだ。いや、あの2人だけではない。西園寺さんも三条殿も大隈殿も……梨花会の全員が、僕に同じセリフで勧めてくるのだ!秘匿していたというのに、一体、誰がこの情報を……」

「それは大変ですなぁ」

 大山さんがのんびりと言った。その顔からは、ニヤニヤ笑いが消えていない。

「え、えっと……つまり……陸奥さんがイギリスに行きたくなかったのは……」

 確認しようとしたら、

「会いたくなかったのですよ、廣吉の想う相手に!」

陸奥さんが叫ぶように私に答えた。「会ってしまえば、結婚を断りにくくなってしまうではないですか!」

「よいではないですか、先生」

 原さんが、余裕たっぷりの表情で言った。「先生に立ち向かうなど、“史実”の廣吉なら出来なかったことです。それに、廣吉の相手は“史実”と同じ女性。しっかりした人ですよ」

「それは知っている。伊藤殿からも麒麟児君からも、同じことを聞いた」

「ならば、一度会ってみても悪くはないでしょう」

 大山さんもこう言って頷く。「よいではないですか。日英同盟を機に結婚。世論も好意的に迎えてくれるでしょう」

「好意的に迎えさせてしまうのでしょう?世論を操作して……。しかも、あの意気地なしも、今回の外遊に同行させるとは……」

「さぁ、わたしは関与しておりませんよ、先生。廣吉が外務省から枢密院の書記官に転属になったのは、伊藤さんの人事ですし、廣吉が枢密院議長の山縣に同行するのも、山縣の指示ですから」

 原さんが嘯くと、陸奥さんは苦悩の表情を顔に浮かべ、深いため息をついた。

「えっと……えっと……」

 私はこの場で開示された情報を、必死に頭の中でつなげようとした。あのヘタレイケメンが、イギリス人の恋人との結婚を父親の陸奥さんに許してもらおうと、必死に頑張った。そして、父親と仲の良い原さんに助けを求めた。そこから情報がどういう経路で伝わったかは分からないけれど、大山さんの耳に入り、梨花会の全員が廣吉さんの恋人の話を知った。そして、あの手この手で陸奥さんの訪英を迫り、廣吉さんと、彼の恋人との結婚が認められるようにアシストして……。

(そ、そんなことが起こっていたなんて……梨花会の皆、なんで私にそれを言わずに……)

「おい、そこの奥手な小娘!顔を真っ赤にするな!」

 原さんが私に怒鳴った。「本当に、この手の話に弱いな、主治医どのは。だから主治医どのには明かさずに、話を進めていたのだ。だが、元はと言えば、主治医どのに“意気地なし”と罵られ、“想っている相手なら、結婚できるように、父親を説得したらどうなのだ”とけしかけられたから、あの廣吉は奮起したのだぞ」

「ご、ごめんなさい、原さん……私、あの時何を言ったか、ちゃんと覚えてなくて……」

 残念ながら、これは事実である。熱くなった頭を深々と下げると、

「本当に……殿下にうちの息子がけしかけられるとは、別件ならともかく、何かの間違いではないかと思いますよ」

陸奥さんがそう言って、深くため息をつき、「原君」と自分の弟子を呼んだ。

「はい」

「君、僕が外遊している間、愛と恋とは一体何なのか、殿下に教えて差し上げたまえ」

「わ、わたしがですか?!」

「君も、“史実”での恋女房を、この時の流れでは、いち早く捕まえたのだろう?全く、羨ましい話だ」

 ニヤリと笑う陸奥さんに、

「……先生、何をおっしゃっておいでですか。わたしのすぐそばに、大山閣下という適任者がいらっしゃるではないですか」

原さんは強張った笑みを向けると、私の隣にいる大山さんの方を見やった。

「あ、あの、大山さん?」

 恐々声を掛けたけれど、大山さんは微笑したまま答えなかった。

「まさか、そんなことはしないよね?だって、私、来年4月の後期試験を受けるつもりだし、今は臨床実習と医学の勉強に邁進しないといけない時期だよ。それにほら、茶道や華道や和歌だって、やらないといけないじゃない?だから、恋愛なんてしている暇は……」

 すると、

「山縣さんがイギリスに行く間、梨花さまの和歌を見る者がいなくなります」

と大山さんは、微笑を崩さずに言った。

「……はぁ」

 突然、よく分からないことを言い始めた我が臣下に、一応相槌を打っておくと、

「ですので、山縣さんの不在中、皇后陛下が梨花さまの和歌を見ると仰せられています」

大山さんは更に言い、優しい声でこんな言葉を続けた。

「皇后陛下は、万葉集や古今集の恋の歌を、梨花さまと一緒に深く解釈してみたいと仰せでした。ですから梨花さまにも、我が国が誇るプリンセスとして、皇后陛下の和歌の講釈を、是非お聞きになっていただきたいと思います」

「?!」

 驚きで見開いた私の目を、大山さんの優しくて暖かい瞳が真正面から捉えている。それを意識した瞬間、身体が更に熱くなって、頭の回転が完全に止まってしまった。

「おっと」

 ふらついた私の身体を、大山さんが横からがっしりと支える。

「大丈夫ですか、梨花さま」

「た、馬鹿(たーけ)……そんな、恋はまだ、私には……」

 大山さんに身体を預けたままうつむいた私に、

「ご心配なさらずに。皇后陛下は、梨花さまを傷つけるようなことはなさいません」

大山さんはこう声を掛けて、私の頭をそっと撫でた。

「うん、それは分かるよ。お母様(おたたさま)だもの……」

 ようやく答えると、

「やれやれ、どうやらこれで、殿下に意趣返しができました」

陸奥さんが満足げにニヤッと笑ったのだった。

※北里先生が第1回ノーベル生理学・医学賞を取れなかった理由は、「共同受賞の概念が無かった」「人種差別」なども推定されていますが、ここでは触れませんでした。ご了承ください。


※ペニシリンの発見、およびその効果の発見は、1945年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。


※島津梅次郎さんは実際には父親の死去後、2代目島津源蔵を名乗っていますが、拙作ではこのまま“梅次郎”で行く予定です。


※1952年のノーベル生理学・医学賞は、「結核に有効な初の抗生物質であるストレプトマイシンの発見」に対してセルマン・ワクスマンが受賞しています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 森先生のドイツでの恋人、日本に居るんですよね。すれ違いで再会してないようですが。
[一言] 梨花様 今更、おたおたすんな! 梨花様が齎した知識がこれから、どれだけの人を救えると思うんだい!! と、勝先生があの世で言ってますよ。ノーベル賞なんて余禄ですよ、余禄。 陸奥さん 意外に大人…
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