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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第28章 1901(明治34)年立夏~1901(明治34)年大雪
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赤坂御料地行幸啓(1)

 1901(明治34)年7月7日日曜日午前10時半、青山御殿別館の会議室。

「なるほどな」

 会議室の一番上座に座っているのは、別館の主の大山さんではなく、お父様(おもうさま)だ。今日は、“初孫の顔を見に行く”という名目で、花御殿と皇孫御殿と青山御殿のある赤坂御料地にやって来た。お昼過ぎには兄の住居である花御殿に移動して、お母様(おたたさま)と一緒に昼食会に出席する予定だけれど、その前に、私の住居である青山御殿に立ち寄った。公式には私を訪問するために立ち寄ったことになっているけれど、真の目的は、青山御殿の別館――非公式の諜報機関・中央情報院の本部――の視察だった。

 そして、“現在の国際状況について、改めて話が聞きたい”というお父様(おもうさま)のリクエストがあったため、この別館の会議室に、梨花会の何人かが集まった。お父様(おもうさま)に供奉した総理大臣の山縣さんの他にも、“史実”の記憶を持つ、参謀本部長の斎藤さんと私の輔導主任の伊藤さんがいる。もちろん、大山さんと私もいるし、“お父様(おもうさま)を青山御殿に迎えに行く”という名目でこちらにやって来た、兄と児玉さんと西郷さんもいた。

「はい、金子どのによりますと、アメリカでの対外拡張政策の妨害は、非常にうまく行っているとのこと」

 東宮武官長の児玉さんが、真面目な口調でお父様(おもうさま)に報告する。東宮武官長である彼は、業務の合間を見て、しょっちゅう青山御殿の別館に出入りしており、中央情報院の業務にも深く関わっていた。

「昨年の大統領選挙では、クリーブランド前大統領の後釜の、民主党のウィリアム・ジェニングス・ブライアンが当選しました。1896年の大統領選に引き続き、対外拡張に興味がある共和党は敗れた訳です。ブライアン大統領も、クリーブランド大統領と同じく、対外拡張には興味を示していません。もちろん、ハワイ王国にも」

「だが……“史実”では、9月にアメリカ大統領が暗殺される」

 伊藤さんが、普段とは違う重い声で呟く。「“史実”で殺されたのは、共和党のウィリアム・マッキンリーだったが……」

「確か犯人は、前年に起こったイタリアのウンベルト1世陛下の暗殺に刺激を受け、大統領を襲ったように記憶しています」

 斎藤さんの言葉に引っかかるものを感じていると、

「梨花さま、いかがなさいましたか?」

と大山さんが――中央情報院総裁でもある大山さんが、私に視線を投げた。

「あ、ウンベルト1世陛下は暗殺されてないなぁ、って思って……」

 思ったことを素直に口にすると、

「それはなぜですか?」

大山さんから、すかさず問いが飛んでくる。流石、私の非常に有能で経験豊富な臣下は、私を鍛えることを忘れない。

「ええと、……最初のきっかけは、アメリカとスペインの間で、米西戦争が起こっていないこと」

 数瞬だけ考えて、私は口を開いた。「確か、1897年のイタリアで、小麦の収穫高が減ったって聞いた。この時の流れでは、1898年の米西戦争が起こってないから、イタリアはアメリカから小麦を輸入出来た。けど、“史実”では、米西戦争のせいで、アメリカから小麦が輸入できなくなったから、イタリアの小麦価格が暴騰して、イタリア国内で大規模なデモが発生した。ウンベルト1世陛下は、それを武力で鎮圧した……。その強硬な姿勢への反発が、ウンベルト1世陛下を“史実”で暗殺した犯人の動機だったのかな?」

「流石は増宮さまです」

 山縣さんがニッコリする。「よく洞察されました」

「いや、山縣さん、前に、似たようなことを考えたことがありましたから」

 確かあれは、イタリアのトリノ伯(セクハラ野郎)と戦った直後だった。私が素直にネタばらしをすると、

「犯人を刺激する材料が無くなったならば、ブライアン大統領も、凶刃を免れる確率が高くなるだろうが、油断は禁物だ、梨花」

私の真向かいに座った兄が言った。「大統領暗殺事件という耳目を引く事件が起これば、アメリカの世論が妙な方向に傾いてしまうかもしれない。それで対外政策に積極的な政権が誕生してしまっては、またハワイの独立が危うくなってしまう。念には念を入れて、アメリカの官憲にも注意を促しておくのが最善だと俺は思う」

「おっしゃる通りです。慎重に、事を進めるべきでしょう」

 迪宮殿下の輔導主任である西郷さんが、満足そうに頷いた。最近は業務の合間に、児玉さんと一緒にこの別館に入り浸っていると聞いている。……大山さん・児玉さん・西郷さんと、梨花会でも悪戯好きな面々が揃うこの別館が、悪の秘密結社の本部に見えてきたことは、彼らには内緒にしておこう。

「斎藤君、確か犯人の名前は、チョルゴシーとも、ニーマーンとも呼んだように記憶しているが、君の記憶はどうかね?」

 伊藤さんが尋ねると、「はい、俺の記憶でもその通りです」と斎藤さんが答えた。

「念のため、そ奴の身柄を押さえてしまうのも手だろうな」

 山縣さんが呟く。

「検討しておきましょう。アメリカに派遣している諸君なら、容易く出来るでしょう」

 大山さんが軽く頷く。外国で人の身柄を押さえてしまうなんて……私の怪しい未来の知識から生まれた中央情報院は、世界を股にかける、本当に恐ろしい諜報機関になっていた。

「アジアの情勢は平和そのものだな。義和団事件は全く起こらず、清も10月の憲法発布に向けて、着々と準備を進めている。朝鮮も、袁世凱ががっちりと国王を操って、清の実質的な属国になっている。“史実”とは大いに違うところだ」

 伊藤さんが両腕を組みながら言うと、

「ヨーロッパも安定しています。ロシアのニコライ陛下の眼も、内政に向けられたまま。共産主義もはびこらずに済んでおります」

児玉さんがこう付け加えた。

「そして、日英同盟の下準備にも入らねばならんな」

 お父様(おもうさま)が上座でニヤリと笑う。

「おっしゃる通りでございます。わしと俊輔、どちらが総理になるかは分かりませんが、どちらになっても、交渉は遅滞なく進められるよう、引継ぎは密にして参ります」

 山縣さんがお父様(おもうさま)に一礼した。衆議院は4日前、7月3日に解散し、9月3日に選挙を行うこととなった。そこで立憲改進党が勝てば、引き続き山縣さんが総理大臣を務めるし、立憲自由党が勝利すれば、伊藤さんに総理大臣が変わる。これは、衆議院解散前に、梨花会の中で内々に決まっていた。

 と、

「しかし、一つだけ気になるのは、義和君(ぎわくん)の行方不明事件ですか」

西郷さんが言った。

「ああ、ナイアガラの滝から飛び降りたのではないかという、あの事件ですね」

 児玉さんが頷く。

 義和君、本名は李堈(りこう)……朝鮮の前国王の息子、今の朝鮮国王の異母弟である。国王――“史実”では、韓国併合が行われたときの、大韓帝国の最後の皇帝だった人だけれど――に現在実子がいないので、王位第一継承者のような立場にいる。アメリカの大学に留学していたのだけれど、先月末、ナイアガラの滝を遊覧している途中、行方不明になった。

「義和君が同行者たちと離れて、ナイアガラの滝の展望台に登った。すると、同行者たちの耳に、義和君の悲鳴が届いた。同行者たちが慌てて駆けつけたら、義和君の荷物と帽子が、展望台の下の崖の途中に引っかかっていた……」

 私が両腕を組むと、

「警察が捜索したが、死体は見つからなかった。目下、行方を捜索中、と聞いたが……」

こう言った兄は、「どうも引っかかる」と眉をしかめた。

「兄上、どういうこと?」

「いや、具体的に説明しろと言われても困るのだ、梨花。俺の単なる勘なのだが……」

「うーん、そう言われると、なぁ……もしかして、義和君は殺されたのかもしれない、ってこと?でも、彼を殺して得をする連中っていうと、朝鮮国内の、他の国王後継者ってことになるけれど、そこは、袁世凱ががっちり監視してるんでしょ?だって、今の国王の父親の前国王も、母親の閔妃も殺しちゃったんだから、もう朝鮮には、袁世凱に逆らえる人間なんていないし」

「おっしゃる通りです」

 私の隣に座る大山さんが、静かに答える。「義和君の次の王位継承者とみなされているのは、王室の遠縁にあたる少年ですが、現在朝鮮で袁世凱の完全な管理下にあり、海外に手を伸ばすだけの勢力はありません」

「しかし、……義和君の身柄を手に入れたい連中はおりますな」

 西郷さんの声に、

「ああ、……ロシア国内の、対外拡張を叫んでる人たちですか」

私は反射的に返した。「“朝鮮の正当な国王の身柄はこちらにある”なんて言えたら、朝鮮に攻め込む大義名分としては最高ですもんね」

「章子も、少しは分かるようになってきたな」

 お父様(おもうさま)が満足げに頷いた。

「ありがとうございます」

 私が頭を下げると、

「しかし、もしそうだとするなら、義和君の身柄を外国でさらう、という大胆なことが行われたことになる。それはすなわち、そんな大胆なことが出来る連中を、我が国だけではなく、ロシアも抱えているということ……」

山縣さんの表情に、憂鬱な色が強く現れた。「もしかすると、我が国のように、秘密裏に諜報機関を設立しているのか……そうなると厄介だ」

「その兆候は確認できませんが、公使館の職員がそのような活動に手を染める可能性はあります」

 児玉さんが言った。「増宮さまが昔お話してくださった、未来の活動写真の話にもよくありましたな。諜報機関同士の戦い……」

「あってほしくはないが、それも考えなければいけないか。それから、日本国内での諜報活動や、情報工作をされないように、こちらも防御しなければならぬ……」

「その通りです、皇太子殿下」

 伊藤さんがニッコリ笑った。「……皇太子殿下も増宮さまも、よくお分かりになってきた。東宮大夫と輔導主任として、これほど嬉しいことはございませんな」

 笑顔を崩さない伊藤さんに、私と兄は黙って礼を返した。

「さて、そろそろ刻限だ。歩いて花御殿に向かうとしよう」

 お父様(おもうさま)が椅子から立ち上がり、会議室から出て行く。私たちも後に従った。

※実際には、明治天皇・昭憲皇太后が東宮御所に行幸啓されたのは1901(明治34)年7月6日なのですが、一日ずらしました。


※1901(明治34)年のマッキンリー大統領暗殺事件の犯人の名前はレオン・フランク・チョルゴッシュ。当時日本では、伊藤さんが言ったように「チョルゴシー」とも、また「ニーマーン」とも報道されたようです。(「新聞集成明治編年史」より)


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[一言] 滝…訳ありの行方不明者…乏しい証拠… ストランド・マガジンのバックナンバー引っ張ってこなきゃ!
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