指輪(1)
1901(明治34)年5月5日日曜日、午前11時半。
「ああ、見えてきました。あそこです」
私たちの先頭を歩く吉岡荒太先生が、前方を指し示すと、
「おお」
「あの建物ですね!」
引っ越しの荷物を載せた大八車の横について歩く女医学校の同級生たちが、大きな歓声を上げた。
女医学校が開校して、もうすぐ半年が経過しようとしている。昨年末には私を含めて10人だった生徒の数も、次第に増えて15人になった。そうなると、6畳だけの教室では手狭で、新しい校舎を探すのが急務になった。
そこに、立憲自由党総裁である陸奥さんが、
――実は、我が党の岡崎君が引っ越しましてね。岡崎君の前の家が、まだ空き家で買い手がつかないらしいのですが、殿下、女医学校の校舎にいかがですか?場所は、牛込区の市谷仲之町です。
と声を掛けてきたのだ。岡崎さんは、立憲自由党内の実力者で、陸奥さんの従弟でもある。
――市谷仲之町だと……今の場所から、滅茶苦茶遠いという訳じゃないですね。間取りさえ条件に合えば、女医学校の新校舎にいいかもしれないです。
そう答えた私は、大山さんに内々にその物件を調べてもらった。部屋数もそれなりにあり、更に、寄宿舎に使えそうな平家も敷地内にあるとのことだ。
(あとは、この話を、どうやって弥生先生の所に持って行くかだな。女医学校にとっておいしい話に、余りにも私が絡み過ぎていたら、私の正体が弥生先生にバレちゃいそうだし……)
悩んでいると、ベルツ先生が、「私が話を持ちかけてみましょう」と手を挙げてくれた。そして、“大学の学生が見つけた”と、物件の話を弥生先生にしてくれて、引っ越しが決まったのが先月だ。新校舎の購入資金はどうしたのだろう、と思っていたら、
――女医学校への寄付が増えていますから、それで賄っているはずですよ。
と、我が臣下がそっと教えてくれた。
――ベルツ先生が講師をなさっているので、俺たちも、表立って資金を寄付しやすくなりました。“ベルツ先生が講師をなさっているのですから、きっと東京女医学校は素晴らしい学校なのでしょう”と言いながら。
にこりと笑う大山さんに更に問いただしたところ、梨花会の面々は全員、東京女医学校に寄付をしてくれたらしい。
――そうか……。皆に迷惑を掛けたね。皆が寄付してくれた金額、私が自由に使えるお金で負担できる分は、私に請求してちょうだい。
大山さんに頭を下げると、
――寄付の件を御存知になれば、梨花さまはそうおっしゃると思っておりましたが……それは皆、補填はしなくてよいと言っておりますので、ご放念いただきますように。
と、反対に私が頭を下げられてしまった。
そんな裏の事情があったけれど、端午の節句でもある本日、東京女医学校は市谷仲之町に移転する。3台の大八車を、雇った人夫さんに曳いてもらっているけれど、載っているのは机と椅子、そして黒板ぐらいで、残りの小さな荷物は、生徒と講師が手分けして運んでいる。ベルツ先生も行列の一員で、風呂敷に包んだ何冊かの洋書を持ち、私の隣を歩いていた。
『殿下、皇孫殿下はお元気ですか?』
ベルツ先生がドイツ語で私に話しかけた。
『ええ、とても。もう、本当に、本当に可愛くて……』
節子さまと、彼女が産んだ男の子は非常に元気だ。一昨日には、お母様が花御殿を訪れて、自分の初孫と初めて対面した。
『今日、ご命名の式があるんです。でも、もう私、どんな名前になるか、兄上から教えてもらっちゃいました』
『ほう?どんなお名前ですか?』
『称号は迪宮、名前は裕仁。迪宮さまって呼ぼうかなって。節子さまに抱かれて、お乳を吸ってるのが、もう可愛くてたまらなくて……』
すると、
『よかった。殿下と我々の要望通り、妃殿下が母乳で育てられる、と決まったのですね』
ベルツ先生がほっと息をついた。
母親が生まれた赤ちゃんの授乳をすることは、母子関係を作る上でとても大切なことである。“史実”では、7月の初めには、迪宮殿下は里子に出されてしまったということだけれど、そんなことは私も兄も、絶対にさせたくなかった。
――親子で離ればなれで暮らすなんて、絶対あり得ないです。私と兄上がしたような辛い思いを、兄上の子供にはさせたくない!
――同じ屋根の下が無理だと言うなら、生まれてくる子には、せめて、俺と同じ敷地で暮らして欲しい!
私と兄が強く主張し、迪宮殿下の輔導主任である西郷さんも「それは殿下がたのおっしゃることがもっともです」と賛成に回った結果、花御殿と渡り廊下でつながった分娩所を改装・増築して皇孫御殿にすることが決まった。もちろん、渡り廊下はそのまま残すから、兄夫婦はいつでも迪宮さまに会いに行けるし、節子さまも毎日授乳が出来る。
そんなことを思い出していると、
『殿下と皇太子殿下の産みのお母上のことを聞いて、ずっと心を痛めていました』
ベルツ先生は言った。『生まれた直後から、親と離れ離れになって暮らすのも辛いことですが、実の母親の存在を隠されていたというのも……』
『でも、ベルツ先生』
私はドイツ語で答えると苦笑した。『確かに、母のことを知った時はとても辛かったです。その時のことを思い出すと、今でも胸が痛みます。けれど、私の2人の母は、2人とも、本当の母親として、私に愛情を注いでくれています。それをきちんと感じられるから、私、その幸運にはとても感謝していますし、幸せだと思います』
もちろん、私の前世の感覚のままで考えると、おかしなことだと思う。けれど、今の私にとっては、嫡母であるお母様も、実の母も、どちらも大切な母親なのだ。
『そうでしたか……』
ベルツ先生が頷いた瞬間、首筋にチクリとしたものを感じて、私は後ろを振り返った。私たちの後ろでは、何人かの同級生たちが別の話に興じている。その後ろ、引っ越しの列の最後尾を歩く弥生先生が、私をじっと見ていた。
『どうなさいましたか、殿下?』
ベルツ先生の質問には、
『弥生先生が、私たちの方を見ているのを感じたので』
と、小声で返した。『まさかとは思うけれど、今の会話を聞かれていたのかしら?』
『ご安心を、殿下。彼女はドイツ語が分からないはずですよ。私にもそう話していました』
『ですよね。私も先日、弥生先生自身から、そう聞きました。“私はドイツ語が分からない”と。だから、荒太先生だけ気を付ければいいですね』
荒太先生は、元々ドイツ語の教師をしていたそうだ。だから、彼の前ではドイツ語の会話でも秘密のことは話せないけれど、弥生先生の前でなら大丈夫だ。
『まぁ、もうすぐ新しい校舎に到着しますし、そろそろ日本語に戻りますか、殿下』
ベルツ先生は微笑して、
「さ、皆さん、そろそろ到着ですよ!」
と周りに呼びかける。一斉に歓声が起こる中、迪宮殿下の命名式が行われたことを知らせる号外の鈴を高らかに鳴らしながら、新聞売り子がすれ違って行った。
1901(明治34)年5月12日日曜日、午後2時。
「おほほほほ……」
霞が関にある威仁親王殿下のお屋敷。応接間のテーブルを挟んで、私の前でとても楽しそうに笑っている洋装のご婦人は、威仁親王殿下の奥様である、慰子妃殿下だ。
「そうでしたの、そんなことが……」
スラっと通った鼻筋の、気品ある慰子さまの顔は、本当に楽しそうな笑顔になっている。なぜ、女医学校の引っ越しの話を普通にしただけでそんなに笑い転げてしまうのか、私にはさっぱりわからない。少し首を傾げた私を見て、
「どうなさいました、宮さま?」
と、私の後ろに控えている千夏さんが声を掛けたけれど、「何でもないです、大丈夫です」と返答しておいた。
「本当に、時代が変わりましたねぇ」
ようやく笑いを収めながら、慰子妃殿下は言った。「私、小さいころは、一生、家の中で過ごすことになると思っていました。それが当たり前のことなのだ、と」
そう言う慰子妃殿下は、加賀前田家の最後の藩主・前田慶寧さんの娘さんだ。
「ところが、世の中はどんどん変化して、世界との往来も激しくなりました。まさか私が、主人について外国に行くことになるなんて、思ってもみませんでした。それに、女性もどんどん社会に出て行くし……だから、増宮さまを見ていると、本当に面白くて楽しくてしょうがないんです。ほら、最近はやっている小説があるでしょう、“明治牛若伝”。あの主人公みたいで」
「あれ、本当、発禁して欲しいんですよね……」
私はため息をついた。ここ1、2年で急速に売れ始めた小説だけれど、主人公の少女が、旧大名家のお姫様で、兄を助けるために医者になるという筋書きらしい。……どう考えても、主人公は私をモデルにしているとしか思えないのだけれど、大山さんに頼んで調べてもらっても、作者の正体は不明、居所も掴めないのだ。
(くっそー、作者の野郎、見つけたらぶん殴ってやる)
あの小説の存在を知って以来の決意を、再び新たにしていると、
「ど、どうなさったんですか、宮さま?」
後ろから、千夏さんが私に恐る恐る声を掛けた。
「あ、ごめんなさい、何でもないです」
私は慌てて、千夏さんに笑顔を見せた。
「それでですね、増宮さま」
慰子妃殿下が私にまた話しかけた。「今日のダンスの練習ですけれど、主人がいないので、代わりの練習相手を呼びましたの」
「あー、そう言えば、今は練習航海中でしたね、大兄さま……」
兄がまだ独身だった時には、兄と一緒にペアを組んで舞踏の練習をしていたけれど、兄が結婚してからは、親王殿下とペアを組んで練習するようになった。もちろん、兄は節子さまと組んで練習していたけれど、節子さまが妊娠してからは、慰子妃殿下が兄の相手を務めていた。ただ、兄は、迪宮さまの育児が少し落ち着くまでは、節子さまの側に出来る限りいたいということで、しばらく舞踏の練習は休むそうだ。
「舞踏室の準備ができましたら呼びますから、少しこちらでお待ちになっていてくださいね」
「了解しました、慰子さま」
応接室を出て行く慰子妃殿下に一礼すると、私は椅子に座り直した。普段は和装だけれど、舞踏の練習の時だけは、ミントグリーンのドレスを着ている。今日もそれなので、なんだか身体が落ち着かなかった。いずれ、私が成年に達すれば、大礼服や中礼服、小礼服や通常礼服も作らなければならない。前世と違い、すっかり和装に慣れ切った私には、頭の痛い話だった。
出された紅茶を飲みながら待っていると、有栖川宮家の職員さんが、準備が整ったことを告げに来てくれた。舞踏室に足を踏み入れると、蓄音機の載った小さな机の側に、慰子妃殿下と、もう一人、黒いフロックコートを着た、すらりとした長身の男性が立っていた。誰かに似ているような気がするけれど、七三に分けた黒い髪、切れ長の目に通った鼻筋、整った口ひげ……今の町中、いや、前世の町中にいても、すれ違った女性が振り返りそうな、端正な顔立ちをしていた。
そして、
(な、何だ、この超絶イケメンは?!)
……不覚にも、私も彼の顔に、思わず見とれてしまったのだった。




