表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第1章 1888(明治21)年小満~1888(明治21)年大暑
2/776

現状把握と疑問

 あれから、10日ほどが経った。

 私は、爺、こと、堀河康隆(ほりかわやすたか)さんのお屋敷の中で過ごしながら、状況の把握に努めていた。

 困難な物事にぶち当たったら、まず、現状を把握すること。

 病院に入職して、最初に上級医(オーベン)になった女医さんが、私に事あるごとに言っていたけれど、その教えを実践したのである。

 その結果、出した結論は、

「今、私がいるこの世界は、当直明けに階段から落っこちるまで存在していた世界ではない」

ということだった。

 第一に、周りの人たちの着ている服や髪型、屋敷の調度品などが、私が慣れ親しんだものと、あまりに違う。

 堀河さんは、洋服を着ているけれど、そのデザインは全体的に古めかしい。堀河さんの奥さん、つまり最初に会った和装の女性なんか、どこからどう見ても日本髪を結っている。屋敷の中で働いている人の服装や髪型も、堀河ご夫妻と似たり寄ったりである。

 また、屋敷の中の調度品も、私がイメージする“お屋敷”のものと、明らかに違っている。電化製品の類は一切無い。電灯もなく、夜の明かりには、山小屋にありそうな石油ランプを使っている。

 たまたま近くを通りかからないだけ、という可能性もゼロではないのだけど、自動車やオートバイのエンジン音も、全く聞こえない。空を見上げていても、飛行機やヘリコプターの機影や、飛行機雲は見えない。その代わり、夜は星がとても綺麗に見える。星座は全く分からないから、星の位置から自分の位置を割り出す、などという芸当ができないのが残念だ。

 そして、決定的だったのは、「今日は何日?」という私の質問に対して、堀河さんが答えた言葉だった。

「本日は、明治21年の5月30日です」

 愕然とした。

 明治だって?

 もうすぐ、平成の元号が終わろうとしているのに、更に昭和、大正もすっ飛ばして、明治である。

 私が生きていた時代から、一体何年前だというのだろう。

 余りに驚きすぎて、とっさに計算することができなかった。

 以上のことから、私は、自分が、今までに生きていた世界とは、別の世界――おそらく、百何十年か前の世界――にいることを確信した。

 ちなみに、私の身体は、前の世界とは、全くの別物になっていた。

 最初にこの世界にやってきて、堀河さんに抱きとめられた時から、どうもおかしいと思っていたのだけど、鏡に自分の姿を映してみて、その感覚が間違いなかったことがわかった。

 鏡の中にいる私は、4,5歳の幼女だった。

 茶色に染めたショートだったはずの髪型は、黒く長い後ろ髪、ぱっつんと切りそろえた前髪という――どう見ても、怪談話に出てきそうな、市松人形の髪型そのものになっていた。

 「髪を切る!」と騒いで、ハサミまで持ち出したけれど、堀河さんに泣いて止められてしまった。前世では、ロングヘアが嫌いだったから、ショートにしていたのだけど……。

 顔は……正直、この時代の美人の基準が分からないから、何とも言えない。というか、市松人形カットなのが、あまりにショックすぎて、はっきり言って、自分の顔なんてどうでもよくなっている。

 ちなみに、堀河さんに私の年齢を確かめたら、明治16年1月26日生まれで、満で5歳、数えで6歳であらせられます、と言われた。

「ところで爺、なぜ私のことを、敬って話しているの?」

 その時に、思い切って、この世界にやってきてから、一番の疑問について、堀河さんに尋ねてみた。

「それは、増宮(ますのみや)さまが、偉いお方だからでございます」

 堀河さんは、当然、と言わんばかりに返答した。

 増宮――それが、この世界での、私の名前であるらしい。

「だけど、“宮さま”って、まるで皇族の方みたいじゃないの?」

「皇族でございます。増宮章子(ふみこ)さまは、天皇陛下の、お子さまであらせられますゆえ、皇族でございます」

 嫌な予感が的中して、私は天を仰いだ。

「それは……そのような生まれに、たまたまなったからだ、ということでしょう」

 こんな事実を告げられて、よく気を失わずに済んだなあ、と、後で、我ながら感心した。

「中身が、本当に尊敬されるに値するかは、わからないでしょうに」

 前の世界の私は、高貴な家柄の出ではない。曾祖父の代から医者だけれど、やんごとなき御身分の方が先祖という話は、一切聞いたことがない。由緒正しい(?)庶民のはずだ。

 それに……私は、自分の意思も貫けなかった、バカな意気地なしだ。

 そう思ったからこう言ったのだけど、堀河さんは、急に平伏して、

「なんと……なんと素晴らしいお言葉か」

 泣き出した。

「ちょ、ちょっと、泣かないでください」

「うう、お優しい……」

 泣くのを止めようとしたけれど、堀河さんは意味不明なことを言い出して、仕舞いには、

「増宮さまを、全力を掛けてお育て申し上げます!」

などと叫び始めたので、始末に困って、私は慌ててその場から離れた。

 それからの私は、書籍を堀河さんに持ってくるようにお願いして、それを読むことが日課になった。

 ただ、堀河さんが持ってくる本は、ミミズが這ったような文字が書いてある本が主で、私が元居た世界では、“古文書”に分類されてしまいそうなものだった。せめて、一つ一つ、文字が離れている文章が読みたかったので、“官報”か“東京日日新聞”を持ってくるようにお願いした。

 “官報”は、私が生きていた平成の時代にも発行されている、国の機関紙。“東京日日新聞”は、明治時代に発行されていた新聞の一つだ。平成の時代と同じようなスタイルの新聞は、明治の初め頃から、既に発行されていて、“東京日日新聞”も、明治のかなり初期の頃に誕生していた。

 この2紙のどちらかは、この時代にも存在しているだろう、と、バイト講師時代の知識を生かして頼んだのだけど、堀河さんには「どうして新聞のことを、ご存じなのですか?!屋敷の者がだれか、増宮さまに吹き込んだのですか?!」とめちゃくちゃ驚かれた。けれど、“官報”も“東京日日新聞”も、両方持ってきてくれた。文体は完全に漢文調だったけれど、何とかそれらは読めた。

 官報や東京日日新聞の記事を確認すると、私が今いるこの時点は、明治時代であることは、疑いの余地も無かった。明治21年だと、ちょうど、帝国憲法の調整に入っている時期のはずなのだけど、記事にも、今後発布される憲法のことが、しばしば現れていた。

 ただし、分からないことも、いくつかあった。

 一つは、今の私、増宮(ますのみや)章子(ふみこ)という存在、そのものである。

 今の天皇、明治天皇の次代は、息子の大正天皇というのが史実なのだけど、大正天皇に姉妹がいたという話を、私は聞いたことがない。いても、おかしくない話ではあるのだけど。

 今でも、日本史の全体は、高校生に授業ができるレベルではある。けれど、近現代史は、大学入試で使われる頻度が少ないこともあって、知識は他の時代に比べれば薄い。

 そして、近現代の皇室史に至っては、正直言って、天皇の代替わりぐらいしか知らない。古代や中世では、皇室の代替わりが、政権体制の変換に直結することはしばしばあるから、姻戚関係も含めて、少しは把握しているつもりだけれど……。

 ちなみに、天皇陛下の現在の跡継ぎは、“はるのみや”と言うらしい。漢字でどう書くかは、聞きそびれてしまった。“はるのみや”というのは、皇太子の別称である“春宮(とうぐう)”のことかもしれないので、一体どんな人物なのか、私とどんな関係にあるのかは、さっぱりわからない。

 ともかく、確実なのは、

「私は、明治時代の日本に、内親王として転生してしまった」

ということだった。

(今が戦国時代だったら、うまくいけば、平成時代に現存してないお城が見放題だったかもしれないのに……)

と思ったけれど、戦国時代なら、転生した瞬間に合戦に巻き込まれるという展開も、普通にあり得たわけなので、国内戦争のない時代に転生したことを、素直に感謝することにした。

 

 その現状を把握したところで、次の私の疑問は、

「この世界では、前の世界の日本の出来事が、同じように発生するのだろうか?」

ということだった。

 例えば、明治時代に限って言えば、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争がある。

 大正時代には第一次世界大戦や関東大震災があるし、昭和に突入すれば、満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争、そして原爆投下。

 そのような出来事が、やはり前の世界と同じように起こる運命になっているのだろうか、ということである。

 そして、もし、前の世界と同じ出来事が、この転生した先の世界でも、同じタイミングで発生してしまうのなら、そろそろ、大変なことが起こる時期であるはずだ。

(でも……起こるとして、私にできることはあるのかな?)

 この時代の皇族だから、ある程度の無理は押し通せる立場なのかもしれない。ただ、今の私は、5歳の幼女である。幼女が突然難しいことを言い出して、本気で耳を傾ける大人がいるだろうか?

 悶々としながら、6月が過ぎていった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 日本史を知悉していたという割に人間宣言以前の天皇のあり方を認知してない上に明治風俗も疎いのは違和感
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ