現状把握と疑問
あれから、10日ほどが経った。
私は、爺、こと、堀河康隆さんのお屋敷の中で過ごしながら、状況の把握に努めていた。
困難な物事にぶち当たったら、まず、現状を把握すること。
病院に入職して、最初に上級医になった女医さんが、私に事あるごとに言っていたけれど、その教えを実践したのである。
その結果、出した結論は、
「今、私がいるこの世界は、当直明けに階段から落っこちるまで存在していた世界ではない」
ということだった。
第一に、周りの人たちの着ている服や髪型、屋敷の調度品などが、私が慣れ親しんだものと、あまりに違う。
堀河さんは、洋服を着ているけれど、そのデザインは全体的に古めかしい。堀河さんの奥さん、つまり最初に会った和装の女性なんか、どこからどう見ても日本髪を結っている。屋敷の中で働いている人の服装や髪型も、堀河ご夫妻と似たり寄ったりである。
また、屋敷の中の調度品も、私がイメージする“お屋敷”のものと、明らかに違っている。電化製品の類は一切無い。電灯もなく、夜の明かりには、山小屋にありそうな石油ランプを使っている。
たまたま近くを通りかからないだけ、という可能性もゼロではないのだけど、自動車やオートバイのエンジン音も、全く聞こえない。空を見上げていても、飛行機やヘリコプターの機影や、飛行機雲は見えない。その代わり、夜は星がとても綺麗に見える。星座は全く分からないから、星の位置から自分の位置を割り出す、などという芸当ができないのが残念だ。
そして、決定的だったのは、「今日は何日?」という私の質問に対して、堀河さんが答えた言葉だった。
「本日は、明治21年の5月30日です」
愕然とした。
明治だって?
もうすぐ、平成の元号が終わろうとしているのに、更に昭和、大正もすっ飛ばして、明治である。
私が生きていた時代から、一体何年前だというのだろう。
余りに驚きすぎて、とっさに計算することができなかった。
以上のことから、私は、自分が、今までに生きていた世界とは、別の世界――おそらく、百何十年か前の世界――にいることを確信した。
ちなみに、私の身体は、前の世界とは、全くの別物になっていた。
最初にこの世界にやってきて、堀河さんに抱きとめられた時から、どうもおかしいと思っていたのだけど、鏡に自分の姿を映してみて、その感覚が間違いなかったことがわかった。
鏡の中にいる私は、4,5歳の幼女だった。
茶色に染めたショートだったはずの髪型は、黒く長い後ろ髪、ぱっつんと切りそろえた前髪という――どう見ても、怪談話に出てきそうな、市松人形の髪型そのものになっていた。
「髪を切る!」と騒いで、ハサミまで持ち出したけれど、堀河さんに泣いて止められてしまった。前世では、ロングヘアが嫌いだったから、ショートにしていたのだけど……。
顔は……正直、この時代の美人の基準が分からないから、何とも言えない。というか、市松人形カットなのが、あまりにショックすぎて、はっきり言って、自分の顔なんてどうでもよくなっている。
ちなみに、堀河さんに私の年齢を確かめたら、明治16年1月26日生まれで、満で5歳、数えで6歳であらせられます、と言われた。
「ところで爺、なぜ私のことを、敬って話しているの?」
その時に、思い切って、この世界にやってきてから、一番の疑問について、堀河さんに尋ねてみた。
「それは、増宮さまが、偉いお方だからでございます」
堀河さんは、当然、と言わんばかりに返答した。
増宮――それが、この世界での、私の名前であるらしい。
「だけど、“宮さま”って、まるで皇族の方みたいじゃないの?」
「皇族でございます。増宮章子さまは、天皇陛下の、お子さまであらせられますゆえ、皇族でございます」
嫌な予感が的中して、私は天を仰いだ。
「それは……そのような生まれに、たまたまなったからだ、ということでしょう」
こんな事実を告げられて、よく気を失わずに済んだなあ、と、後で、我ながら感心した。
「中身が、本当に尊敬されるに値するかは、わからないでしょうに」
前の世界の私は、高貴な家柄の出ではない。曾祖父の代から医者だけれど、やんごとなき御身分の方が先祖という話は、一切聞いたことがない。由緒正しい(?)庶民のはずだ。
それに……私は、自分の意思も貫けなかった、バカな意気地なしだ。
そう思ったからこう言ったのだけど、堀河さんは、急に平伏して、
「なんと……なんと素晴らしいお言葉か」
泣き出した。
「ちょ、ちょっと、泣かないでください」
「うう、お優しい……」
泣くのを止めようとしたけれど、堀河さんは意味不明なことを言い出して、仕舞いには、
「増宮さまを、全力を掛けてお育て申し上げます!」
などと叫び始めたので、始末に困って、私は慌ててその場から離れた。
それからの私は、書籍を堀河さんに持ってくるようにお願いして、それを読むことが日課になった。
ただ、堀河さんが持ってくる本は、ミミズが這ったような文字が書いてある本が主で、私が元居た世界では、“古文書”に分類されてしまいそうなものだった。せめて、一つ一つ、文字が離れている文章が読みたかったので、“官報”か“東京日日新聞”を持ってくるようにお願いした。
“官報”は、私が生きていた平成の時代にも発行されている、国の機関紙。“東京日日新聞”は、明治時代に発行されていた新聞の一つだ。平成の時代と同じようなスタイルの新聞は、明治の初め頃から、既に発行されていて、“東京日日新聞”も、明治のかなり初期の頃に誕生していた。
この2紙のどちらかは、この時代にも存在しているだろう、と、バイト講師時代の知識を生かして頼んだのだけど、堀河さんには「どうして新聞のことを、ご存じなのですか?!屋敷の者がだれか、増宮さまに吹き込んだのですか?!」とめちゃくちゃ驚かれた。けれど、“官報”も“東京日日新聞”も、両方持ってきてくれた。文体は完全に漢文調だったけれど、何とかそれらは読めた。
官報や東京日日新聞の記事を確認すると、私が今いるこの時点は、明治時代であることは、疑いの余地も無かった。明治21年だと、ちょうど、帝国憲法の調整に入っている時期のはずなのだけど、記事にも、今後発布される憲法のことが、しばしば現れていた。
ただし、分からないことも、いくつかあった。
一つは、今の私、増宮章子という存在、そのものである。
今の天皇、明治天皇の次代は、息子の大正天皇というのが史実なのだけど、大正天皇に姉妹がいたという話を、私は聞いたことがない。いても、おかしくない話ではあるのだけど。
今でも、日本史の全体は、高校生に授業ができるレベルではある。けれど、近現代史は、大学入試で使われる頻度が少ないこともあって、知識は他の時代に比べれば薄い。
そして、近現代の皇室史に至っては、正直言って、天皇の代替わりぐらいしか知らない。古代や中世では、皇室の代替わりが、政権体制の変換に直結することはしばしばあるから、姻戚関係も含めて、少しは把握しているつもりだけれど……。
ちなみに、天皇陛下の現在の跡継ぎは、“はるのみや”と言うらしい。漢字でどう書くかは、聞きそびれてしまった。“はるのみや”というのは、皇太子の別称である“春宮”のことかもしれないので、一体どんな人物なのか、私とどんな関係にあるのかは、さっぱりわからない。
ともかく、確実なのは、
「私は、明治時代の日本に、内親王として転生してしまった」
ということだった。
(今が戦国時代だったら、うまくいけば、平成時代に現存してないお城が見放題だったかもしれないのに……)
と思ったけれど、戦国時代なら、転生した瞬間に合戦に巻き込まれるという展開も、普通にあり得たわけなので、国内戦争のない時代に転生したことを、素直に感謝することにした。
その現状を把握したところで、次の私の疑問は、
「この世界では、前の世界の日本の出来事が、同じように発生するのだろうか?」
ということだった。
例えば、明治時代に限って言えば、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争がある。
大正時代には第一次世界大戦や関東大震災があるし、昭和に突入すれば、満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争、そして原爆投下。
そのような出来事が、やはり前の世界と同じように起こる運命になっているのだろうか、ということである。
そして、もし、前の世界と同じ出来事が、この転生した先の世界でも、同じタイミングで発生してしまうのなら、そろそろ、大変なことが起こる時期であるはずだ。
(でも……起こるとして、私にできることはあるのかな?)
この時代の皇族だから、ある程度の無理は押し通せる立場なのかもしれない。ただ、今の私は、5歳の幼女である。幼女が突然難しいことを言い出して、本気で耳を傾ける大人がいるだろうか?
悶々としながら、6月が過ぎていった。