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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第4章 1890(明治23)年小暑~1890(明治23)年処暑
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セカンドオピニオン

「兄上の熱が、また上がったのですか?」

 伊香保御用邸に入って3日たった朝、毎朝の診察に来た侍医の三浦勤之助(みうらきんのすけ)先生に、私は尋ねた。

「はい……また、でございます」

 聴診を終えた三浦先生は、ため息をついた。

 花御殿付きの医者は、何人かいるのだけど、彼はおととし大学を出たばかりで、一番若い。今回の避暑には、侍医として、彼がついてきていた。

 彼の聴診器の形は、“カンマン式”というらしい。前世(へいせい)のものと大分違っていて、全体の、特に、ゴム管の長さがかなり短い。だから、先生は身を大きく屈める格好で聴診している。何とか、改造できないのかなあ……。

「今朝が、39.5度なんですね……」

 私は紙を取り出して、定規と色鉛筆を用意した。三浦先生から聞いた皇太子殿下の体温や脈拍、呼吸数を、経時的に追えるように折れ線グラフにしている。

「21日の朝に40度の熱で、でも何時間かで下がって、昨日は平熱で……で、また上がった?確か、暑気あたりという話でしたよね……」

 暑気あたり、というのは、前世(へいせい)でいう熱中症のことなのだろうか?突っ込んで三浦先生に聞きたかったけれど、7歳の子供が聞くと、絶対に不審がられそうなので、やめた。

 けれど、いったん平熱まで下がって、また上がるって……。

 前世で、医師国家試験合格のために頭に叩き込んだ知識を、必死で思い出す。

 熱の出方の分類は色々あったけれど、殿下の場合は、常に38度以上の熱があるわけではなく、平熱の時期もしっかりある。“間歇(かんけつ)熱”という熱の出方のようだ。感染症だとか、自己免疫疾患とか、色々な病気で起こりうる。

 そして、殿下の症状は、と言えば、今のところ発熱だけなのだ。

(咳だとか、痛みだとか、どこかに症状があれば、少しは病気が分かる手がかりにはなるけれど……)

 診察してもいいのかな、と思ったけれど、すぐにその考えを振り払った。

 私の前世のことを知らない殿下の診察を、私がする訳にはいかない。

 しかも、私自身、前世で医者として働いていたのは、たったの3か月だ。

 さらに言えば、この時代の病気には詳しくない。爺のお屋敷で暮らしていたころは、医学書も読んでいたけれど、当て字の難しさにページが進まなくて、結局、外科の本しか読破できなかった。花御殿に引っ越してからは、自分の学習(ノルマ)や殿下のお相手に忙しくて、医学書を読むひまが全くない。だから、私が殿下を診察したとしても、正確な判断が下せるかは、とても怪しい。

(でも、看病ぐらいはしてもいいよね?)

「三浦先生、兄上のお見舞いに行ってもよろしいですか?」

 私が尋ねると、三浦先生は快く許可を出してくれた。私は服を整えると、皇太子殿下の寝室に向かった。

 御用邸の奥にある和室に、殿下は布団を敷いて寝ていた。頭の下に置かれているのは、普通の枕ではなく、水枕だ。

「兄上……」

 呼びかけると、荒い呼吸をしていた殿下が、薄く目を開けた。

「章子か」

「はい」

「すまぬな……」

 殿下が短く言った。額に汗が光っている。

「いいえ」

 私が握った殿下の手は、熱かった。

(これだけ汗が出たら、脱水になりそう……。殿下、水分は取れているのかな……)

 と、廊下の方で、どたどたと足音が響いて、寝間の障子が開けられた。

「殿下!……増宮さまも」

 そこに立っていたのは、フロックコート姿の伊藤さんだった。

「い、伊藤さま?!」

 私は目を丸くした。

「確か、法典調査会があるから、伊香保にはいらっしゃらないって……」

 条約改正に必要な、民法と商法の編纂を目的として、今年1月に内閣に設置された法典調査会。その業務を早く進めたいから、ということで、伊藤さんは私と皇太子殿下の避暑には付き合わない、と言っていたのだけれど……。

 そのことを思い出していると、

「増宮さま!殿下の御容態は……」

「殿下!」

 伊藤さんの後ろから、山縣さんと黒田さんが顔を出した。この3人を案内してきたのだろう、大山さんも後ろに控えている。

「ちょっと……黒田さまも山縣さまも……お仕事はいかがされたのですか?」

 殿下の前なので、私が猫をかぶりながら突っ込むと、

「そんなことより、皇太子殿下の御容態と、増宮さまのご機嫌の方が重要です」

黒田さんが力強く答えた。私は思わずよろめいた。

「ああ、大丈夫です。わしと黒田さんの代理は、松方どのと、聞多さんに頼みましたから。数日なら何とかなりましょう」

 山縣さんが、あごひげを右手で撫でながら言った。

「こちらの仕事も、市之丞もおりますし、金子、伊東、井上の3人もいますからな」

 伊藤さんも頷く。

金子堅太郎(かねこけんたろう)伊東巳代治(いとうみよじ)井上毅(いのうえこわし)……いや、確かに、法律関係の仕事はできそうだけれど……)

 伊藤さんと一緒に、帝国憲法を起草した3人は、法典調査会の主力メンバーである。

「章子……誰か来たのか?」

 騒ぎが耳に入ったのか、殿下が私に顔を向けた。

「ああ……伊藤さまと、黒田さまと、山縣さまが」

 身体を起こされますか、と殿下に聞こうとしたけれど、やめた。この状況で、殿下に無理はさせたくない。

「すまぬ……このままでよいか?」

 殿下の言葉は、伊藤さんたちに向けられたものだった。

「はい」

 伊藤さんが、畳の上に正座して、殿下の方に身を近づけると、黒田さんと山縣さんも、それに倣った。私は逆に立ち上がって、廊下に向かって歩いた。障子の側に控えている大山さんに、「替えの水枕を取ってきます」と小声で告げて、殿下の部屋を後にした。

 廊下を歩いていた侍従さんを捕まえて、井戸まで連れて行ってもらい、冷たい水を汲んで、水枕に詰めた。氷も少しあるというので、侍従さんにお願いして砕いてもらい、枕の中に入れた。冷凍庫はまだ開発されていない時代だから、氷があるのは本当にありがたい。

 御用邸の中に戻ると、殿下の部屋の方から、複数人の足音が響いてきた。伊藤さんたちが、見舞いを終えて退出するのだろう。顔を合わせたら、長い時間捕まりそうな気がしたので、とっさにそばの部屋の襖を開けて、陰に潜んだ。

「しかし……大分、御加減が悪そうだ」

「俊輔もそう思うか……。以前はともかく、増宮さまとご同居されてからは、あのようなことはなかったのだが……」

 伊藤さんと山縣さんの声が、遠くからだんだん近づいてくる。

「弥助どん、侍医は、皇太子殿下の御病気については、どのような見立てなのだ?」

「それが……(おこり)のようではあるが、よくわからない、と……」

 大山さんが、黒田さんの問いに答えた。

(おこりって……平清盛が(かか)ったって奴かな?)

 襖の後ろで、私は首を傾げた。

「よくわからん、だとぉ?」

 山縣さんが声を荒げる。

「ええ……」

(瘧って、確かマラリアだよね?マラリアは、日本じゃ発生しないって、前世で教わったけれど……)

「だがこれは……万が一のことを考えなければいけないのか?」

 伊藤さんがそう言ったのは、彼が、私の隠れている襖のすぐそばまで来た時だった。

「うむ……」

「……」

 一同が立ち止まった。

 よりによって、私の隠れている襖の前である。

「先日、小菊(こぎく)どのがお産みになったのは、内親王殿下……陛下はまだまだお若い、これからも、お子様を挙げられる可能性はあるが……」

「皇太子殿下のみならず、陛下にもし万が一のことがあれば……皇族席次に従えば、次の帝は、有栖川宮さまになるか……」

(?!)

 私は、目を見開いた。

(この人たち……もうそんなことを考えるの?!)

 政治家としては、次の手、またその次善の手を考えるのは、至極当然のことだ。

 けれど……殿下はまだ、生きている。天皇(ちち)だって。

 政治家として、先々の予測を立て、それに対して対策を立てよう、と考えるのはわかる、わかるけれど……。

 私は、襖の陰で、ひそかに歯を食いしばった。

 すると、伊藤さんが、

「何を言う、増宮さまがいらっしゃるではないか」

……とんでもないことを言いだした。

(はああああ?!)

「歴史上、女帝が立たれた例はある。増宮さまなら、皇太子になる資格は十分だ。我ら“梨花会”が盛り立てれば、いや、盛り立てずとも、増宮さまなれば、この日本を、列強と肩を並べる強国にしてくれるのではないだろうか」

「俊輔……しかしそれは、皇室典範を変えねばいけないぞ?」

「伊藤さん、気持ちとしては(おい)も賛成ですが、他の皇族方が、どうおっしゃるか……」

「狂介、黒田さん、心配はわかる。しかし、日本のためには、増宮さまを女帝に立てるのが、どうしても必要な手だと、この伊藤は思うのだ。申し訳ないが、他の皇族方には引き下がっていただいて……」

 もう我慢できなかった。

 私は襖を、思いっきり引き開けた。

「何者だ!」

 軍刀の柄に右手を掛けた大山東宮武官長が、不審者が私と認識して、動きを止めた。

「いい加減にしなさいっ!!!」

 私は叫んだ。

「ま、増宮さま……」

 伊藤さんがその場にひれ伏す。黒田さん、山縣さん、大山さんも、一斉に平伏した。

「私の前世は平民です。帝位につく資格などありません!」

「し、しかし、今の御身には、間違いなく陛下の血が……」

「山縣さん、黙りなさい!」

 激しい怒りに任せて、私は山縣さんに言葉を投げつけた。

「政治家として、先々の心配をしなければならないのは、私も分かります。けれど……今考えるべきは、皇太子殿下の御治療をいかにすべきか、ということではないのですか!」

「は……確かに……」

 平伏したまま、伊藤さんが返答した。

「私も、医者としての経験がほとんどないから、今の殿下の病態が分からないけれど……。だから、……だからこそ、医者を呼んで!三浦先生にも分からないんでしょ?!だったら、別の医者を連れてきなさい!セカンドオピニオンよ!カンファレンスよ!……とりあえず、湯治客に医者がいないか、探していらっしゃい!それでだめなら、東京から医者を連れてきなさいなっ!」

「「「「ははあ!」」」」

 後から考えると、すごくめちゃくちゃなことを言ってしまったと思う。あの時の私は、自分が何もできないもどかしさと、激しい怒りとで、理性を失っていた。けれど、伊藤さんたちは、私の命令にすぐ従ってくれて、伊香保の湯治宿に、手当たり次第に問い合わせてくれた。

 そして、

「増宮さま!」

30分ほどして、伊藤さんが、私の側に息せき切って駆け付けた。

「見つかりましたぞ、医者が!……いやあ、本当に、皇太子殿下は運がよい!」

「?」

「まさか、ベルツ先生が、伊香保にいらっしゃるとは!」

「ベルツ……?」

(誰だっけ?)

私は、首をかしげた。

「ええ、帝国大学内科のベルツ先生ですよ。数年前まで、教授をしておられたのです」

「帝国大学……?元教授……?」

 帝国大学……前世(へいせい)でいう、東京大学だろうか?

 そこに勤めているベルツ先生って……。

(“ベルツの日記”の、中の人?!)

 思わぬ結果に、私は、その場にへたり込んだ。

三浦先生は、史実では留学中ですが、早めに登場させておきたかったので……。

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