伊香保
1890(明治23)年、7月。
私は、無事に、華族女学校初等小学科の三級生を修了し、9月からの二級生への進級を決めた。
大げさに言ってみたけれど、前世だと、小学校1年から2年に上がった、ということである。
けれど、自動で進級するものだと思い込んでいたら、明治は違った。何と、試験に合格しないと、留年してしまうのだ。初めて知った時はびっくりしたけれど、学習内容は、前世でやったことだから、試験自体は余裕で通過できた。
ちなみに、皇太子殿下は学習院に上がったばかりのころ、百日咳にかかって、長期の欠席を余儀なくされ、試験を受けられずに留年してしまったとのことだった。皇族にも容赦ないな、明治時代……。
今回は殿下も、無事に進級を決めている。首席通過したとかで、伊藤さんがとても喜んでいた。
さて、7月中旬から、華族女学校は夏季休暇に入る。今年は、ほぼ1か月間、伊香保に行くことになった。もちろん、皇太子殿下も一緒だ。
「うらやましいですなあ」
伊香保に出発する数日前、総理大臣の黒田さんが、花御殿にやってきて、ため息をついた。
「こちらは、選挙の後始末と、議会のことで忙しくて……」
7月1日に、第1回衆議院選挙が行われた。板垣退助率いる立憲自由党が、全300議席中124議席を獲得し、第一党になった。ここまでは、“史実”とだいたい同じだと思う。
そして、大隈さんがかつて設立した立憲改進党が、立憲自由党とほぼ同数の120議席を得ていた。やはり、関係の深い大隈さんが条約改正の立役者になったのが大きかったようだ。彼らは政府を支持する方針を固めている。……あれ?“史実”では、立憲自由党と共闘して、政府を攻撃してなかったっけ?
ただ、史実では“大成会”という政府系の党派があったはずなのだけれど、それが見当たらなかった。
「そちらで手伝えなくて、本当に申し訳ないです……」
私は黒田さんに頭を下げた。“史実”の第1回国会と、議員の勢力分布が変わっている。これではもう、国会に関わる“史実”の記憶は、殆ど役に立たないだろう。
「いや、増宮さまに聞かされた状況より、遥かに良いですから、むしろ気が楽です。立憲改進党を味方に、いや、与党にできるのですからな。増宮さまのお話ですと、議会政治を行うに当たっては、内閣が政党を無視して政治を行うのは不可能ということでしたから」
「色々例外はあると思いますけれど……」
歴史上、議会が存在しているにも関わらず、それが骨抜き状態にされている国家はいくらでもある。前世であっても……。
「それについては、私もあまり話せないんです。政治経済は、前世で大の苦手だったので。……転生するってわかってたら、もっとまじめに勉強したんですけれど」
「構いませんよ。“史実”の記憶をもたらしていただけたことだけでも、我々にとって、いや、この日本にとって僥倖です」
黒田さんは微笑した。「まして、かように美しくていらっしゃる。これだけでも素晴らしいことです」
「黒田さん……」
私はため息をついた。「前から言っていますけれど、どうして、こんな市松人形みたいな幼女のことを、美しいといえるのか、私には理解できません」
「今は、髪を結んでいらっしゃいますから、市松人形ではないですが。……その髪型も凛々しくて、素晴らしいですよ」
「あのねえ……」
私はまた、ため息をついた。輪ゴムが手に入ったので、最近はそれで後ろ髪を一つにくくってから、上から更にリボンを結んでいる。ただ、輪ゴムは切れやすいので、前世のヘアゴムのような商品がないのか、探してもらっているところだ。
「ところで、国会はそういう状況ですけれど、“史実”のように、大幅な軍事予算増の予算を提出するんでしょうか?」
話題を変える必要性を感じて、少し顔を上気させている黒田さんに、私はわざと真面目な話を振ってみた。
「軍事予算は多少増えるでしょうが……、“史実”のように、朝鮮半島を押さえるほどの軍隊を整備する金額にはならないでしょう」
「なるほど、軍事の方針が変わっているから……」
“史実”では、第1回国会が開会されたときの首相は、山縣さんだった。彼は総理大臣に就任した当時、「日本の国境を守るために、そこと密接な地域である、朝鮮半島を抑える」という考えだった。それで、「朝鮮半島を軍事的に抑えられるだけの予算」を国会に提出したらしい。それは前世でも気になって、少し調べたので知っていた。
――なるほど、確かに、いい考えだ……と言ったであろうな、昔のわしなら。
立太子礼の後、“梨花会”のメンバーで話し合っている時、山縣さんはこう言った。
――昔のわし?
私が尋ねると、山縣さんは、「ええ、昔なら、です」と答えた。
――増宮さまのお話を聞いて、その末路に思いを馳せると……今ではとても、そんな考えはできません。今は内務大臣を仰せつかっておりますが、一介の武弁であるこのわしは、本来は、戦のことのみに注力する方が、よいのでしょうな。
山縣さんはそう言って、薄く笑った。
という訳で、軍事・外交の方針としては、朝鮮半島からはさっさと手を引いて、清にゆだねてしまい、清とは友好関係を築く、というのが、当座の方針となった。ただ、清はイギリスをはじめとする列強に狙われていて、香港など、いくつかの都市や地域が、列強に割譲されるなど、蝕まれ始めている。
さらに、清国内では、西太后と、その甥の光緒帝の対立が“史実”で起こる。日清戦争では、その対立で国力が削がれたことも、日本の勝利の一因になったのだけれど……。
――清には、もうしばらくの間、“張り子の虎”でいてもらわねぇとな。おれらの仕事は、朝鮮や清に、列強が変なちょっかいを出すのを防ぐことかね。ついでに、清や朝鮮にも、おれらと戦いたいなんて気を起こさないようにしてもらうと、なおいいか。
――甲午農民戦争は無理かもしれないが、義和団事件は、起こさせないようにしなければなりませんな。
勝先生の言葉に、伊藤さんがニヤリと笑いながら言っていたけれど……これ、多分、何か仕掛けるつもりなんだろうな。
そして、ロシアとも基本、友好関係を保つように努力する。万が一、ロシア関係で何かあった時には、清と連携して対応するようにする。可能なら、“史実”と同じように、イギリスと同盟を結んでおいて、イギリスにも圧力をかけてもらえば、御の字だろう。
ただし、清は、1912年に中華民国に変わる。ロシアも、ロシア革命で帝政が崩壊して、ソビエトになってしまうので、そのことも考えていく必要があるけれど……。
「だから、まずは、万が一の際、ロシアと対抗できるだけの海軍力の保持。これを、10年間をめどに行っていくんでしたっけ。もう、ややこしくて、頭が痛くなりそう……」
「大丈夫ですか、増宮さま?軍事の話ですから、増宮さまのお好きな城郭とも、多少関連はありましょう」
「だって、軍艦の話でしょう?城攻めとか、野戦の話じゃないんだもの……。やっぱりほら、私にとって戦いは、地上でやるものだから……」
私が頭を抱えると、黒田さんはクスリと笑った。
「やれやれ、そのように美しいお方なのに、ご興味が城郭におありとは……。もし増宮さまが戦国の世にお生まれになっていたら、ひとかどの武将になられていたでしょうな」
「なんとでも、言えばいいわ……」
私は、本日何度目かのため息をついた。
(さっさと、伊香保に行って、大臣たちから逃げたい……)
真剣にそう思う。
以前からその傾向はあったけれど、今年に入ってから、大臣たちが花御殿に私を訪ねてくる回数が、増えてきているのだ。
「章子、最近、お前の所に、大臣たちが何回も訪ねてきているが……大丈夫か?皆に、しかられているのではないか?」
最近、高官たちの余りの訪問回数の多さに、皇太子殿下も怪しみ始めている。だから、私への訪問は、兄が花御殿を留守にしている時間にするようにと、伊藤さんを通じて、天皇から“梨花会”のメンバーに伝えてもらった。
東京から伊香保までは、この時代、汽車と馬車を使って、6,7時間ほどかかるそうだ。さすがにそこまでは、大臣たちは来ないだろう。
「まあしかし、ひとかどの武将になれそうだ、とは言え……危険なことはしないでいただきたいですな、増宮さま」
黒田さんにこう言われて、私はドキリとした。
「……何のことですか?」
「とぼけても無駄です。弥助どんから聞きました。先日、10メートルほどの高さから、飛び降りようとなさったと」
「だ、だって……」
私はうつむいた。
先日、皇太子殿下の戦争ごっこの審判役を仰せつかり、戦況が良く見えないので、高い木に登って、下を見下ろしていたのだ。
その時、思いついたことがあった。
(ここから落ちて頭をぶつけたら、……“大津事件”の犯人の名前、思い出せないかな?)
そう考えた私は、枝の上に立とうとした。
――増宮さま!何をなさるおつもりか!
たまたまその場に居合わせた大山さんが、下から大声で叫んだ。
――大山さま、ここから落ちて、頭をぶつけたら、何か思い出せないかしら?
私は、“大津事件”の犯人の名前のことを指して言ったのだけれど、
――ダメです!飛び降りないでください!
大山さんが、ものすごく怖い顔をしたので、仕方なく、木を伝って普通に地面に降りた。
――色々、解決するかもしれなかったのに……。
下に降りた私は、大山さんに抗議したけれど、
――それでもダメです!御身に何かあっては、本末転倒です!
大山さんにこっぴどく叱られ、“いくら記憶を思い出すためであっても、自分を傷つけるような危ないことは、決してしないように”と、彼に約束させられた。
「弥助どんが居てくれましたから、よかったようなものの……」
黒田さんはため息をついた。
「でも……何とかして、“大津事件”の犯人の名前を思い出したかったから……」
「増宮さま、お気持ちはわかりますし、とてもありがたく思いますが、やはり、増宮さまの御身に何かあれば、弥助どんの言う通り、本末転倒になってしまいます。記憶を思い出すためとはいえ、御自らを傷つけるような真似は、二度となさらないでいただきたく、お願いします」
「うーん……でも、それは黒田さんと大山さんの希望よね?」
「増宮さま……申し上げておきますが、これは、我々“梨花会”の全員だけではなく、天皇皇后両陛下も同じお気持ちですぞ」
(陛下と、お母様が……)
一流の人物だらけの“梨花会”全員と、この世で最も畏れ多い両陛下の意向なら、逆らうことはできない。
「それに、増宮さまの御身に何かあれば、皇太子殿下もお悲しみになります。“大津事件”のことは我々で進めますゆえ、増宮さまは、ご心配なさいませぬよう……」
「わかりました。そこまで言われてしまっては……」
私はため息をついた。
(できることが、本当にない……)
焦る気持ちばかりが、強くなった。
7月20日、私と皇太子殿下は、伊香保に向かった。
朝、上野から汽車に乗り、現地に着いたのは、夕方近くになっていた。
幅3,4mくらいの石段の道の両側に、木造の温泉旅館が並んでいる。このまま前世に持ってきたら、レトロな風景として人気が出そうだ。
「すごい段数……」
普段走り回って、身体を鍛えているけれど、この石段の長さはこたえる。少し立ち止まって、息を整えた。太陽はじりじり照り付けているけれど、高地にあるからか、風は涼しい。
「章子、遅いぞ」
殿下は、とっくに石段の上まで、上り詰めていた。
「兄上が速すぎるのです!……みんな、追いついていないではないですか」
私は殿下に抗議した。子供よりも足の速いはずの侍従さんたちが、殿下の歩く速さに、全く追いついていない。生粋の軍人であるはずの橘さんや、大山東宮武官長まで、あっさり殿下に置いて行かれている。
「ははは……まあ怒るな。しかし、暑いな……」
「暑いですか?」
私は、階段を上りながら殿下に尋ねた。
「うん、いつもよりも、息が切れるような気もするな……」
「殿下、大事ないですか?」
私の少し前を歩いていた橘さんが、ようやく殿下に追いついた。
「師匠、大丈夫だ」
「本当ですか?いつもより、心なしか、顔色もお悪いような……」
「軍人たるもの、これしきでへこたれてはいけないだろう」
殿下は、立太子礼の時に、国軍の歩兵少尉と海兵少尉に任命されている。名誉職的な意味合いが強いけれど、自分は軍人である、という認識があるのだろう。
「……その考え方、私は嫌いです、兄上」
ようやく殿下のいる段まで階段を上り、私は言った。「鍛錬ももちろん必要ですけれど、きちんと自分の状況を把握して、上長に報告しなければ……いざと言う時、最大のパフォーマンスが発揮できないとなると、作戦の遂行にほころびが出ることにもなりかねないかと……」
「増宮殿下は、時折、難しいことをおっしゃいますな」
橘さんが言った。
「癖ですから、気にしないでください、師匠。……兄上?」
殿下は、後ろを振り返って、ぼーっと突っ立っていた。兄上、ともう一度呼ぶと、「あ、ああ、章子。見てごらん、良い景色だ」と微笑した。
「確かに……東京では見られませんね」
山の峰が幾重にも連なっているのが分かる。和歌に長けている天皇ならば、一首読むところなのだろうな、と思った。残念ながら、私には全く歌心がないので、そんな芸当はできない。
(風は涼しいし、景色はいいし、大臣たちは来ないし……最高じゃないか!)
私は内心、躍り上がりそうになった。
(絶対、最高の1か月にしてやる!)
そう誓った。
けれど、その思いは、たった一日で、打ち砕かれることになった。
皇太子殿下が、高熱を出して、倒れた。
それは、伊香保御用邸に入ってすぐ、7月21日のことだった。