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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第3章 1889(明治22)年小満~1890(明治23)年大寒
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フラグ、立つ

※宮家の数にミスがあったため修正をしました。(2019年1月26日)

 1890(明治23)年、1月26日、日曜日。

 私は、満7歳の誕生日を無事迎えられた報告をする、という名目で、皇居に参内した。

「陛下、お加減はいかがでしょうか?」

 天皇(ちち)お母様(おたたさま)、そして爺しかいない部屋で、私は天皇(ちち)に尋ねた。

「ああ……うむ、正月に引いていた風邪なら、ちゃんと侍医にみせた。もうすっかりよい」

「それはよかったです」

 私が一礼すると、

「ちゃんとそなたの言う通り、侍医にみせたのだからな」

 天皇(ちち)は、若干自慢気に言った。

(何も、そう胸を張らなくても……)

と思ったのだけれど、そういえば、天皇(ちち)は医者を苦手としていることに思い当たった。

「あらあら」

 そんな天皇(ちち)を見て、お母様(おたたさま)は、クスリと笑う。爺も、ニヤニヤしていた。

「何がおかしい、天狗(てんぐ)さん」

 天皇(ちち)お母様(おたたさま)を、軽くにらむ。時々、お母様(おたたさま)のことを、天皇(ちち)は“天狗さん”と呼ぶ。

「いいえ、別に」

 お母様(おたたさま)の答えに、「ふん、まあよい」と返すと、天皇(ちち)は私に向き直って、

「ところで章子、伝えておくことがある」

と、いつもの厳めしい顔で言った。

「はあ、何でしょうか」

「欧州に行っている威仁(たけひと)から、電報が届いた」

(たけひと……って誰だっけ?)

 少し首を傾げた私に、

「ああ、有栖川宮(ありすがわのみや)若宮(わかみや)殿下ですね」

爺が教えてくれる。

 この時代は、宮家が多い。有栖川宮の他にも、山階宮(やましなのみや)小松宮(こまつのみや)伏見宮(ふしみのみや)久邇宮(くにのみや)北白川宮(きたしらかわのみや)閑院宮(かんいんのみや)梨本宮(なしもとのみや)華頂宮(かちょうのみや)と合計9つの宮家があるそうだ。

 有栖川宮家の現在の御当主は、熾仁(たるひと)親王だ。その有栖川宮家の若宮殿下ということは、熾仁親王の跡継ぎである。

(いずれ覚えないといけないけれど、前世(へいせい)の宮家と、名前が全然違うし、数も多いから、正直訳が分からない……)

 頭を抱えたい気持ちでいると、

「ロシアの皇太子殿下は、来年、日本を旅行されるので、よろしく取り計らってほしい、とロシアの皇帝陛下から伝達されたとのことだ」

天皇(ちち)が言い、私は思わず目を見開いた。

「陛下……来年の、いつということはわかりませんか?」

「我が国に到着するのは、おそらく5月の上旬になるだろうとのことだ」

「5月ですか……」

(大津事件のフラグが、立っちゃったよ……)

 私は、ため息をついた。

 ロシアのニコライ皇太子が、警備中の巡査に襲われる“大津事件”は、“史実”だと、来年の5月だ。

 今は、“史実”と違い、去年の12月に、ロシアとの間に新しい通商航海条約を結ぶことができたので、治外法権は撤廃されている。けれど、まだ不平等条約は完全には解消されておらず、関税自主権の回復を残している。

 事件の対応を間違えば、下手をすると、条約改正がスムーズにいかなくなってしまう。

「章子……やはり、“大津事件”の犯人の名は思い出せぬか?」

天皇(ちち)の問いに、

「ごめんなさい……」

私は頭を下げるしかなかった。

 私の“史実”の記憶で、不自然に欠落している2か所。

 その一つが、“大津事件”の犯人の名前だ。

 前世で、生徒に教えた記憶もある。板書もした記憶もある。

 なのに、犯人の名前だけが、どうしても思い出せないのだ。

 ちなみに、もう1か所は、私の輔導主任である伊藤さんを、“史実”で殺した犯人の名前である。

 名前さえ思い出せれば、犯人をその場に近づけさせないようにすることぐらいはできるのだけれど……。

「ふむ……ならば、“大津事件”は起こるものとして、考えていくほかないな」

 天皇(ちち)は言った。

 室内が、重苦しい雰囲気になった。

「一応、犯人の処刑だけは、できますな」

 爺が言った。

 “史実”では、列強の皇太子を傷つけたという前代未聞の事件に、日本は大騒動になった。「ロシアに攻められるのではないか」という不安が、世間を覆いつくした。それで、“皇室に対する罪”、いわゆる不敬罪の罰則を適用して犯人を死刑にすべきだ、とか、緊急勅令を発動して、死刑を強行すべきだ、という論議が巻き起こった。内閣も、犯人を死刑にするよう、裁判所に圧力をかけた。

 結局、裁判所は、「外国の王族に対し、危害を加えた時の法律が規定されておらず、通常の謀殺未遂罪を適用するしかない」という理由で、犯人を無期懲役に処した。

 「司法の独立」を語る上では、有名な逸話なのだけれど、その当時、政治の中枢にいる人間たちにとっては、本当に薄氷を踏むような思いだったに違いない。

 私が“梨花会”の面々に、“大津事件”の話をしたときに、“もし発生したら、犯人をどう処罰するか”が問題になった。

 そこで、外国の皇族や、元首・使節などが来日したときに、傷害事件が発生した場合の規定が定められることになった。皇帝・皇后・皇位継承者・元首・使節代表に危害を加えたり、危害を加えようとしたりした場合は死刑か無期懲役という条文が刑法に加えられ、昨年施行されている。

――この条文に依った判例が、出てほしくはないが……。

 山田さんはそう呟いていた。

「爺、犯人の処刑はできるけれど、……何とかして、事件そのものを起こさないようにしたいわ」

 これも、“梨花会”のメンバーと、散々話し合った問題だ。

 まず、ニコライ皇太子を、事件発生地である大津に行かせない、という案。

 けれど、これは、皇太子本人が希望してしまえば、今の日本とロシアの国力の差を思えば、逆らうことができない。

 次善の案としては、大津での警備を強化する、というものだけれど、警備の警官が犯人なので、強化した警備陣の中に、犯人が紛れ込むことは、十分にありうる。軍隊が警備する方法もあるけれど、歴史が変わって、犯人が警備中の軍隊に所属しているという可能性も否定はできないのだ。

 私の“史実”の知識によって、変わった現在の状況。

 それが大津事件を防いでくれるのか、それとも逆に深刻な展開にしてしまうのか、私にはさっぱりわからない。

「琵琶湖に体長100メートルの妖怪が出るという噂を流して、琵琶湖が危険地帯だとロシアに思わせるとか……」

「増宮さま……それは、京都や大津の住人にも混乱を巻き起こしましょう」

「となると、ニコライ皇太子の一行が大津に行く直前に、“鉄道を爆破する”とか偽の犯罪予告を流して、“安全のために琵琶湖に行かないでください”ってロシア側にお願いする手段もダメか……」

「なぜ、そんな発想ができるのですか……そもそも、それも京都や大津の住人に混乱を与えます」

「ごめん……ダメもとで言ってみた」

 私と爺のやり取りを聞いているお母様(おたたさま)が、クスクス笑っている。

「あと、ニコライ皇太子の周りを、武術の達人で固めちゃうとか?ボディーガードとかSPみたいに」

 私がため息をつくと、

「待て、章子」

天皇(ちち)が言った。

「ぼでぃーがあど、というのはなんなのだ?」

「え?……ああ、英語だからですね。日本語に直すと……護衛かな?例えば、移動の時に一緒に馬車に乗ったり、ずっとそばにぴったり付き添ったりして、警護する人のことなんですが……」

 すると、

「あら……馬車には、女官と一緒に乗ることが、ほとんどですが……」

お母様(おたたさま)が、のんびりとおっしゃったので、私は思わず態勢を崩した。

「ちょっと待ってください、お母様(おたたさま)……それ、女官さんが武術の手練れならいいんですけれど……馬車が襲われたとき、どうするんですか。SPをつけないとまずいんじゃ……」

 前世へいせいだと、総理大臣や大統領、もちろん皇族や外国の王族には、ボディーガードやSPがしっかりついて、常に警護していた。もしかしたら、この時代、そういう習慣がないのだろうか。

「だから章子、その、えすぴー、というのは、一体何なのだ……」

 天皇(ちち)が、少しいらいらしている。

「ごめんなさい、陛下。……私、前世では平民でしたから、断片的に聞きかじった知識でしかないのですけれど……」

 こう前置きをして、私は、ボディーガードやSPについてのことを、両陛下りょうしんに説明した。けれど、殆どがドラマや漫画で得た知識だから、あいまいな点も多い。第一、ドラマみたいに、格闘技や各種の武術に長けて、射撃も一流で、礼儀作法も完璧で、外国語にも堪能で、いざとなれば自らの身を盾にして、殉職しても護衛対象を守る……という完璧超人って、現実にいるのだろうか?

「ふむ……なるほどな。将来は、皇族だけではなく、国家の要人にも、つけなければならないだろう。特に伊藤には、女遊びを抑える意味でも、真っ先につけておかねばな」

 私のしどろもどろな説明を聞き終わった天皇(ちち)は、腕組みしてこう言った。

「いや、確かに、伊藤さんは“史実”では暗殺されていますけれど……そんなに女好きなんですか?」

「うむ、毎晩のように、芸者を侍らしているし、時には一晩に何人も呼ぶことも……」

(そんな女好きが、東宮大夫と輔導主任をやってて、私と殿下の教育上、問題ないのかな?)

 彼に養育されている立場の私としては、若干心配になる。

「それよりも、その、護衛の話だ。来年の5月に、間に合うようにできるのか?」

「一から養成してしまえば、時間がかかる話になるでしょうね」

 爺が指摘した。

「何とかなっても、露国(せんぽう)が、陪乗を許すような身分でなくてはならないだろうな……とにかく、朕から、“梨花会”に話してみよう。人選については、二三、心当たりもある」

(え?そんな完璧超人、いるの?)

と思ったけれど、すぐに、いるのかもしれないことに思い至った。

 なにせ、今の政府のお偉方は、ほぼ全員が、幕末という動乱の時代を潜り抜けているのだ。当然、腕に覚えのある者もいるだろう。

「それから、実際に起こった時の対応は、もう少しきちんとしておく方がよいと思います。お見舞いは、行かなければならないでしょうね」

 お母様(おたたさま)が言う。

「そうですね……確か、陛下がお見舞いをなさった、という記述を、教科書で見た記憶があります」

 私が答えると、

「見舞い、か……」

天皇(ちち)が呟いた。

「大津で生じる、ということならば、ニコライ皇太子殿下の宿所は京都であろうから……東京から行くとなれば、汽車に乗って、名古屋あたりで1泊して、2日がかりか、堀河?」

「陛下、強行軍にはなりますが、早朝に新橋を発てば、何とか、日付の変わる前に、京都に着くことはできたはずです」

「あー……そんなに時間がかかるんですね……」

 前世(へいせい)だと、東京―京都間は、新幹線を使えば、最速で2時間半もかからなかったはずだ。

「新幹線が使えないんだったら、もう、事件発生時に、陛下も京都にいらっしゃるようにするほうがいいんじゃ……」

 私のつぶやきに、天皇(ちち)が目を瞠った。お母様(おたたさま)も、爺も、驚きの表情で私を見つめる。

(あ、……もしかして、やらかした?)

「ご、ごめんなさい。新幹線のことは、忘れていただけると……」

 私は慌てて頭を下げた。

「いや、それも後で聞かんとあかんけど、……朕が最初から京都に居る、か……」

 天皇(ちち)の言葉が、標準語から離れた。

「しかし……朕が京都に居る理由を作らねば、露国(せんぽう)に、怪しまれるぞ?」

「えーと、……京都御所?」

「御所?御所がなんで、朕が京都に居る理由になるんや?」

「御所の案内です!……庭だとか、建物自体とか、美術品とか、……御所だから、一級品ですよね?そういうのを、ニコライ皇太子殿下に、見ていただければいいんじゃないですか?ビューティフル・エキゾチック・ジャパン!みたいな」

 最後の方は、何を言っているのか、自分でもよく分からなかったのだけれど、

「ふ……ははははは!」

天皇(ちち)は、実に愉快そうに、笑った。

「確かにその通りや……西洋には西洋の美しさがある、我が国にも我が国の美しさがある。御所を通じて、国賓に、我が国の美しさを紹介するというのは、朕が京都に向かう、立派な理由になる」

「しかも、陛下がいらっしゃるとなれば、侍医も連れていけます。万が一、ニコライ皇太子が負傷されたとしても、治療に万全の体制が取れるのではないでしょうか?」

お母様(おたたさま)も横から提案する。

「いっそ、高官も、何人か連れて行けば……」

「爺、ある程度人間を選抜しないと、ロシアの公使への説明だとか、諸外国への対応だとかは、東京でやらないといけないこともあるだろうから、これはまた、伊藤さんや大隈さんとも相談しないと……」

「しかしまあ……ちょっとずつ、対策が見えてきたか。本当(ほんま)に、面白いことを思いつくのう、章子は。伊藤や三条でも、朕に京都におれ、とは、思いついても、朕に遠慮して、よう言えんやろ」

「え……」

 私は天皇(ちち)の言葉を反芻して、慌てて立ち上がった。

「も、申し訳ございません!ご無礼をお許しください!」

 最敬礼すると、天皇(ちち)がまた笑った。

「よい、よい。親娘(おやこ)やろ。それに、そなたは常の姫とは違うゆえ、何があっても驚かんわ」

「は、はあ……」

 私はじっと頭を下げたままだった。

「まあ、それでも、そなたが朕に詫びたい、と申すなら……新幹線、というものについて説明してもらおうか」

「は?」

「“授業”の時にも、ちらっと聞いたけど……それは、どの位速い乗り物なんや?それから、自動車とか、高速道路とか……。前から、ちゃんと聞かなあかんと思ってたけど、今日がその機会のようや」

(ちょっと待て……)

 城郭のことではないから、専門外ですよ、と答えようとして頭を上げたら、天皇(ちち)の目がキラキラしているのが分かった。

(あ、これ……刀を見てる時と同じ目だ……)

「わかりました……専門外ですが、可能な範囲で答えさせていただきます」

 私は観念して、ため息をつきながら答えた。

 それから、昼食をはさみながら、新幹線をはじめ、自動車や飛行機、高速道路や鉄道のことなどを話していたら、午後3時を過ぎていて、私は花御殿に戻らなくてはならなくなってしまった。

(本当になあ……)

 私は、花御殿に戻る馬車の中でため息をついた。

 私の不完全な記憶のせいで、両陛下(りょうしん)や“梨花会”の面々に、迷惑をかけてしまっている。

 そして、お正月に爺に言われた、“できること”というのも、私にはよくわからない。

(どうしたらいいんだろう)

 満7歳になった一年は、こうして始まったのだった。

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