お正月(1)
1890(明治23)年、1月1日。
私は、皇太子殿下と一緒に、両陛下に新年のご挨拶を申し上げるために参内した。
(歴史が、変わっちゃったなあ……)
宮殿の中を歩きながら、私は条約改正のことを思った。
1889(明治22)年12月17日の官報に、去る11月2日に、日英通商航海条約がロンドンで締結されたことが公表された。続いて、12月26日の官報にも、11月15日、日独通商航海条約がベルリンで締結されたことが公表された。
徳川幕府が諸外国と結ばされた不平等条約、それが改正され、治外法権が撤廃されたのだ。
ただ、5年後の発効までに、民法や商法などの法典を整備しなければならない。
そして関税自主権も、まだ日本の手には取り戻せていない。
けれど、これは大きな一歩と言ってよかった。
――これを足掛かりにして、残る欧米各国との条約改正に着手する。
私が同席させられた立太子礼の際の高官会議で、黒田総理大臣は決意を新たにしていた。
――となると、次の目標はドイツだな。ドイツが条約改正に応じれば、オーストリア、ロシア、イタリアも条約改正に応じよう。
――その通りじゃな、伊藤さん。そしてアメリカ、最後にフランス……。これでよかろう。
伊藤さんと大隈さんのやり取りの意味がわからなくて、私が呆然としていると、
――ちょっと待った。増宮さまが分かってねえ。確認にもなるから、理由をちゃんと言ってくれや。
勝先生が、実にいい助け舟を出してくれた。
――ああ……三国同盟の話をされていたので、既にこの順序については、増宮さまも考えられていたのかと思いまして……。
伊藤さんの言っていることの意味が、私にはまた分からなかった。
――ええと、三国同盟って、ドイツ・オーストリア・イタリアの?
確認すると、その通り、と伊藤さんがニヤリと笑った。
――フランスがイギリスとともに日本に接近し、治外法権の撤廃のみならず、関税自主権も回復した平等な条約を結ぶことや、軍艦の無償提供を対価にして日本と手を結び、三国でドイツの中国大陸での利権を奪おうとしている。それを防ぐには、日本を文明国として認め、アジアにおけるフランスへの対抗馬にすればよかろう……という噂を、今ドイツのしかるべき箇所で、盛んに流しているところです。ドイツの外務大臣が、“条約改正に応じるから、フランスとの密約に乗らないでくれ”と言って、交渉に積極的に応じてきたと、西園寺君が報告してきましたな。調印も秒読みの段階であるとか……。
――はい?
伊藤さんの言葉に、私は椅子からずり落ちそうになった。
(う、噂を流したって……これって、スパイとか謀略とか、そういう話?!)
――ドイツは、いや、ビスマルク翁はと言うべきでしょうが……欧州に複雑な同盟関係を築き上げております。目的はただ一つ。普仏戦争に敗れたフランスが、ドイツに復讐戦を挑まぬよう、フランスを国際的に孤立させることです。たとえ植民地であれ、フランスがドイツの利権を奪おうとすることは、ビスマルク翁には面白くないでしょうな。その感情を利用させてもらったわけですよ。
伊藤さんの笑顔が、とても恐ろしいものに見えた。
――そして、ドイツと直接同盟を結んでいるイタリア、オーストリアも、ドイツの決定には従うでしょう。イタリアは王国としては新興の部類、オーストリアは勢いを落としつつある。どちらもドイツに逆らう力はない。そして、ドイツとロシアは、個別に再保障条約を結んでおり、経済的な関係も密接です。というより、ドイツ資本がロシアに相当食い込んでおりますので、ロシアも目立つ形ではドイツに反発できない、というのが実情でしょうな。
――要するに、ドイツが条約改正に応じたら、ドイツと関係が深いイタリア、オーストリア、ロシアも応じるだろう、ということですね。でも、なぜ、まずドイツからなのですか?
――いい質問ですな。それは増宮さまの知識があるがゆえ、でございます。
――伊藤さん、それは一体どういうことですか?私にはさっぱり……。
――おや、お忘れですか?増宮さま。
伊藤さんは、怪訝な顔をした。
――ビスマルク翁が失脚するのが1890年、つまり来年とおっしゃっていたではないですか。ドイツからの情報も、新しい皇帝……ヴィルヘルム二世とビスマルク翁の不仲を伝えております。このまま行きますと、“史実”の通り、ビスマルク翁は失脚し、皇帝の親政が始まるでしょう。“史実”でも、今の皇帝の親政下での条約改正はできたようですが、“黄禍論”を唱えるような御仁の親政の最初に、我が国との条約改正問題が上がれば、いたずらに彼の御仁を刺激しかねません。その意味でも、ビスマルク翁がまだ現役のうちに、ドイツとの交渉は終わらせておきたいと思いましてな。
ドイツ帝国皇帝・ヴィルヘルム二世は、1888年に即位した。
“史実”では、“鉄血宰相”・ビスマルクを1890年に失脚させると、世界進出に乗り出していく。
その過程で、ヴィルヘルム二世が唱えたのが“黄禍論”だ。
“黄色人種がアジアから白色人種を追い出そうとしており、ヨーロッパ諸国はキリスト教文明を守るために黄色人種と対決すべきだ”という――一種の人種差別論である。
――ふふ、ビスマルク翁に見破られるかと思ったが、新しい皇帝との関係と、労働者問題に苦慮している様子。東洋の小国にまで気を回す余裕はないと見える。
山縣さんのつぶやきに、
――フランスとアメリカはどうとでもなろう。まあ、イギリスの時と同様に、正面裏面ともに、取りうるすべての手段を使わせてもらうことに、変わりはないがな……。
大隈さんがこう言って、忍び笑いを漏らす。
――相手を思うままに動かすことこそ、上策ですからなあ。
西郷さんはのんびりした口調で、とても怖いことを言った。
(ヤバい……この人たち、マジでヤバい!)
私の目の前にいるこの人たちは、日本を作り上げ、そしてこれからの日本をリードしていく人物たちなのだ――そのことに改めて私は気づき、心の底から震えたのだけれど……。
「どうした、章子、顔色が悪いようだが」
新年のご挨拶を天皇に申し上げると、天皇にこう聞かれた。
「いえ、何でもありません……」
まさか、自分の輔導主任たちの本気が怖いから、とは言えない。
その代わり、私は別のことを尋ねた。
「あの……陛下こそ、ご体調は大丈夫なのでしょうか?」
私の侍従さんから、天皇が風邪を引いていると聞いたのだ。
「う、うむ……」
天皇は頷いたそばから、乾いた咳をした。
診察しましょうか、というセリフを、私はぐっと飲み込んだ。
私の隣には、私の前世のことを全く知らない、皇太子殿下がいる。
6歳の私が、いきなり天皇の診察を始めたら、殿下は何が何だかわからないだろう。
それに、前世で私が医者として働いた期間は、たったの3か月だ。
医学の知識こそ、今の時代の医者よりあるだろうけれど、経験値と言う意味では、今の時代の医者に負ける。
経験が少ない私より、天皇の側に控えている侍医さんたちが診察する方が、結果的には安全だ。
(陛下の身体に何かあったら、国の一大事だし……研修医ごときが手を出していい事柄じゃないものねえ……)
「お大事にしてください、陛下。26日の参内の時に、ゆっくりお話ししたいです」
私はこう言って、頭を下げた。
今月の26日は、私の今生での誕生日だ。その日には、成長報告ということで、参内することになっている。日曜日で学校も休みなので、昼食も挟んで長時間皇居に滞在する。
「……風邪、きちんと、お医者様に診察してもらってください、ね?」
去り際に念を押したら、天皇は、「わかった、わかった。ちゃんと診せる」と、京言葉で苦笑しながら答えた。
皇太后陛下のいらっしゃる青山御所に新年のご挨拶に寄ってから、花御殿に帰宅すると、今度は、殿下と私が応接間の上座に座って、色々な人から新年のあいさつを受ける。
各宮家の代理としてやってきた執事さんたちや、伊藤さん、山縣さん、黒田さん、井上さんといった政府高官が、次々と押し寄せた。
(年賀状を出せば、それでいいんじゃないかなあ?)
と思うけれど、
「そういう訳には参りません!麗しい増宮さまの姿を拝見しなければ、一年が始まりませぬ!」
と伊藤さんにも山縣さんにも断言されてしまった。……だから、なぜこの“呪いの市松人形”を、“麗しい”なんて表現できるんだ。
新年早々、ツッコミを入れたくてしょうがなかったけれど、隣に殿下がいたのでぐっとこらえた。
国軍大臣の西郷さんは、自分の部下の山本権兵衛さんと、児玉源太郎さんという人を連れてきた。今の国軍省の次官と、参謀本部長らしい。
「西郷さんが連れてくるということは、きっと将来の大人物なのでしょうね」
二人とも、私の“史実”の記憶にない人だ。とりあえずそう言って、にっこり笑っておいた。二人とも感極まったように最敬礼していたけど……一体、西郷さんは、彼らに私のことをどう話しているんだろう?三人が退出すると同時に、私は廊下に出て、西郷さんを呼び止めた。
「西郷さん、ちょっと確認したいことがあるのだけれど……」
私が未来から転生してきたということは、天皇が内々に勅令を下して、おととし7月の“授業”に参加したメンバー以外には漏らさない、という決まりになっている。
ちなみに、私を中心としたこの会合の名前は、“梨花会”と呼ぶことになった。
当初、“最高会議”や“中央会議”などと呼ぶ案もあったのだけれど、あまりにもそのままなネーミング過ぎて、防諜の観点からは好ましくないのではないか、という意見が出た。
それを聞いて、「カモフラージュもできるから、“日本城郭研究会”でどうか」と私は提案してみたけれど、「それで喜ぶのは増宮さまだけです」と、全員に却下された。
結局、私の前世の名前を取って、“梨花会”と呼ぶことを三条さんが提案し、それで全員の了承が得られた。
――わしの号は、“梨堂”と言いますのや。畏れ多いことなれど、増宮さまと、ご縁を感じますなあ。
三条さんはこう言って、にっこり笑っていたけれど……。
それはともかく、この“梨花会”には、今後の日本を担う人材も、折を見て入れなければいけない。
例えば、“史実”で“最後の元老”として知られる西園寺公望、名財政家として有名な高橋是清、“平民宰相”原敬などが、“梨花会”入りの候補になるだろう、ということは、メンバーの間での話し合いで決まっている。
もちろん、皇太子殿下にも、“梨花会”のことをいずれ知っていただかなければいけない。
だけど、児玉さんと山本さん、この二人は果たして、将来の日本を担える人材なのだろうか?そう思って、西郷さんに駆け寄ったのだけど、西郷さんは何を思ったのか、私の身体をひょいと持ち上げて、抱っこした。
「ちょっと、西郷さん、何するんですか!」
私の抗議などどこ吹く風、西郷さんは、「んー、ちょいと、重くなりましたか?」とのんきに言っている。
「そのセリフ、女子には禁句です。……ていうか、下ろして!」
もう一度抗議してみたけれど、下ろしてくれる気配がないので、私は西郷さんに抱っこされるがまま、じっとすることにした。
と、
「増宮さまは、あの二人が増宮さまのことを知っているのかと、お聞きになりたいのでしょう?」
西郷さんが私の耳もとで、囁いた。
「ご心配なく。彼らには明かしておりませぬ。ただ、二人とも敏いので、増宮さまに並々ならぬ智謀があることに、気が付いておるようです」
「西郷さん、私はもともと、城郭オタクの研修医です。戦国時代の戦いの知識なら多少あるけれど、近代戦の考え方など、何一つわかりません。智謀があるわけがないでしょう」
私も西郷さんに小声で返した。
「おたく、というのはよくわかりませんが……恒久王殿下との戦争ごっこの一件は、国軍で大評判ですぞ。“幼いながら智謀あふれる内親王殿下と、その策をためらいなく用いる、将来の大器の片鱗を見せられた皇太子殿下”と……」
「なんでそんな大げさな話になるのかしら……私はうっかり、城郭オタクとしての本気を出してしまっただけなんだけれど……」
私がため息をつくと、西郷さんは小さな声で笑った。
「まあ、増宮さまは今まで通り、何か気が付いたことを、俺に言ってくださればよいのです。それを俺が、あの二人に伝えます」
「うーん……しかし、あの二人、本当に優秀なのでしょうか?児玉さん、という人は知らないですし、山本さんは……権兵衛なら知っているのですけど」
確か、山本権兵衛なら、“史実”で二度、総理大臣を経験している。ただ、一度目は、“ジーメンス事件”と言う海軍をめぐる汚職事件が発覚して辞任、二度目は、関東大震災からの復興と普通選挙制を押し進めようとしたけれど、摂政宮(昭和天皇)が狙撃される事件が起こって、その責任を取って辞任したはずだ。申し訳ないけれど、あまり仕事をした印象がない。
「あの二人は、仕事ができますので、俺は信頼して任せとります。まあ、“梨花会”に入れるかは、状況次第ですなあ。皆様の了承も得なければなりませんしなあ」
「わかりました。……あのー、西郷さん?早く私を下ろさないと、大山さんに殴られますよ?」
廊下の少し先で、児玉さんと嬉しそうに話していた大山東宮武官長が、西郷さんに羨望のまなざしを向けている。ややこしいことにならないうちに、私はその場を退散することにした。
児玉源太郎の名前が、底本(「もういちど読む山川近代史」)にないという事態……なんという……。
そして、同じ本に山本“権兵衛”の読みが「ごんべえ」となっているため、正式名称の「ごんのひょうえ」で名乗られてしまった梨花嬢は「?」となってしまっております。




