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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第3章 1889(明治22)年小満~1890(明治23)年大寒
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立太子礼

※地の文のミスを訂正しました。(2019年4月4日)

 1889(明治22)年、11月3日。

 前世(へいせい)では“文化の日”だけれど、この時代では、天皇(ちち)の誕生日だ。

 “天長節(てんちょうせつ)”と呼ぶらしい。

 この9月に、華族女学校の初等小学科に入学した私は、学校に登校していた。

(なんで祝日なのに、学校に登校するの?)

 と思っていたら、授業がない代わりに、両陛下(りょうしん)の写真――いわゆる御真影――を礼拝して、奉祝の祝典をすると言われた。

 また、今回の天長節には、明宮(はるのみや)殿下の立太子礼も行われる。

 登校途中に通った町の様子も、紅白の幕を下げている商家があったり、“奉祝”と書かれた看板が立っていたりして、祝賀ムードに包まれていた。

 祝典では、全生徒を前に、校長の西村先生が講話された。心なしか、いつもより気合が入っているように思えた。

 でもねえ……。

 両陛下(りょうしん)のことを、ここまで賞賛されると……。

 一応、今生では両陛下(りょうしん)の子である私だけれど、何か恥ずかしくて、その場から逃げ出したくてしょうがなかった。

 全校生徒の視線が、私にチラチラ向けられている気もするし、

「あら、今日は“黒姫(くろひめ)さま”も、おとなしくしていらっしゃるわ」

などという、上級生や教師のひそひそ声も聞こえてくる。……お前ら、声ひそめてても、こっちに聞こえてるぞ。

 ちなみに“黒姫さま”というのは、私のあだ名である。

 今年の夏、避暑に行った興津(おきつ)の海で殿下と一緒に泳ぎ、箱根の山で殿下と遊びまわっていたら、少し日焼けしてしまった。その状態で9月の新学期に臨んだら、華族女学校の同級生たちは、みんな色白だったので、日焼けが一段と目立ってしまったのだ。それ以来、私は“黒姫さま”と、同級生にも上級生にも呼ばれるようになった。まあ、“宮様”とか“殿下”と呼ばれるよりは、はるかに気楽だからいいのだけど……。

 困ったのは、この華族女学校は、皇族、特にお母様(おたたさま)のご意向もあって設立された教育機関なので、時折、皇族の行啓(ぎょうけい)御成(おなり)があるということだ。

 入学して早々、皇太后陛下、つまり私の祖母の行啓があった。

 皇太后陛下と顔を合わせる機会は時折あるのだけど、運動場で体操の授業を受けていたら、突然姿が見えたので、思わず動きを止めてしまった。皇太后陛下も「章子(ふみこ)じゃ、章子がおる~」と言いながら運動場に入ろうとしていた。さすがに、御付きの女官さんに止められていたけれど……。

 このほか、年に1、2回の割合で、お母様(おたたさま)も華族女学校に行啓されるそうだ。

 行啓があると、職員生徒にはお菓子が下賜されるので、生徒たちは結構喜んでいる。けれど、私にとっては、授業参観がしょっちゅうあるようなものである。それが辛い所だ。

 それを除けば、学校生活は非常に快適だった。勉強の内容自体は、すでに前世でやっているから、ついていけないという心配はない。唯一の弱点である習字も、毎日のように練習しているので、人並みの成績は取れているようだ。

 学校から花御殿に戻ると、女官の花松さんに、すぐに皇太子殿下の部屋に行くように言われた。

 何があったのかわからないまま、彼女の指示に従うと、皇太子殿下の部屋の前に、伊藤さんと、東宮武官長の大山さんがいた。さらには、総理大臣の黒田さん、ヨーロッパ出張から戻ってきた内務大臣の山縣さん、外務大臣の大隈さん、国軍大臣の西郷さんなどなど、昨年7月の“授業”に参加したメンバーが、爺と両陛下(りょうしん)以外全員、正装に身を固めて顔をそろえていた。

 この人たち、私が花御殿に引っ越してからも、何かと理由をつけて私の所に来るんだよなあ……。

「あら、皆さまお揃いで……」

「増宮さま。……本日も、まことにお美しいことで」

 山縣さんが私に(うやうや)しく一礼する。

「待ってください、山縣さん……その感覚はおかしいです」

 私は山縣さんに冷たく指摘した。

「感覚がおかしい、とは?」

「私のことを美しいと言える、その感覚が、ですけれど」

 この市松人形みたいな幼女を、どうやったら“美しい”と感じるのだろう。

 すると、

「“光輝くばかりに愛らしい”の方が良いですかな?」

山縣さんが真顔で返答したので、私はよろめきそうになった。

「あの……お世辞はやめてください、山縣さん」

「いいえ、世辞は全く使っておりません。と言うより、増宮さまの美しいご容姿は、一般的な美辞麗句ではとても表しきれませぬが……なあ?」

 山縣さんが同意を求めると、その場にいた高官たちが、「さよう」「全くその通り」と言いながら、首を縦に振った。

「あ、あのねえ……私の華族女学校(がっこう)でのあだ名は、“黒姫さま”ですよ。日焼けをした女性は、あまり人には好まれない、と聞いたけれど……それでもあなたたち、私が“美しい”と主張するんですか?」

「白すぎるのも、もう時代遅れやと思います。これからの女子(おなご)は、増宮さまぐらい、少し日に焼けていた方が、よろしいですやろ」

 私の反論に、三条さんがのんびりとした口調で答える。それにも高官たちが一斉に頷いた。

(な、何なのよ、この人たち……)

 更に言い返そうとした私に、 

「増宮さま。皇太子殿下に会っていただけますか」

大山武官長が声を掛けた。

「おお、そうだそうだ。早くご覧いただかなければ」

 伊藤さんもこう言う。

「は、はあ……」

 伊藤さんの言葉の意味がよく分からなかったけれど、殿下の部屋の障子の前に立ち、

「兄上、章子、参りました」

声を掛けると、「おう、参ったか」と殿下の声がした。

「失礼いたします……っ?!」

 障子を開けた私は、息を飲んだ。

 そこには、古式ゆかしい装束に身を包んだ明宮殿下、いや、皇太子殿下が立っていた。

 確か今朝、皇居に参内するときには、軍服だったけれど……。

「どうだ、章子!」

 殿下は得意げな笑顔を私に向けた。その姿はとても凛々しく、子供らしい愛らしさもあったけれど、それ以上に、高貴な雰囲気が全身から漂っていた。

(私みたいな平民が、間近に見ていいものじゃないわ、これ……)

 私はその場に平伏した。

「ん?章子、どうした?この服、わたしには似合っていないか……?」

 殿下が心配そうな顔で、私を見つめる。

「ち、違うんです!その……カッコよくて、あまりにも畏れ多くて、……あ、あの、すごく似合っています!」

 すると、

「ああ、そうか!それは良かった!」

 殿下が、心からほっとした表情になった。

「この服はな、闕腋袍(わきあけのうえのきぬ)という。冠は空頂黒幘(くうちょうこくさく)と言うそうな。どちらもわたしが成年前ゆえの装束だが、この黄丹(おうに)の色は、正式な儀式では、皇太子しか着ることを許されぬ」

 うん、歴史的にも皇太子専用だということは、とりあえずわかったけれど、……名称が全くわからない。

「よかったですな、殿下、増宮さまに喜んでいただけて」

伊藤さんが声を掛けた。「実はですな、装束は、皇居で着替えてしまう予定だったのです。しかし皇太子殿下が、どうしても増宮さまに見せたいとおっしゃって、ここまでいらしたのですよ」

「いやあ、馬車に乗って帰られるときの、観衆の歓声のすさまじいこと。万歳までしてたぜ」

 勝先生が嬉しそうに頷く。

 それは間違いない。思いがけなく、皇太子殿下の晴れ姿が拝めたのだから。

「そうだ章子、一緒に写真を撮ろう。誰か、カメラを持って参れ」

「あ、兄上、そんな……それだったら、着替えてきます」

 私は、フリルが沢山ついた水色のワンピースを着ていた。

 普段は、和服に女袴を着ているのだけれど、式典のある日は洋服を着なければいけないので、この格好である。

 “和服に女袴”は、前世(へいせい)では、卒業式での女性のテンプレ衣装のようなものだ。だから、毎日が卒業式みたいな感じがして、ちょっと変な気分なのだけれど、この時代の洋服は、和服よりお値段が張るのでしょうがない。

 でも、……殿下が古式ゆかしい正装なのに、洋服で釣り合うのかな?

「着替えるには及ばないぞ、章子。……これ、椅子を持って参れ。そうだ、それで章子、椅子に座れ」

 殿下がテキパキと指示をして、あっという間に、撮影の準備が整えられ、私は殿下の隣で、ちょこんと椅子に腰かけた。

「では、撮ります」

 カメラマン役として、殿下の侍従さんを呼んできて、彼の合図で乾板カメラのシャッターが切られた。

「焼き増ししてくれないかのう……」

 山縣さんのつぶやきに、

「嫌だと言ったら?」

伊藤さんが返した瞬間、山縣さんの表情が凍り付いた。

俊輔(しゅんすけ)、どういう意味だ」

「どういうも何も」

(うそぶ)く伊藤さんを、山縣さんが(にら)みつける。

(ちょっと……こんなところで争ってんじゃないっての!)

「はい、そこまで、そこまで!」

 半分呆れながら、私は両手を叩いた。

「皇太子殿下の御前(ごぜん)であるぞ!控えよ!」

 わざと、時代劇のような言い方をすると、高官たちの動きが一瞬止まり、次の瞬間、一斉に殿下に最敬礼した。

「章子、そう怒るな。……そうだ、皆で一緒に、記念の写真を撮ろうか」

 殿下の提案に、高官たちがざわついた。

「……よろしいので?」

 黒田さんが、皆を代表して、という感じで殿下に尋ねた。

「構わん。皆、わたしの周りに並べ」

 すると、高官たちの視線が、私に注がれた。

「あ、あの、増宮さま、隣をよろしいでしょうか?」

 井上さんが言うと、他の高官たちが井上さんを睨みつける。

「聞多さん……いくらあなたでも、ここは譲れませんな」

 山縣さんの表情が硬い。

「さよう、ここは総理大臣であるこの(おい)が……」

「何を言うか。輔導主任のこの伊藤を、差し置くつもりなのか?」

「むむ、ここは吾輩(わがはい)こそが、座を占めるにふさわしい……」

 黒田さん、伊藤さん、大隈さんが睨みあっている。

「……私の隣は、兄上。それしか認めません」

 私はため息をつくと、高官たちに言った。「皆様は、私と兄上の後ろに並んでください。……いいですね?」

 こう強く言うと、私は一度立ち上がり、椅子を更に殿下に近づけて、椅子に座り直した。

 高官たちが残念そうな顔をしているけれど、……無視だ、無視!

「愛されておるなあ、章子は。俺は嬉しいぞ」

 皇太子殿下は私に嬉しそうに(ささや)くと、私の頭を優しく撫でた。


 記念撮影を終えると、殿下は着替えるというので、私と高官たちは殿下の部屋を退出した。

 私も自分の部屋に戻って、和服に着替えようと思ったのだけど、なぜか高官たちに、応接間に連行された。

「実は増宮さまに、ご報告したいことがございまして」

 ついてきた侍従さんに、退出するように言いつけると、伊藤さんは私に一礼した。

「はあ」

 無理やり上座の椅子に座らされた私は、眉をひそめた。

「……あの、これは、大隈さんから言ってもらった方が、よいのではないかな?」

 黒田さんが伊藤さんに提案した。

「確かにそうじゃな。では、大隈さん」

「それでは、報告いたします」

 大隈さんは、少し胸を張った。

「皆様のおかげをもちまして……イギリスとの、条約改正がなりました」

「本当ですか!」

 私は思わず、椅子から立ち上がった。

「治外法権がなくなった、ということでいいんですよね?」

「はい、実際に発効いたしますのは、5年後ですが」

(あ、あれ?)

 私は首を傾げた。

「発効が5年後……?1894年から有効ってことは……」

「どうなさいました、増宮さま?」

 伊藤さんが私に尋ねた。

「ごめんなさい、今、頭が混乱していて……史実では、1894年、日清戦争の直前に、イギリスとの条約改正に成功して、治外法権が撤廃されるのだけれど……」

 条約発効が5年後であるならば、史実でも、1889年に条約改正がされていないとおかしい。

 だけど、史実で、1889年にイギリスと条約を改正したという話はない。私も、バイト先の生徒たちには、“1894年に、陸奥宗光(むつむねみつ)外相が条約改正に成功した”と教えていた。

「増宮さま……おそらく、増宮さまが何かを勘違いされているか、覚えていらっしゃらないか、どちらかだと思います」

 混乱している私にこう言ったのは、山田さんだった。

「増宮さまは昨年、“民法典論争”のことをおっしゃっておられましたが……」

「はい、確かに」

 史実では1890年、つまり来年に民法が公布されたのだけれど、その内容が“自由主義的すぎる”ということで、法曹界から反発を受けた。結局民法は修正を受け、1898年までに公布されたはずだ。

「民法や商法などの法律の整備は、もちろん我が国を統治するためにも必要です。それと同時に、我が国が法治国家であることを諸外国に示し、条約改正にあたっての障害をなくす、という目的もあります」

「は、はあ……」

「ですから、治外法権の撤廃に当たっては、内地雑居(ないちざっきょ)となって、外国人が日本に居住しても困らないように、法を整備することが必要です。増宮さまがおっしゃる“史実”でも、条約が改正されてから、必要な法律整備に時間がかかったと思います。ですから、“史実”で条約が改正されたのが1894年としても、発効したのは、少なくとも民法が成立した、1898年以降ではないでしょうか」

 山田さんの言葉に、私はようやく、前世(へいせい)の参考書の記述を思い出した。

「……ごめんなさい、山田さん。確かに、1894年に条約が改正されて、1899年に発効したと、私も前世で教えていました。思い出しました」

 私は頭を下げた。

 というか……山田さん、私が以前言ったことから推測して、私の勘違いを指摘したってこと?

(こ、この人すごい……)

「確かに、山田どののおっしゃる通り。外交文書で、民法・商法などの法典を完全に施行しなければ、更に条約実施を延期する、という覚書を交わしています」

 大隈さんが頷いた。

「しかし、民法の草案の一部を読ませてもらったが……我が国の実情にそぐわない点もあるように思う。あれは、ボアソナード氏が起草した部分か?」

「伊藤さん、おっしゃる通りです。起草委員の中からも、難解に過ぎる、急進的だという意見もありまして……」

 伊藤さんの質問に、山田さんが答える。

「つまり、改正した条約を、最速で発効させるためには、民法と商法を、5年後までに作らないといけない、ということでしょうか?」

 私が尋ねると、

「公布して施行する、というところまで、やらなければなりません。どう頑張っても、文面が出来上がるのは来年末ですから、議会も始まっております。そちらの承認も必要です」

山田さんの顔が曇った。

「山田さん、手が足りましょうか?」

 黒田総理の質問に、「正直、どなたか手伝っていただければ……と思いますな」と、山田さんがため息をついた。

市之允(いちのじょう)、ならば、金子君と伊東君、それに井上君に手伝うように、わしから声を掛けてみよう。この伊藤も協力する」

「待て、俊輔。実際に条約が発効した場合の、国内の各部署の調整も必要だ。それにも人材を割かなければなるまい」

「かといって、外務(こちら)をおろそかにしてもらっても困りますな。ドイツ、フランス、アメリカ、ロシア……その他の西欧諸国との治外法権撤廃の交渉も、この吾輩のもと、どしどし進めていかなければなりませんからな」

「え?え……?」

 伊藤さん、山縣さん、大隈さんが次々と発言し、私は話についていけなくなった。

(金子さんと伊東さんって?“井上君”って……一体誰?井上さんのことだったら、伊藤さんは“聞多”って呼ぶし……というか、こんな政治の話、私にわかるわけが……)

 こう思った後、気が付いた。

 今は、政治の話かもしれない。

 けれど、それが一つ一つ積み重なって、歴史になっていくのだ、ということに。

(だれど……これ、今後の国家の運営方針に関わる話だから、6歳の子供が聞いていい話じゃないよね……)

 高官たちが議論に熱中し始めたのを見て、私は、自室に戻ろうと、そっと席を立ったのだけれど……。

「増宮さま、いけません」

 私の前に立ちはだかったのは、大山さんだった。

(い、いつの間に?!)

「おいおい、こんないい所で帰っちまうのかい、増宮さま?」

 議論を熱心に聞いていたはずの勝先生も、私に目を向けて、ニヤニヤしている。

「あ、あの、勝先生、これって明らかに、6歳の子供が聞いてはいけない話になってしまっているから、その……」

「これ、増宮さまにとっても、大事な話だぜ。……一歩間違えりゃ、外国の軍艦に名古屋城が砲撃されて、天守閣が燃えちまうような類の話だが……そうなっちまってもいいのかい?」

「それは嫌。絶対にそんなことになってほしくないから、皆さんに協力します」

 勝先生に反射的に答えた後、

(しまった……)

自分の答えた言葉の意味に気が付いて、私はうなだれた。

「じゃあ、座っててくんな。増宮さまがいねぇと、始まらねぇんだ。未来(さき)の知識があるの、増宮さましかいねぇんだからよ」

「はい……」

 自分の性癖をあっさり勝先生に利用された私は、深夜まで及んだ高官たちの議論に、付き合う羽目になったのだった。

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[気になる点] 史実では1890年、つまり来年に民法が公布されたのだけれど、その内容が“自由主義的すぎる”ということで、法曹界から反発を受けた。結局民法は修正を受け、1898年までに公布されたはずだ …
[良い点] 本日読み始めました。 まだ13話ですが、なんとかして早く名古屋城みにいってー‼️ と叫びたい。
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