お転婆姫の就学前教育
「それで、いかがですかな、このごろは?」
「大変です……」
花御殿に引っ越してから3か月ほど経った、5月25日。
伊藤博文枢密院議長が、花御殿にやってきたので、私は彼と二人でお茶をしていた。
ちなみに、伊藤さんの現在の肩書は、「枢密院議長兼明宮輔導主任兼増宮輔導主任」……要するに、明宮殿下と私の養育責任者である。
「おや、どのあたりが大変なのでしょう。増宮さまは、既に、前の世で、医師になるべく学問を修められたと聞きましたが」
不思議そうな表情の伊藤さんに、
「その学問以外のことを、やっているからですよ……」
私はため息をつきながら答えた。
前世だと、学校の始まりは4月からなのだけど、この時代では9月からなのだそうだ。まだ就学前なので、私が今、主にやっていることは、学問ではなくて、習字とピアノ、そして剣道である。
まず朝起きて朝食をとると、必ず1時間は筆を持ち、お手本を半紙に書き写す。先生がそれに朱筆を入れてくれるので、更にまた練習する、の繰り返しだ。慣れないことをしているので、集中力が続かず、つい気が抜けて線が曲がってしまい、そのたびに先生から注意を受けてしまう。
それからピアノの練習だ。両陛下は、私に、日本の楽器を習わせるか、外国の楽器を習わせるか、迷っていたのだけれど、「ピアノがあるのなら、前世の習い事でもメジャーだから、それにしたい」と、私から申し出た。
とはいえ、前世でピアノは習っていないので、こちらも苦戦中だ。今は“バイエル教則本”、という本を弾く練習をしている。前世で小学生の時、同級生が、“ピアノのおけいこでバイエルを弾いてる”と言っていた気がするけれど、それと同じ本なのだろうか?
剣道も始めた。花御殿付きの武官の一人、橘周太さんという人が、剣道を修めているので、その人について習っている。もちろん、武道の類も前世ではしたことがない。竹刀は私の体格に合わせて、短くしてもらったのだけど、振るのが結構しんどい。
そして、橘さんが容赦ないのだ。私の身体は6歳の幼女、橘さんはもちろん成年男子、しかも立派な軍人だから、せめて体格差分の手加減はしてくれていいと思うのだけど、立ち合いの時は、一切の手加減なしなのだ。一度抗議してみたけど、“武官長より、左様せいと言われております”と返されてしまった。
ちなみに、殿下と私に付いている武官長は、陸軍大臣を2月の内閣改造で辞任した大山巌さん、その人である。なんでも、輔導主任に立候補したけれど、天皇の裁定で、伊藤さんに決定してしまったので、「ならば」と武官長に志願したとのことだ。大臣から、めちゃくちゃ地位が下がっている気がするけど、それはいいのか?
そして、明宮殿下がいるときは、彼と一緒に遊んだり、勉強の相手をしてもらったりする。
この殿下が、なかなかに活発で、学習院から帰ってくると、私やご学友を相手に、鬼ごっこや木登りや虫取りをする。紅白に分かれて、戦争ごっこをすることもある。だから毎日、ものすごく運動している。
「ただ、戦争ごっこは、最近は、勝負の判定役をやっています」
「なるほど、恒久王殿下の一件ですか。剣道はまだいいとしても……増宮さま、なかなか、お転婆が過ぎますぞ?」
「だって、皇太子殿下が“これは大事な攻城戦だ”って言いだすから……」
先日の戦争ごっこで、私と同い年の北白川宮恒久王殿下が一方の大将、皇太子殿下がもう一方の大将になった。
私は皇太子殿下の側の軍にいたのだけれど、殿下が、その場の雰囲気を盛り上げるためか、“これは大事な攻城戦だ”と言い始めた。“攻城戦”という言葉に反応した私は、つい、城郭オタクとしての本気を出してしまい、前世で学んだ、戦国時代の合戦や城攻めの知識をフル活用し、完璧な作戦を立ててしまった。
……結果、私の立てた作戦により、恒久王殿下の軍は大敗北した。それ以降、恒久王殿下は、私のことを、明らかに怯えた目で見るようになった。
「何か、陛下は、その件について、おっしゃっていましたか……?」
「“しょうがない”と笑っておられました。“常の姫とは異なる故、もう何が起こっても驚かぬ”と」
「花松さんにも、そう言われます……」
私はため息をついた。
花御殿の職員は、基本男性なのだけど、花松さんは、花御殿の職員の中で、唯一の女性で、私付きの女官である。元は、天皇に仕えていたとのことだ。とてもいい人で、私が外で遊んで、着物を泥だらけにして帰ってきても、
――わたくしは、増宮さまがお元気であれば、それでようございます。
と、ニコニコしながら、着替えを手伝ってくれる。
「まあ、花松さんをあまり悲しませたくないから、ピアノと習字は頑張ろうと思いますけれど、一向に上手くならなくて……伊藤さん、私、才能がないのでしょうか?」
「おやおや……まあ、字は少し、上手になっているように思いますぞ」
伊藤さんが洋服のポケットから、紙を取り出す。中身を見て、私は慌てた。
「ちょ……それ、私が、習字で書いたやつじゃないですか!何で、伊藤さんが持ってるんですか?!」
「何、増宮さまの学習の進度を確認するのも、輔導主任の大事な務めですからな……ふむ、縦線に力が入りすぎる癖が、だんだん取れてきましたな。よろしいことで」
「ちょっと、伊藤さん、恥ずかしいから、返してください、その紙!」
紙を奪い返そうと、手を伸ばしたけれど、伊藤さんはひょい、と紙を私から遠ざけてしまった。
「お断りいたします。増宮さまのご自筆を、皆に見せて自慢しなければ」
「自慢って……やめなさい!こんな下手な字、見せびらかすようなものじゃないです!」
「はっはっは。狂介や聞多の、悔しがるさまが見ものですなあ」
「もう……怒りますよ、伊藤さん!」
私が本気で怒りかけたその時、
「章子、いかがした?」
部屋の入口から、声がした。この花御殿で、私を呼び捨てにする人物は、ただ一人しかいない。
「兄上……学習院から、お戻りでしたか。お帰りなさいませ」
私は慌てて椅子から立ち上がって、兄、明宮嘉仁親王殿下に一礼した。
「出迎えもせず、申し訳ありませんでした。つい、伊藤さまとの話に、夢中になってしまって……」
とっさに猫をかぶった。
私の正体を知っている人に対しては、少し、砕けた物言いをしてしまう。特に、伊藤さんや勝先生とは、本人の人柄も手伝ってなのか、相当フランクな会話をしてしまうこともある。けれど、事情を知らない他人が見れば、礼儀作法がなっていない、と思われてしまうから、必要な時には、こうやって、猫をかぶる。
殿下にもいずれは、私のことを話さないといけない。けれど、まだ9歳だからなあ……。
「よい、章子、気にするな。伊藤議長も、よく来てくれた。章子の相手をしてくれて、ありがとう。息災そうで何よりだ」
学習院の制服姿の殿下は、私たちに向かって、にこりと笑った。
「はっ」
伊藤さんが立ち上がって、礼をする。
(9歳で、よくここまで、とっさに言えるなあ……)
殿下を眺めていると、
「そうだ、章子、今日は学校で、避難訓練、というものをやったぞ」
殿下が私に話しかけた。そう言えば、今日だった。
「兄上、避難訓練、というのは、何ですか?」
もちろん私は知っている。というか、実は、やるように提案したのは私なのだけど、知らないふりをして、殿下に尋ねた。
「うん、章子は、昨年、福島県の磐梯山、と言う山が、噴火をして、大勢が亡くなったのを覚えておるか?」
「はい、存じております」
結局、あの噴火では、500人近くが犠牲になった、とのことだった。史実通り、集落の水没も発生してしまっている。
「あの山は、1000年近く、噴火していなかったそうだ。だがもし、磐梯山が噴火すると想定されていて、予め、皆が逃げる方法などを知っておれば、人の犠牲は少なくなったであろう。噴火だけではない。この日本では、地震もたくさん起こるし、津波もあるし、風水害も起こる。そういう時にも、避難が適切になされれば、助かる命も多くなるはずだ。それで、日ごろから、避難の道筋や方法を訓練しておこう、という目的で、この避難訓練が行われたのだ。……確か学校の先生は、この避難訓練は、議長が考えたと言われていたが、わたしが言ったことに、間違いはなかっただろうか?」
「はい、殿下、間違いはございません」
伊藤さんが一礼した。頭を下げながら、私に向かって、ちらりと笑顔を向けた。
去年私がやった“授業”では、関東大震災のことも触れた。もちろん、前世で起こった、東日本大震災のことや、阪神大震災、雲仙普賢岳の火砕流のことも話した。避難訓練のようなことが、現在行われているのかを聞いたら、全く実施されていない、とのことだったので、ぜひやるように、と進言しておいたのだ。そして、今年から、年に一度、実施されるようになったという訳だ。表向きには、枢密院議長の伊藤さんが提案したということになっている。
(まあ、6歳の私が発案したと言っても、普通の人は信じないからね)
私も伊藤さんに笑いかけると、すぐに殿下に向き直って、
「兄上、よくわかりました。でも、なぜ、今日やることになったのですか?何か、いわれがあるのでしょうか?」
殿下にこう、質問してみた。
「うむ、今から千年以上前になるが、貞観年間に、大地震が東北地方を襲い、津波でも多大な被害を出したのだ。それが貞観11年の5月の末だったとか……それにちなんだと聞いたが」
「さようでございます。殿下は本当に、記憶力がようございます」
伊藤さんが頷いた。
今年7月には、熊本で地震が起こるはずだ。ただ、7月の何日か、は分からない。
日にちさえわかれば、その日の直前に、屋内や危険な場所からの退避命令が出せるけれど、それはできない。そこで、代案として、以前話したことのある避難訓練を、6月末までに行うように提案した。
けれど、その期日までに避難訓練をするにも、何か納得できる理由が必要だ。何かないか、と天皇や高官たちに相談したら、
――小さいころに読んだ歴史書に書いてあったが、貞観年間に東北で起こった大きな地震が5月だったように思う。
と言い出したのが天皇だった。調べたら、本当に、旧暦の5月26日に起こっていた。しかもこの地震、東日本大震災の報道でも“過去に三陸を襲った大きな地震”の一例になっていたから、この日に避難訓練を設定する理由としては、ふさわしい過去の災害だった。
ただ、今年の5月26日は日曜日だったので、5月の最終土曜日を「防災の日」と定め、学校や工場では、災害が起こったことを想定して、避難訓練をすることになったのだ。本当は、実際に地震が起こった日時を、当時使われていた太陰暦から、太陽暦に直すと、5月ではなくなるらしいのだけど、そこは、太陽暦の7月に間に合わせることを優先させてもらった。
「そうだ章子、そろそろ、剣の稽古の時間だ。早く稽古着に着替えよ。わたしも着替えて行く。……議長すまん、まだ話したいことはあるが、失礼する」
殿下は伊藤さんに一礼して、足早にその場を立ち去った。
私は、軽くため息をついた。
「伊藤さん、大昔に読んだ本の内容を、正確に覚えていらっしゃる陛下と言い、一度聞いた話は、正確に覚えている明宮殿下と言い、記憶力が良すぎるように思います……」
「増宮さまも、人のことは言えぬと思いますが……そうなのです。全く、陛下も明宮殿下も、記憶力が良すぎて、ごまかしが効かぬゆえ、困ります」
伊藤さんもため息をついた。
「……伊藤さん、私、あそこまで記憶力、良くないですよ?」
「なにをおっしゃる。前世でなされたことを、ほぼすべて覚えていらっしゃる、と言う時点で、相当なものでしょう。陛下と、明宮殿下のことを考えると、これは、もう、血筋でしょうな」
「前世のことを覚えている原因を、今生の遺伝に求めるのも、何かおかしい気がするけれど……」
私が更にため息をつくと、伊藤さんはまた笑った。
「……しかし、増宮さまが明宮殿下と、一緒に過ごされるようになってから、明宮殿下は、ご闊達になられたように思います。それに、学習の進歩が著しくていらっしゃる」
「多分、私に、いろいろ教えようとしていらっしゃるからだと思います。私も、前世で経験があります」
家庭教師や予備校講師のバイトをしている時、講義用にノートを作っていると、「ここを生徒に聞かれたら、うまく答えられない」という部分が、必ず出てきた。それで、また参考書を読み直したり、それで解決しない場合は、専門書を読んだりした。そうやって、私は、日本史の流れを理解していった。おそらく、私に、自分の勉強したことを教えようとしている殿下にも、同じことが起こっているのだろう。
「章子、何をしておる!」
遠くで、殿下の声がした。私も伊藤さんに一礼して、剣道の稽古に向かった。
1889(明治22)年7月28日の夜遅く、熊本市で地震が発生した。
煮炊きをしている時間帯ではなかったので、火事は発生しなかったけれど、崩れた家屋の下敷きになり、十数人が圧死した。おそらく、この人数は、ほぼ史実通りだと思う。“熊本市の近辺にある山が噴火する”というデマが、熊本市内で流れてパニックになる一幕もあったようだけれど、“デマが流れることもある、と、学校の避難訓練で教わっていたので、冷静に対応した”という、避難民の小学生の談話が新聞に載っていて、避難訓練も無駄ではなかったのだな、と感じた。
しかし、熊本城の石垣が、史実通り、地震で崩れてしまった箇所が出てしまったのは、とても、とても残念なことだった。皇居に参内して、詳しい話を天皇から聞いたのは、8月の末だったのだけれど、熊本で撮影された写真を天皇に見せられて、私は気が遠くなった。
だって、そこには、広範囲にわたって崩れ落ちた熊本城の石垣が写っていたのだから……。
「う、宇土櫓……宇土櫓は、無事だったのでしょうか?!」
前世で、江戸時代からの城郭建造物として、重要文化財に指定されていた櫓のことを、私はうわ言のように尋ねた。
「落ち着け、章子、どうやら無事らしい。まあ、あそこは、第六師団の司令部が置かれている故、古い建物のいくつかは、西南の役の後、すでに取り壊しているそうだが……」
天皇が答えたが、その答えに、
「すでに、取り壊した、ですって……?」
私は理性を完全に失ってしまった。
「き、貴重な文化財に対して、何たる横暴な行為を……日本の城郭は文化です、世界的な遺産です、偉い人にはそれがわからんのですよ」
「これ、章子」
「大体ねえ、前も言ったけれど、太平洋戦争の空襲で、天守閣もいくつか焼けちゃうんだよ……それなのに、今せっかく残存している建築物を壊すなんて、何と言う、もったいないことを……」
「梨花!」
前世での名前を呼ばれて、私はハッとした。
目の前に、天皇の苦笑した顔がある。
「お、お許しください!」
日本で一番“偉い人”に向かって、私は慌てて深々と頭を下げた。
「わかった、わかった。そなたに城の話をするのは、本当に大変な覚悟が必要なようだ。以後、気を付けよう」
「申し訳ございませんでした。あのー、でも可能ならば、崩れた石垣は、セメントで固めるのではなくて、ちゃんと詰み直して復元してください……」
「こやつ!」
天皇は笑い出した。
「まるで、刀剣についてお話しされるときの、陛下を見ているようですな」
ヨーロッパに長期出張中の山縣さんに代わって、内務大臣をしている松方さんが、クスクス笑いながら言った。
それから、私の元には、各地の城のミニチュア模型が、時折献上されるようになったのだけど、それはまた別の話である。