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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第14章 1893(明治26)年秋分~1894(明治27)年清明
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バレンタイン狂想曲

 1894(明治27)年2月14日水曜日、午後7時30分。

「どうしましょう、花松さん……」

 自分の居間で、私は頭を抱えていた。

「どうしましょう、と仰せられても……」

 和装の花松さんは、楽しそうにクスクス笑っている。

 私と花松さんの間にあるテーブルには、綺麗に包装された、大小さまざまの包みが、10数個載せられている。全て、今日一日だけで私に贈られたものである。

(全く……“私からは絶対にあげない”って宣言したら……)

 話は昨年の9月に遡る。私の前世の失恋の話を聞いた井上さんが、「バレンタインを日本に定着させる」などと言っているとお父様(おもうさま)に聞いたので、

――あの、井上さん、バレンタインを日本に定着させるって言ったって本当ですか?

梨花会の席上、私は井上さんにこう声を掛けたのだ。

――その通りです。まさか、増宮さま、バレンタインにチョコレートをくださるので?!

 目をキラキラさせた井上さんに、

――あげませんよ。

私は冷たい声で告げた。

――大体、私の時代の日本のバレンタインは、商業主義に彩られ過ぎています。何ですか、本命だけではなく、義理チョコだの友チョコだの銘打っていますけれど、単にチョコレートを売りたいだけの戦略です。そんな製菓業界の策略など、この時の流れでは粉砕します!……この際、言っておきますけれど、バレンタインには、私は何も贈りませんからね!

 そう宣言して、出席者一同をギロリと見渡したのだけれど……。

 それが今日、華族女学校(がっこう)から帰ってきたら、侍従さんに「伊藤閣下がいらしておりまして……」と言われて、応接間に連行されたのだ。

――本日はバレンタインデーですな。

 厳かに私に告げる伊藤さんの周りには、親王殿下、井上さん、大隈さん、勝先生、黒田さん、児玉さん、西郷さん、三条さん、高橋さん、爺、松方さん、山縣さん、山田さん、山本さん……在京の殆どの“梨花会”の面々が集まっていた。その数、10人以上。並んで立っていると、流石に圧迫感を覚えた。

――そうですけど……みんなで私にチョコをねだりに来たんですか?あげませんよ。

 右の眉を跳ね上げると、「違いますよ」と井上さんがニヤリと笑った。

――増宮さまの時代ではいざ知らず、現在のヨーロッパでは、聖バレンタインの日には、男性女性の別にとらわれず、恋人や大切な人に、贈り物をするのですよ。

――贈り物も、チョコレートに限りません、カードや花なども……。

 親王殿下が、井上さんの言葉を引き取って続ける。

――ですから吾輩も、命の恩人である増宮さまに、贈り物をするんである!

 大隈さんが、さっと包みを前に差し出すと、

――あ、こら!

――わしが一番に渡そうと思ったのに!

そう言いながら、ほとんど全員が、綺麗に包装された包みを一斉に差し出した。

――ちょ、ちょっと待ちなさい、あなたたち。大体、今の時間って勤務中じゃないんですか?!

 慌ててみんなに尋ねると、

――今日は御学問所で、わしの授業やったけど、みんな聞きに来てくれましてなあ……。

三条さんがのんびり答えた。そう言えば、東宮御学問所の授業、特に、三条さんの倫理学の授業は、梨花会の面々も時々聴講していた。伊藤さんなど、毎回必ず出席している。……ちなみに、その三条さんの手にも、私への贈り物と思しき包みがあった。

(このロリコンども……政府上層部がこんなんで、大丈夫なのか、日本……)

 私は天を仰いだ。

――え……ま、待ってください、今日はそういう集まりだったのですか?

 そんな中、高橋さんは一人、つぶらな瞳を見開いていた。

――松方閣下の所に報告に参上したら、有無を言わさず花御殿に連れてこられまして……こんなことだと知っていたら、私も何か、増宮殿下に献上物を準備しておくのでした……。

 オロオロする高橋さんに、

――いや、高橋さん、あなたが正解だから!

私は力強く断言した。

――というか、贈り物という意味で言ったら、高橋さん、私に最高にいい土をくれたかもしれないから、自信を持って!

 実は、高橋さんが帰国するときに持って帰ってきてもらった土壌から、新種の放線菌がいくつか見つかり、そのうちの一つが、結核菌に対抗する物質を分泌していそうだ、ということが分かったのだ。ハッキリ言って、色々な贈り物より、こちらの方が嬉しい。

 まあ、持ってきてくれたものは、仕方ないので受け取るしかない。みんなから贈り物について、色々と説明を聞いているうちに、御学問所の武道場に行く時間になり、私は慌てて稽古着に着替えて、兄たちの剣道の稽古に合流したのだけれど……。

――章子。

 剣道の稽古が終わるやいなや、兄が私を手招きした。兄の側に行くと、兄は私の右手を掴んで、武道場の隅の方に連れて行き、

――ほら。

と言って、置いてあった荷物から小さな箱を取り出した。

――へ?

 首を傾げる私に、

――今日はバレンタインだろう。大切な者に贈り物をする日だと議長に聞いたから、先月買い物に出た時に買っておいたのだ。リボンだよ。

そう言って、兄は箱を私に渡した。そう言えば、先月の買い物の時、小間物屋さんでヘアゴムを選んでいたら、なぜか兄もお店に入ってきて、何か買っていたけれど……。その買い物がこれだったか。

――ちょ、ちょっと待った、兄上!節子さまには?節子さまにも、バレンタインの贈り物はあげるんだよね?

 私が慌てて尋ねると、

――贈るに決まっているではないか。今日、これからここに来ることになっている。お前と同じものを贈るよ。

兄はそう言って微笑した。

――はあ、それならいいけれど……。

 兄と節子さまの婚約は、昨年の9月に発表されている。相変わらず、節子さまは私の所に時々遊びに来ているけれど、その帰りに御学問所にも顔を出して、兄にも会っている。節子さまが私の居間から出ていく時、ちょっと恥ずかしそうな、だけど嬉しそうな表情をしているから、兄と節子さまの仲は良好なのだろう。

 花御殿の自分の部屋に戻って着替えたところに、今度はロシア公使がやってきた。

――遅れて申し訳ありませんでしたが、本国の皇太子殿下が、オーストリアのフランツ殿下が贈り物をされたことをお聞きになって、これを増宮殿下の誕生日の贈り物として贈れと指示されまして……。

 そう言ってロシア公使が差し出したのは、平たい箱に入った木製のトレイだった。黒地に赤と金で彩られたバラの花が一面に咲いているデザインで、エキゾチックな感じを受ける。外国の人から贈り物をもらうのも2度目なので、今度は動転せずにお礼を言うことができた。

 自分の部屋に戻ろうとしたら、今度は陸奥さんの奥様がいらしたというので、そのまま応接間で会うことにした。深紅の洋装に身を包んだ陸奥さんの奥様・亮子さんは、とても上品で美しく、特に、横から見た目鼻立ちは完璧に整っていた。

――ハワイの主人から、これを今日、内親王殿下に献上するようにと手紙が参りまして……。パイナップルを乾燥させたものを作らせてみた、と書いてありました。

 亮子さんが渡してくれた包みは、かなり大きかった。

――渡すのは今日って、陸奥さまに指定されたんですか?

――はい、“今日は欧米では、大切な者に贈り物をする日だから”、と……私にも、色々と送って参りまして。

 亮子さんはそう言って、はにかんだ笑顔を見せた。

――あの、陸奥さまのご体調はいかがですか?

 包みを何とか抱えながら尋ねると、

――咳は残っているということですが、熱は出ていないようです。面白いことがあったので、日本に戻ったら話します、ということでした。

亮子さんはにっこり笑った。非常に美しい笑顔だった。

 引き続いてやって来たのは西園寺さんで、

――伊藤閣下が、バレンタインの贈り物をされるというので、便乗することに致しました。先日の文法の取りまとめ文書のお礼も兼ねて、ですね。

そう言いながら渡してくれたチョコレートは、西園寺さん曰く「パリで一番美味しいものを取り寄せました」とのことだった。

――あ、ありがとうございます……。

――何、芸者衆への土産物を準備するついでですよ。留学中に味わったチョコレートも、また食べてみたくなりましたし。いい機会を作っていただいて助かりました。それでは、また後日。

 ニンマリ笑って、飄々と去っていく西園寺さんに

(こ、この人、伊藤さんの同類か……)

と思いながらも、私は一応頭を下げた。

 西園寺さんと入れ替わりに応接間に入ってきたのは、名古屋にいるはずの桂さんだ。

――桂さん、どうしたんですか?国軍で、緊急の招集でもあったんですか?

 慌てて尋ねた私に、

――違います。別の用事で上京したのですが、今日はバレンタインですので、増宮殿下に名古屋の外郎(ういろう)を持参いたしました!

桂さんは仰々しく包みを差し出した。

――外郎ですって?!

 一番好きな甘味は小倉トーストだけれど、外郎も結構好きだ。わくわくしながら包みを受け取ると、

――始発列車で参りましたので、朝一番で職人に作らせました。

桂さんは自慢げに言った。

(うわぁ……)

 この時代、汽車で新橋から名古屋まで、約12時間かかる。今が午後6時半だから、桂さんが名古屋を発ったのは、どう遅く見積もっても今朝の6時前だ。つまり、外郎の職人さんは、その前から作業をしていたことになる。

――あの……職人さんに、よくお礼を伝えてください。多分夜明け前、いいえ、前日の深夜から作業をしていたのでしょうから、本当に苦労を掛けました、と……。

――かしこまりました。喜んでいただけたようで光栄です。

 桂さんが私に頭を下げた瞬間、侍従さんが廊下から「内務次官の原さまがいらっしゃいました」と告げた。

(今日は千客万来だなあ……)

 ため息をついていると、桂さんと入れ替わって私の前に立った原さんは、人払いをしたのを確認して、

――今日は主治医どのに渡すものがある。

と言って、私に小さな包みを渡した。

――ちょっと原さん、あなたまでバレンタインですか?!

 明日は雪どころか、空から矢か槍でも降ってくるのではなかろうか。心配していると、

――勘違いするな、主治医どの。そんなものではない。わたしがバレンタインの贈り物を渡すのは(あさ)だけだ。

原さんは明らかに不機嫌そうな表情になった。浅さん……“史実”でも原さんの再婚相手だったそうだけれど、前の奥様と昨年9月に離婚した原さんは、“史実”通りに新橋で芸妓をしていた浅さんを探し出し、身請けして先月の4日に入籍していた。

――ただ、浅への贈り物を買った時に、主治医どのが先週、将棋が5枚落ちから4枚落ちに進んだのを思い出してな。ついでに祝いの品を贈ろうと思い立ったまでだ。

 ムスッとする原さんに、

――はあ、そうですか……それはどうもありがとうございます。

私はとりあえず、頭を下げておいた。

――あ、そうだ、原さん。ハワイの陸奥さんから、ドライパイナップルをたくさんもらったんだけれど、少し持って帰ります?

 ふと思い付いて、原さんにこう言ってみると、

――もちろんいただこう。

彼は、ちょっと偉そうに右手を伸ばした。

(本当に、陸奥さんのことが好きなんだなあ……)

 ため息をつきたくなるのを必死に抑え、私は侍従さんを呼んだ。そして、漆塗りの小さな箱と箸を用意してもらい、輪切りのドライパイナップルを箱に詰めると、蓋をして原さんに渡したのだけれど……。

「……これ、どうやって処分したらいいですか?」

 帰宅してから夕食までのドタバタを一通り思い返して、深いため息をついた私に、

「増宮さま、処分とは……全部捨てておしまいになるのですか?」

花松さんが心配そうな表情で尋ねた。

「天皇陛下と皇后陛下からの贈り物もあるのですよ?」

「もちろんそれは捨てませんよ。ちゃんと取っておくつもりです」

 爺は自分のプレゼントだけではなく、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)からの贈り物も持参していて、それを花御殿で初めて知った一同が、“先に自分の贈り物を渡そうとして申し訳ない”と爺に平謝りしていた。爺も、皆にあらかじめ知らせておけばいいのに……茶目っ気を出したのだろうか。

 私は両親が贈ってくれた扇子を手に取って広げた。水色の空に金銀の雲が掛かり、その中を艶やかな蝶々が飛び交っている図柄だ。明らかに、一流の絵師が手掛けたと分かる品だった。数百年後まで残っていたら美術館に収められてしまいそうな作品を捨てるなど、出来るはずがない。

「と言って、しまい込むおつもりではないですか?」

 花松さんの言葉に、私はぎくりとした。

「だ、だけどこれ、明らかに一流の品だから、もったいなくて使えませんよ。汚しちゃいそうだし……」

 言い訳する私に、

「きちんと使ってください」

花松さんは微笑みながら言った。

「余所行きの時にお使いになればよろしいのですよ。空色の地に梨の花を描いた着物がありますでしょう。あれに合わせられればよいのではないでしょうか。満開の梨の花の間を、蝶が飛び交うように見えますし……そのつもりで、両陛下が扇面の絵を選ばれたのではないでしょうか?」

 そう言われてみると、確かにそうかもしれない。花の間を飛び交う蝶は、いかにも春らしい図柄になる。

「じゃあ、あの着物の時に使うことにします」

 頷く私に、

「それから、これもお使いにならないといけませんよ」

花松さんは更に言って、伊藤さんから贈られた小さな箱を手に取った。

「えー……」

 私が口をとがらせると、「えー、ではありませんよ」と花松さんは苦笑しながら箱を開けた。中身は真珠の耳飾り。御木本さんが昨年7月に献上してくれた半円真珠で作ったものである。

「これも、洋装の時にお使いになればよろしいと思います。産技研の御木本さまの苦労の賜物ですよ?増宮さま、それを無になさるというのですか?」

 花松さんはじっと私を見つめた。恐らく、これで私が抵抗すれば、次のセリフは“どうすれば身に着けていただけるか、皇后陛下に相談申し上げます”だろう。

「……わかりました。洋装をする機会があれば、つけます」

 観念した私は、ため息をつきながら花松さんに答えた。

「だけど……あとは、どうしましょうか。残りは食べ物が大半だから、私は気持ちだけいただいて、職員の皆で分けてもらうしかないですね。私が全部食べるのは無理だし……」

 私はテーブルの上の、数々の贈り物の包みを見やった。

 井上さんは“フランツ殿下の贈り物の話を聞いて思い付きました”と言って、なんと、自分で作ったというチョコレートを持ってきてくれた。だけど、なぜハート形のチョコレートの上に、温室で育てた蘭の花を刺そうと思ったのか……私には理解できなかった。

 山縣さんのプレゼントには、和歌が書かれたと思しき色紙が付いていたけれど、流麗な行書で書かれていたので、読めない所があった。“我が君”と書いてあるのは分かったのだけれど……。

「ねえ、花松さん、この色紙、達筆すぎて読めないところがあるのですけれど、この“我が君”って、お父様(おもうさま)のことですか?」

 花松さんに色紙を見せると、一目見た花松さんは、「違いますよ、増宮さま」と微笑した。

「これは増宮さまのことですよ。詞書(ことばがき)に“我が君と馬に相乗りしたる時を思い出して詠める”と書いてありますから」

 そう言って、花松さんが色紙に書いてある和歌を読んでくれた。

「返しの歌をしなければなりませんね」

 微笑む花松さんに、

「しないといけませんか……?詠んだことがないですけれど……」

私は頭を抱えながら答えた。

 すると、

「増宮さまの和歌の練習にもなりますし、どんなに下手でも、山縣さまも事情を分かってくださいますわ」

花松さんはこう言った。

 そう言えば、山縣さんには“歌を作ったことはない”と昨年の秋、遠乗りをした時に言った。それに、大山さんも以前、“和歌もある程度たしなまなければ”と言っていたっけ……。

「ちょっと、考えておきます……変になっても、笑わないでくださいね?」

「わかっておりますよ。では、その和歌は宿題ですね」

「はーい……」

 私は頷いた。まあ、何事も挑戦だ。とりあえずやってみるのも悪くないだろう。

「さて、わたくしは、これを皆で分けて参りますわ」

「ありがとうございます。あ、外郎だけは少し欲しいから、後で持ってきていただけますか?」

「かしこまりました」

 ニコライ皇太子から贈られたトレイに、皆から贈られたお菓子や食べ物の包みを載せると、花松さんは私の居間から去っていった。時計を見ると、午後8時になろうとするところだ。

(疲れたなあ……)

 今日はこれから、入浴の時間まですることがない。山縣さんへの和歌を考えるか、と思い、椅子の上で大きく伸びをした時、

「梨花さま」

廊下から大山さんの声がした。そう言えば、今日は当直勤務だった。

「どうぞ。入ってくださいな」

 声を掛けると、障子がすっと開いて、大山さんが入ってきた。手に小さな箱を持っている。

「あ、あの、大山さん、その手に持っているものは、一体何かな……?」

 顔が少しひきつっていたのかもしれない。大山さんは私に視線を向けると、

「良い紅茶の葉が手に入りましたので、持参いたしました」

と、私を宥めるような調子で言った。

「まさかとは思うけれど、バレンタインの贈り物……?」

 恐る恐る尋ねた私に、

「さようでございます」

と大山さんは微笑んで、

「梨花さまは、大切な方でございますから」

じっと私を見つめた。あのいつもの、優しくて暖かい瞳だった。

「確かに、そうでした……」

 私は静かに頷いた。

――そなたがこの梨花を大切に思うてくれるように、この梨花も、そなたを大切に思う。

 3年前の春、京都御所。大山さんと君臣の契りを結んだ時に、そう言い放ったのは私だった。

「困ったな……」

 私は大山さんの視線から顔を背けた。

「困った、とは?」

「バレンタインに贈り物をするつもりがなかったから、大山さんにあげるものを準備して無かったの。でも、大山さんにあげるなら、兄上にもあげないといけないし……」

 右手を顎に当てて考え込んだその時、

「梨花さま、バラの花の砂糖漬けは、まだ召し上がっていらっしゃらないでしょう?」

大山さんが突然、こう尋ねた。

「その通りよ」

 どう食べていいのやら全く分からず、とりあえず保管してもらっている。

「あれは、砂糖の代わりに、紅茶や温めた牛乳に入れる使い方もあるのですよ」

「へー……」

 確かに、砂糖漬けならば、甘味料として十分に使えるだろう。

「ですから、梨花さまのおっしゃる“ロマンティックの結晶”を添えて、梨花さまの淹れた紅茶を、梨花さまと一緒にいただきたく思います。それを、(おい)への贈り物にしていただければ」

 私は咄嗟に反応出来なかった。

「……しょうがないな、あの砂糖漬けは苦手だけど」

 ようやく言えたのは、二呼吸、いや、三呼吸置いてからだった。

「苦手なれば、なおのこと、慣れるのに時間が掛かります。ならば、少しでも早く、触れる機会を持っておかねばなりません」

 大山さんが私を見つめる。その優しく暖かな瞳の光は、波立った私の心を静かに収めて、安らぎで満たしていった。

「……では、大切なあなたのために、紅茶を淹れて来ましょう」

 私は大山さんに微笑を向けた。「折角だから、大山さんが持って来てくれた紅茶を淹れるね。バラの花の砂糖漬けも出してもらうから、少し時間をちょうだい。お菓子は……私は外郎にするけれど……」

「外郎ですか」

「桂さんが、わざわざ名古屋から持ってきてくれた。前世の故郷の味だから、紅茶には合わないだろうけど、私は外郎を食べるわ。大山さんのは、別に何か見繕ってくるから、ここで待っててもらっていいかな?」

「もちろんですよ、梨花さま」

 大山さんから茶葉の入った箱を受け取って廊下に出ると、私は静かに障子を閉めた。

(本当に、敵わないな……)

 顔に自然と、苦笑いが浮かぶ。

 不思議と、悔しさは感じない。

 ただ、安らぎと心地よさとが、私の心に余韻を残していた。

※外郎は既に江戸時代には名古屋で作られていたようなので、桂さんに届けてもらいました。残念ながら、小倉トーストはまだ出現していません。


※なお、井上さんは実際に料理をするのが好きだったようで、変わったものを出すことがあったそうです……。(『世外井上公伝』第5巻より)


※ニコライ皇太子の贈り物は、ホフロマ塗りのモノを想定しています。どうやらこの時代には既にあったようです。マトリョーシカ人形も考えましたが、ちょうど生産されたばかりぐらいのようなので却下しました。


※ちなみに、原さんの再婚は、実際には1908(明治41)年1月4日のことでした。

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