教育方針
「これからどうするか、と言われても……」
私は湯飲み茶碗を、テーブルの上に戻して、腕組みした。
「これから発布される憲法は、私が知っている大日本帝国憲法と、異なるものになりました。軍のことや、外交方針も、前世のものと、変わっていくのだと思います。変わったその先にある出来事については、私の知識は、参考になるかもしれませんけれど、決定的な答えを与えることはできないと思います。ですから、前世の記憶がある人間としての私の価値は、次第に下がります」
だからこそ、今後どうするかを聞かれても、困ってしまう。そう天皇に答えた。
「そうか。そなたが男ならば、迷うことなく、嘉仁の次の天子にするか、それが無理なら、総理大臣か元帥にしていたのだが」
「男であっても、全部お断りです!冗談はやめてください、陛下!」
天皇の言葉に、私は即答した。
大体、私の中身は平民なのだ。人の上に立つべき人間ではない。
「まあ、お呼びが掛かる間は、高官の皆様のお相手はしますけれど……でも、皆様、そろそろ飽きたのではないでしょうか?」
「そうでもないようですよ」
お母様が微笑みながら言った。
「増宮さんの新しい養育担当者に、あの方々が、何人も立候補しているのです」
「は?」
(新しい、養育担当者……?)
首を傾げた私に、お母様が、いきさつを説明してくれた。
来月、今まで皇居のあった赤坂に、新しく東宮御所――明宮殿下のお住まいが完成する。本当は、まだ明宮殿下は立太子されていないから、“東宮御所”ではなくて、“花御殿”という名称になるらしい。
それを機に、明宮殿下には、輔導主任、つまり、養育責任者をつけ、職員を整備することになった。
しかし、その過程で、「同居される増宮さまに、輔導主任がつかないのはおかしい」という声が上がり、それを聞きつけた政府高官たちが、我先にと、私の輔導主任に立候補した、ということだった。
……というか、引っ越すことも、明宮殿下と同居することも、養育責任者が新しくつくことも、私は初めて聞いたぞ。
「はあ……私は、教育係は、爺のままで、いいのだけれど」
「そういう訳にも参りません、増宮さま」
堀河さんがさみしそうに微笑んだ。
「お言葉は嬉しいですが、増宮さまには、もっと色々なことを学んでいただかなければなりません。それには、私は力不足です」
「色々なこと、と言われても……」
私はため息をついた。「爺、私、前世で、大学を一応卒業しているのですよ。勉強した内容を思い出して、この時代の仮名遣いや文法に慣れれば、何とかなると思います。あ、でも、政治経済は、苦手だったかな」
高校の政治経済のテストは、丸暗記で乗り切って、後はきれいさっぱり忘れた。
「増宮さん、習字をしたことはありますか?」
突然、お母様がこう質問した。
「へ?習字、ですか?中学でやって以来、一度も……」
それに、学校での授業時間も、週に1時間あるかどうかだった、と答えると、
「そうでしたか。先日、黒板に書いておられた文字の形が、かなり乱れていたので、もしやと思ったのですが」
「え?」
読めるようには、書いていたつもりだったのだけれど。
「もしかして、読みにくかった、……ですか?」
「いえ、意味はきちんと取れました。その、なんというのでしょうか。書き順ですとか、“はね”や“はらい”の方向ですとか、……全体的に、文字が均整でないといいますか……それで、物足りないと思ってしまって」
(それ……要求レベル、高すぎやしませんか?!)
というか、美しさを気にして文字を書いたことがない。履歴書や試験の答案、それと授業の板書は、一応、丁寧に書くように心がけていたし、“字が汚い”と言われることもなかったのだけど……。
面食らった私に、「ほう、章子は、師について、書を習ったことはないか」と天皇が訊く。
「一対一で、という意味でなら、ありません」
「それはいかんな。今後、揮毫を求められる機会もあろう。嗜みでもあるゆえ、練習しておくに越したことはない」
天皇が言った。
「きごう?」
聞き慣れない言葉が出てきて、首を傾げた私に、
「頼まれて、筆で書を書くことを、揮毫する、と特に言いますよ」
堀河さんが教えてくれた。
「はあ……」
(タレントのサインみたいなものかな?)
とりあえず、そう理解しておくことにする。
「一応聞いておくが、章子……和歌や漢詩を、作ったことはあるのか?」
「あのー、大変申し訳ないのですけれど、……やったことないです、陛下」
私の答えに、天皇は、不思議そうな顔をした。
「あの、そもそも、和歌はともかく、漢詩を作れる日本人って、今、いるんでしょうか……上杉謙信や伊達政宗が漢詩を作っていたのは、知っているのですけれど、江戸時代以降の日本で、漢詩を作れる人って……」
恐る恐る尋ねると、「そなたは何を言っておるのだ」と、天皇が目を丸くして言った。
「伊藤も詩は作る。西郷も、よく作っておったぞ」
天皇の言う“西郷”は、西郷従道さんのことではなく、大西郷、すなわち、西郷隆盛のことのようだ。
「章子。そなた、本当に、嗜みが無いというか、趣味が無いというか……」
「前世では、城郭が趣味でしたからね。否定はできません」
ため息をつく天皇に、私は答えた。
「礼儀作法は、堀河どのがきちんとしつけたようですが……」
「いえ、皇后陛下、私も妻も、作法については、ほとんど教えておりません。増宮さまが、前世の知識を生かしているからでしょう」
堀河さんが、お母様に言う。
「勉学の方面では、あまり心配することはなさそうだが、嘉仁のように、身体が弱くても、それも心配であるし……」
「かといって、教養をおろそかにすれば、増宮さんが成長したときに、困ることになってしまいますよ、お上」
「しかし、礼儀作法がなっていても、増宮さまは、今の風俗や習慣について、ご存じない所も多々おありです。それも徐々に学んでいただかなければ……」
「私は、書き言葉に慣れる時間が欲しいです。それと、色々な面で役立つから、身体は鍛えておきたいです。あと、教養って言っても、これからのことを考えると、世界に通用するモノをやる方が、いいのかな、と……」
三者三様、ならぬ、四者四様、意見が分かれてしまった。
それから4人で話し合い、小学校にはこの9月から通学することが決まった。この時代の社会を知るためにも、学生生活を送る方がよい、という結論になったのだ。学校がない時間には、書道や音楽を習い、更に体力づくりのために運動もすることになる。
そして、私の新しい養育責任者については、
「立候補者が多い故、嘉仁の輔導主任も兼ねさせるという条件を付けて、そやつらをふるい落とし、それでも複数立候補者がいたら、朕が裁定する」
と天皇が結論を出した。
ちなみに、花御殿の職員についても、私と明宮殿下の教育を同時にする、ということにするそうだ。これは「職員を一緒にすれば、二人が一緒にいる機会も多くなりますから、明宮さんもさびしくないでしょう」という、お母様の発案である。
「嘉仁もそうだが、章子に病気で倒れられたら困る。大きくなったら、方針はまた考えなければならないが、今は“体力七分、教養二分、学問一分”でよい」
(だいぶ、脳筋寄りの能力値になりそうだけど、大丈夫かな?)
天皇の言葉を聞いて、こんな感想を持ってしまったのは、内緒にしておこう。