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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第2章 1889(明治22)年大寒~1889(明治22)年雨水
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教育方針

「これからどうするか、と言われても……」

 私は湯飲み茶碗を、テーブルの上に戻して、腕組みした。

「これから発布される憲法は、私が知っている大日本帝国憲法と、異なるものになりました。軍のことや、外交方針も、前世のものと、変わっていくのだと思います。変わったその先にある出来事については、私の知識は、参考になるかもしれませんけれど、決定的な答えを与えることはできないと思います。ですから、前世の記憶がある人間としての私の価値は、次第に下がります」

 だからこそ、今後どうするかを聞かれても、困ってしまう。そう天皇(ちち)に答えた。

「そうか。そなたが男ならば、迷うことなく、嘉仁(よしひと)の次の天子にするか、それが無理なら、総理大臣か元帥にしていたのだが」

「男であっても、全部お断りです!冗談はやめてください、陛下!」

 天皇(ちち)の言葉に、私は即答した。

 大体、私の中身は平民なのだ。人の上に立つべき人間ではない。

「まあ、お呼びが掛かる間は、高官の皆様のお相手はしますけれど……でも、皆様、そろそろ飽きたのではないでしょうか?」

「そうでもないようですよ」

 お母様(おたたさま)が微笑みながら言った。

「増宮さんの新しい養育担当者に、あの方々が、何人も立候補しているのです」

「は?」

(新しい、養育担当者……?)

 首を傾げた私に、お母様(おたたさま)が、いきさつを説明してくれた。

 来月、今まで皇居のあった赤坂に、新しく東宮御所――明宮(はるのみや)殿下のお住まいが完成する。本当は、まだ明宮殿下は立太子されていないから、“東宮御所”ではなくて、“花御殿”という名称になるらしい。

 それを機に、明宮殿下には、輔導(ほどう)主任、つまり、養育責任者をつけ、職員を整備することになった。

 しかし、その過程で、「同居される増宮さまに、輔導主任がつかないのはおかしい」という声が上がり、それを聞きつけた政府高官たちが、我先にと、私の輔導主任に立候補した、ということだった。

 ……というか、引っ越すことも、明宮殿下と同居することも、養育責任者が新しくつくことも、私は初めて聞いたぞ。

「はあ……私は、教育係は、爺のままで、いいのだけれど」

「そういう訳にも参りません、増宮さま」

 堀河さんがさみしそうに微笑んだ。

「お言葉は嬉しいですが、増宮さまには、もっと色々なことを学んでいただかなければなりません。それには、私は力不足です」

「色々なこと、と言われても……」

 私はため息をついた。「爺、私、前世で、大学を一応卒業しているのですよ。勉強した内容を思い出して、この時代の仮名遣いや文法に慣れれば、何とかなると思います。あ、でも、政治経済は、苦手だったかな」

 高校の政治経済のテストは、丸暗記で乗り切って、後はきれいさっぱり忘れた。

「増宮さん、習字をしたことはありますか?」

 突然、お母様(おたたさま)がこう質問した。

「へ?習字、ですか?中学でやって以来、一度も……」

 それに、学校での授業時間も、週に1時間あるかどうかだった、と答えると、

「そうでしたか。先日、黒板に書いておられた文字の形が、かなり乱れていたので、もしやと思ったのですが」

「え?」

 読めるようには、書いていたつもりだったのだけれど。

「もしかして、読みにくかった、……ですか?」

「いえ、意味はきちんと取れました。その、なんというのでしょうか。書き順ですとか、“はね”や“はらい”の方向ですとか、……全体的に、文字が均整でないといいますか……それで、物足りないと思ってしまって」

(それ……要求レベル、高すぎやしませんか?!)

 というか、美しさを気にして文字を書いたことがない。履歴書や試験の答案、それと授業の板書は、一応、丁寧に書くように心がけていたし、“字が汚い”と言われることもなかったのだけど……。

 面食らった私に、「ほう、章子は、師について、書を習ったことはないか」と天皇(ちち)が訊く。

「一対一で、という意味でなら、ありません」

「それはいかんな。今後、揮毫(きごう)を求められる機会もあろう。(たしな)みでもあるゆえ、練習しておくに越したことはない」

 天皇(ちち)が言った。

「きごう?」

 聞き慣れない言葉が出てきて、首を傾げた私に、

「頼まれて、筆で書を書くことを、揮毫する、と特に言いますよ」

堀河さんが教えてくれた。

「はあ……」

(タレントのサインみたいなものかな?)

 とりあえず、そう理解しておくことにする。

「一応聞いておくが、章子……和歌や漢詩を、作ったことはあるのか?」

「あのー、大変申し訳ないのですけれど、……やったことないです、陛下」

 私の答えに、天皇(ちち)は、不思議そうな顔をした。

「あの、そもそも、和歌はともかく、漢詩を作れる日本人って、今、いるんでしょうか……上杉謙信や伊達政宗が漢詩を作っていたのは、知っているのですけれど、江戸時代以降の日本で、漢詩を作れる人って……」

 恐る恐る尋ねると、「そなたは何を言っておるのだ」と、天皇(ちち)が目を丸くして言った。

「伊藤も詩は作る。西郷も、よく作っておったぞ」

 天皇(ちち)の言う“西郷”は、西郷従道さんのことではなく、大西郷、すなわち、西郷隆盛のことのようだ。

「章子。そなた、本当に、(たしな)みが無いというか、趣味が無いというか……」

「前世では、城郭が趣味でしたからね。否定はできません」

 ため息をつく天皇(ちち)に、私は答えた。

「礼儀作法は、堀河どのがきちんとしつけたようですが……」

「いえ、皇后陛下、私も妻も、作法については、ほとんど教えておりません。増宮さまが、前世の知識を生かしているからでしょう」

 堀河さんが、お母様(おたたさま)に言う。

「勉学の方面では、あまり心配することはなさそうだが、嘉仁のように、身体が弱くても、それも心配であるし……」

「かといって、教養をおろそかにすれば、増宮さんが成長したときに、困ることになってしまいますよ、お(かみ)

「しかし、礼儀作法がなっていても、増宮さまは、今の風俗や習慣について、ご存じない所も多々おありです。それも徐々に学んでいただかなければ……」

「私は、書き言葉に慣れる時間が欲しいです。それと、色々な面で役立つから、身体は鍛えておきたいです。あと、教養って言っても、これからのことを考えると、世界に通用するモノをやる方が、いいのかな、と……」

 三者三様、ならぬ、四者四様、意見が分かれてしまった。

 それから4人で話し合い、小学校にはこの9月から通学することが決まった。この時代の社会を知るためにも、学生生活を送る方がよい、という結論になったのだ。学校がない時間には、書道や音楽を習い、更に体力づくりのために運動もすることになる。

 そして、私の新しい養育責任者については、

「立候補者が多い故、嘉仁の輔導主任も兼ねさせるという条件を付けて、そやつらをふるい落とし、それでも複数立候補者がいたら、朕が裁定する」

天皇(ちち)が結論を出した。

 ちなみに、花御殿の職員についても、私と明宮殿下の教育を同時にする、ということにするそうだ。これは「職員を一緒にすれば、二人が一緒にいる機会も多くなりますから、明宮さんもさびしくないでしょう」という、お母様(おたたさま)の発案である。

「嘉仁もそうだが、章子に病気で倒れられたら困る。大きくなったら、方針はまた考えなければならないが、今は“体力七分、教養二分、学問一分”でよい」

(だいぶ、脳筋寄りの能力値(ステータス)になりそうだけど、大丈夫かな?)

 天皇(ちち)の言葉を聞いて、こんな感想を持ってしまったのは、内緒にしておこう。


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