戻ってきた夕子
元の時間に戻った俺は、朝学校へ行く前に夕子の家に行く。家から出てきた夕子は少し驚いていたが、別に戸惑ったようすもなく笑っている。
「どうしたの。朝から。迎えに来てくれたの」
それから毎日、夕子と俺は一緒に学校へ通った。帰りも一緒のことが多くなった。別に冷やかされるようなこともなかった。ヨシオとかも変に気を利かせて、夕子と二人で居る時には近づいてこなかった。俺には少し意外だったが、夕子は特に拒否することも恥ずかしがることもなかった。最初はほとんど黙って一緒に歩いているだけだったが、そのうち他愛のない話を夕子がしてくるようになった。小学校の頃と同じように。思い出話もした。その気になれば話が尽きることはない。
「ねえ」
ある時夕子は言った。
「あなたは間違いなくタクヤね」
何を言いだすのかと俺は思った。夕子が言うには、あの小学校の時の事件以来、夕子はタクヤは入れ替わったか、別の人間に変わってしまったと思っていたらしい。確かにあの防空壕での事件以降の俺の変貌ぶりはあまりに不自然だっただろう。いじめられっ子最下層カーストの俺が、イジメっ子の頂点より上にいってしまったんだから。
でも夕子は俺とたくさん話をしたことで、俺がタクヤ本人だと確信できたらしい。そりゃまちがいなく「タクヤ」としての記憶の同一性は保たれてるもんな。
夕子はあの事件の後、高谷が死んだだけでなく、俺もいなくなったんだと思っていたらしい。もしかして何かにとり憑かれたんじゃない、などと笑いながら、冗談だろうけど核心を突いてきた。夕子にしては鋭い。俺は身震いした。下手をすると命取りになりかねない。
夕子は一番仲良くしていた二人を失ったことで、ものすごく寂しかったそうだ。その時のショックからか、友達と仲良くしながらも少し距離をとってしまうようになったらしい。親しくなっても、またいなくなってしまって悲しい思いをするだけではないかと。多分、高谷を目の前で殺されたことが影響しているだろう。
結局夕子から直接聞くことはなかったが、俺が思うに夕子の自殺の原因は、もちろん愛しい高谷を追いかけようとかではなくて、高谷と俺を失った上、信頼していた顧問に裏切られて、それがきっかけで孤独を良くない形で強く感じ過ぎたからではないだろうか。急に一人で砂漠や雪原に放り出されたような。いや元々砂漠・雪原にいると言えばそうなのだけれど、それを改めてはっきりと自覚してしまうような。本当は夕子のことを気にしている人は、親御さんをはじめとして、俺だけでなく夕子の周りにはたくさんいたのに。誰一人凍える夕子に暖を取らせることができず、渇きに水を与えられなかったということか。情けない話ではある。でもとにかく俺はまたこうして夕子の世界へ戻って来ることができた。
夕子は目に見えて明るくなった。前から明るかったが、日の光の強さと温度がかなり増している。秋の日差しと夏のそれぐらいの違いはありそうだ。そういえば元々こういう子だったな、と小学校の頃を思い出していた。実はセーブしていたものが、自然に出てきている感じだった。
西園は特におとがめなしだった。俺は念のためこっそり捕まえて釘は刺しておいた。その後はずいぶん大人しくなってしまったけれど。翌年に他の学校へ移っていった。何年か後に辞めたらしいと聞いた。
俺は夕子と時々出かけるようになった。デートっていうことになるのかもしれないが、あまりそんな感じでもなかった。化け猫が文句を言うこともなかったし。一緒に勉強したりもした。数学が苦手な夕子には、俺が横にいると丁度便利だったようだ。俺は勉強に前より身が入り、成績は上がった。俺ができて夕子に褒められるのがうれしかったから。高谷の墓へもまた二人で行った。
俺はようやく自分が高谷のことをどう思っていたかをはっきり自覚するようになって、彼を失ったことよりも、罪悪感で泣いた。今更に俺は気付いたから。俺は高谷自身は好きではあっても、本当のところ俺にとっては邪魔者だった。俺は卑怯にも自分をごまかしていたけれど。
あの日化け猫に憑依されて時間を遡る力を得ていた俺は、戻って高谷が殺される前に、鎧武者を消すこともできたはずだ。でも俺はそんなことはしなかった。化け猫に憑かれた俺は、高谷を見殺しにした。鎧武者の出現は俺にとって都合が良かったんだ。その自覚がまた俺を苦しめた。やはり俺には、高谷を殺してまで夕子を奪う、ということはできなかったから。
今から戻って高谷を助けることはもうできなかった。鎧武者が動き出したあの時まで戻る前に、俺の力が尽きて死ぬことになる。その時間までとどかずに消滅してしまうというのがより適切な表現か。
三年に進級すると、夕子と俺は同じクラスになった。ただの偶然だとは思うけれど、少し不思議な気もする。まあクラスの数は3つしかなかったけど、三年間一度も同じクラスにならない確率は結構ある。3対7ぐらいかな。でも当時の俺には奇跡にも思えた。今では一緒の学校の行き帰りで、楽しそうに話をしている夕子がいる。俺も笑っている。高谷を見殺しにした、という罪悪感を除けば、この一年は俺にとって本当に楽しい日々だった。
でもついに別れの日はやってきた。