再び過去へ
俺は一週間前の学校に居る。誰にも見咎められないように細心の注意を払っている。気付かれないように夕子の様子を探る。屋上へ上ってみたり、屋根裏へ入り込んだり。猫が入っているからこそできる技だ。特に同じ校舎にいる自分に気付かれてはまずい。何よりあいつがこの辺りにいる人間の中では最も敏いし、事情もバレてしまうだろう。そうすると危険な不確定要素が増えて、様々な矛盾が生じやすくなっていく。
俺は夕子が中学で授業中に勉強をしている姿は、その時になるまであまりじっくりと見たことはなかった。中一、中二と同じクラスにはならなかったから。多分三年になっても違うクラスなんだろう。
夕子の髪型は、小学校の頃は両サイドをくくって首筋を出すスタイルが多かった。今でも頭の両サイドは括っているが、残る髪の毛が長くなって首筋が隠れるようになっている。バスケをするならもちろんもっと髪の毛は短い方が邪魔にならないだろう。部活の時などは後ろで一つに括りなおしていた。でも帰るときには直していたりするし、そのまま帰っても、家ではまた戻したりしている。よほどこの髪型が好きなんだろう。そういえば小学校の頃からいつもあの両脇に跳ねる髪を見ていた気がする。あまりまじまじと眺めていると、頭の中で咳払いが聞こえた。俺がそんなことを考え出すと、俺の化け猫の部分が嫌がる。俺は気持ちを切り替えて、夕子の表情や様子、周囲の人たちを冷静に観察し、分析を始めた。
その日は一日中隠れて夕子の様子を見ていたが、特におかしな点や不自然な点は見つけられなかった。夕子は女の子の誰とでも仲良くしているようだったし、好かれているようだった。夕子の周りを見ていると、夕子を気にしたり見ている男子は結構いた・・・が当の夕子は他の男子にはあまり関心がないようだった。バスケ部の顧問との関係も良い様だ。顧問は若い新人の教諭で、指導もまじめで熱心だった。これは俺も普段から見ていた。夕子も顧問を信頼していて、仲も良さそうに見えた。
俺はいよいよ夕子が自殺した原因がわからなくなってきた。自宅でも特におかしな様子はない。帰ってテレビを見ながら夕飯を一人で食べて、風呂に入って勉強して寝るだけだった。親達は遅くに帰ってきたが、会えれば多少は会話などもしている。
だがある日、俺が一週間前の過去に遡ってから4日目の夜だったと思う。寝る前に夕子は突然泣き出した。一人で勉強机に突っ伏して。俺には何がなんだか分からなかった。そのまま寝てしまった夕子の上に毛布を掛けて上げた。横向けになった寝顔には涙の流れた後が残っている。表情はわずかに歪んでいる。死んだ高谷のことを思っているのだろうか。それとも何か他に悩みがあるのか・・・
俺は一旦自宅へ戻った。俺の隙をついて冷蔵庫の中の食えるものを漁るために。過去の自分の家から物を盗るのは窃盗になるのだろうか。そういえばお袋に晩の惣菜やら何やらを食べただろうと叱られたことを思い出した。身に覚えがなかったが、あれは俺の仕業だったのか。
翌日も、その翌々日も俺はストーカーを続けた。特に何事も起こらない。部活の時間は俺もある程度見ているので、別にサボってもいいのだが、俺は体育館の2Fにある窓の外からなんとなく女子バスケの様子を見ていた。俺自身の様子もちらちら確認してみたが、全く俺には気付いていないようだ。まあ一安心ではある。
しばらくあまり寝ておらず疲れていたし、少し気が抜けていたのかもしれない。すぐ側に、まだ俺の子分のつもりな帰宅部のヨシオが上がってきているのに気付かなかった。小学校の頃には俺もそういう時期が少しあったけれど、今はもうそんなつもりはない。
「諸橋さん、こんなとこで何やってんスか。あー言わんで下さい。山端さんを見てたんですね。・・・えっ・・・図星っスか。大丈夫っす。絶対に誰にも言いません。いやホントッスよ。そんなに睨まんで下さい」
同級生のくせにヤンキーみたいな敬語で、いつもの調子のヨシオだ。
「実は俺も山端さんをここから時々見てたんス。でも諸橋の兄貴の思い人とあっては、俺もあきらめようと思いまっス」
ヨシオは哀れにも目が潤んできている。ヨシオは泣き笑いのような、少し強がったような表情をして言った。目が少し・・・いやかなり赤く充血してきている。別に俺が夕子を好きだろうが何だろうが関係なく、夕子がお前を好きになることはないだろうけどな・・・
「俺、山端さんのことは詳しいっスよ。兄貴のために、俺が調べた情報何でも教えますよっ!」
俺はなんとなくヨシオが少し好きになった。でもより幼馴染歴の長い俺を差し置いて、ヨシオが俺より夕子について知っていることなんてそんなにあるのだろうか。
・・・案の定ヨシオの情報とやらで俺にとって目新しいものはなかった。ヨシオに悪いと思ったので、一通り聞いて感心した振りをしておいた。しばらくヨシオとバカな話をしながら過ごしていると、バスケ部顧問が練習を見にやってきた。夕子と何か話をしているようだった。
「西園っスね。イケ好かねえムカつく野郎っスよ。教師のくせに山端さんに手え出すつもりじゃねーだろうな!」
俺はさすがにそれはないだろうとヨシオをたしなめた。
「甘いっス。兄貴は甘いっスよ。そういうのがいい加減な教師は意外と多いっス。ロリコンの小・中・高教諭の不祥事、兄貴もニュースで見たことあるっしょ」
「別に先生に限らずっス。兄貴も油断してると山端さんに変な虫がつくっスよ」
山端さんは地味なようで意外とファンの数は多いっス、とヨシオは続けた。兄貴ももっとアプローチをかけてがっちりキープしとかないと。英語が苦手なくせに生意気な事を言うヨシオだった。確かに西園と楽しそうに話をしている夕子を見ていると、俺も変な気になってきた。夕子のあんな笑顔は俺も最近あまり見たことがない。でも夕子が楽しくやっているならそれはそれでいいかな、とも思う。
「・・・なあ。お前に聞いたって困ると思うんだけど、夕子悩みがあるみたいなんだ。心当たりないか」
俺は昨日の夕子の涙を思い出していた。明るい陽の下で今の夕子の様子を見ていると、泣いていた姿は幻か俺の妄想のようにも思えてくる。
「えっ?! 姉御は悩んでいるんですか・・・いやぁ・・・それは何とも俺には・・・もしかして兄貴今でも姉御と結構親しいんスか? そうかー。学校の外で実は会ってるんっスね。俺安心したっス」
勝手に納得するヨシオと、いつの間にか姉御にされてしまった夕子だが、それはさておき、やはりヨシオにも心当たりはないようだった。夕子は誰とでも仲良くしているが、特別に親しい女子とかはいないようだった。夕子の心は誰も知らない。
「兄貴が側にいるなら俺の思い過ごしでしょうが・・・」
俺は何だ、言ってみろとヨシオにうながした。
「山端の姉御は、時々寂しそうな様子をしているように思ってたっス」
それは夕子が自分の部屋で一人で泣いているのを見るまでは、俺も感じたことはなかった。俺はここにもストーカーが居たことを知った。
「いつもは明るく楽しそうにしているのに、ごく稀に見せるその様子がものすごく色っぽいんス」
俺は何となくヨシオを軽くしばいた。でも確かに夕子は今でも鍵っ子だ。高谷も死んでしまって、仲良くしていた俺とも距離ができた。明るく振舞っているが、本心は寂しいのかもしれない。でも今さら俺が近づいていっても迷惑なだけかもしれない。周りにも色々言われるかもしれないし・・・
ヨシオが帰った後、俺も一度家に帰った。その後夕子の家の屋根の上で空を眺めて少し休憩していた。疲れていた俺は眠ってしまった。
・・・
変な夢を見た。高谷と夕子が話をしている。高谷が夕子の髪型を褒めた。夕子が笑って答える。
「タクヤもこの髪型好きらしいの。小さい頃に変えたことがあるんだけど、前のがいいって」
類友って言うもんね、と夕子は笑っている。俺そんなこと言った覚えないんだけど・・・高谷と夕子は連れ立ってどこかへ行こうとしている。俺は待ってと呼びかけて追いかけようとする。でも俺の声は二人に届かないようだし、俺は動くこともできない。まずい。このまま二人を行かせてはいけない。そっちには恐ろしい鎧武者がいるんだ。二人とも殺されてしまう。必死で声を上げて動こうとするが、二人はどんどん遠くへ行って、ついに視界から消えてしまった。俺は夢の中で泣いた。夢の中で大声を上げたつもりでも、現実では何も発声してないことは多いが、幸いこの時もそうだったようだ。
俺は結構な物音で目を覚ました。今では猫のようでもある俺は、もっと微かな音でも怪しい音には目を覚ましてしまうんだけれど。
ヨシオには苗字や名前の漢字の設定はありません。中学で再登場するとも思っていませんでした。
化け猫とタクヤはツーテイルやツーサイドアップ等の言葉を知りません。