5.自己紹介
「……こんにちは」
ちょうど拓海たちが夕飯を食べ終えてゆったりとしていた頃だ。いつものように菜々美と無駄話をしながら眠くなるまでの時間を潰そうとしていたときにその子は部屋に入ってきた。
手にはいかにも女の子らしいキャリーバッグが握られており、初めての場所に緊張しているのかずっと目が泳いでいる。すでに立花さんからはその子の名前や会ったときの印象などについては話を聞いていたが、拓海が想像していたよりもずっと大人しそうな子だった。
「こんにちは、天草美音さん。いいから入って入って」
「はい。お世話になります」
どうやら年上の人と会話をすることはあまり慣れていないらしく、彼女は菜々美と話をするときもでさえおどおどしていた。あまりにも緊張しすぎていて菜々美に怯えているようにしか見えない。
思い返してみれば、自分がまだ中学生だった頃も先輩に対しては緊張しまくりだったなと思いつつ、再度天草の様子をうかがう。学年が上がっていくにつれてあまり年齢については意識しなくなっていったが、中学に入ってまだ一年しか経っていない天草には先輩後輩の立場は絶対なのだろう。それが高校生ともなるとなおさらだった。
それもあってさっきからずっと緊張しているのだろうが、天草の先輩という立場になっている拓海からしてみればそこまで気にしなくてもいいのにと思った。
同じ学校で歳が一つ違うぐらいならまだしも、違う学校に通っていて中学生と高校生ならば敬語で話される方が逆にむず痒い。せっかくなら親しみを込めてため口で話しかけてほしいぐらいだった。
つい一ヶ月ぐらい前にも菜々美から同じようなことを言われ、頑なに敬語を使おうとしいていた拓海だが、逆の立場に立ってやっと菜々美が言いたかったことが分かったような気がした。
「そんなに畏まらなくてもいいのに。私は郷田菜々美っていうの。気軽に菜々美って呼んでくれていいから」
「分かりました。これからよろしくお願いします、菜々美さん」
「うん、こちらこそよろしく」
実のところを言うと、天草のような先輩を慕ってくれるタイプは菜々美が一番得意としているタイプでもある。元々人の世話が好きな菜々美はことあるごとに自ら進んで後輩の指導役になっていた。そんな菜々美には中学生である天草が可愛く見えて仕方がない。
看護師さんからはまだ二年生になったばかりだと聞いているが、はたから見るとそうには見えない。私服を着ているからというのもあるのかもしれないが、少し幼さが残っている高校生にも見えてしまいそうだ。何食わぬ顔で高校の入学式に参加しても誰一人として気づかないだろう。
菜々美にとってはそれがまた可愛らしくて仕方がないのだが、これから一緒に過ごしていくにつれてさらにかわいく見えてくるのだろうと思うとこの先が楽しみで仕方がなかった。
「で、こっちが世良拓海。私も拓海も緑ヶ丘高校に通っているの」
「よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに簡単な自己紹介を終え、天草はすでに菜々美に捕まって根掘りはぼり聞かれることとなった。その間に拓海は自分が中学生だった時の記憶を遡ってみたのだが、残念ながら彼女のようにしっかりしていた記憶はどこにもない。拓海の友人にも天草のような人は誰一人としていなかった。
もしかしたら学年に一人ぐらいはこんなしっかりしている人がいたのかもしれないが、少なくとも拓海が知っている限りではそんな人は見たことがない。緑ヶ丘高校現生徒会長の菜々美ならこのような中学校生活を送っていたのかもしれないが、どちらにしろ拓海にとっては関係のない話だった。
「それで、私はどこのベッドを使えばいいですか。受付の人に聞いたら同室の人に相談してみてって言われて」
「あぁ、空いてるベッドならどっちを使ってもらってもいいよ。前に看護師さんから言われたんだけど、部屋が変わらなければ自由に寝ていいんだって。そこらへん結構適当だよねー」
それは拓海たちがまだ入院してきて間もないころに言われたことなのだが、本人たちの了承の元で行われるのであれば病室内は自由に使っていいのだという。そんな教室の席替えのようなノリでベッドを変えてもいいものなのだろうかとも思ったが、特に規則上は問題ないそうだ。
腰を痛めてベッドから起き上がるのにも一苦労だという人はなるべく扉に近いベッドを選びたがるし、すでに入院生活が長くて気が滅入りそうになっている人は気分を間際らすために窓際のベッドを選びたがる。看護師さんたちが知らない間に場所が入れ変わっているなんてことはよくあることだった。
それでなにかしらの問題が起こるようであればきちんとした対処をしないといけないが、特に何も問題を起こさないのであればそれ以降は自己責任ということでなにをしてもいいのだという。
もし他の場所に移るのであればシーツの交換や登録情報の見直しなどをしないといけないので移動する前に一声かけてほしいとは言われているが、そこまでして移る理由もないので今まで場所を移動することはなかった。
菜々美は一度だけ窓側のベッドに移動しようかと悩んでいたときもあったが、そうすると二人の間に距離が出来て話しにくそうだったので結局この席に落ち着いた。すでに部屋に入って左二つのベッドは拓海たちの特等席になりつつある。
「うーん、菜々美さんたちにとって私はどこにいた方がいいですか」
「どこって言われても……。なら私の前のところに来る? ここなら扉からも近いしなかなか便利だよ」
「分かりました。ならそちらのベットを使わせてもらいます」
そういって、天草は菜々美に言われた通りの場所に荷物を置き始めた。拓海たちにとってはどちらのベッドを使ってくれても構わなかったのだが、まだ要領の掴めていない天草にとっては拓海たちに決めてもらった方が気が楽だったのだろう。拓海からしてみれば窓から見える景色が気に入っているので窓際をおすすめしたいところではあったが、本人がそこでいいと言っているのだからあえて口を挟まないことにした。
生活をしていくにつれて他のベッドに移りたいのであれば天草が何か言ってくるだろうし、盲腸の人の入院期間はあまり長くないと聞いているので外を見ながら黄昏たいなんて思うこともないだろう。短期的な面で見れは廊下側の方が出入りがしやすくていいのかもしれない。
「では、私は荷解きがありますので失礼しますね。おやすみなさい」
「うんおやすみ」
就寝時間まではあと一時間ぐらい残っているのだが、天草はそのあとすぐに自分のベッドの中へと入っていた。今日はいろいろあって疲れたので荷物整理が終わったらそのまま寝たいらしい。
一応は病院の方で就寝時間を決められてはいるのだが、それはあくまでもその時間には電気を消すよという意味でそれより早めに寝ようが遅く寝ようが文句は言われない。他の人に迷惑をかけないのであれば少しぐらいお喋りをしていてもいいぐらいだ。
それをいいことに拓海たちはどちらかが寝落ちするまでずっと喋り続けているので見回りの看護師さんからは呆れられているのだが、今日はあまり大きな声で喋らないことにした。すでに寝ている天草を起こしてしまっては申し訳ない。
そこまでするぐらいなら消灯時間とともに寝てしまえばいいのだが、入院してからほとんど毎日この生活を続けている拓海たちにとっては到底できるはずもないことだった。
こんな調子でほぼ夜型に変わりつつある拓海たちであったが、その狂いに狂いまくった生活サイクルのおかげで天草の異常にいち早く気づけたのかもしれない。それはすでに深夜を周り、午前一時を過ぎようとしていたときだった。