4.新たな入院者
「暇だなー」
「暇だねー」
入院生活が始まって早一ヶ月。未だに病室に捕らわれ続けている拓海たちは一向に終わらない入院生活に飽き飽きし始めていた。
最初の頃はまだよかったのだ。起きたらすぐ隣に誰かがいて、朝から晩まで喋っていられる。そんな修学旅行のような生活に満足感さえ覚えていた。
だが、そんな生活も毎日のように続いてくるといい加減うっとうしなってきてしまう。別に菜々美と一緒の部屋にいるのが嫌だというわけではないのだが、こうも変わり映えのしない毎日を送っていると一日が随分と長く感じてしまうのである。
菜々美の方はというとすでに謹慎が解けているので病内を自由に歩き回ることができるのでまだ気晴らしにはなるのだろうが、未だに足を吊るされている拓海にとっては一人で病室から出られるだけでも羨ましい限りである。
たまに菜々美や看護師さんに車いすを押してもらって外に出たりはしているが、自分の足で歩くことができない拓海にとっては生殺し状態だった。子供の頃から運動が大好きだった拓海にとっては体を動かせないことが何よりもの苦痛である。
入院当初に持ってきてもらった本や雑誌にはすでにお世話になっており、雑誌に関してはすでに何度も読み直している。小さいころからあまり文字を読む習慣がなかった拓海ではあったが、そんな拓海でもつい本に手を伸ばしてしまうほどの暇は持て余していた。
最も、本に関しては未だに二冊しか読み終えていないので決して多い方ではないのだが、夏休みの読書感想文以外に本を読んだことのなかった拓海にとっては一ヶ月に二冊でもかなりの進歩である。
本を一日に何冊も読むのは嫌なので家にある漫画も追加で持ってきてもらったのだが、すでにセリフを空で言えるほど読み返しているので読んでいても全く面白みがなかった。仕方なく菜々美が読んでいた少女漫画を借りてみたのだが、その漫画が思った以上に面白く、密かにはまりつつあるのは誰にも言えない秘密である。
「ガラガラガラ……」
興味本位で借りた女性誌を読んで後悔し始めたころ、おもむろに病室の扉を開ける音がした。
壁にかけられている時計を見てもまだ面会時間には早すぎるし、それが看護師の人なのだろうということは容易に想像できたのだが、何故この時間に部屋に来たのかはすごく気になった。少なくとも手元にある女性誌から目を離すほどには気になっていた。
病院では時間毎にやることが決まっており、昼食が終わった後は夕食まで自由時間となっているはずなので基本的に看護師さんが入ってくることはない。場合によっては点滴などの交換をすることもあるらしいが、骨折していることを除けば全く問題のない二人にとっては関係の話である。
看護師さんが部屋に訪れたというほんの些細な出来事ではあるが、日々に刺激を求め続けている○○たちにはちょうどいい出来事だった。
「郷田さんと世良さんは……。よかった、起きてますね。少しお話しいいですか」
「はい、別に構いませんよ。むしろこちらからお願いしたいぐらいです」
病室に入ってきたのは看護師になったばかりである立花さんだった。立花さんは拓海たちを担当してくれている看護師さんで、毎日のようにお世話になっている。
たまにおっかなそうな看護師さんも一緒のときがあるのだが、その看護師さんは今日はいないらしい。その看護師さんに苦手意識をもっている拓海にとってはありがたい話だった。
「実は郷田さんたちにお願いがあるんです。お願いっていってもそれほど難しいことではないんですけどね」
「と、言いますと」
「実はこの度新しい患者さんが入院することになったんですけど、その方をこの病室の方に入れてあげてほしいんです。ちょうどベッドも余ってますし、歳も同じぐらいだから話は合うと思うんですよね」
「別に私たちはいいですけど……、急ですね」
本来ならばこの病室には四人の患者を収容することができる。しかし、拓海たちがこの病室に入ってきてからというもの、他のベッドが埋まることはなかった。
立花さんの話によるとどうやら今年は患者さんの絶対数が少ないらしく、この部屋以外にも空いている部屋がいくつかあるのでそちらの方に入ってもらっていたらしい。
その方が拓海たちにとっても気が楽だし、周りの人を気にせずにおしゃべりを楽めていたのだが、近々中学生の女の子が入院することになったのでこの部屋に入れてあげたいのだそうだ。
その子はかなりの神経質らしく、あまり話すのが得意ではないらしい。なので拓海たちには積極的に話しかけてほしいとのこと。
よっぽどのことがない限りこういうことを患者さんに伝えるのは禁止されているのだそうだが、たまたまこの部屋の前を通ったのでついでに話しに来たらしい。ここで拓海たちが拒否したらどうするつもりだったのだろうと思いつつも、すでにその人がこの部屋に入ってくるのは決まっていて今日の夕方には入院してくる予定なのだそうだ。
もはやわざわざ言いに来る必要なんてなかったのではとも思ったが、どちらにしろその子を拒否する理由などないので結果に変わりはなさそうだ。むしろちょっとした雑談にはもってこいである。
「実はその子、盲腸で入院するんですよ。手術前や手術後はご飯を食べられないし、いきなり腹部に痛みが走ることがあったりするのでだいぶきつい入院生活を送ると思うんです。なので郷田さんたちにはその子の不安をできるだけ和らげてあげてほしいんですよね」
入院してくる人の病名を言うのはプライバシー的な面でどうなのだろうかと思いながら、そこはあまり気にしないことにした。どうせあと少しもすれば分かることだし、拓海たちが黙っていれば何も問題はない。強面の看護師さんにこのことを言ったら後で立花さんが怒られそうだ。
「それで、その子が入院するにあたっての注意事項とかありますか。友達が盲腸にかかったという噂を聞いたことはありますが、盲腸についての予備知識などについては皆無なので」
と、どこかしらで生徒会長としてのスイッチが入ったらしい菜々美が立花さんに尋ねる。普段はおちゃらけた性格である菜々美だが、生徒会長としての郷田菜々美はまるで別人だった。てきぱきと物事を考え、実行に移す。理想的な社会人像といってもいい。
入院中でも生徒会長としての仕事は休ませてもらえないらしく、何度か病室に生徒会の資料を持ち込んで仕事をしているところを見させてもらったのだが、その姿は完全に仕事人である。
そんな菜々美だからこそ次に自分がやらなくてはいけないことについて考え、看護師としての知識を持っている立花さんに話を聞けたのだろう。新しい人が入ってくるんだなとしか思っていない拓海とは大違いだった。
「んー、そこらへんは特にないですね。あるとすれば、その子が苦しそうにしていたらそこにあるナースコールボタンを押してもらいたいぐらいですかね。普通ならその子が押すとは思うんですけど、意識が飛んでしまっていたり呼びかけに応じられないほど苦しんでいたら遠慮なく押してください。すぐに私たちが飛んできますので」
「分かりました。善良します」
どうやら特別に伝えたかったのはそれだけだったようで、そのあとは少しだけ雑談をしてから彼女は病室を去って行った。その盲腸の子が入院してきたのはそれから数時間後のことである。