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 「猫さーん。猫さーん」


 まっすぐ背中まである黒髪を揺らしながら、少女リコは猫を探して森のなかにいた。リコの住む街には、野生の猫は居ない。何十年か前から往来している魔物から街を守るため、周囲に固い結界が施してあるからだ。鎖国状態で人の行き来も稀であるのに、野生動物なんて入れるわけがない。街の猫はみんな金持ちの屋敷の室内にいる。だから、森の入口で猫をみつけたとき、リコは飼い猫が脱走してきたのだと判断し、追いかけていた。ところが当然、素早い猫の動きに追いつけるはずもなく、いつの間にか追跡から捜索になってしまった。


 (役所の人に伝えておけば大丈夫かなあ?)


 リコは『優等生』であった。猫の脱走はままあることだが、大概騒ぐのは飼い主の使用人だけで、他のみんなは勝手に帰ってくるとわかっている。また、お屋敷で飼われているような猫はイタズラなどすることがなく、すなわち実害がない。そのため住人は猫を見かけたら連絡をする、というくらいでほとんどノータッチなのだ。追いかける、探す――この行いが為されたのは、ただリコが『優等生』であったから、ということに他ならない。『優等生』のわりに、入るなと言われている森に足を踏み入れてしまったのは、ひとつ正しいと決めたことに一直線になってしまうリコの愚直さの表れであった。


リコは森の奥に目を凝らした。目はどちらかというと切れ長で、リコとしては少し目が細いというのが悩みのようだ。けれども、すっきりと整った顔立ちは上品さを醸しているし、愛嬌もいい。先生やご近所さんからも可愛がられている。

 近くも遠くもぐるりと見たのだが、猫の手がかりはひとつも見つからない。あてをなくし、歩みの鈍ったリコの足元に、ふわりと風が吹いて薄ピンクの花弁が1枚舞った。

なぜだか気になって、吸い込まれるように風上に足を運ぶ。


 「小屋、だ……」


 そう歩かないうちにリコは、小さなログハウスのような建物を発見した。


 (この中に逃げ込んだかもしれないし……)

 と、ちょっとした好奇心に言い訳をしながら、窓を覗くと――

 「女の子?」

 謎の少女と目が合った。


 少女は無言で無表情であった。二重で丸い瞳がまっすぐとリコを見つめ、少しふくらみのある唇は結ばれていた。リコはその顔から悲哀となにかを感じ、一瞬思考が止まった。そのなにかとは言うところの色気、であった。しかし、リコがそう思い至るわけもなく、直ぐに正気戻って、挨拶をした。


 「こ、こんにちは!」


 戸惑いを掻き消すため無意識に大きくなった声にリコ自身も少し驚いた。窓越しでも伝わったようなので、結果オーライである。


 「……………………」


 少女は表情も変えずに小さく会釈をした。片耳にかけられていた胸に届かないほどの髪が垂れる。邪険にされているわけではないと感じたリコは、同世代の女の子に出会えたことが素直に嬉しかった。


 「私はリコ! 一五歳! あなたは?」


 高揚する気分のままリコは自己紹介をした。ピョコピョコ跳ねる姿は小動物のようであり、街の人たちにリコが可愛がられるひとつの理由でもある。そんなリコを見ても少女は口を結んだままだった。しかし、やはり無視することなく立ち上がり、外にリコが立つ窓に近づいた。ほこりがつもりたてつけの悪くなった窓はおそらく久々に開け放たれたのだろう。少女はそのまま、リコの向こう側を指差した。

 リコは振り向いて少女の指す先に目線を走らせた。そこには、太い幹と大きく広がる花の群贅。といっても、そのほとんどはまだ開いてはいない。色は、リコをここへ誘った花弁と同じ薄ピンク。


 「……桜、だ」


 少女は咲き始めほどの桜を指していた。咲いた花も散った花弁もまだ少ない。


 「あなたのこと、サクラって呼べばいいの?」


 リコはあえてそう言った。口をきかない彼女が桜を指したのはきっと便宜上のことだろうと考えたからだ。サクラが本名であるならばそれはそれで運命的ではあるが、違う確率が高い。そういった思考経路があり、サクラっていうのね? とズバリ尋ねるのは気が引けたのだ。《サクラ》がコクリとうなずくのを見て、リコは満足げに微笑んだ。意図が伝わったかはどうでもいい。この質問で、彼女に与える痛みを少しでも減らすことができたなら良いのだ。


 「折角だから、桜一緒に観ない? 咲いてる花は少ないけど、蕾を眺めるのも、今しか出来ないことだし」


 リコは共感できる美しさで共有できる思い出をサクラと作りたかったのだ。もっと端的に言えばはやく仲良くなりたかった。こんなところで少女と出会えるなんて夢にも思わなかった。きっと、ここに住むサクラにとっても貴重な出会いであるはずだ。リコはそう考えたのだが、


 「……………………」


 無言で首を横に振られてしまった。フられたリコは眉を八の字に下げた。


 「外、嫌い?」


 サクラは首を横に振った。その姿を見て、リコは悲しい可能性にたどり着く。


 「なにか病気なの?」


 また首を振るサクラ。続ける言葉が見つからず、リコも何となく黙ってしまう。沈黙を作るも壊すもリコ次第で、それは自身でも理解している。思い当たる可能性が他にないでもない。ただ、誰か『悪者』の存在が出てくるこの選択肢は、リコにとって否定されたいものだった。


 「でもまさか、閉じ込められてるってわけじゃないんでしょ?」


サクラは何も反応を返さなかった。それが答えだった。表情を奪われるほどの酷い仕打ちを受けながら、逃げ出せない状況にあるのだろうか。そう考えるとリコは怖くなった。


 「なんで……っ、なんでそんなにっ平然としているのっ。望んでることじゃないんでしょう?」


 恐怖心だけではなく、サクラの不変な表情に、悲しみを感じたリコは涙を流していた。自分が泣く場面ではない、と頭では理解していても、涙腺はいうことを聞いてくれなかった。そんな様子を見て、サクラはそっとリコの肩に触れ、撫でた。慰めの仕草だった。リコはそんな優しさを持ちながら報われぬサクラを放ってはおけなかった。


 「これからここに遊びに来てもいい? 少しでもサクラの力になりたいの」


 サクラはリコの申し出を聞き、リコの右手を握った。リコはサクラの承諾を受け取った。



 この日からリコは宣言通り毎日サクラのところへ通った。出会った次の日には、部屋に入るようにまさに指で示され、リコはちょっと複雑な気分だった。

 サクラの部屋では、街の様子や学校でのことを話したり、森に訪れた春を象徴する花を持って行ったりした。宿題が沢山出たときはサクラの部屋のテーブルを借りてこなすこともあったが、基本的にリコは、外の世界をサクラに知って貰えるように尽力していた。サクラも表情が出せない代わりに、首で懸命に反応を返していた。それがリコは嬉しかった。

 咲き始めの桜が満開になるまで、ものの五日もかからないが、その間にリコとサクラは互いの存在が心地よいものになっていた。



 「サクラと出会って、世界が広くなった気がする」


 今日のお土産であるパイをサクラに渡しながら、リコが言った。食べ物のお土産は初めて。このパイはおやつにちょうどよい大きさと価格で、女子学生に人気なのだ。パイのほろぬくさが空気を上昇させ、甘い香りが広がる。


 「学校帰りにお菓子買うなんて初めてだったし、ついでにお店とかオーナーのおばさんのこととかアレコレ聞いてきちゃった」


 言いながらリコがパイを手渡すと、サクラはじっとリコを見てきた。パイをつき返すことも食べることもせず、ただ彼女はリコを見ていた。食べ物はまずかったのかなとリコは伺うようにサクラの瞳を見つめ返した。


 「えーっと、食べる?」


 サクラが何を伝えたいのか見当がつかないまま、リコはおずおずと提案をした。するとサクラは勢いよくうなずいた。真顔のままだから、ちぐはぐさが少し可笑しい。リコは笑い混じりの声を発した。


 「じゃあ、いただきます。だね」


 表情が無いのは心を閉ざしているから。そう思っていたのは間違いだった。むしろサクラの中の感情はとても豊かだ。無感情だったなら、サクラは辛さすらなかっただろうに。そちらの方が見ている側としては痛ましいけど、当人としては辛さを感じなければならない。なおのこと早く助けないと、とリコは強く思った。


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