第8話「旅の始まり」
「―――うっ!」
「大丈夫?」
俺はアリスに囁いた。
「え、ええ。シンヤくんこそ大丈夫?」
「うん。早く行こう、あの船は魔法使いの力で動くらしい」
「どこでそんなこと知ったの?」
「……彼が、デヴィットが教えてくれたんだ」
俺はある方向を見た。アリスもつられて、俺と同じ方向を見る。
そこだけ妙に砂が盛り上がっていた。そう、俺がデヴィットの遺体を埋めたのだ。この世界じゃどうか分からないけど、俺はこうした方が後味が良い。
「迷惑かけたわね、行きましょ」
俺の気持ちを察してくれたのか、アリスはそれ以上何も聞かなかった。
「でも、実際にどう動かすんだ? エネルギーを送る場所でもあるわけでもあるまいし」
「ミッドナイトには『ヴァース』と呼ばれるエネルギーが存在する。そのエネルギーを使えば、手を使わずに船を動かすことも可能だわ」
「へぇ。どうやったら操れるようになるの?」
「普通なら半年の修行は必要ね。でもあなたなら一月もあればマスターできるんじゃないかしら」
「そ、そうかなぁ?」
俺は照れて自分の後頭部を撫でた。
「動かすわよ」
アリスがそう言うと、おんぼろ船はゆっくり動き始めた。本当に手も使わず、機械も使わず動いている。これがこの世界の力か。ヴァース……俺も早く使ってみたいぜ。
あれ、そういえば、デヴィットはあの戦いでヴァースを使っていたんだろうか。
「ねぇアリス。ヴァースについてもっと教えてよ」
「そうね。次の陸までまだかかるでしょうから。ヴァースだけじゃなく、この世界で生きていけるだけの知識を教えるわ」
俺はワクワクしながらアリスの説明を待った。
「―――まず、ヴァースって言うのは万物という意味を持つユニバースからきているの。ヴァースはほとんどの生き物が持っている生命エネルギーなんだけど、それを扱えるのは一部の才能ある者だけなの。鍛え方によって違うんだけど、ヴァースを操れるようになれば、相手の実力を見抜いたり、少し先の未来を診たり、物体を浮かせたり、空を飛ぶことだって出来ちゃうのよ」
「ヴァースって奥が深いんだね」
「べつに自慢するわけじゃないんだけど、魔法を使えるようになれるのはヴァースを鍛えたものだけなのよ。こんな風に船を動かせるぐらいになるまで、5年もかかったわ」
「いくつから修行を始めたの?」
「私が5歳の時に、両親がヴァースの才能の片鱗を見つけて、そこから鍛えること、13年」
「13……ってことは、今は18歳? 俺より年上!?」
何という事だ。今の今まで年下だと思っていた子が、わずか一つではあるが年上だったとは。タメ口で話すという失礼極まりないことをしてしまった。
「あ、いいのよ。気にしないで。友達感覚で話してくれたほうが、私も楽だわ」
アリス。なんて優しい子なんだろう。俺は完全に惚れてしまったぜ。
「次にお金ね。この世界のお金の単位は、種族によっても違うから一概には言えないけど、最も多く使われているのが『night』と呼ばれる単位よ。1Nt、2Ntと数えるわ」
なるほど。なんか科学の記号みたいで頭が痛いな。俺は科学が嫌いだった。なぜなら数学みたいに数式を使うからだ。歴史の方がまだ興味があった。
「一日生活するためには10Ntあれば大丈夫よ」
日本で言うと10円ぐらいかな。いや、さすがにそれっぽっちで一日生活はできないだろう。
「一年は360日。1月から12月まであるわ。1ヶ月30日よ。場所によって違うけど、ほとんどの場所で春、夏、秋、冬の四季節あるわ」
ほうほう。ここは地球と似ているな。
「この世界には数多くの職業があるの。私みたいな魔法使いや、剣士、弓使い、鍛冶屋、聖職者とかね。主に前衛に出て戦うことが役割の職業の平均年収は約1万Ntね」
高いのか安いのかよく分からないが。一日10Ntで生活できるとなると、かなりいい方だろう。
「まぁざっとこれくらいかしら。まだ陸まで時間がかかると思うから、少し眠ったらどう? 走りっぱなしで疲れたでしょ?」
「アリスは?」
「私は船を動かさないといけないから」
「じゃあ俺だって起きてるよ」
「いいのよ。私はあなたが必死に戦っている時にすやすや寝ていたんだもの。もう十分に睡眠はとったわ。年下が遠慮なんかしちゃいけません」
「うっ……」
俺は顔を真っ赤に染めた。この瞬間のアリスの笑顔はとても可愛かった。初めて見る……いや、どこか懐かしさを感じる、優しい笑顔だった。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく……おやすみ」
「うん、おやすみ」
俺はお言葉に甘えて仮眠をとることにした。と言っても布団があるわけじゃなく、木で造られた台の上に横になるだけだ。ちょっと痛い。
薄れゆく意識の中で、俺は宮古村のことを思い出した。
母ちゃんと父ちゃんは何をやっているんだろう。もう、俺がいなくなったことに気づいているのかな。家出したことはないから、帰ってこないと分かれば騒ぎになるとおもうけど。それに、熊田さんを騙す結果になったことは、もし帰れる日が来るなら、ちゃんと謝ろう。
そういえば、俺は最初、宮古村に500年前から伝わる裏儀式の謎を解くために洞窟に侵入して、こんなことになっているんだったな。
姉ちゃん……この世界にいるのかな……。
俺は眠りに落ちた。
―――シンヤ……シンヤ。
「姉ちゃん!」
俺は遠くで呼ぶその声に反応して飛び起きた。
「きゃっ!」
悲鳴をあげた女性が一人。
「あ、アリス……さん」
「アリスでいいわ。それよりどうしたの? シンヤくん。なんか、うなされてたみたいだけど」
「ああ、大丈夫だよ」
見ると、俺の服は汗でビショビショだった。
「陸に着いたわ。私が拉致されたところじゃないから、どの辺りかは分からないけど」
「じゃあ降りてみよう」
「私は旅をしている身だからいいけど、あなたはこれからどうするの?」
「目指す場所は決まってる。恵土だよ」
「恵土ですって? 恵土って言ったら、ここから東に何万キロも歩かなきゃならないのよ」
アリスはかなり驚いているけど、俺はべつに何とも思わない。
「行かなきゃいけない理由ができたんだ。君について来てくれとは言わないから安心して」
俺はリュックを引き寄せ、荷物をまとめ始めた。
「……私も旅はしているけど、ほとんど流浪なの。あなた一人じゃ心配だから、私も付き合うわ。いいえ、私も共に旅をさせて」
「ありがとうアリス」
一度はカッコつけて『来てくれとは言わない』と言ったものの、ここは俺にとって未知の世界。ひとりで生きていけるかと聞かれたら『無理』と即答するだろう。
「そうと決まれば、早く行きましょ」
アリスはかなり張り切っている。俺がまだ荷物を整理しているというのにもう外に出ている。きっと誰かと一緒に旅ができるという喜びがあるんだろう。俺もこんな可愛い女の子と旅ができるなんて嬉しい。嬉しすぎる。
「準備できた? シンヤくん」
「今行くよ!」
こうして、俺とアリスの長い長い旅が幕を開けた。