第4話「潜入」
俺は塀の周りをウロウロしていた。半漁人は門の前にしかいないと考え、侵入する経路を探している。この塀がどこまで続いているのか全く分からないので、あまりここから動かないようにしよう。
塀の高さはおよそ10m。霧でよく見えなかったので、先ほどのジャンプを利用して確認したのだ。力を込めれば飛び越えられない距離ではない。
ジャンプだけではない。このパンチ力や走力。普通じゃない。明らかに超人並みになっている。しかしまだその力をうまくコントロールできない。相手の実力も分からない。ましてや先ほど一目惚れしただけの女の子を、わざわざ命の危険を犯してまで助けに行こうという行為自体、バカな事なのだと自分でも思う。
う~ん……決心がつかない。
これはあれだ。1200円のCDを1枚買うか、はたまた420円のコミックを3冊買うか、それほどの迷いがある。
「行くしかない!」
こうしている間にも彼女は酷い拷問を受けていることだろう。どれだけ悩んでいたか分からないが、もう考えるのはやめだ。
「俺はこう見えても鍛えている。自信を持て!」
俺は自分に気合を入れて塀を飛び越えた。
「おっ、と」
着地はうまくいった。すぐに周りを見渡すが、塀の中も外同様、深い霧に覆われていて遠くが見えない。だが火の臭いがする。霧を少しでも薄くするためにたき火でもしているのだろうか。
「すぅ……はぁ」
とりあえず深呼吸をする。敵がすぐ近くにいるかもしれないという緊張から解放されたいからだ。
「よし」
俺は慎重に歩みを始めた。
しばらく歩いているが、霧のせいで思うように進めない。民家、だろうか。家は普通にあるようだ。石の家だが、あの半漁人が住んでいるのだろうか。とてもシンプルな形だ。
「……さっき新しい奴隷が入ったんだって?」
まずい、半漁人だ。
「ああ、そうらしいな」
俺はすぐに建物の影に隠れる。半漁人が通り過ぎるのを待つ。
「でも専用の奴隷をもらえるのは上級のリザードマンだけだろう?」
「俺らも早く上級になりてぇなぁ」
リザードマン?
こいつら今、自分たちのことを「リザードマン」と言ったのか。ファンタジー系のゲームはあまりやらないので詳しくはないが、聞いたことがある。
リザードマンは、人魚(もしくは魚人)や狼男などの様に古くからの伝承や文献もなく、架空の存在であって明確な由来は特に無い。そのため、作品によって大まかな共通項はあるものの、細かな性質や設定の相違が見られる。
なるほどね。こいつらがリザードマンと分かっただけでも進展だぜ。
「……ん?」
「どうした?」
「人間の臭いがする」
この言葉を聞いて、俺の心臓はビクンと震え上がった。
「奴隷が通ったからじゃないのか?」
「こんな細道は使わないはずだ」
俺の額から大粒の汗が滲み出た。
「奴隷が逃げ出したか。確かに臭うが……」
「新鮮な肉の臭いだ。奴隷じゃない。奴隷はこんな臭いじゃない」
ダメだ、もうバレてる。
そう思った俺は、急いでその場から立ち去ろうとした。
「ははは、そりゃ傑作だ!」
「今度アイツにもそれを教えてやろう!」
反対側からもう二匹のリザードマンが近寄ってくることが分かった。こいつら、常にツーマンセルで行動するのか。
本当にやばい。人生またとない大ピンチだ。こんなに早く騒ぎになることだけは避けたかったのだが、戦闘をするか。しかし相手は剣を持っている。身体能力が高くても、ケンカ経験のない俺が生身で剣に勝てるのか。
「ここか!?」
一人のリザードマンが声を荒げる。
しかしそこには反対側からやって来た別のリザードマン二人の姿しかなかった。
「……どうした?」
「新鮮な人間の臭いがしたが、そっちに誰かいなかったか?」
「こちらには誰も来ていないぞ」
「まだ微かに臭いが残っている。探せ、ここに人間がいたことは確かだ」
まずいことになった。今回はジャンプ力を利用して建物の屋根に上ったが、完全に俺がいることに気づかれてしまった。
いくら身体能力があるとはいえ、奴らのように鼻が利くようになったわけではない。こんな濃霧の中で嗅覚能力が低い俺が奴隷の居場所を突き止めるのはやはり無謀だったのか。
ダメだ、すぐ弱気になってしまう。
自分でも精神的に安定していないことが分かる。ここに来てどれだけ眠っていたが知らないが、昼食をとらずに家を飛び出したため、腹が減ってきた。
「もう、どうにでもなれ!」
俺は勢いよく走り出した。屋根から屋根へ飛び移り、がむしゃらに町中を走り回り始めた。いつまでも同じ場所にいればいつか奴らに見つかる。かといって当てもないこの状態で慎重に行動したところで奴隷の場所までたどり着けるとは限らない。だったら……。
「オタクはオタクらしく、風を斬るように走るぜ!」
ある外国人が言った。「なぜ日本のオタクはいつも走っているのか」と。それに対する日本オタクの答えは……。
「風を感じたいからさ!!」
元々見つからずになど無理だったのだ。スパイの経験がない、映画で見ただけ。リザードマンの特徴といっても、漫画やゲームの設定の話。実際の奴の生態も分からなければ能力も未知数。死んだら「実は夢でした」と覚めるかもしれない。ならばとことんやってやる。俺の今の目的は一つ、あの金髪の美少女を助けることだ。
「そしてあわよくばそのままゴールイン―――あっ!!」
調子に乗っていた俺は、次の屋根に飛び移ろうとしたが、次の屋根はなく、そのまま地面に顔から落下した。
「いてて……でも、鼻血くらいで助かったぜ」
ここで町は終わりなのか、と周りを見ると、どうやら道に出たらしい。しかも他とは違い、広く作られている。そして目の前には有刺鉄線で囲まれた敷地があった。
「5mくらいか。飛び越えられそうだな」
この中が怪しいと睨んだ俺は、有刺鉄線を飛び越え、中へと侵入した。
すると一際大きな建物が見えた。絶対怪しい。触れてみると、この建物は木でできているようだ。しかもそこらは穴だらけ。霧が中へと吸い込まれている。作りが雑で老朽化が進んでいるこのような建物と言えば、奴隷小屋が定番……のはずだ。
「どこか入れるところはないか」
最初はそう考えた。俺だが、一部、今にも剥がれそうな板を見つけた。
「ここを破壊して中に入ろう」
なるべく音が立たないように静かに、ゆっくり壊していく。
ぎし、ぎし、と音が鳴るたびに心臓が飛び跳ねるような動きをする。緊張で汗が噴き出す。そしてついに、人ひとりが通れるくらいの穴が開いた。
「よし」
そして俺はゆっくりと中へ入った。
「……ん? 有刺鉄線に血が付着している。人間の血のようだが、奴隷どもは全員牢に入っているはず……まさか、な」
侵入に成功した俺は小さくガッポーズをした。
中は思ったより濃霧がなく、涼しい。いや、このような場合は冬になると寒いのか。そもそもこの場所に冬なんてあるのか。
いやいや、そんな関係のない事を考えている場合じゃない。ここまでは自分でも驚くほどうまくいっている。
「どっちへ行けばいいんだ? まぁ、どっちでもいいか」
俺は気まぐれに右に歩き出した。理由は右利きだから。
外とは違い、霧がないのだが電球はともかく、蝋燭もない。
「そうだ、着火マンがあった」
俺はリュックから着火マンを取り出した。着火マンの微かな炎でも、これだけ暗いとかなりの範囲を照らせる。見張りがいなければの話だが。
相手の視力が良いのか悪いのかもわからない。もし良いならば、俺が着火マンで照らしていなくても向こうからは俺の姿が見えることになる。着火マンで居場所がばれたのなら、消して様子を覗おう。
「ん、階段がある」
地下へ降りる階段の様だ。
「臭う、臭うぜ」
俺は何も迷うことなく降りていった。
「……あの人間、何者だ?」