第10話「オエステの里」
嘆きの森の中は静かだった。リザータウンのジャングルに比べると湿度も低い。気温は、感覚だけで言うと25度前後だろうか。爽やかな空気が肌をなでる。名前を聞いてもっと恐ろしい森かと思えば、木々の間から太陽の光が差し込み、時折眩しさで目がくらむ。まるでピクニックに来ているような気分になってしまう。
「ここは道が整備されてるね」
「エルフが住んでいるのよ」
「エルフ?」
俺がエルフと聞いて想像するのは、昔西洋小説で登場した『エルフ』という種族。確か資料には、ゲルマン神話に起源を持つ、北ヨーロッパの民間伝承に登場する種族。日本語では妖精あるいは小妖精とされることも多い。北欧神話における彼らは本来、自然と豊かさを司る小神族であった。エルフはしばしば、とても美しく若々しい外見を持ち、森や泉、井戸や地下などに住むとされる。また彼らは不死あるいは長命であり、魔法の力を持っている。
「エルフはみんな魔法使いなの?」
「いいえ。魔法使いの才能がある人は確かに多いけど、全員じゃないわ」
「不死って聞いたことあるけど、それって本当?」
「いいえ。人間と同じように歳をとるわ。でも平均寿命はちょっと長いかしら。伝説では、150歳まで生きたエルフがいるらしいわ」
「攻撃的な民族じゃないよね?」
「さぁ? こちらの出方次第ね」
「えっ」
アリスは立ち止まり、後ろを歩く俺の顔を見たと思えば、少し微笑んだ。妙に爽やかなアリスの笑顔に、俺は鳥肌が立った。
普通、家というのは地面と密接しているものだが、ここのエルフ一族は木の上にも家を建てていた。森の外側よりも中心に存在しているエルフの里『オエステ』には樹木も巨大になり、木の上に家を建てることも可能なのだ。木と木までを吊り橋で結び、木に登るための梯子がある。木の実が実り、キノコが生え、鳥がささやき虫が鳴く。喉かな里だった。
「えぇと……今日の運勢は……」
そんなエルフの里に、一人の少女がいた。ピンク色の髪を揺らし、草の上に裏向きで並べたカードを一枚めくる。
「よぉし、こいこいこいぃ……」
めくられたカードは白紙だったが、徐々に絵と文字が浮かび上がる。出てきた文字はエルフにしか読めないエルフ語で書かれている。
「なになに……恋愛運MAX!! 『今日あなたは運命の人に出会います』だって!!」
さらに文章を読み進める。
「どんな人なの……『その者は金髪の東洋人』ね……え? 金髪の、東洋人?」
「なにをしているのナンシー?」
後ろから、うつくしい金髪の美女が現れた。
「あっ、イメルダ様! いえっ、これは!」
「……へぇ。金髪の東洋人ねぇ」
「今日の占いは失敗みたいです! 東洋人に、金髪の人なんていないですもんね!」
「分からないわよ。北の国のエルフは、赤毛の東洋人と結ばれたらしいわ。赤毛がいるんだから、金髪だっているわよ、きっと」
「そっ、そうですよね!! いますよね、きっと!!」
『イメルダ様!』
次に金髪の男性がやってきた。
「あら、ラミロ。どうしましたの?」
「お部屋にいらっしゃらなかったので、心配しましたよ。お食事の時間ですので部屋にお戻りください。散歩でしたら、食後の後にでもできますから」
「相変わらずラミロは心配性ね」
「あなたももう少し緊張感を持ってください。オエステの里の長なんですから」
「しょうがないわね。じゃあね、ナンシー」
「は、はい!」
「ナンシー、お前も少しは仕事しろ。働かざる者、食うべからずだ」
ラミロはナンシーを指差した。
「うっさいな」
「何か言ったか?」
「べつに」
ナンシーはそっぽを向いた。
「はあぁ……早く来ないかな、アタシの王子様」
俺とアリスは嘆きの森を進んでいた。アリス曰く、もうすぐ森の中心部に到達するという。『嘆き』なんて言うくらいだから、もっと怖い森かと思っていただけに、あまりの平穏さに拍子抜けしてしまいながらも、俺は密かにこの時を楽しんでいた。
「―――危ない!」
突如アリスが叫んだ。
「えっ?」
俺は立ち止まった。その直後、アリスは俺に抱き着いてきた。こんな場所で急にどうしたんだと思ったが、よく見ると足元に矢が刺さっていた。なるほど、こいつから俺を守ってくれたのか。つまり俺はもう少しでこいつに脳天ぶち刺さるところだったのか。
「あ、ありがとう……」
ビビりながらもお礼の言葉は欠かさない。
「これはエルフの矢ね。いきなりこんな歓迎とは、やってくれるじゃない」
やっぱりエルフは怖い種族だ。俺はもう引き返したくなった。
『何者だ!? 名を名乗れ!!』
姿は現さないが声が聞こえる。若い男の声だ。
「私の名はアリス! 人間の子よ! 恵土に向かうためこの森を抜ける必要があってここまで来たわ!」
アリスが自己紹介とここへ来た理由を語る。
『……いいだろう、とりあえず里まで案内してやる。その代り、妙な真似をしたら容赦なく殺す』
すると、数人のエルフが木の陰から姿を現した。
「ご親切にどうも」
おいおい、ちょっと待ってよ。俺はまだ死にたくない。
「シンヤくん、大人しくしててね」
「は、はい」
こうして俺とアリスは、エルフに囲まれながらこの先を進むこととなった。
エルフは一瞬でも俺たちから目を離さない。里を通過したいだけなのに、これだけ警戒されるなんて、人間は彼らの嫌がることでもしたのか。
「いいか、これよりエルフの里に入る。武器を預からしてもらい、目隠しと手錠を付けてもらう」
「さぁ武器を差し出せ」
「やはりそうなるのね。シンヤくん」
アリスは俺にも武器を差し出すように促す。デヴィットの剣だから乱暴に扱ってほしくない。アリスの杖も、前の村でわざわざ作ってもらった。決して質のいい杖ではないが、村人の想いが詰まったものだ。
「なぜこんなことを?」
俺はエルフに尋ねた。
「森の神の意思だ。目隠しと手錠を」
目は白い布で隠され、手は鉄でできた手錠をはめられた。
「さっさと歩け」
目隠しをされていて早く歩けれるわけがないだろう。せっかく来たんだからおもてなしの心でもてなしてほしいものだ。こんなこと、日本でやったら大問題だ。世界を敵に回すのだ。日本の終わりなのだ。
「あ、アリス、ちゃんといる?」
「大丈夫よ、安心して」
くそ、情けない。俺はこんなに弱々しかったのか。地球にいた時には気づかなかった。
「―――あれ? ねぇラミロ、あれは何?」
少し離れた場所から、ナンシーが歩いてくるシンヤとアリスを見てラミロに尋ねた。
「ん、あぁ。先ほど連絡があった人間の子だ。この里を通って東に行きたいんだと。人間というのは『急がば回れ』という言葉を知らんらしい。大人しく迂回すればこの素晴らしい森を隅から隅まで堪能できるというのに」
ラミロは木に生っている果実を採取しながらナンシーの質問に答える。
「私だって迂回はめんどくさいわ……あ、ちょ、ちょっと……あれって……」
「どうした?」
「あの金髪の人、東洋人じゃない?」
「……あぁ、そのようだな」
「あ、アタシの……アタシの運命の人ッ!!」
「おっ、おいナンシー! どこへ行く!? 人間にむやみに近づいてはならん!!」
ラミロの制止も聞かず、ナンシーはものすごい勢いのまま木をサルのように飛び回り、シンヤの目の前にほとんど音をたてずに着地した。
「―――うわっ!? なっ、なに?」
前が見えないシンヤには何が起こったのかさっぱり分からない。取り囲んでいたエルフたちも動揺しているようだ。
「ねぇあなた! その目隠しを取ってもっとよくアタシに顔を見せて!」
「え……俺の事?」
「そう、あなた!」
「ナンシー! 何を勝手な事を! オエステではエルフ以外の者が里に入るときは、目隠しを外してはならん決まりがある!」
シンヤに弓を放ったエルフが止めに入る。
「そんなこと今は関係ないわ!」
「規則を破ればお前であろうと罰せられるぞ!」
「うっ……」
罰せられるという言葉に、ナンシーの手が止まった。
「―――どうしたのです?」
「あっ、イメルダ様! ラミロ様!」
シンヤとアリスには分からないが、イメルダという女性が登場したことで、その場にいるエルフ全員が腰を下ろした。
「ナンシー、これは一体何の騒ぎだ」
ラミロが訊ねる。
「イメルダ様! この方が、今朝アタシの占いに出てきた金髪の東洋人です!」
しかしナンシーはラミロの質問を無視し、イメルダに訴えかけた。
「まぁ、本当にいらしたのね」
「金髪の東洋人……って、俺の事、だよな?」
シンヤは自分が金髪であることを分かっている。ブリーチをしてから山吹色のカラー剤を塗っているのだ。当然地毛ではない。
「なぜ金髪なのかなんて関係ないわ! アタシの占いは間違っていなかったんだから!」
ナンシーは一人興奮状態でいる。
「ちょっと、何がどうなってるの?」
「俺にも分からない。エルフ同士でもめてるみたいだ」
シンヤとナンシーは訳が分からず、その場で直立不動のまま動かない。
「何だ何だ?」
いつの間にか騒ぎを聞いた野次馬達も集まってきた。
「ここでは目立ちすぎます。ひとまずラミロの家に行きましょう」
「えっ、なぜ私の……?」
動揺するラミロ。しかしイメルダの決めたことに反対できるわけもなく、従うほかなかった。シンヤとアリスは、里の出口まで案内されるはずが、ラミロという男エルフの住処に案内された。