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ひとつ目小僧の弟子

作者: 神崎黎

誓っていうけれど、ぼくは歩道とも呼べないような幅の白線の内側をきちんと走っていた。自転車だからもちろん左側通行も守って。通行量はさして多くなく、対向してくる車もごく普通のスピードで走っていた、と思う。そんな直線の道路でその対向車がいきなりぼくの方にハンドルを切ってきた。

「マジか!」

運転手のおじさんは聞こえないけれど口を大きく開けて何事か叫んでるようだった。だけどこっちも必死だ。避けようにもぼくの左側は田んぼが広がっていて。

がしゃん。

音は意外と軽かった。そしてぼくの身体は飛んでいた。

「痛てててて…」

強かに打ちつけた後頭部をさすりながら起き上がると、異様なモノがぼくをのぞきこんでいた。

「うわっ、なに? なんだコレ!」

「おぉ、オラが見えるだかおめぇ」

「は?」

ぼくをのぞきんでいたモノは形は人間によく似ていた。背恰好は小学生くらいでちょっとずんぐりした体形。白と青の縞の着物は膝丈で、何だかコミカルだ。三角の、お土産屋で売っている編みがさのようなものを被っている。

今時こんな子どもがいるとも思えない。いや断言すると、こいつは人間ではありえない。笠の下からのぞく顔には大きな目がひとつだけ、その下に小さな鼻と口がついていて、肌はやけにつるりとしている。

「ふーん、そうだべか」

顔のほぼ半分を占める巨大な目玉がぎょろりとぼくを見た。

そしてそいつがやけに指の短い子どもみたいな手を伸ばしてきたと思ったら。

指先がぼくの左目に触れ、そのままずぶずふと入りこんできたのだ。

「え?」

何が起きているのかまったく判らなかった。

「ひ、ひぃぃぃ?」

混乱して後ずさる。するとそいつは一歩近づいてきて、指はぼくの左目につっこんだままだ。そしてすぐに気がついた。

全然痛くない……何だこれ?

目の奥をくすぐられてる感触がして、すぽん、と目玉が取り出された。

痛みはまったく感じなくてぼくは呆然とそいつの手のひらに乗った白い球を眺める。それは確かに今しがたまでぼくの左目だったはずなのだが、こうして見ると箸の先でえぐり出した焼き魚の目玉みたいで作り物めいていた。

「な……な……なんだよ、これ」

あわあわと言葉にならずに口を開いていると、そいつはぼくの目玉を自分の大きな目玉に押しこんだ。

どういう構造になってるのか、何の抵抗もなくぼくの目玉はずぶずぶと入りこんでいく。

「ふぅ」

すっかり入ってしまうとそいつは軽くため息をついた。

「まぁまぁだな」

「な、なんなんだよっ、お前はっ」

「おらはひとつ目小僧っつう、立派な妖怪だべ」

「はぁ?」

「……オラが見えるっつーことは、おめぇ、もうおっ死んでるぞ」

「えーと、何言ってるかよく判らないんだけど……」

後頭部がまだ痛い。

急ハンドルを切ってきた車はどうしたんだろう。一言文句を言ってやらなきゃ、とようやくそのことに思いが至った。事故なんだから警察に連絡して話し合いをしなきゃならないし。

「自転車、無事かな」

辺りを見回す。それまで気づかなかったが、田んぼの中の道路ではあったけれど、事故のせいでそれなりに人は集まっていた。

するとぼくの身体は宙に浮いて座っている状態なのに気づいた。前に立っているひとつ目小僧も地面から浮いているのが判った。

「え、これなに? どういうこと?」

「だからよぉ、もう実体がないんだからしょうがねぇべ」

ひとつ目小僧の言うことはいまいち判らないが、どうやらこの状態で話ができるのは彼だけのようなので、仕方なく目を合わせる。

「ってことはぼくはもう、死んじゃってるってことか?」

「だからそう言ってるべ。見てみ」

指さす方を見ると、事故で周囲に集まって来た人たちの一部が事故を起こした車の運転手と話したり、自転車ごと田んぼの中に倒れたぼくをのぞき込んだりしていた。

かなりの人が集まっているのに、ぼくやひとつ目小僧には誰も見向きもしない。

ということはやはり見えていないんだろう。

田んぼの中で、だいぶ根を張ってきた苗に埋もれて仰向けに倒れたぼくは、斜めに顔を傾けていて、一見すると眠っているだけのようにも思える。だが頭の下に黒い石を枕のように敷いていた。

あの石に直撃したのか、それはかなり不幸な巡り合わせだな。ほんの少しでもずれていたら違う結果だっただろうに。

「石の上だったのか」

「一発だな。まぁ、これも人間の寿命ってやつよ」

この風貌でしたり顔で言われるとちょっといらっとするけれど、こうして自分の死にざまを目の当たりにするとそうかもしれないな、とも思えた。

「で、なんでぼくはこうなっちゃったんだ? 普通、成仏するんじゃないか?」

ひとつ目小僧に聞いてどうなるとも思えなかったが、話しかけるのが彼しかいないので自然と尋ねる格好になっていた。編み笠の目を指でいじっていたひとつ目小僧は、んー、と気のない返事をしながらも律儀に応えてくれた。

「人間ってのは強い想いをこの世に残してると魂が残ることがあるだべ、いわゆる幽霊っつうヤツだな。それ以外にも、おめえさんみたいにぽっくり逝っちまって、自分が死んだことに気づかないやつも残ることがあるのさ。あっちの世界に行くのもタイミングってものがあるみてぇでな」

「なるほど……」

「おめぇはぽっくり型だが、何か思い残したこともあるんでねぇか?」

「ぼくに……?」

まったく自慢にならないがおよそ執着というものには縁のない人生だった。

成績は中の中。運動で目立つこともなく、体つきも中くらいでクラスでは常に地味な存在だった。小学校中学校高校と、良くも悪くも目立った試しがない。

女子を泣かせたこともなければモテたこともない。

現在、大学に通ってはいるけれど将来にどういう大人になりたいのか何がしたいのか、明確なヴィジョンも目標もない学生なのだ。

あ、何だか振り返ってたら切なくなってきたぞ……。

落ち込んでる場合じゃなかった。

「別に、思い残したことなんて……」

「今は魂もびっくりして忘れてんのかもなー。そのうち思い出すかもしれんて。それで、今日からおめはおれの弟子な」

「……は?」

今度こそ訳が判らない。

「何を、言っとるのですかアナタ? 何でぼくが」

「細けえことは判んねけど、この世にとどまった魂が最初に会った妖怪なり幽霊ってのはそいつを弟子にできるって決まりがあるだよ」

「弟子って……いったい、何を教わるんだ」

ひとつ目小僧は軽く首をひねって考えこむ仕草をした。

顔の半分以上を占める目がぎょろ、と動いて少し可愛らしいと思わなくもない。こういうのはキモカワっていうんだろうか。

「んー、そう言われても困るだが……一人前の妖怪や幽霊になるためじゃなねぇか」

「そんなものにはなりたくない」

いくら死後だからって、一人前の妖怪や幽霊を目指してどうする。普通なら成仏するもんじゃなかろうか。

ぼくがあまりにきっぱり言い切ったためか、ひとつ目小僧は困り切ったようだ。

「って言われてもなぁ。じゃあおめぇどうするだ?」

「どうって、こうなったらしょうがない、ぶらぶらして過ごすよ。そのうち成仏できるんじゃないか」

ぐい、と伸びをする。

足元では警察車両や救急車が来て、それはもう騒ぎになっていた。

救命処置をされながら、担架に乗ったぼくの身体が運ばれていく。

これでもう自分の身体ともお別れかぁ、とあまり実感も伴わないままぼんやり考えた。

ぼくにぶつかった車のドライバーが真っ青になっていたけれど、不思議と恨む気持ちはなかった。お互い単に運が悪かっただけですよ、と言ってあげたかったけど、それを伝える術はぼくにはもうない。

自由の身になったのなら、気ままな生活を満喫してみよう。成仏っていつできるのか判らないし。

「なぁ、おらの弟子にはならないだか?」

「悪いけど」

そう言って歩き出してみると、ふわふわと心もとないながら前に進めた。

正直言うと、抜けがらになった身体が見ず知らずの人たちに見られているのがいたたまれなくて、ぼくはその場を離れる。

田んぼ一つ分離れてから振り向くと、ひとつ目小僧はぼくの身体を淋しそうに見下ろしていた。





いわゆる幽霊というヤツになったぼくは気の向くままにふらふらしてみた。

とは言っても気になるのは家族や友人たちのことで、自然とそちらに向かっていた。

実家は事故の報せを受けて大騒ぎになっていたし、学校の友人にもじわじわと伝わっていって悲しみに暮れる様子を目の当たりにする。

――マジで?あいつが事故?

――なんつうか、ついてない、な。

人は予想外の事実を聞かされるとすぐには受け入れられないのだと、よく判った。

でも、時間が経つうちに実感が沸いてきて泣いたり湿っぽい雰囲気になってる友人たちや、いつまでも魂が抜けたみたいになってる両親が見ていられなくて、だんだん顔見知りの所に行くのは避けるようになった。

それに、昼間どこまで遠くまで行っても、日が沈むと、すぅっとあの現場に戻っているのだ。

ぼくが死んだ、あの田んぼ横の道に。

ぺたりと座り込んで、顔を上げるとあのひとつ目小僧がのっそりとぼくを見ている。

「……なんで?」

「おらに聞かれても、よく判らねえだ」

ひとつ目小僧は困ったように言うばかりでまったく要領を得ない。魂だけになると眠らなくてもいいらしく、ぼくは夜の間はひとつ目の後をついて歩くハメになっていた。

もちろん好きこのんでついていっている訳ではない。離れようと反対方向に歩いても、いつの間にか磁石で引き寄せられているようにひとつ目小僧にくっついてしまう。全力で走って離れて、姿が見えないように角を曲がっても、同じことだった。

そんなことを十数回試してみて、ようやくぼくは諦めた。




「なんでだか判らないけど、ぼくはお前から離れられないみたいだ」

真夜中、満月より少し欠けた月が中空から西に傾けかけたのを見上げながらそう言うと、ひとつ目小僧は本気でびっくりしたようだった。

「ええっ?!

それ本当だべか」

「いや。そんなに驚かなくても。今までの様子でなんとなく判るだろ」

「それもそうだが。だけんどなんで離れられねぇんだ?おめえ、おらにずっとくっついてるつもりだか」

「ぼくだって好きでひっついてる訳じゃない。離れられる方法があるなら教えて欲しいくらいだ」

「えー、おちおち便所も行けねぇでねぇか」

妖怪がトイレ行くのか、今まで見たことないけど。

こいつのそばから離れられない、と気づいてから焦っていたのだけれど、ひとつ目小僧の動揺っぷりを見ていたらだんだん落ち着いてきた。

そう、ぼくはもう死んでいるんだからなにも慌てることはない。ただ、この状況に戸惑っているだけだ。

ひとつ目小僧は、悪いやつではないがあまり物事を知らないようだ。ぼくがこうなっていることについてもなにも判っていないのだから解決のしようがない。

「誰か、もっと物知りがいないものか」

思わず口からこぼれる。

すると。

うぉぉぉぉん、と獣が低くうなるような音がして、ぼくは飛び上がった。

腹にずんと響く重低音は風のように空気を揺らし、力強く伸びた苗を小刻みに震わせている。音は衝撃波だということを改めて感じるようなすごいものだ。

「なに、この音」

「あ、これは」

ひとつ目の視線を追って東に連なる山を見る。月に照らされてくっきりと稜線が見えていたが、そこからもこもこと奇妙なものが盛り上がり、煙のように広がってふもとに下りてきたと思うと、たちまちぼくたちの前にしまったひとつ目小僧は、そこでがたがたと震えていた。

「こぉら」

集まった煙は縦に伸びて、見る間に巨大な人の形になっていく。

顔にはやはりひとつ目しかないが、目つきはぎょろりとして、眉も太く、口ひげもあったりしていかにも怖そうな顔つきだ。

「えーと……どちらさまで?」

我ながらまぬけだとは思うが他になんと言っていいか判らない。背後にいるひとつ目小僧は役に立たなさそうだし。それに、新たに出現したひとつ目はぼくではなく、ぼくの後ろでかたかた震えているひとつ目小僧を睨んでいるようだったので、あまり怖くなかった。

大きな口が動き、予想した通りの低音が話しかけてきた。

「我は見越し入道。人の(わらし)よ、こたびは災難だったの」

「はあ、災難といえば災難ですねぇ」

 言いながら他人事っぽいとは思うけど、今さら怒っても泣いても生き返りはしない。身体はとっくに焼かれちゃって、今では小さな壺の中に納まっている。あれを見た時に、もう戻るところはないんだと、はっきり自覚したのだ。

今の状況が嫌なのかと言われるとさほどでもない。こいつにくっついて離れない理由があるなら知りたいだけだ。

ぼくが間抜けた返事をすると、見越し入道はぎょろりと睨みつけた。ぼくに向いてはいるが、視線の先は明らかにひとつ目小僧だ。背後からひぃ、と情けない悲鳴がした。

「これ、ひとつ目」

「見越しさまぁ、許してけろ」

「まったくお前というヤツは。いったい、いつになったら一人前になるんじゃ」

「そ、そんなことが判ればおいらも苦労しないですよぉ。どうしたらいいんですかぁ」

「喝っ」

 突然大声で叫んだ見越し入道はそれは怖い顔でひとつ目小僧を睨む。

「そんなことは己で考えることじゃ……我が来たのは今さらそんなことを言いにきたのではない。なんじゃこの有り様は」

「と、いいますと?」

まったく話が分からないぼくでも力の抜けるような口調だ。とにかく、ひとつ目小僧よりは見越し入道の方がまともに話ができそうだと察して、ぼくは彼を見上げた。ぼくを見た見越し入道の表情はさっきよりいくぶんか和らいでいる。

「人の童よ、お前さんはこのそこつ者のせいで命を落とした。気の毒なことじゃ」

「これも寿命だったのだと思ってあきらめてます」

「さよう、人にはそれぞれ天命があるからの。だが、そこに我ら妖怪が絡んでしまうとちとやっかいなことになるのじゃ」

「妖怪ってのはおいらですかい?」

ものすごく、まぬけなタイミングで割って入ってきたので見越し入道がぎろっと睨む。ぼくは背後に手を回してヤツの横腹をなぐった。

「いてえだよー」

「少し黙っててくれ、真剣に話聞いてるんだから」

「おいらだってちゃんと聞いてるだよ」

 ごほん、と見越し入道がせきばらいをして話を続けた。

「人がその者の寿命で死ぬのはなんら問題がない。だがの、妖怪に関わりそれが元で死んだ時は、その者は妖怪にならねばならぬのじゃ」

「そんなっ、あんまりだっ。だいたい、ぼくが死んだ時、こいつの姿はなんて見えなかったのに、どうして……」

「あの時、そやつの姿を見たのはお前さんではない。車を運転していた者の方だ」

「車……?」

そういえば、急ハンドルを切ってきたのは不可解だ。ほぼ直線に近い道路で、何も障害物はなかった。でも、あのおじさんがひとつ目小僧の姿をいきなり見たのだとすれば、あの行動も納得できる。

「でも、ぼくには見えなかったのに、どうしてあのおじさんには見えたんだろう」

ぼくが疑問を口にすると後ろでぼそぼそと話しだした。

「あん時、蛙が顔に飛んできてびっくりしただよ。それでうっかり人間に見えちまったんだべ」

「え……」

そんな理由?こいつがどんくさくて間抜けだっていうだけでぼくの人生はあそこで終わってしまったのか。

急に怒りが湧いてきて、ぼくは振り返ってひとつ目小僧のえりをつかみ上げた。

「お前がそんなんだからぼくは……完全に巻き添えじゃないかっ、どうしてくれるんだよ!今すぐ生き返らせろ、この間抜け小僧!」

「な、なんなんだべ、いきなり怒り出して……」

「うるさいっ、ぼくがこうなったのも、全部お前のせいじゃないか。あの時お前なんかが近くにいなければ、ぼくは……」

ぼくの剣幕にひとつ目小僧は慌てふためいているようだった。それでも怒りが収まらなくて、つかんだえりをさらに引き上げる。

「く、苦じい」

「妖怪は死ぬことなんてないんだろ、いいじゃないか」

「み、見越しさま……だずげで」

大きなひとつ目に涙を浮かべて、じっと見ているだけの見越し入道を横目で見る。

深いため息をつく気配がした。

「お前さんのことは気の毒じゃと思う。こんな間抜けのおかげで境遇が変わってしまったのだからのぅ。絞め殺して気が済むのならかまわんのだが、あいにくそれくらいでは死なぬのじゃ、そんな奴でも妖怪だでのぅ」

「そう、ですよね」

見越し入道の言葉を聞いていたら少し落ち着いてきた。ぱっと手を離すとひとつ目小僧はどさりと地面に座りこんだ。しりもちをついたまま、ひぃひぃ言っていたけれど、かまわず放っておく。

「理由は判りました。腹は立つけど、今さらどうにもなりません。だけど、どうして妖怪に関わって死んだら妖怪にならなきゃいけないんですか」

そこはまだ納得できない。

「すまぬ、それは神の定めた領域でな。我ごとき一介の妖怪ではどうにもできぬ。何故と問われてもそのように定められておる、としか言いようがない。世のことわりというやつじゃな。つまり、妖怪になり切れぬ場合、成仏することもできず永劫にこの世をそのような中途半端な状態でさすらうことしかできない、ということだ」

「それは、もう妖怪になるか、このままさまようか、ということですか」

見越し入道は申し訳なさそうな表情で力強くうなづいた。だからってぼくにはなんの慰めにもならないんだが。

いろいろな疑問が湧き上がってきた。だがここは、ひとつずつ解決していかないと。

「そもそも、妖怪は生まれた時から妖怪なんじゃないですか?」

 ぼくの妖怪に関する知識は、せいぜいマンガやアニメから得たものくらいだ。だから根本的なところから判らない。

「むろん元から妖怪というものもおる。じゃが人から変化したものも少なくないぞ。なかには長い歳月を経て、己が人であったことを忘れてしまった妖怪もおるがの。なにせ妖怪には寿命というものがない。あまりに人の世で悪さをして退治されでもしなければ、何百年と生きておるものじゃ」

「へぇ、そんなもんなんですか」

 意外だ。それに妖怪退治ってマンガじゃなくても実際にあるんだ。 

ショッキングではあるけれど、これは受け入れないとどうにもならないんだろうなぁ。成仏したらどうなるかなんて判らないけど、ずっとこのままっていうのもなんだかいやだ。こうなったら潔く、一人前の妖怪を目指した方がよさそうだ。

「それで、妖怪になるにはどうしたらいいんです?」

「それなんじゃがな」

 今まで滔々と説明してくれた見越し入道がいきなり口ごもる。なんだなんだ、よほど大変な修行をしないとダメなんだろうか。

「言ってください、どんな厳しい修行でもやりますよ」

「修行というほどのものでは、それもそうは厳しくはないと思われるが……そなたの場合、今は見習いのようなものじゃから、師と仰ぐものが必要になる。それで師となるのは、そなたが死ぬきっかけとなった妖怪になるのであって、その、な」

「はい? まさか、とは思いますが」

 見越し入道の視線がぼくの足元を向く。ぼくも一緒になって足元を見下ろした。

「んあ? どうしただ?」

 さっき転がったまま、座りこんでぼくらのやりとりを眺めていたらしい(あきらかに聞いてはいなかったみたいだ)ひとつ目が寝ぼけたような声を上げる。

 ぼくが死んでしまったきっかけは間違いなくこいつであって、それが師になるということは。

「こいつを師匠に、妖怪になれってことですか?」

「察しがよくて助かるの、お前さんは」

「そんなとこほめられても嬉しくはないです」

「まぁ、そう言うでない。我はお前さんが気に入ったぞ」

 ぼくがすべてを飲みこんだことで安堵したのか、見越し入道は晴れやかな表情を浮かべた。強面の顔つきだけど、案外判りやすい人かもしれない。

「と、いうことでの。ひとつ目、これからはこの人の童を引き連れ、立派な妖怪になるべくまい進するのじゃ」

「え、へぇ……それはつまり、どうすればいいので?」

 へらへらしたひとつ目に、見越し入道は再び喝を入れた。

「この、馬鹿者が! 我ら入道一門の存在意義をなんと心得る!」

「ひっ」

情けない声を出したものの、ひとつ目はぴん、と背筋を伸ばして立ち上がった。よほど怖いんだな。

「人に恐れられる存在となること、です!」

「判っておればよろしい。この人の童が立派な妖怪の仲間入りができるよう、しっかり導いてやるがよい。それまでそなたらは一心同体じゃ」

「ええっ、それじゃこのままずっとゴン太はおいらとくっついたままですか!」

「……誰がゴン太だ。って、話聞いてなかったんだなお前」

ものすごく不安を感じながら立ち上がったひとつ目小僧を横目で見る。それでも収まらなかったから、軽く耳をつまみ上げた。

「い、痛いだよー」

見越し入道はといえば、伝えるべきことは伝えた、と言わんばかりに腕組みをしてぼくを見下ろした。

「では、達者でな! 人の童よ。一人前になった時、再び会いまみえようぞ」

高笑いを残して見越し入道は煙のごとく消えた。

しばらくすると、カエルの鳴き声が戻ってきた。

あぜ道でぼくは立ち尽くす。隣にはまぬけ面したひとつ目小僧、空には煌々と光る月が眩しいくらいだった。

ぼくはこれから、どうなるんだ。

その心境は、自分が死んだ、と聞かされた時よりも不安でいっぱいだった。




草木も眠る丑三つ時、とまでは遅くはない。まだ終電にも余裕のある、繁華街の路地裏だ。電柱の陰に身をひそめてぼくたちは行き交う通行人を物色していた。

ひとつ目小僧は店のネオンや看板が光り輝いていることに驚いて、落ち着きなく辺りを見回している。

「こ、こんなに明るいとこで人なんかおどかせるだか?」

「仕方ないだろ、夜でも人のいるとこなんてこんなとこなんだから。ほら、あのおじさんとかどうだろう」

すっかり夜も更けた繁華街ではしらふで歩いている人の方が少ない。危なっかしい足どりで歩いてくる中年男性を指さすと、ひとつ目はひゃあ、と叫んでぼくの後ろに隠れてしまった。

「だだだだ、ダメだよ、あああああんなおっかなそうな人、おいらがとって食われちまう」

「は、なに言ってんだ、そんなわけ……」

ぼくが指したのは、いかにも仕事熱心などこにでもいそうなサラリーマン風のおじさんなのに、なにがおっかなそうなんだ。

背中で震えられることに軽くいらだちながらもぼくは通りに目を凝らす。

見れば、ぼくの指したおじさんの後ろに、鋲がたくさんついた革ジャンを羽織って髪が緑と赤とに染め分けられているすごくパンクな格好をしたお兄さんがいた。確かにお兄さんの方が上背があって、ちょうどおじさんの肩の上にお兄さんの頭が見えていたものだからぼくがそっちを指したのだと勘違いしたらしい。

いくらなんでもあの人に行けとは言わないよ。ぼくだっていやだ。

「違う違う、ぼくが言ったのは……」

訂正して教え直そうとしているうちに、標的にされかけたおじさんはぼくらの目の前を歩きすぎていった。小さく鼻歌なんか歌っててかなり上機嫌だった。

「ほら、この人」

「うう、大丈夫だかなー」

「いいから、実行あるのみ!」

それでもまだぐずぐず言うひとつ目の背中をぽんと押した。

「ひゃあ……っととと」

よろよろと押された勢いだけで歩いていき、おじさんの背中にぶつかった。しまらないことこの上ないけど、とりあえず気づかれることには成功したようだ。

「おお、なんだなんだ?」

「あっあの……おいら」

後ろからぶつかられて訝しげな顔で振り返る。かなり酔っているのか、動作はどうにも緩慢でひとつ目を見下ろす目は焦点があってない。

「あん? キミはどこかの店のゆるキャラってやつかな」

見た目がのんびりしているというか、コミカルなのがいけないのか、酔っぱらいの目にはそうとしか映らないのか、おじさんの反応は予想したものとはかなり違っていた。

「それにしても小さいね、中に入っているのは子どもじゃないだろうね、だめだよ子どもはもうおうちに帰らなきゃ」

「う、う、うらめしや」

「おい……」

それじゃ幽霊だろう。ひとつ目小僧の決め台詞としてはどうにもそぐわない。かといって他になんと言うのか。それは後々考えるとして、そもそもは見かけで驚いてもらわないことには始まらないのだ。

しかもひとつ目小僧の声は小さく、街の喧騒にかき消されてしまっておじさんの耳には届かなかったようだ。ぽんぽんと、頭を撫でられ続けている。

これはだめだな、とぼくは二人の前に出た。

「お騒がせしましたー」

ひとつ目号の手をとって立ち去ろうとすると、おじさんの表情がいきなりゆがんだ。

「ひぃっ。そ、その顔っ!」

「え?」

あ、忘れていた。ぼくも今はひとつ目だっけ。外見はひとつ目小僧と違って普通の人間だから、知らずに見てしまったらよけいショッキングかもしれない。

「ひぃぃ」

案の定おじさんはその場にへたりこんでしまった。

「今のうちに行くぞ」

「あ、あわわ」

ひとつ目小僧の手を引いて走り出す。

幸いおじさんは座りこんで震えているだけで叫んだりしなかったから、ぼくらはすぐに角を曲がって姿をくらませることら成功した。

「い、今のはゴン太が脅かしたことになるだか?」

「さぁ……それでいいのかなぁ」

ビルとビルのすきまに潜りこんで息を整える。今のは成功とカウントしていいのか判断がつきかねた。

見越し入道に言われた通り、ぼくらは人間を驚かす修行を始めた。

人から恐れられる存在になるには、とにかく人を驚かせないといけないんだろうと考えたぼくは、渋るひとつ目を連れて、いつもの田んぼのあぜ道で通りかかる人を待つことにした。

夕暮れは自転車も通るし車の行き来はそれなりに多い。けれど自転車で通りかかるのはたいてい連れ立ったの学生なので、小さく声をかけたくらいでは気づかれない。挙げ句、近づきすぎたひとつ目小僧が自転車に引っかけられて田んぼにおっこちる始末だった。

それ以来自転車の学生はいやだというので、暗くなってから待機したのだけれど、そこには致命的な問題があった。田んぼが広がっているということは人家はまばらになる訳で、夜になるとぽつぽつ点在する街灯の間は真っ暗なため、徒歩や自転車で通りかかる人はほぼいない。車は通るけれど、フロントガラスに飛び乗ったりしたら大事故になりそうで、さすがにできなかった。

そこでぼくが思いついたのが、繁華街だ。

ここなら田舎の夜でもそこそこ人は歩いている。修行の場にはうってつけだと思った。

そして実行してみたのだ。が。

「お前、ちっとも驚かれないのな」

地面に座り、大きく息を吐いてぼやく。ひとつ目小僧も口をとがらせていた。

「おいらも、がんばってるだよ」

「それは判るけどさ」

そう、ひとつ目小僧はいくら人間の前に出てもまったく驚いてもらえないのだ。むしろ、ぼくの方が怖がられる確率は高かった。

「やっぱ見た目かなあ」

「可愛いのがいけないだかな?」

どこで覚えたのかそんなことを言うので、軽く腹が立って額を小突いた。

こいつが可愛いかどうかはさておき、現代はゆるキャラというものがあふれていて、ぱっと見ておかしなものがいる、と思ってもすぐに着ぐるみじゃないか、と考えてしまうのだろう。このままでは立派な妖怪ではなく、ゆるキャラとしてのひとつ目が定着してしまう。同じ場所でばかり出没するとそれこそ噂になりそうでもあるし。

「酔っぱらい相手なら多少は驚いてくれるかと思ったんだけど、これ以上はやってもむだかな。ターゲットを変えてみようか」

「蛙? ゲロゲロ」

「違う」

呑気なひとつ目小僧の顔を眺めながら、ぼくは次の手を考えていた。


公園で最後に残った女の子は、薄暗くなってきたというのにまだブランコに乗っていた。小学校低学年くらいだろうか。時々公園の時計を見ているが帰宅するそぶりはない。

いくら夏で陽が長いからって、こんな時間まで遊んでちゃダメだろう、親は何してるんだ。

「あの子をおどかしてくるだか?」

ぼくが見ず知らずの女の子の親に憤っていると、ひとつ目小僧がのんきに見上げてきた。

そう。大人がダメなら子どもをターゲットにしようとしたのだ。えげつないのは承知してるけど、こっちも必死だ。

それも、今時の中高生はいけない。生意気だし、群れていると逆に返り討ちにあってどんな目に遭うか知れたものじゃない。狙うならもっと小さい、小学生だ。

そこに思い至った時には膝をついてへたりこむくらい落ち込んでしまった。

子どもをおどかして一人前になろうだなんて、ぼくはもう人として終わりだ。

自己嫌悪に塗れていると、ひとつ目小僧が不思議そうに言った。

「ゴン太はもう死んでるし、人じゃないんだからいいじゃねぇか? なにを気にするだ?」

「……それもそうなんだけど」

 はっきり言いきられると、なんだか切ない。それに、ひとつ目小僧はぼくのことをすっかりゴン太と呼ぶことにしたようだ。

確かにもう生前の名前は思い出せないけど、それ、犬の名前みたいじゃないか。

だがひとつ目小僧にぼくの抗議はまったく聞き入れる気がない。ぼくがターゲットにした少女をまじまじと見つめている。ぼくは思わずつぶやいていた。

「こんな時間までひとりで遊んでいるなんて、変質者に狙われでもしたらどうするんだ」

「だども、おらたちあの子おどかそうとしてるべな」

呑気に言うひとつ目小僧の足を軽く踏んづける。確かにそうなんだけど、それを言ったらおしまいじゃないか。

「考えようによっては、変質者と出くわすよりぼくたちにおどかされる方がまだましか。どっちもトラウマだろうけど」

「あの子がトラとウマだか?」

「なんでもない」

まともに相手すると疲れるだけなので話を打ち切った。

とにかく、実行あるのみだ。ひとつ目を引っ張って、ブランコに近づいていく。西の空には夕焼けの残光があるけれど、桜の樹に囲まれた公園はすでにかなりうす暗い。

「ほら、行くぞ」

ひとつ目小僧を押し出すようにする。女の子は気づかないのかうつむいたままだ。

おかっぱ頭に赤いスカート。今時の小学生にしてはあまりしゃれっ気がない。

「う、うらめしやー」

ひとつ目小僧は裏がえった声を上げた。相変わらず脅し文句がおかしい。だが女の子はそれを聞いても驚きも顔を上げようともしなかった。

「おにいさんたち、人間じゃないのね」

つま先で地面を蹴ってゆるゆるとブランコを揺らしながら女の子が言った。うつむいていて表情は判らない。

「そ、そうだだよ。お前さんに恨みはねぇがちょいと驚いてもらうだ」

言葉のわりに迫力がないことこの上ないけれど仕方ない。見た目からして怖そうな雰囲気がみじんもないのだ。

とん、と女の子がブランコから飛び降りた。そのままひとつ目小僧の前に近寄る。

「どんな風に?」

「そ、それは」

「じゃあ、こういうのはどう?」

ひとつ目小僧を見上げるように女の子が顔を上げた。真っ白な顔には、何もなかった。

「ひゃああああ」

情けない声を上げてしりもちをついたのはひとつ目小僧の方だった。

「……のっぺらぼう?」

ぼくがあぜんとつぶやくと、顔のパーツのない女の子はけけけっと笑い声を上げた。

「自分たちも妖怪のくせに、なんで驚くの? 変なの」

「だって、だって顔がないだ……ゴン太ぁ、おら怖い」

「お前がべそかいてどうするんだ。きみも、妖怪なのか」

「見ての通りよ。あんたたちがあんまりにもだらしないから、ダイダラボッチさまがあたしをよこしたの」

「ダ、ダイダラボッチさまだってぇ!」

ひとつ目小僧がすっとんきょうな声を上げて後ずさりした。なおもひぃひぃ言っている。騒がしいやつだ。

「ダイダラボッチさまって、見越し入道より偉いのか?」

「そりゃあそうよ。あたしたち里の妖怪の元締めみたいな存在なの。見越し入道さんはもう少し様子をみようって言ってたけど、こないだから見てればあんまりにも情けないからあたしが遣わされたのよ」

「あ、そう」

ぼくらの情けない修行の様子は、すべて見られていた訳だ。今までのことを思い返すと、恥ずかしくなってくる。

「まったく、あんたは生まれつきの妖怪のくせになんでそんなにヘタレなのかしら。しっかりしなさい」

のっぺらぼう少女に蹴られてきゃん、と犬のなくような声を上げるのが気の毒になってきて、手を差し伸べて立たせてやる。しっかりしろよ、と思ったけれど、彼女の言ったことにはかなり同意できたから慰めの言葉はかけなかった。

「それで、きみはぼくたちをどうする気?」

腰に手を当ててふんぞり返っているのっぺらぼう少女に聞くと、鼻でせせら笑われた気がした。目も口もないのに、こういう気配はちゃんと伝わるんだ、と妙な感心をしてしまう。

「あたしが立派な妖怪になれるように教育してあげるのよ! 人間をおどかすには気合いが第一、そして実践あるのみ! 行くわよ、夜は妖怪の時間なんだから」

「はあ」

見た目よりは熱血キャラのようだ。

これからどうなるのか不安でしかないけど、これも自分の運命だと思って受け入れるしかない。ついて来い、と言わんばかりに手招きして歩き出したのっぺらぼう少女のあとをついて行きながら、ひとつ目小僧を振り返る。

「ほら、頑張ろうぜ、ひとつ目」

 巨大な一つの目を潤ませたひとつ目小僧がぼくの顔を見てうう、と唸った。

「ゴン太ぁ、見捨てねぇでけろ」

「だから、ゴン太はやめろ」

「さっさと来なさいよ、おちこぼれコンビ!」

暗がりからのっぺらぼう少女の鋭い呼び声がする。この先は厳しいことになりそうだなぁと苦笑しつつ、ぼくらはすっかり暗くなった公園を歩きだした。


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