ち
不気味な微笑みに思わず、じり、と退いてしまう。
そこを軽く頭を振り、気を取り直す。私が冷静さを失ってはいけない。
自分にそう言い聞かせながら、教師に向き直る。
「先生は事務員さんと警察に連絡を。救急車も、呼んでください」
「あ、はい」
今度は固まった生徒たちに向かって言う。
「授業の邪魔をして申し訳ありません。これからここには捜査が入ることになると思いますが、皆さん、ご協力をお願い致し」
「きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
私が頭を下げようとするのと同時、今度は複数の女子生徒から悲鳴が上がる。
何事か、と思っていると未だ立ち直れずにいたつぐみさんが、私を指差し、「う、うしろ」と震える声で言った。
私は後ろを振り向きかけ、たん、たん、という音に気づく。音の方向は奇しくも、つぐみさんが示した方向から。
時折地を擦る音が入り交じるそれは、まるで草履を履いて歩いているよう──
まさか!
ばっ、と振り返り、足元を見る。
たん、すっ、たん……
「そ、んな」
目を疑った。
黒い髪と着物の袖を揺らしながら、黒い草履の跡をつけつつ、市松人形が、歩いていた。
「ま、待って」
私は市松人形の前に立ち塞がる。市松人形が脇から抜けようとするのを、しゃがみ、手を伸ばして止める。
行き先を塞がれた人形は、かく、と首だけ私の方を見た。
目線が近くなったからか、よりはっきりと人形の顔が見える。
血の涙に濡れた頬は紅く、それ以外の肌の部分は紙よりも白く、生気は感じられない。唇は紅をさしたように紅い。その紅さは両頬の筋と同じ色にも見え、不気味さを助長している。作り物の黒い瞳は水晶のように透き通っていて、冷たく、何の感情も宿っていない。今は通常の人形と同様、無表情だ。
しかし、あのにぃっ、と口端の吊り上がった笑みが脳裏に焼きついて離れない。
「駄目。逃がしはしないわ」
声が少し震えたけれど、強い意志をもって人形を見つめる。人形は無表情のまま、闇色の瞳でじっと私を見つめた。
「駄目よ。もうこれ以上人を殺しては。ね、いち? あなたがいちなんでしょう?」
人形は答えない。
しかし、意外なところから反応があった。
「いち? いち!? いや、伊織の呪い……いやああぁぁぁぁぁぁっ!!」
そう言って、逃げ出す一人の女子生徒。
私が戸惑い、気を取られた隙に、人形──いちがさっきとは見違えるほどの速度で逃げ出した少女を追いかける。
私も数瞬遅れて二人を追う。
「待って! 逃げないで!!」
そんな叫びで、二人が止まることはない。
授業中の教室を尻目に全速力で廊下を駆け抜ける。私はじりじりと二人に迫った。いちも、少女に追いつきそうだ。
少女はちら、と振り返り、間近に迫るいちを見て、ひっ、と声を上げ、階段を見る。
現場近くの階段から降りるのは怖かったのだろうか。反対側の階段まで来た。
階段に辿り着いたことで少し安堵したのか、ほんの少し、少女の歩調が緩む。
けれど、その真後ろにはもう、いちがいた。
「危ないっ!!」
「──え?」
いちが少女の足をとん、と押す。
少女は足を踏み外し、成す術なく落ちて行く。
私はどうにか追いついて、少女に手を伸ばそうとした。けれどとても届きそうにない。
なら、せめて──
落ちて行く少女に手を伸ばし、階段から足が離れても構わず、少女を抱き抱え、彼女の頭を庇うようにぎゅ、と胸に抱え込む。
空中で強引に少女のクッションになろうと身を捻り、ふと、階上のいちが目に入る。
彼女が紅い涙を流すのを最後に、私の意識は閉ざされた。