へ
「安塔クン、やっと来たか」
呼び掛けられ、振り向くと、小太りなせいか、さして暑くもないのに汗だくの部長がいた。
「新田さんは……」
「私が見つけたときにはもう、ね。署にも連絡したんだが、何せ遠いからねぇ。なかなか誰も来ない」
「私がいた現場、すぐそこですから、呼んできますか?」
どんなにゆっくり歩いても五分とかからない距離だ。一人くらいはすぐ連れて来られるだろう。
本音を言うと、この不気味な人形のいる現場から離れたかった。
もう一度、変わり果てた新田さんを見る。
「えっ」
私は目を疑った。
人形が忽然と消えている。
いたはずの場所にはぽつん、と一滴、血痕が残っているだけ。
「え、あれ、そんな」
私は頭を振って、もう一度錯覚じゃないかと確かめる。やはりいない。
「どうしたんだね? 安塔クン」
突然挙動不審になった私に心配そうに部長が訊ねてきた。
「いえ、ここにあった人形が」
「人形?」
不思議そうな声を上げて隣に来た部長は首を傾げて私を見た。
「ここに人形なんてあったかな?」
「え」
私は絶句しながらも、先程まで市松人形があった場所を指し示す。それでも部長は首を捻るばかりだ。
「うーん、少なくとも、私は見てないなぁ。でも、湊クンなら気づいたかもなぁ」
けれど、七瀬が気づいて上司の部長に報告しないのはおかしい。
一体、どうなっているの?
思わず視線を落とした私に新たなものが映る。
「足、跡……!」
追ってきた小さな草履の足跡が、新たに向こう側へと続いている。
「部長、ここは任せます」
「え、安塔クン?」
私は有無を言わせず走り出した。
小さな草履。
思えばあの市松人形は草履を履いていた。ちょうど、この足跡と同じくらいの大きさだ。
人形が歩いて逃げた、と考えるのはオカルトじみていてどうかしている。
けれど今はそうとしか思えなかった。
足跡が路地を曲がり、大通りに出る。昼休みが明けた時間帯のためか、人通りは少ない。私はどうにか足跡を見失うことなく、追い続けた。
やがて、足跡はある場所で途切れる。
県立箕舟高等学校。その校門前で。
立ち止まった私にピルルルル、と携帯のコール音。思わずびくんとしてしまう。
今日は電話に出ていいことがあった試しがない。
恐る恐るウエストポーチから電話を取り出す。知らない番号からだ。〇八〇……携帯からであることは間違いない。
出ていいのだろうか。そんな思いが過る。中が授業中だからだろうか。校門前の静けさにコール音がやたらうるさく響いた。早く、早くと急かすように。
根負けして、受け取りボタンを押す。恐れを捨て切れないまま、電話を耳にあてた。
すう、と短く息を吸い込み、私は応じた。
「もしもし」