ゑ
大地さんとの会話が携帯から再生され続ける。
大地さんは色を失っていた。私は不敵に笑んでそれを見ていた。
「枝、祈……ちゃん……」
大地さんから零れた声は掠れて、私の名を呼ぶ。
「枝祈ちゃん、君は、君は、君は!!」
憤怒の中に敗北感がまじり、濁った瞳で私を見つめる。一度はっきりと敗北を認めていたが、やはり奥底ではまだ優越感を持っていたのだろう。信じられない、というような表情で「君は」とばかり呟く。その先に言葉が続くことはない。
勝った。──それは、確かかもしれない。けれど、胸の中では言い様のない虚しさが吹き荒れていた。
どうしてこうなってしまったのだろう? 何がこの人を狂わせてしまったのだろう?
私は自分からそれを訊く気にはなれなかった。それよりもまず、しなくてはならないことがある。
この事件を終わらせること。詩織さんが自主して、伊織さんの思いを遂げさせれば、おそらくこの事件はこれ以上の犠牲を生まず、終息を迎えることだろう。
そう思って、詩織さんに声をかけようとした。
ピロリロリン
場違いな着信音が、その場に響いた。手首を握ったままだった詩織さんと目が合う。彼女もきょとんとしていたが、小さく、私です、と言った。
どうぞ、と手を放すと詩織さんはポケットから携帯電話を取り出す。メールのようだが、内容を確認した瞬間、彼女は蒼白になり、焦ったように辺りを見回す。
「どうしたの?」
ただ事ではないその様子に私が問いかけると、青ざめたまま、呟くような答えがきた。
「いちからメールが……いちが、いない」
「──! いちはなんて?」
私も慌てて周囲を見回しながら訊く。詩織さんが文面を読み上げた。
「"わたしは最後の罪を断つ"って」
「いち!」
不安が募る。
いちは私の腕の中にいない。詩織さんを止めるために携帯共々放ってしまったのだ。
そう遠くに行ったとは思えないが、メールの内容に焦燥を覚える。最後の罪って──?
「いち、いち!」
「これのことかな?」
姿か足跡を、と探しながら名を呼ぶと、意外な人物から声が上がった。
その声の方に振り向く。
「安塔クンもよくわからないねぇ。なんでこんな便利なものを捨ておくかねぇ? ねぇ、安塔クン。教えてくれないかい?」
「宮島部長?」
汗まみれの手で、部長がいちをつまみ上げていた。着物の後ろ側の襟首を掴み、ぶらんぶらんと揺らしている。
「部長、何をしているんです?」
部長の行為に怒りを覚え、知らず、低い声で問う。すると部長はなんとも不思議そうな顔をして、嘲るようにこう返す。
「何を怒っているんだい? 安塔クン。もしかして、私の人形の扱い方に怒っているのかな? ははは、おかしなやつだね、君も。この子は人形、ただのものだよ? 何の感情も持たないこれに、何をしたっていいと思うけど」
ぴきん。
私の中で何かが砕けるような音がした。
「部長」
私の口から言葉が零れる。
「その子に本当に心がないと思うんですか? これまでの事件を引き起こしたこの子に感情なんてないと?」
言葉を紡ぐたび、ずきりずきりと胸が痛む。溢れだしそうな感情を胸いっぱいに抱えているのに、言葉を放つ声には全く色がない。
「これは人形だよ? ものなんだよ? 人じゃないんだ。人間以外に感情があるなんておかしなことを言うね、安塔クン?」
「だって、部長」
私の中に様々な言葉が駆け巡る。
「助けて」
「いちはツミタチノヒトカタだから」
「守りたいだけ」
「いちがツミタチノヒトカタだったらよかったのに」
「この人、伊織とおんなじだ。どうしよう?」
「何がわかるっていうの!?」
「伊織を苦しめたやつ、やっつける」
「最後の罪を断つ」
いちは伊織さんや詩織さん、果ては私や七瀬の思いまで背負って、ツミタチノヒトカタになろうとした。
感情のないものに人の思いを背負えるだろうか?
「違うでしょう?」
いちは助けて、と私を呼んだ。伊織さんのために復讐をした。伊織さんの夢を叶えようと間違ってはいたけれど、道を定め、ここまで来た。
「感情がなければ、いちは何もできなかった。ただの人形のままでいられたかもしれない。でも! いちは、いちは、思いを持ってる!」
ただの人形とは違うのだ。
モノとして扱われていいわけない。
「だから、その手を離してください、部長」
部長は私の言葉に目を丸くし、しばらくそのまま佇んでいた。しかしやがて、肩を震わせ、高らかに笑い出す。
「ははははははっ! 安塔クン、君はとうとう完全に頭までおかしくなっ」
ガスッ
部長の嘲笑を遮って、鈍い音がした。
いちが身をよじり、部長の顔面を蹴りつけていた。




