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「私は伊織に合わせる顔がないと、このジャージを着てふらふらと外をさまよった。親の死体も伊織のことも、そのままに」

 告げられた事実に私は少し違和感を感じた。

「あなたは隠蔽のためにご両親の遺体を運んだわけじゃないの?」

 詩織さんはゆるゆると首を振った。

「私はたださまよっただけ。運んだのはいち、だったみたい。よく、わからないわ。私も帰って、驚いたもの。親の死体がなくて。引きずった跡があって、勝手口の方に、小さい足跡があって」

 ますますいちの謎が深まる。けれど、今は話の続きが先だ。

「私は親の死体がなくなっていたことよりも、伊織が"お姉ちゃん、ごめんね"って、目の前で、手首を掻き切ったことに動揺した」


「私を守って、お姉ちゃんは罪人になった。私のせいで、お姉ちゃんは罪人になってしまった。私のせい私のせい私のせい。私のせいでお姉ちゃんを狂わせてしまった。今ならお父さんやお母さんに常々言われていたあの言葉もよくわかる」


「私が生きているからいけないんだ」


 日記の一節が蘇る。

 追い詰められて、余裕をなくした伊織さんは、そうして自殺という道を選んでしまった。

 詩織さんの後悔は計り知れない。

「伊織が自分で作った紅い水溜まりに身を落とすのを、黙って見つめることしかできなかった。私は伊織を守れなかったんだ、と、痺れた頭でそれだけ理解した」

 詩織さんのいちの肩を抱く手の力が強まる。

「見たのは、私だけじゃなかった。この子もちょうど、現場に居合わせたのよ」

 もう、そのときにはいちは動き出していたのか。

「いちの悲鳴だったのかしら……音のない、けれど耳をつんざくような、胸を引き裂くような、怖くて切ない声が響いたの」


「助けてえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 最初の電話で聞いたいちの悲鳴を思い出す。確かにあのとき、新田さん共々電話口の声に底知れぬ恐怖を感じた。それと同時に、胸をかきむしりたくなるような焦燥を呼び起こす切なさも感じていた。

「いちは脇目も振らず、伊織に駆け寄った。とんとん、とんとん、と伊織の肩を小さな手で叩いていたわ。すると、伊織がうっすら目を開けて、笑った。"いち、そこにいたんだね"って」

 とても嬉しそうに、笑ったのよ、と詩織さんは繰り返す。

「いちは無表情だったけど、こくこく、と相槌を打っていたわ」

 その後、伊織さんはいちにこう言ったという。


「いち、私が言うこと、あんまり気にしないでね」

 いちが小さく頷くと。

「"いちがツミタチノヒトカタだったらよかったのに"」


 それが伊織さんの最期の言葉だった。

 直後、詩織さんの携帯にメールが届いた。こんなときに誰だ、と思って見ると、差出人は"いち"となっていた。目を丸くしていちを見ると、彼女はこくりと頷いた。


「いち、ツミタチノヒトカタになる」


「伊織を苦しめたやつ、やっつける」


「詩織お姉ちゃん、手伝って」


「私は最初、驚いたけれど、伊織の日記のことや"ツミタチノヒトカタ"のことを知っていたから、ほとんど迷うことなく頷いた。この不可思議な現象で自分の犯した罪や、伊織が死んだ現実を覆い隠してしまいたかった。

 伊織が遺した最期の言葉の本当の意味も知らずに」

 その後、詩織さんが語ったのは、一連の事件の概要だった。

 メールでいちと意志疎通が取れるようになった詩織さんは先回りして箕舟高校の近くに隠れ、いちが来たところでいちを目立たないよう、自分で昇降口まで運んだ。授業中、校庭を歩く人形なんていたら、きっと誰かが気づいてしまう。復讐を果たすまでは気づかれないように、というのが二人の共通意識だったらしい。

 親が既に亡い今、伊織さんを苦しめた元凶は全て学校にあると踏んだいちと詩織さんは学校の事件の後、そそくさと逃げ、隠れた。

 隠れていたとき、いちとの話で私のことを知ったらしい。いちの情報とニュースや新聞からの情報で私が"安塔 枝祈"という名であることを知った詩織さんは私の名前に引っ掛かりを覚えて色々と調べ、過去に妹の担任である風成くんが関わっていた事件で一度見た名だときづく。

 そのとき、いちから"ツミタチノヒトカタになる"という提案を受け、風成くんをその標的にしようと決めた。伊織さんを苦しめていた人物の一人でもある彼を。

 風成くんを標的として定めたときに、他の標的も自然と風成くんと似たような人物──生徒に対する暴行やいじめの放置などで問題になっている教師などになっていった。

 標的を見つけ、葬る。横暴な教師やいじめの主犯の生徒などを消していけば、伊織さんのような子が減るはず。そう思って、二人は満足していた。

「何か、間違っている──私がふと気づいたのは、風成 章也殺害を実行しようとしたとき。もう一人の婦警さん、湊さん、でしたっけ? 彼女といちが遭遇したのは、本当に偶然だった」

 そうだ。

 あのときからいちの様子は変わった。

 それまでは最初を除いてどこか不敵にさえ感じられる口振りだったいち。けれど、私が七瀬にかけた電話を取ったときからいちからはその余裕のようなものがなくなっていた。

「メールが来たの。"この人、伊織とおんなじだ。どうしよう?"って」


「助けたい」

 

 それまで誰かに仇なす誰かを殺すことしか考えてこなかった二人の心境に、七瀬の存在は多大な変化をもたらした。

「だから、私は戸惑った自分をごまかすように咄嗟に手に取った伊織のノートを読んで、"ツミタチノヒトカタ"に、いちに最期に遺した言葉の本当の意味に気づいた」

「それで、誰かに見つかるリスクを冒して、あなたは教室にノートを」

「ええ。動揺して戻ってきたいちに持たせて、ね」

 その様子だと、あなたはもうわかっているのね、と詩織さんは寂しげな瞳を投げ掛けてきた。

 私は静かに目を閉じた。

「推測ですが、伊織さんが本当にいちに託したかった願いは」


「いちがツミタチノヒトカタだったらよかったのに」


 ツミタチノヒトカタ──断罪人形。人の罪を断つ人形。

 だから本当のメッセージは。


 いち、お姉ちゃんの罪を断って。



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