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「私はもう、学校なんかに行きたくない」


「だから朝、お父さんとお母さんに学校休むって言ったら、具合悪いの? って聞かれて。うん、頭痛いからって答えた。本当は身体中痛い。でも、それを言ったら余計に痛くされると思った。だから言わなかったのに」


「お父さんもお母さんも信じてくれなくて。嘘を吐くな、ちゃんと学校に行きなさいって。お父さんたちがお金出して行かせてやってるんだからって」


「でも、私は味方のいない学校よりも、昼間はお父さんもお母さんもいない、数少ない味方の詩織お姉ちゃんといちがいる家の方にいたかった。だから今日は譲れなかった」


「でも、お父さんが椅子を投げてきて、お母さんが私の頬を何度も叩いて、お腹を蹴って……私はあまり食べられずにいた朝ごはんを吐き出しそうになった。その様子に更に怒ったお母さんが私の首を絞めて、苦しくて苦しくてもう、死んじゃうかもしれない、と思ったところで、お母さんの手が離れて」


「お母さんはいつの間にかできた真っ赤な水溜まりの上に崩れ落ちた。お父さんも側に同じように倒れていた。いつの間にか、お姉ちゃんがいた」


「包丁を持ったお姉ちゃんが」


 それは伊織さんが自殺する前に綴ったのであろう最後の日記だった。

「日記の内容からすると、伊織さんはご両親からも」

「ええ、虐待を受けていた」

 詩織さんの静かな肯定に辺りはしん、と静まり返る。近くを通る車の音や鳴き始めた蝉の声などはあるが、それらを置き去りにしてしまうほど、やけに彼女の声は通った。

「あの子、強い子だったから、色々と見過ごせなかったの。拾った財布の中身を抜き取ろうとしていたご近所さんを止めたり、捨てられていたご近所さんのペットをその人のところに返しに行ったり。それを迷惑に思った当事者たちからうちの親に文句が行って、余計なことをするな! って伊織は殴られた。正義感からやってる伊織はわけがわからなかっただろうけどね。親は倫理観より外面を優先するような人だったの」

 詩織さんは寂しげに続けた。

「私の、せいよ」

 淡々と彼女は紡いだ。

 詩織さんは会社などには勤めず、内職で稼いでいる。両親は共働きで一緒に暮らしているし、内職での収入もそこそこだから、生活するには問題なかった。

 けれど、周りはそう見なかった。内職で稼いでいるため、家の中から滅多なことでは出てこない詩織さんを近所の人々は親の脛をかじって生活する穀潰しと思っていたらしい。

 「親の脛かじりを養うのは大変でしょうねぇ」「ニートなんでしょう? 聞いたことありますよ。まあ、それでも自分の子ですからねぇ。頑張ってください」──プライドの高い彼女の両親が蔑みまじりのそんな言葉を許せるわけもなく、しかしトラブルを起こしてはやはり周りの評価に関わるから、とちっぽけな見栄を優先した。

 そんな両親のために伊織さんの正義感は──普遍的な正義は蔑ろにされた。

「だからね、私は伊織を守った。伊織の味方でいようと思った。だって伊織は悪くないんだもの。私だけは、味方でいようと思った」


「だから、このノートといちにしか言わないんだ。あと、詩織お姉ちゃん」


 味方、という言葉に胸をつかれる。


「お姉ちゃんの味方、ですか?」


 哉ちゃんの顔が蘇る。年は全く違うけれど、それが詩織さんの横顔と重なった。

「だから、あの日、伊織を殺そうとしていた二人を見て、目の前が真っ赤になった」

 そして、気がついたら、両親は紅い海に沈んでいて、妹は恐れるような目で自分を見つめていた、という。

「伊織は、私の姿をまじまじと見つめたあと、ごめんなさい、とだけ言って、部屋に行ってしまった。私は、何も言えなかった。言ってあげられなかった。自主するから、とか、なんでもいい。そのとき何か言ってあげていれば、伊織は思い止まったかもしれないのに」

 公園に風が吹き抜ける。もう夏だというのに、妙に寒々しい。そんな風だった。

 その中にぽつん、と詩織さんは事実をこぼす。

「伊織は死んでしまったわ」

 零れかけた彼女の涙を風がさらっていった。



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