ふ
「あ、安塔さん、ありました! ありましたよ」
つぐみさんが日記のあるページを示す。そこには十一桁の数字──携帯電話番号。
つぐみさんにはある人物の連絡先の手掛かりを探してもらっていた。私も日記を読み、同じ情報を探しつつも、伊織さんが自殺に至った経緯を正確に把握しようとしていた。
同時に、このノートをあの教室に置いた人物の意図も理解できてきた。
わかるけれどね。
もう、やめないと、戻れなくなるよ?
風成くんのように。
「つぐみさん、ありがとう。早速、かけてみましょう」
私は確かな決意を胸に立ち上がる。院内用のスリッパではなく、普段履きの運動靴で。
そのとき、からりと扉が開いた。
「枝祈」
誰が来たかはすぐわかった。全く、聡いんだから。七瀬は。
元々、止められるのは予想のうちだった。七瀬の病室は隣だから、来るかもしれない予感はあった。
「枝祈、どこに行くの?」
予想どおりの問いを発した七瀬に、私は微笑んだ。
「いちを探しに」
私はごまかすことなく答えた。
七瀬は正直に答えられたのが意外だったのか、一瞬呆ける。しかしすぐさま表情を険しくし、扉をぴしゃりと閉める。
「駄目。医者に安静にって言われてるでしょ。それにいちの捜索は大地さんと部長が」
「ええ、そうね。でも行きたいの」
「わがまま言ったって、通さないから」
「違うわ。今は大地さんも部長も信用できない」
なんで、と強い語調で問う七瀬に私は訊き返す。
「七瀬は、風成くんの前に何件か、不審死事件があったこと、知ってた?」
「え? それはもちろん」
ああ、やっぱり、と私は諦めのような感情を抱きつつ、続けて訊いた。
「じゃあ、なんで私に教えてくれなかったの?」
「え!?」
七瀬は目を見開く。
「大地さんに、俺が伝えておくからって……」
「そう」
決定的だ。大地さんは私を事件から遠ざけたがっている。事件を解決しようとする私を。その意図はわからないが、信頼できない理由としては充分だ。
七瀬は打ちのめされているのだろうが、それでも扉の前に立ちはだかり、私をきりりと見据える。
「ボクはもう、失いたくないんだ。枝祈が怪我するのも、見たくない」
「私ももう、失いたくないわ」
色々なものを。
そう言いながら、ノートを一冊七瀬に渡す。一番最近の──伊織さんが死んだその日までを書き綴った日記だ。
訝しげに私を見、七瀬はノートを受け取った。椅子を勧めたが、彼女は退かない、と扉の前で読み始める。
私はゆっくり待った。本当は七瀬を押し退けて行きたいけれど、理解してほしかったのだ。私が行く理由を。
日記を読んでいくうちに、七瀬の手がわなわなと震え出す。私に視線を向けたが、そこには鋭さや意固地さよりも悲しみが溢れていた。
「酷いよ」
ぱさり。七瀬の手からノートが落ちた。それを追うようにぽたぽたと透明な粒が床に弾ける。
「酷いよ、枝祈。こんなの読んで、ボクと哉を、重ねないわけ、ないじゃん……止めてほしいって、思わないわけ、ない……っ」
「うん。だから止めるの」
「行かないでよ!」
七瀬がよろよろと近づいて、私にすがった。
「行かないでよ。行かないでよ。でも、止めてよ……止めてほしいよ……」
ちくり、と七瀬の声が胸を刺す。ちょっと卑怯な手だとは思った。伊織さんには心の支えになるお姉さんがいて、家ではいちとお姉さん以外、支えがなかった。──とても、哉ちゃんに似ているのだ。
だから、これ以上の連鎖は、と思うのはわかっていた。それが七瀬だから。
「引き止める言葉を奪って、ごめんね」
「いいよ、もう。枝祈の馬鹿」
いくらか落ち着いたのか、七瀬はいつもの調子で返してきた。見れば、まだ目は潤んでいるものの、表情は決然としていた。
「わかってたことだよ。多分、この事件は枝祈以外は止められないかもしれないなんて。この事件で枝祈を止められないなんて。だから、ボクはボクで覚悟を決めた。ボクにできることをする。それをしながら、キミを待つ」
七瀬は落とした日記を拾って道を開ける。
「これ、返すよ。急いで行って。ボクは大地さんの方を確認する」
「ありがとう」
七瀬に微笑み、手渡された日記をつぐみさんに渡す。
「つぐみさん、枝祈のこと、頼んだよ」
「はい! 無茶しないように見張っておきます」
七瀬とつぐみさんのそんな会話に苦笑いしながら、部屋を出る。
「枝祈」
七瀬に呼び止められ、振り向く。
「必ず、止めてきてね?」
私は力強く頷いた。
「ええ、必ず」




