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目を開けると、白い天井。視点を横へ向ければ、白い壁、白いカーテン、日射しが眩しすぎて向こうが見えない白い窓。
起き上がると、体は白いベッドの上で、白いシーツの中にあった。
何もかもが真っ白な世界。けれど見覚えがある──病室だ。
全身を鈍い痛みが包んでいる。動けないほど激しい痛みではない。ベッドから降り、立ち上がる。まだふらつくが、歩き出す。私を止める者はない。湊 七瀬の姿は、ない。
から、と戸を開けると、仕事鞄を持った大地さんと鉢合わせた。
大地さんがよたよたと歩く私を見、怒った。「そんな状態で、一体どこに行こうとしてんだよ?」──全くだ。
私は大地さんに押し戻され、ぺたん、とベッドに座り込んだ。
「七瀬は?」
私が動かない頭を必死に回してようやく出たのはそんな言葉だった。大地さんは呆れたように溜め息を吐き、「言うと思ったよ」と丸椅子に腰掛けた。
「七瀬ちゃんは隣の部屋だよ。無事だ。後で会いに行くといい。ただし、後で、だ」
そう言って大地さんは仕事鞄からA4のフラットファイルを取り出し、広げて見せた。表面に書かれた見出しは"箕舟連続不審死事件"。
「大人しくしていろと言ったのにこの始末だ。全く。それで、大変残念なんだが、事件のことを一番よく知っているのが枝祈ちゃんだ。話を聞かせてほしい」
「わかりました」
私は大地さんの険しい眼差しにぎくしゃくと頷いた。
ぺらりとページをめくる。最初はこれまでの事件の概要が綴られていた。七瀬に見せられたのと同じ資料だ。
目新しいのは、伊織さんの両親の不審死と風成くんの事件だけ。風成くんの事件から、もう一日経っていることをそのとき知った。
「まず、細川夫妻に関してなんだが、どうも死体遺棄っぽいんだよな。そして、鑑識から、死亡推定は伊織さんの死亡の前日、と報告がきている」
伊織さんが亡くなったときにはもう?
驚いて大地さんを見ると「俺もよくわからん」と首を横に振った。
「もしかしたら、何かで両親の死を知ったことで、伊織ちゃんが自殺に踏み切ったのかもしれない、という意見もある」
私は、哉ちゃんのことを思い出す。哉ちゃんも、姉を失ったという思い込みから、命を絶ってしまった。家族というのは、最後の縁なのだ。
「あれ? でも、伊織さんのお姉さんは? 死体遺棄と思われるというのも気になります」
「まあ、最もな疑問だわな」
大地さんはぺらりぺらりとめくり、"報告書"と箇条書きが連なるページを示した。
「報告の、ここ。死体の状態だが、死因と思われる頭部の打撲痕の他に引きずられたような跡が服などにあった。遺体が移動されたと考えられる」
何故かはわかっていない。さすがに私にもわからない。けれど、伊織さんの自殺と決して無関係とも思えない。
「お姉さんは未だ行方不明。一応、重要参考人ってことで、本庁が行方を追っている」
重要参考人、それが意味するのは。
「本庁はお姉さんが犯人と?」
「うーん、断定はしていないと思うぞ? 本当に言葉通りの意味だ。それくらい行き詰まっているんだ。マスコミとかには察してほしくないようだが」
確かに、伊織さんがいじめに遭っていたことについて何か聞いていたかもしれない、唯一の人物だ。両親を殺害なんてことはしなくても、今の私たちにとって最も重要な人物であるかもしれない。
「要は細川一家の件はほぼほぼ進展していないってわけだ。次、風成 章也の事件」
少しページを戻る。事件現場の写真がいくつもあった。不気味な草履の足跡、血痕、教卓、不自然なまでに整った机たち──
私は足跡を指差して確認する。
「この足跡、どこに続いていました?」
「わからない。そもそも追うなんて発想がなかったな。それに、現場を下手に荒らしたくないってことで、あまり捜査が進んでない」
一応、と大地さんは現場写真の隣のページを示す。
「現場にいて、通報してくれたつぐみちゃんの話をまとめたのがこれ」
ざっと目を通す。
現場に入った当初、いたのは殺害された風成と現在意識不明の湊巡査だけだった。 ともに現場に来た安塔巡査がいくつか風成とやりとり。
その最中、風成は市松人形に鉈で首を切られた。
細かな部分はつぐみさんが話さなかったのか、省かれたのかはわからない。まあ、本庁が市松人形が犯人というような非現実的な供述をそのまま信じているとはとても思えないが。
「俺自身、この供述に関しちゃ気になるとこだらけだが、枝祈ちゃん、この証言は正しいのか?」
「はい。市松人形──伊織さんの"いち"は風成くんの事件だけでなく、連続不審死事件全てに関わる重要なものです。この様子だと、いちはまだ」
「ああ、見つかっていないよ」
大地さんは肩を竦めた。
「こっちも人手が足りない。だからといって、怪我人の君と七瀬ちゃんを動かすわけにもいかない。幸いなのは、あれから何も動きがないってことだ。……こう言っちゃなんだが、動きがないから手詰まりでもあるんだが」
いちは動いていない、のか。私はそう胸を撫で下ろしかけて思う──本当に、やめてくれたのなら、いいんだけど。
その後、大地さんに付き添ってもらって、七瀬の病室へ向かった。
大地さんはすぐ帰り、私は七瀬と今回のこと、昔のことを語らい合って、笑った。




