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 私が彼女と初めて話したのは、もう日が暮れるというのに、一ヶ所だけ明かりのついていた図書室。

 忘れ物を取りに戻ってきた私はその明かりを不思議に思いつつ、興味本位で覗いてみた。

 こんな時間まで残っているのは運動部の生徒くらい。それが図書室なんて、と。

 から、と扉を開ける。

「誰?」

 薄暗く、他に誰もいない図書室の隅に座って、湊さんが本を読んでいた。

「あれ? キミは、安塔さん?」

「こんなところで何してるの? 湊さん」

 私の記憶が正しければ、湊さんは陸上部に所属していたはず。陸上部はまだ外でトレーニング中のはずなのに、湊さんがいるのはおかしい。そういう意味を含んでの問いだった。

 すると、湊さんはそんじょそこらの男子では相手にならないくらいの爽やかスマイルで答えた。

「ご覧のとおり、サボタージュ」

 堂々と言ってしまうのか、というのが私の感想だった。

 でもさ、と湊さんは続けた。

「ボク、本当は陸部でも柔道部でもないんだよね」

「え?」

「本当は何部か知ってる?」

 悪戯っぽい光を湛えて湊さんが私を見る。

 さっぱりだ、と首を横に振った。

「実はね」

 湊さんは思わせ振りにためる。「実は?」と私は思わず訊き返す。

「帰宅部なんだ」

 からりと笑って言う彼女に私は狐につままれたような気分になる。

「き──帰宅してないじゃない」

「いや、そこ?」

 私が戸惑っていると、湊さんは本をぱたりと閉じて続けた。

「ボクはね、運動はそこそこ、成績もそこそこ、本と怪談が大好きなごくごく普通の生徒なんだ。だから本当は部活の手伝いなんてしたくないし、する義理もない。だからサボっても誰も責めない、んだけどねぇ……」

 過度な期待を寄せられているそうだ。だから、部活に行くのが嫌で、ここで本を読んでいるのだ、と。

「ごめんね、変なこと話して。ボクと話したことは内緒だよ」

 話し終えると、湊さんはそう言って、唇に人差し指を当てた。

「どうして?」

「……キミは知る必要がないんだ」

 湊さんは立ち上がり、私にくるりと背を向けて、棚に本を戻す。

「キミは、来なくていいんだよ」


 湊さんの一言が私はずっと引っ掛かって、その日から私は毎日、放課後の図書室通いを始めた。

 湊さんは私が来ることに驚いてあたけれど、私が他愛のない話題を振ると、実に楽しそうに語らった。

 様々なグループから爪弾きにされ、普段は口数の少ない彼女は、とてもお喋りだった。

 だから、何故クラスメイトたちは彼女を仲間外れにするのだろう? という思いが、次第に強くなっていった。


「ボクにはね、妹がいるんだ。年子なの。哉って言ってね、とっても可愛いんだよ!」

 ボクとは全然似てないんだけどね、と湊さんは言った。

「そうなの? 会ってみたいな」

「やだ」

 即答だった。

 不審に思って表情を伺うと、彼女は俯き、ぽつりとこぼした。

「みんなと同じこと言われるの、やだもん」

「みんな?」

 おうむ返しに訊くと、弾かれたように顔を上げ、何でもないと首を振る。

「嘘ね」

「えっ」

「顔に書いてある」

 私は軽い口調でそう言ったけれど、彼女を問い詰めることはしなかった。

 ただ、もう一度明るく言った。

「妹さん、会ってみたいな」

 彼女を見ると、目を見開いて、微笑む私を見、表情を和らげた。

「じゃあ、今度家においでよ」


 ここで踏み込まなければ、私は七瀬というかけがえのない友人を手に入れることはできなかっただろう。

 けれども踏み込まなければ、彼女が大切な人を失うことも、私がそれに苛まれ続けることもなかった。


「こんにちは」

 休日に湊さんの家に行った私を可愛らしい女の子が出迎えてくれた。その子がみなと かなちゃん。当時小学六年生の湊さんの妹だ。

 哉ちゃんは丁寧に私を出迎えてくれた。お茶を淹れながら、「お姉ちゃんは寝坊して、今慌てて着替えているところです」と説明してくれた。

 正午は過ぎていたのだが、何でも前の晩に本を読んでいて夜更かししたのだとか。なんとも彼女らしい理由だった。

「安塔さんは、お姉ちゃんの味方、ですか?」

 不意に哉ちゃんがそんなことを訊いてきた。意図が全く読めないけれど、そうだよ、と頷いた。

「友達だもの」

「あ……そうなんですね」

 不思議な反応だった。学校で色々話して、家に招かれて。それが友達でなくて何だというのだろう。

「ごめん、安塔さん! 寝坊しちゃって」

ばたばたと湊さんがやってきた。

「ふふ、それ、今聞いたとこ」

「っくぅ……哉ぁ」

「寝坊するお姉ちゃんが悪い」

「ぐ」

 真っ赤になって俯く湊さんに哉ちゃんが座って、と言いながらお茶を出す。

「よかったじゃん、友達できて」

 哉ちゃんが呟いた言葉にばっと湊さんが勢いよく顔を上げた。

「友達?」

「安塔さんが、今、お姉ちゃんの友達だって」

「安塔さん、が……?」

 酷く驚いた顔で私を見る。

「あれ? 違った?」

 私が微笑んで返すと、彼女はぶんぶんと首を横に振る。

「でも、いいの? 安塔さん、ボクは」

「はい、友達なんだから、まずその安塔さんっていうのやめてほしいな、七瀬」

「……!」

 湊さん──七瀬が、私の言葉に涙ぐむ。

 大袈裟だな、と思いつつ、「もしかして忘れた?」と訊ねる。彼女は再び首をぶんぶんと振って否定した。

「枝祈──」

 七瀬はとても幸せそうに。

 誰よりも温かい声で私の名を呼んだ。

 急須を置いた哉ちゃんが笑顔でそれを見つめていた。


 このとき私は気づけなかった。七瀬の大袈裟とも言える反応の裏に何があるのか。

 哉ちゃんが私に向けた「味方ですか?」という問いの本当の意味も。



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