ラガヴァンビウスの闘技場
暗闇に向けてライトの付いた銃を向けながら、僕は呼吸を整えていた。僕を包み込んでいる暗闇の中に敵がいる。でも、殺気は感じない。いつもと同じ暗闇が僕の周囲にあるだけだ。
それでも、敵を探しているだけなのに、いつの間にか僕の呼吸は乱れていた。殺気や威圧感は感じない。暗闇の中には、敵が存在するというヒントすらない。
僕が持っているのは、敵がこの暗闇の中にいるという情報だけだ。
「くっ・・・・・・!」
左手をフォアグリップから放し、僕は額から垂れた冷や汗を拭い去った。装備しているのはこのギルドで正式採用されているSaritch308PDWだ。腰のホルスターには、2丁の南部大型自動拳銃が収まっている。
敵はどこから来る? まさか、後ろからか?
僕は後ろを振り返り、背後に銃を向ける。でもPDWの銃身の右側に装着されているライトが照らし出したのは、前までは馬小屋に使われていた木製の建物だけだ。
気のせいかな?
その建物の周囲に敵がいないことを確認した僕は、再び後ろを振り返って索敵を再開しようとしたんだけど、振り返ろうとした僕の首筋に、いつの間にか暗闇の中から接近していた敵が、漆黒の鉤爪を突き付けていた。
「なっ・・・・・・!?」
(―――ふふふっ。シン、私の勝ちよ)
僕が息を吐きながら後ろを振り返ると、彼女は笑いながら鉤爪を手に装着したカバーのような鞘の中に引っ込めた。
僕とミラは、屋敷の裏庭を使って夜に模擬戦をしていたんだ。昼間にも彼女に手合せしてもらっているんだけど、全く勝てない。しかも今は夜で視界も悪いし、ミラが得意とする戦い方は奇襲や暗殺だ。明らかに夜の方がミラは強い。
「また負けちゃった・・・・・・。1発も当てられなかったよ・・・・・・」
(ふふふっ)
彼女は数日前まで傭兵見習いだったんだけど、僕がこのギルドに入った日に正式に傭兵となっている。当然ながら、僕はまだ傭兵見習いだ。
(とりあえず、模擬戦はこれで終わりにしましょう)
「そうだね。もう9時だし、そろそろ部屋に戻ろうよ」
ミラは首に巻いていた赤いマフラーを取ると、踵を返して屋敷の裏口の方へと歩き出した。
彼女のあの首の傷は、彼女を奴隷扱いしていたある転生者が、ギュンターさんに会いたがる彼女を二度と喋れなくするために付けた傷だ。彼女は音響魔術で擬似的に喋る事が出来ているけど、あの傷はまだ気にしているらしい。
裏口のドアを閉めた僕は、ミラと一緒に階段を上り始めた。兄さんたちが僕に用意してくれた部屋は3階にある。
3階に上がってからは廊下を左に進み、花瓶が飾られている近くのドアを開けた。この部屋が僕とミラの部屋だ。隣にはカレンさんとギュンターさんの部屋があって、その隣は兄さんとエミリアさんとフィオナちゃんの部屋になっている。
兄さんが言ってたんだけど、部屋割りを決める時にギュンターさんが僕とミラを同じ部屋にすることに猛反対したらしい。昨日温泉に行った時に気づいたんだけど、ギュンターさんはシスコンなんだよね。
そういえば、昨日の温泉で兄さんはギュンターさんのせいで頭に間違ってゴム弾を叩き込まれるという酷い目にあっていた。でも、フィオナちゃんが作ったエリクサーとエミリアさんの膝枕のおかげで完治したらしい。
(シン、先にお風呂入ってきていいよ?)
「いや、ちょっと端末を見てから行くから先に入ってていいよ」
(そう? じゃあ、先に入って来るね?)
ミラは手に装着していた鉤爪を取り外すと、着替えとタオルを持って部屋を後にした。風呂は3階の廊下の向こう側にある。
僕は彼女の装備していた鉤爪を手に取ると、端末で武器のメニューをタッチし、武器の種類の中から鉤爪を探してタッチしてみた。
これは兄さんが彼女のために用意した武器らしい。ということは、これは兄さんが端末で生産した武器の筈だ。いろんな形状の鉤爪がずらりと並んでいる中に、僕が手に取っている鉤爪のような武器があったのを見つけた僕は、その武器を凝視した。
≪サウンド・クロー≫
「これかな?」
僕はその武器をタッチすると、説明文を確認することにした。
≪小型の鉤爪。音を伝えやすい金属で作られているため音響魔術などと併用しやすい。また、普段は爪を鞘の中に収納しており、圧縮空気で鉤爪を射出することもできるため暗殺などにも使用可能≫
説明文の右側にあるパラメーターでは、攻撃力はBになっている。でもドラゴンを簡単に倒してしまったんだし、彼女が得意な音響魔術との併用では間違いなく攻撃力はSランクだろう。射程距離はBランクになっている。圧縮空気で爪を飛ばす事が出来るようだけど、射程距離は銃よりも短いらしい。
兄さんは自分の武器だけでなく、他の仲間の武器も端末で用意しているみたいだ。兄さんは僕よりもレベルが高いしポイントもたくさん持っているから問題ないけど、僕はまだレベル2だし、残っているポイントも少ない。
僕も強くならないといけないね。僕は彼女の鉤爪を元の場所に戻すと、街で買ってきた小説を手に取り、しおりを挟んでいたページを開いた。
屋敷の2階にはあるのは応接室や会議室だ。フィオナがエリクサーの生産や魔術の研究に使う研究室も2階にある。
訓練を終えた後、俺はモリガンのメンバー全員を2階の会議室に集合させていた。まだ傭兵見習いの信也も、会議室に用意した席に腰を下ろしている。ギュンターたちが仲間になる前まではメンバーはたったの4人だったから会議室は必要なかったんだけど、7人に増えたから空き部屋を改装して会議室にしたんだ。
そしてこの会議が、このギルドで初めてすべてのメンバーを集めての会議だった。
「訓練お疲れ様。紅茶でも飲みながら聞いてくれ」
俺が今から伝えようとしているのは、受けた依頼の説明などではない。俺はフィオナが用意してくれたテーブルの上のカップを持ち上げると、紅茶を一口飲んでから用件を話し始めた。
「ラガヴァンビウスに闘技場があるのは知ってるか?」
「闘技場?」
「ああ」
ラガヴァンビウスは、以前にカレンを暗殺者から護衛する依頼の時に訪れたことがある場所だ。巨大な魔法陣が描かれた防壁に守られた大都市で、このオルトバルカ王国の王都だ。
「闘技場は毎日やってるらしくてな。魔物や鍛え上げられた騎士団の騎士たちと戦う事が出来る。よく腕試しや賞金のために傭兵ギルドや賞金稼ぎたちが挑戦しているらしいんだ。―――だから、俺たちも出場してみないか? きっといい訓練になる」
「いいねぇ! 闘技場かぁ! 思い切り暴れられるじゃねえかッ!」
「ふむ。確かに悪くないな」
楽しそうに笑いながら指を鳴らし始めるギュンター。俺の隣の椅子では、エミリアも楽しそうに笑っている。
俺たちのギルドは一番最初に受けた依頼で一気に有名になってしまったため、他のギルドのように街の中にポスターや看板は出していない。でも、闘技場の戦いに出場すれば間違いなく更に有名になるし、メンバーたちの訓練にもなる。更に賞金も手に入れる事が出来る。
「でも、出場できるのは1つのギルドから2人までなんだよ」
「2人だけなの? 昔は10人までだったような気がするんだけど、ルールが変わったのかしら?」
『カレンさんは闘技場に行ったことがあるんですか?』
「小さい頃、父上と一緒に騎士と魔物の戦いを見に行ったことがあるのよ」
おそらく、彼女の言う通りルールが変わってしまったんだろう。
「そこで、出場するメンバーを決めようと思うんだ。ギルドの宣伝にもなるし賞金も手に入るんだが、目的はメンバーの訓練だからな?」
個人的には信也を出場させようと思っている。前にあいつの端末を見せてもらったんだが、レベル2なのにステータスが俺の初期のステータスよりも低かったんだ。どうやら転生者の初期のステータスは同じではないようだ。
闘技場の戦いに信也が出場すれば、間違いなくレベルが上がるだろう。
おそらく俺が出場してもあまりレベルは上がらないだろう。俺のレベルはもう100を超えているから、他の転生者を倒さない限りレベルはなかなか上がらない筈だ。
(力也さん。私、出てみたいです!)
「お、ミラが行くのか」
ミラならば大丈夫だろう。彼女が得意とする戦い方は奇襲や暗殺だけど、鉤爪と音響魔術を併用した戦法はかなり強力だ。闘技場の魔物ならば簡単に次々と葬ることが可能だろう。
「あと1人はどうする?」
「じゃあ、僕が・・・・・・」
テーブルの向こう側で、眼鏡を直しながら信也がゆっくりと右手を上げて言った。
「信也、大丈夫なのか?」
「僕もレベル上げしないといけないし、訓練になるからね」
「よし。信也、俺の妹を頼むぜ」
「は、はい。任せてください」
「これで決まったな。とりあえず、今夜に王都に向かって出発して、明日の闘技場の戦いに出場する予定だ。荷物は準備しておけよ?」
これで信也の訓練にもなるし、レベルも上がるだろう。
俺はメンバーたちに「これで会議は終了だ」と言うと、座っていた席から立ち上がり、踵を返して会議室から出て行こうとしていた信也の肩を掴んだ。
「兄さん?」
「・・・・・・頑張れよ」
「・・・・・・ああ。頑張るよ」
右手で眼鏡をかけ直しながら笑う信也。俺は信也の肩を掴んだ手で軽く叩くと、会議室を後にした。
「ま、また戦車で行くんだね、ミラ・・・・・・」
(当たり前でしょ? 私、戦車を操縦するのが大好きなの! あははっ!)
楽しそうに笑いながら真っ先にレオパルト2A6の砲塔の上にあるハッチから車内に入り込み、操縦士の席で準備を開始するミラ。装填手を担当するギュンターさんと砲手を担当するカレンさんが乗り込んだのを確認してから、僕もハッチの近くにある車長の席に腰を下ろし、後ろを振り向いた。
戦車の後ろによじ登った兄さんがエミリアさんに手を貸し、彼女を砲塔の後ろまで引き上げてから「よし、いいぞ」と言う。
「よし。ミラ、お願いね」
(了解っ!)
屋敷の庭にレオパルト2A6のエンジンの音が響き渡り、ゆっくりと戦車が門の外へと向かって進み始める。
今から僕たちが向かうのは、闘技場があるラガヴァンビウスという大都市で、このオルトバルカ王国の王都だ。以前に兄さんは会議に出席するカレンさんを護衛するために行ったことがあるらしい。
明日の闘技場の戦いに、僕とミラが出場するんだ。
僕は車長の席に座ったまま、緊張しながらホルスターの中の南部大型自動拳銃のグリップを握りしめた。




