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訓練


 部屋の中はいつも蒸し暑い。窓を開けても、外の湿気が入り込んでくるだけだ。俺は額から流れ落ちそうになる汗を服の袖で拭い去ると、湿ったまな板の上に肉の塊を乗せ、傍らに置いておいたでっかい包丁を手に取った。


 仕事でいつも使う包丁は毎日ちゃんと砥石で研いでいるんだが、支給されるのが質の悪い砥石だから、一晩中研いだとしても翌日に振るうのはいつもなまくらだ。思いっきり肉に包丁を叩き付けたとしても、何度も振り下ろさないと全く切れない。


 良質な砥石は値段が高くて、奴隷の俺の金では買えないだろう。だから今夜もちょっと刃を研いだだけで崩れ始める脆い砥石で、段々と錆びていくこのなまくらの包丁を研ぐんだ。


 包丁の柄を掴んで持ち上げ、俺はまな板の上に転がっている肉に向かって刃を叩き付けた。多分、この肉はこの町の近くに住んでいる鰐の肉だろう。この町の周囲は湿地帯になっているんだ。


 思い切り包丁を叩き付けても、まな板の上の鰐の肉の塊は全く切れない。どうせこの肉も、この町を支配している兵士たちが安値で買っていくんだろう。他の奴隷の仲間が命がけで鰐や魔物を仕留めてきても、兵士どもが俺たちに支払うのは銅貨1枚程度だ。飯は奴らから支給されるんだが、その量も少ない。


「くそっ、全然切れねぇ・・・・・・・・・」


「よお、ギュンター」


 包丁から手を放して汗を拭っていると、俺の後ろから野太い声が聞こえてきた。俺の名前を呼びながら仕事部屋に入ってきたのは、俺と同じ包丁を手にしたオークの大男だ。仲間たちからはおっさんと呼ばれている。


「おっさん。遅かったな」


「まあな。ハーフエルフの若僧に先を越されたよ」


 おっさんは再び包丁で鰐の肉を捌こうとしている俺に言うと、俺の隣にあるまな板の上にでっかい鰐の肉を乗せ、捌く準備を始める。


 おっさんも俺と同じ奴隷だ。この町は元々人間以外の種族が住んでいたんだが、今では人間の兵士どもに占領されて住民たちは全員奴隷にされてしまっている。


「―――ところで、ギュンター」


「何だよ?」


「モリガンという傭兵ギルドを知っているか?」


「ああ。たった2人で魔物の大軍を全滅させたっていう新しい傭兵ギルドだろ?」


 見張りの兵士たちも彼らの話をしているし、奴隷の仲間たちもその傭兵ギルドの話をよく話している。もし彼らが俺たちのことを助けに来てくれれば、こんななかなか切れない肉の塊とご対面する生活も終わるだろうな。


「・・・・・・・・・ギュンター、これを」


「その袋・・・・・・・・・金か?」


 おっさんは包丁ではなく、腰に下げていたボロボロの袋を掴むと、俺のまな板の隣にそれを置いた。袋の中から聞こえたのは、銅貨や銀貨がぶつかり合うような音だった。


 袋の中に入っていたのは、大量の銅貨だった。おそらく今まで兵士たちからもらった銅貨を貯めていたんだろう。ボロボロの中にぎっしりと入っている銅貨を見つめていた俺は、その袋を置いたおっさんを見上げた。


 きっとこの金は、おっさんや他の奴隷の仲間たちの金なんだろう。


「お前なら、きっとこの町から逃げ出してネイリンゲンまでたどり着けるだろう?」


 そのモリガンという傭兵ギルドは、オルトバルカ王国のネイリンゲンという街にある。ネイリンゲンはラトーニウス王国との国境の近くにある街で、様々な傭兵ギルドが存在するらしいんだが、モリガンは結成されてからすぐにネイリンゲンの中で最強の傭兵ギルドになったらしい。


 ここからネイリンゲンまでたどり着くには、町中を警備している兵士たちを突破し、魔物だらけの湿地帯と森を越えなければならない。確かに俺は身体能力には自信があるが、たった1人でネイリンゲンまでたどり着けるだろうか?


 でも―――その傭兵ギルドが、俺たちのことを助けに来てくれれば、俺たちは自由になることができる。それに、兵士たちにさらわれた俺の妹も助け出す事が出来るかもしれない。


 俺の両親はもう病死している。妹は、俺にとって最後の肉親なんだ。


「―――任せてくれ」


「頼む・・・・・・」


「なあ、ギュンター」


 おっさんから銅貨が大量に入った袋を受け取ると、仕事部屋の奥にあるドアが静かに開き、気の弱そうな声が奥から聞こえてきた。さっきおっさんが入ってきたドアの向こうから部屋の中へと入ってきたのは、仕事で使うでっかい包丁を手にした俺と同じハーフエルフの少年だった。


「エドワード。どうした?」


「いや・・・・・・・・・こいつを持って行ってくれ」


 エドワードはちらりとおっさんの方を見てから、俺に持っていた包丁を渡してくる。俺の使っている包丁は少し錆びているなまくらの包丁なんだが、エドワードが手にしている包丁は全く錆びていなくて、魔物を相手にできそうなほど鋭い。


 俺たちに支給されるボロボロの砥石では絶対にこんな感じに研ぐことはできないだろう。新品の包丁が兵士たちから渡されるのもありえない。


「何だ、この包丁・・・・・・?」


「この前、兵士たちの倉庫からこっそり砥石を持って来たんだ。それで研いでたんだよ」


「お前・・・・・・!」


 こいつ、まさか兵士たちから砥石を盗んできたのか!?


「こ、これなら魔物とも戦えるだろ・・・・・・?」


「・・・・・・・・・すまない、エドワード」


 確かに、この包丁があれば湿地帯や森の魔物たちを退けることもできるし、見張りの兵士たちを倒すこともできるだろう。


 さらわれた妹の身を案じながらなまくらの包丁を肉の塊に叩き付け、兵士に嘲笑されながら安すぎる賃金を受け取ってパンをかじる生活を、もしかしたら彼らならば終わらせてくれるかもしれない。


 俺は2人に「行ってくるよ」と言うと、湿気の入り込んでくる窓へと向かった。







「はぁっ!」


「甘いッ!」


「きゃっ!?」


 カレンが突き出した漆黒のレイピアの刀身が、下から振り上げてきたエミリアのペレット・サーベルの刃によって弾かれた。ラトーニウス王国の騎士団で鍛え上げられたエミリアの剣劇は非常に素早く、攻撃を受け流された直後でも正確にカレンのレイピアを防ぎ、彼女の体勢を崩していた。


 攻撃を防がれたカレンは攻撃を続行せず、突き出したレイピアと右腕を引きながら後ろへと飛んでエミリアから距離を取る。もしあのまま追撃していたら、またエミリアにガードされ、強烈なカウンターをお見舞いされていたかもしれない。カレンはエミリアの剣術を警戒してるんだろう。


 オルトバルカ王国の騎士団には魔術師のみで編成された部隊が存在するんだけど、ラトーニウス王国の騎士団には魔術師が少ないため、そんな部隊は編成されていない。何人もの魔術師による魔術の攻撃という戦術が取れない以上、ラトーニウス王国はそれ以外の戦力で敵と戦うしかないんだ。だからラトーニウス王国では、魔術よりも剣術の方を重視するらしい。


 それがエミリアが強い理由なんだな。


『カレンさん、頑張ってくださいっ!』


「くっ!」


 俺はタオルで汗を拭きながら、屋敷の裏庭で繰り広げられているエミリアとカレンの剣術の訓練を眺めていた。


 エミリアが使っている剣は彼女が愛用しているペレット・サーベルだ。グリップの中に1発だけ小型の散弾を仕込んでいる特殊なサーベルで、散弾以外にもドラゴンブレス弾やライフルグレネードを射出することが可能だ。


 カレンが使っているのは、ペレット・サーベルと同じくグリップの中に1発だけ小型の散弾を仕込んでいるペレット・レイピアだ。彼女はそのペレット・レイピアとペレット・ダガーの二刀流でエミリアと戦っている。


 彼女が一番得意としているのは弓矢なんだけど、剣術も父と仲の良かった騎士団の教官から教わっていたらしい。


「ッ!」


「もらったッ!」


 距離を取って反撃を開始しようとしていたカレンに、エミリアが正面から突っ込んでいく。自分が攻撃する前に攻撃されてしまい、突き出そうとしていたレイピアを止めてしまうカレン。彼女は左手のペレット・ダガーを構え、突っ込んできたエミリアの一撃を受け止めようとしたんだけど―――エミリアが右へと薙ぎ払った一撃は、ガードするために構えたカレンのペレット・ダガーを簡単に吹っ飛ばしてしまった。


「!?」


 レイピアと同じ形状の鍔が装着されているダガーが、回転しながら天空へと吹っ飛ばされていく。カレンはエミリアにカウンターをお見舞いするために右手のレイピアを振り上げた。


 でも、彼女が漆黒の刀身をエミリアに突き出そうとした瞬間に、漆黒のサーベルの切っ先がカレンの喉元へと向けられた。


「くっ・・・・・・・・・!」


「そこまでだな」


 今の模擬戦はエミリアの勝利だ。


 カレンは悔しそうにレイピアを腰の鞘に戻すと、さっきエミリアに吹っ飛ばされたダガーを拾い上げ、ダガーも鞘へと戻した。


「また負けた・・・・・・・・・」


「何を言ってるんだ。さっき距離を取ったのはいい判断だったぞ?」


 もしあそこで追撃してたら、エミリアが用意してた強烈なカウンターが叩き込まれていただろう。


「次は負けないわよ、エミリア!」


「ああ。明日もよろしく頼むぞ」


「よし、今日の訓練はここまでにしようぜ」


 もう夕方だ。多分4時くらいだろう。


 俺は剣術の訓練を終えた2人にタオルを渡すと、踵を返して裏庭にある物置の方へと向かって歩き出す。木製のドアを開け、左側に積み上げられている薪をいくつか取り出すと、俺は薪を台の上に置いて腰の鞘から93式対物刀を引き抜いた。


 ブレイザーR93のような銃床が装着された漆黒の刀を構え、台の上に立てた薪へと向かって振り下ろそうとしている俺を、さっきまでエミリアと剣術だけで戦っていたカレンが見つめていた。


「どうした?」


「力也って、剣術を誰かから習ったの?」


「いや、我流だぞ?」


 俺がこの世界の人間ではないということは、まだエミリアやカレンたちに話していない。東の国から一人旅をしていたという事にしている。


 転生する前の世界で俺がやっていたのはラグビーだ。剣術や格闘術は全くやったことがない。だから、俺の剣術は我流だ。


「確かカレンは騎士団の教官から習ったんだっけ?」


「ええ。父上と仲のいい騎士団の教官からね。・・・・・・でも、エミリアは強かったなぁ・・・・・・」


「エミリアは前から剣術は得意って言ってからな」


 カレンと話をしながら、俺は93式対物刀を薪へと向かって振り下ろした。さすがにトリガーを引くと台まで簡単に一刀両断してしまうので、トリガーは引かずにそのまま振り下ろしている。


 漆黒の刃に真っ二つにされた薪を台の上から退けると、俺は次の薪を台の上に立てた。もう一度刀を振り上げ、漆黒の刃を台の上の薪へと向けて振り下ろす。


「ねえ。私にも刀貸してよ」


「ん? 薪割りやるのか?」


「うん。やったことないし」


 俺は台の上の真っ二つになった薪を退け、物置から取り出してきた薪を台の上に乗せると、93式対物刀のグリップから手を放してカレンに渡した。


「こ、これって刀なの? なんだか銃みたい・・・・・・」


「グリップにあるトリガーは引くなよ?」


 ボルトアクション式のライフルのような形状の刀を見つめるカレン。彼女はトリガーを握らないようにグリップを掴むと、刀を振り上げ、俺が台の上に乗せておいた薪へと向かって振り下ろした。


 漆黒の刃は、俺がさっきまで薪を両断していたように簡単に台の上の薪を真っ二つにし、その下にあった台に食い込んだ。俺は台まで切り裂かないように加減してたんだけど、カレンは思い切り振り下ろしてしまったらしい。


「きゃっ!?」


 この93式対物刀はペレット・トマホークよりも切れ味がいいからな。トリガーを引かなくても、薪ごと台を両断できるだろう。


 カレンが何とか台に食い込んでいた刀の刃を引き抜く。俺は笑いながら彼女が両断した薪を片付けると、次の薪を台の上に用意した。



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