力也とエミリアがデートに行くとこうなる
草原に作られた馬車の通る道に、本来ならば決して響き渡る筈のないエンジン音が轟いていた。機械が存在しない代わりに魔術や魔物が存在する異世界では、決してバイクのエンジン音など聞くことは出来ないだろう。
アメリカ製バイクのハーレーダビットソンWLAに跨った俺とエミリアは、冷たい風を一時的に排気ガスとエンジンの熱で蹂躙しながら王都に向かって草原を疾走していた。
本当ならばこのバイクにはいつも機関銃を装備したサイドカーを付けているんだけど、エミリアが俺の後ろに乗りたいと言い出したので、サイドカーは外してある。それに、依頼を受けて王都に戦いに行くわけではないから、いつもバイクに装着している装甲板も取り外してある。それに、俺とエミリアが身に着けているのはいつもの黒いモリガンの制服ではなく、私服だった。
俺の場合は、ネイリンゲンの街の服屋で購入した普通の服だ。さすがに転生した時に着ていた黒いパーカーとジーンズで出かけるわけにはいかなかったからな。それに、あの黒い制服はこの世界ではかなり有名になってしまったため、制服姿で出歩くのは基本的に依頼を引き受けた時だけにしている。
エミリアも同じく、制服ではなく私服だった。彼女が身に着けているのも俺と同じく街の服屋で購入したもので、王都でも目立つことはないだろう。彼女も俺と同じくいつもよりも地味な格好だけど、いつもの凛々しい雰囲気は健在だ。
今日の目的はデートだから、武器は一切持ってない。だからもし誰かに襲撃される羽目になったら義足のブレードで応戦するつもりだし、道中で魔物に遭遇したら無視してそのまま逃げるつもりだ。
王都には何度か行ったことがあるけど、全部依頼を引き受けて訪れていたから、ゆっくり買い物に行ったことはまだない。そういえば、カレンを暗殺者たちから護衛したのも王都だったな。あの時は毒を塗った矢で足を射抜かれて、彼女に肩を貸してもらった。
出来るならば、もう毒はやめて欲しいな。スキルで『全種毒物完全無効』を装備しているから、毒物が体内に入り込んだとしても俺にはもう通用しない。だから、あの時みたいに毒を塗った矢で射抜かれても、もう動けなくなることはない。
「ふふっ」
「ん? どうした?」
「いや、何でもないぞ? ・・・・・・ふふふっ」
俺の後ろに乗っているエミリアは、先ほどから両手を俺の胸の下に回してしがみつきながら楽しそうに笑っている。デートに行けるのが嬉しいんだろうか?
彼女が喜んでいるのは良いんだけど、俺に後ろからしがみついてバイクに乗っているから、彼女の大きな胸が背中に押し付けられてるんだよね。さっきからバイクを運転しながらデートの予定とか別の事を考えてるんだけど、何回も運転を間違えそうになってるんだ。
後ろに乗ってるんだから仕方ないんだけど、なんで後ろに乗りたがったんだろう?
胸を背中に押し付けられて顔を真っ赤にしながら運転していると、バイクのエンジン音と疾走するバイクに蹂躙される風の音に、聞き慣れた声のハミングが混ざり始めた。
エンジンの大きな音と風の音の伴奏と共に聞こえてくるのは、俺の後ろに乗る少女のハミングだ。おそらく、曲は前にミラが口ずさんでいた子守唄だろう。
彼女のハミングを聞いて落ち着いた俺は、そのままバイクを王都に向かって走らせ続けた。
「あらあら、サイドカーじゃなくて後ろに乗ってるわ」
ハンヴィーの助手席に座っているエミリアにそっくりな少女は、双眼鏡を覗いてニヤニヤと笑いながらそう言った。
領主になる前から王都の会議で何度か彼女の名前と異名を耳にしたことがあったけど、彼女は本当にあの絶対零度と呼ばれたラトーニウス王国最強の騎士なのかしら?
父上はもしラトーニウス王国と戦争になったら、一番危険なのは絶対零度の異名を持つエリス・シンシア・ペンドルトンだと言っていたわ。氷属性の魔術とハルバードを自在に操り、無数の敵を氷漬けにしてしまうと恐れられていたから、オルトバルカ王国はラトーニウス王国を強引に侵略するようなことはしなかったの。
「楽しそうねぇ・・・・・・。いいなぁ。私も力也くんの後ろに乗りたいなぁ・・・・・・」
「あの、エリスさん?」
「あら、どうしたの?」
双眼鏡から目を離し、口元のよだれを拭き取りながら私の方を見るエリスさん。
彼女は男子よりも女子の方が好きらしくて、しかもシスコンなのよ。モリガンの仲間になったばかりの頃は凄腕の騎士で、頼りになる人だと思ってたんだけどなぁ・・・・・・。
「あ、カレンちゃん。スピードを上げてちょうだい」
「は、はい・・・・・・」
妹のデートを見守ろうとする姉に指示されて、私はハンヴィーを加速させた。
エリスさんはニヤニヤと笑いながらよだれを拭い去ると、再び双眼鏡を覗き込む。
確かにエリスさんはとても強いわ。何回か模擬戦をやったんだけど、リゼットの曲刀を使ってもすぐに両足を氷漬けにされてしまうし、ハルバードの連続攻撃のせいで懐に入ることも出来ない。間違いなくメンバーの中でも彼女の強さはトップクラスよ。
変態でなければ、尊敬してたのに・・・・・・。
しかも男子よりも女子の方が好きだから、私も襲われる危険性があるという事なのよね・・・・・・。
ちなみに、あの2人のデートについて行っているのは私とエリスさんとフィオナちゃんの3人だけよ。ミラちゃんと信也くんともう1人の変態は屋敷で10式戦車の試運転をやっているわ。
「ああ・・・・・・楽しそうに笑ってるエミリアちゃんも可愛い・・・・・・!」
「・・・・・・」
定期的によだれを拭き取りながら双眼鏡を覗き続けるエリスさんの隣で、私はため息をついた。
防壁の近くでバイクから下り、端末でバイクを装備から解除した俺は、エミリアと一緒に防壁の門へと向かった。王都の防壁にはやはり魔力を増幅させるための魔法陣が描かれていて、その近くの門の前には槍を持った防具姿の騎士たちが並んで警備をしている。
あの時は黒い制服を着て銃を持っていたからすぐに騎士に呼び止められたけど、今は地味な私服姿だから、ちらりと見られただけで呼び止められることはなかった。だが、一番隅に立っていた騎士がエミリアを連れて街の中へ入ろうとしていた俺を睨みつけてきたんだ。
とりあえず、ちらりとそいつの顔を見てから隣を通過する。
分厚い防壁の門の先にあったのは、大きな建物や露店が並ぶ巨大な街並みだった。荷物をどっさりと積み込んだ荷馬車が何台も大通りを通過し、露店の周りには買い物客が集まっている。
「とりあえず、大通りでも見てみるか?」
「ああ、そうだな。やはりネイリンゲンよりも大きな街だからな」
ネイリンゲンの街にも露店はあるけど、もっと静かだし規模も小さい。それに、あそこの露店では野菜や果物を売っている店が多いんだ。周囲が草原になっていて、畑が作りやすい土地だから仕方ないけどな。
当然ながら王都の露店の方が品揃えがいい。奇妙な形状の壷や水晶を売っている露店もあるし、武器や防具を売っている露店もあるようだ。通りの奥の方にはクレープを売っている店もあるらしく、生クリームやカスタードクリームの甘い香りが冷たい風と共に流れてくる。
ずらりと並ぶ露店の列を眺めていると、隣に立っていたエミリアがそっと俺の左手を握ってきた。冷たい風を浴びながらバイクを運転してきたせいで冷たくなっていた俺の手を、彼女の柔らかくて暖かい手が包み込む。
「ん?」
「ふふっ」
楽しそうに笑いながら俺の顔を見上げるエミリア。俺は彼女の手を握り返すと、一緒に大通りに向かって歩き出す。
まず、クレープでも買うか。財布の中には金貨や銀貨が大量に入っているから、買い物で金を使い切ってしまうようなことはないだろう。ちなみにこの世界では、金貨が3枚あれば普通の家を建てる事が出来るらしい。財布の中に入っている金貨の枚数は8枚だから、俺は周囲に建っているレンガ造りの家を2軒ほど建てられるだけの金額を持っていると言う事になる。
もちろん、これはクライアントから貰った報酬だ。ギルドのルール通りに報酬の3割をギルドに提出し、残りの7割を使う事にしている。でも、基本的に日用品や本を購入するだけだったから、あまり金を使っていない。屋敷の改築や設備の追加などはギルドの資金を使っているし、地下の射撃訓練場はカレンのお父さんが俺たちのために追加してくれたものだから、全くコストはかかっていない。
「エミリア、味はどれにする?」
「私は・・・・・・チョコレートがいいな」
「いらっしゃい!」
「えっと、チョコレートと生クリームをください」
「はい、銀貨2枚ね!」
露店の向こうにいる中年の店員の手の上に銀貨を2枚置いた俺は、焼き上がったばかりのクレープを2つ受け取ると、俺たちの後ろに並んでいた客の声を聴きながらチョコレート味のクレープをエミリアに手渡し、露店の前の列から離れた。
人込みから離れてから、俺の隣でエミリアがクレープに齧り付く。俺も別の露店ではどんなものを売っているのか眺めながら、生クリームがたっぷり入ったクレープに齧り付いた。
異世界で売られているクレープなんだけど、味は俺が住んでいた世界のクレープとあまり変わらない。そういえば、小さい時はよく信也を連れて夏祭りでいろんな物を買ってたなぁ・・・・・・。一緒に金魚すくいをやったんだけど、毎年あいつは1匹も金魚が取れなかったっけ。
幼少期の事を思い出していると、俺の隣にいるエミリアがいきなりぐいぐいと手を引っ張り始めた。
「り、力也!」
「ん? どうした?」
「あ、あれ・・・・・・!」
「ん?」
彼女が指差している方向にあった露店の前で、客が弓矢を構えている。その客たちの目の前にある台の上には、お菓子やおもちゃがずらりと並んでいるようだった。射的だろうか。
クレープを食ってた俺を呼んだエミリアは、先ほどからその景品の中に並んでいる真っ白なウサギのぬいぐるみをじっと見つめているようだった。
「か、可愛いなぁ・・・・・・!」
「欲しいのか?」
「う、うん・・・・・・!」
「はははっ。よし、やってみるか」
もう一口だけクレープに齧り付いてから、彼女の手を引いて射的の露店の方へと向かう。ポケットから財布を取り出そうとしていると、どうやら前の客が矢を全部撃ってしまったらしく、弓を台の上に置いて露店の前を去って行った。
「いらっしゃい。やってみるかい?」
「ああ、私がやる。・・・・・・力也、ちょっとクレープを持っててくれ」
「おう」
食べかけのチョコレートのクレープを渡された俺は、銅貨を5枚ほど店主に手渡してから弓を拾い上げるエミリアを見守ることにした。
エミリアはラトーニウス王国騎士団に所属していたけど、彼女の得意分野は剣術だ。ギルドでは銃も使っているけど、射撃はあまり得意ではないらしい。
彼女はあのぬいぐるみを落とせるんだろうか?
「あっ・・・・・・」
白いウサギのぬいぐるみを狙ってエミリアは矢を放ったけど、彼女の矢はウサギの耳に命中してぬいぐるみをぐらりと揺らしただけだった。どうやらあのぬいぐるみは、思ったよりも大きいようだ。
他の景品は全く狙わず、白いウサギのぬいぐるみだけを狙うエミリア。先ほどまで楽しそうに笑っていた彼女が、まるで武器を持って戦場へと向かう時のような威圧感を発しながら射的の弓矢を構えている。そのせいで、台の脇に立っている店主のおじさんがビビっていた。
「くっ・・・・・・!」
2本目は外れてしまったようだ。最後の1本をつがえる前に深呼吸をしたエミリアは、目の前に置いてある最後の1本を拾い上げ、ウサギのぬいぐるみへと狙いを定める。
きっと、カレンだったら外さないだろうなぁ・・・・・・。カレンはギルドでは選抜射手や砲手を担当しているけど、ギルドに入る前は弓矢の射撃を得意としていた。今でも、端末で生産したコンパウンドボウを装備して魔物を退治しに行く事があるらしい。
狙いを定めたエミリアは、最後の1本を台の上に乗っているウサギのぬいぐるみへと向けて放った。射的用の矢は真っ直ぐにぬいぐるみの腹へと激突したけど、1本目と同じように、ぬいぐるみがぐらりと揺れた程度だった。
「だ、ダメだった・・・・・・うう・・・・・・・・・」
弓を台の上に置き、涙目になりながら俺のところへと戻ってくるエミリア。彼女の後ろでは、先ほどまで彼女の威圧感でビビっていた店主が、ほっとしながら彼女の使った矢を拾い上げている。
「力也ぁ・・・・・・!」
「わ、分かったって。今度は俺がやってみるよ」
涙目になりながら俺の胸にエミリアが顔を押し付けてくる。いつも彼女は凛々しい雰囲気を放っているんだけど、最近は2人きりの時によく甘えてくるようになったんだ。
「ほ、本当か!?」
「ああ、任せろって」
俺は顔を赤くしながら、彼女に俺の分のクレープも渡した。ポケットから財布を出して銅貨を5枚取り出すと、店主のおじさんに銅貨を手渡し、台の上に置いてあった弓を拾い上げた。
おじさんから矢を3本受け取った俺は、早速1本目をつがえ、台の上に腰を下ろしているぬいぐるみへと狙いを定める。
思ったよりも大きなぬいぐるみだな。
「・・・・・・・・・」
アンチマテリアルライフルのスコープを覗き込んだ時のように落ち着いた俺は、目の前のぬいぐるみを睨みつけた。威圧感を出した覚えはないんだが、またしても店主のおじさんがビビっている。
ぬいぐるみの頭に狙いを合わせた俺は、すぐに矢をウサギのぬいぐるみの頭へと叩き込んだ。頭に矢を撃ち込まれ、ぬいぐるみがぐらりと後ろに揺れる。
俺はすぐに右手を台の上に伸ばして2本目の矢を掴み取ると、後ろに揺れたぬいぐるみの頭が前へと戻ってくる前に素早く照準を合わせ、2本目を再びぬいぐるみの頭へと叩き込む。
またしても矢がぬいぐるみの頭に命中し、更にぐらりと揺れる。
でも、まだぬいぐるみは落ちないようだ。
ならば、もう1本叩き込んでやる・・・・・・!
先ほどと同じように最後の矢を掴み取った俺は、ぬいぐるみの頭が前へと揺れてくる前に狙いを合わせた。ウサギのぬいぐるみは思ったよりも大きかったけど、あんなに揺れた状態でもう1本矢を叩き込まれれば落ちるだろう。
射撃訓練と実戦で鍛え上げた技術で素早く照準を合わせた俺は、台の上でぐらりと揺れているぬいぐるみに止めを叩き込んだ。
最後の1本もぬいぐるみの頭に命中。射的用の矢に頭を突き飛ばされたウサギのぬいぐるみは、ついに台の上から落下した。
「な・・・・・・!?」
「す、すごい・・・・・・!」
「―――ありがとな、おじさん」
目の前の台の上に弓を置いた俺は、落下したぬいぐるみを見下ろしながら目を見開いているおじさんにそう言うと、にやりと笑った。