二日目 そして、港へ
いつもありがとうございます。
私達はゆっくりと灯りの後ろについていく。
先導しているのはたぶん、梓さん。黒木さんは背負子のようなものに、ナギをくくりつけて後を追っている。
梓さんは、懐中電灯。黒木さんはヘッドライトのようだ。ナギは意識を失っているようで、抵抗している様子は見えない。暗い山道を、二人は軽快に歩く。私達の方がはるかに身軽であるにもかかわらず、二人の歩みは決して遅くない。
やがて、山道を抜けると、鉄筋コンクリートと思われる武骨な四角い建物の黒い影が見えてきた。たぶん、昔の研究施設というやつであろう。暗くてよくはわからないけれど、窓や戸は壊れていて、周りは木々が生い茂り、コンクリートの張られた道はところどころひび割れて、草がぼうぼうに生えている。
二人は迷いなく研究施設の壊れた扉の方へと向かい、中に消えていった。
「あの建物を抜けると、港がある」
保さんが囁く。
「でも、船は置いていない。たぶん、『誰か』が迎えに来るのだと思う」
保さんは、二人が入っていった扉とは別の扉へと私たちを連れていく。
「さっきの入り口より、こちらの方が早い」
保さんが指をさした。永沢がそっと壊れた扉の隙間から闇の中をのぞく。
「埃っぽいから、マスクをしたほうがいいよ」
永沢は、ハンカチで鼻と口を覆い、頭の後ろで縛った。
「亮君、親父に連絡」
保さんは衛星携帯を糸田に渡し、永沢に続く。
糸田が連絡している間に、私はGPSで現在位置を確認する。間違いなく、島の北部で、研究施設のそばをさしている。屋内に入ると位置情報がはっきりわからなくなるが、保さんの様子から見て、この建物に来たことはあるのだろう。
私と糸田は、ハンカチで鼻と口を覆うと、戸板の隙間から建物に入った。
埃っぽいというよりは、カビ臭い。私たちが入った扉は、居住区に向かう扉らしい。まっすぐに奥まで伸びるコンクリートの通路の脇には壊れた扉がいくつも並んでいて、その扉の向こうには畳の部屋が見える。
埃やら、割れたガラス、壊れた入り口から侵入した枯れ葉などが床に散乱していた。
ほんの少しだけ人が集まれるスペースを見つけた保さんが、スマートフォンに転送してもらった、この建物の絵図面を開いた。
「俺たちが入ってきたのは、ここ。黒木さんたちはこっちの扉から入ったけど、このバツ印のところは、現在、鍵がかかっていて進めない。だから、こっちの道を通って、港に出ないといけないはずだ」
「鍵を開けて、通ったとしたら?」
私の問いに、保さんは苦笑した。
「たぶん、道具がないと開かないから。開けたとしても、どっちにしろ俺たちの方が早く港に出るはずだ」
「しかし、保さん。早く港についたとしても、俺たち、どうやったらナギちゃんを助けられますか?」
糸田が口を開く。
保さんはよくわからないけれど、糸田も永沢も、体格は大きい方だし、運動神経はとてもいい。ふたりとも喧嘩はしないタイプだけど、たぶん、弱くはないだろう。でも、黒木さんたちは『普通』のひとたちでは、たぶん、ない。
「亮君、俺たちは様子を見て、連絡するのが役目だろう?」
保さんは首を振った。
「最悪、ナギが船に乗せられない様に見張るのが仕事だ。相手が銃器を持っていないとも限らない。妹のことで、君たちに何かあったらたいへんだ」
「でも」
私が何か言いかけると、糸田がそれを制した。
「とりあえず、様子を見よう。俺たちは今、できることをやるべきだ」
強い口調でそう言われて、私は口を閉じる。その通りだと思う。
私たちは、そのまま保さんの案内のもとに、建物の中を歩いていく。
「ここ、何の研究をしていたのですか?」
居住空間を抜けると、大きな空間に出た。水槽のようなおおきなガラスの箱がいくつも並んでいる。
「海洋生物の養殖の研究だよ」
「ふうん」
水槽の置いてある部屋は、いくつもあった。おそらくたくさんの機材があったであろう場所は、ほこりとがらくただけであったが、水のもう出ない水道や、壁をつたうむき出しの水道管などが、暗闇の中に浮かび、とても不気味だ。
私達は出来る限り音を立てない様に足元に気をつけながらヘッドライトの明かりを頼りに進む。
しばらく歩いていくと、先導していた保さんと永沢の足がピタリと止まった。壊れた扉の向こうを見ながら、二人がヘッドライトをそっと消したのを見て、私と糸田も明かりを消して、その場に踏みとどまる。
ザクリ、ザクリ、という足音がした。
私達のものではない。そして、それは、それ程遠くない位置から聞こえてくる。
「今、何時だ?」
囁くような声がした。黒木さんの声だ。
「二十三時すぎね。約束の時間まで、あと三十分弱かしら」
梓さんの声が答える。
「間に合うかね?」
黒木さんがふうっと大きく息をついたようだ。
「どういう意味?」
「たぶん、警察に通報はされている。逃げきれるかどうか、微妙だと思って」
「そうね」
梓さんの声には、どこか達観したような響きがある。
「依頼主さんにとっては、お嬢様をさらった時点で、目的は達したみたいなものだから。あとは、私たちの人生がブタバコか、リゾートになるかの違いじゃない?」
「さらりと言うね、梓は」
黒木さんの声と一緒に、どさりと何かを動かした音がした。
「磯の香だな」
黒木さんの声。
「海水の導入用プールね。えっと、ここを左で、港のはずよ」
梓さんの声が遠のいていく。
永沢がそっと、壊れた扉を潜り抜け、そっと手で合図をする。
保さんがそのあとに続き、糸田、そして私が続く。
足音が遠のく。
チャプンチャプンと絶え間ない音が聞こえてきた。おそらく梓さんの言っていた『海水の導入用プール』なのだろう。
そろそろと闇の中を永沢が進み、様子をうかがう。
永沢が、ヘッドライトをつけ、私達の方に合図を送った。音を立てないように気をつけながら、永沢の照らすライトの灯りだけを頼りに距離を詰めた。
左に折れると、通路の先から波の音と、潮の香りが流れてきた。港だ。
「梓、ライト」
「オッケー」
通路の先から二人の会話が聞こえてくる。
パッと暗闇の向こうに小さな灯りが生まれた。どうやら、ランプ型の灯りを灯したようだ。
二人の人影が、暗闇の中ではっきりと浮かび上がった。
港は、小さなもので、大きな船が接舷できるようなものではなさそうだ。今のところ、船の姿はなく、二人はふ頭の先に、ランプ型の灯りを二つ灯す。背負子からおろされたナギは、二人から少しだけ離れた灯りのそばに横たわっていた。
私達はゆっくりと建物の中から出て、物陰に息を潜めながら様子をうかがう。
二人が立つふ頭の向こうに、暗い海が闇に溶けている。
放棄された港だけあって、いろいろなものが転がっている。壊れたポリバケツや、木箱。ヘルメットにロープ。
糸田はじりじりと前に進みながらヘルメットを手にして、闇の中でニヤリと私と永沢に笑いかけた。
私は、保さんについてくるように合図をし、ゆっくりとナギの方へと近づく。
不意に、海の向こうで、光が点滅した。それに合わせるようにして、梓さんが海に向かって懐中電灯の明かりを明滅させた。
海の上に、明かりがともる。船だ。モーター音が近づいてくる。
私は、ナギに向かって走った。
「誰?」
梓さんの声が飛ぶ。
「遥ちゃん!」
叫ぶ保さんを無視して、私はナギに駆け寄った。
離れていた黒木さんが走ってくるところへ、糸田と永沢がヘルメットを投げつけた。
ボールじゃないし、形がいびつで重いヘルメットは、コントロールが効かないようだが、二人ともバレー部だけに腕力がある。
ガシッと音がして、黒木さんの足にヘルメットが直撃した。
「ウっ」
「祐介!」
梓さんが駆け寄ろうとしたところへ、さらにヘルメットを投げつける。
ヘルメットは容赦なく、梓さんの腹に当たった。
「アッ」
二人の動きが止まった隙に、私と保さんはナギを抱えて、後退した。
「クソッ」
黒木さんが呻いて、私の方へ走ってこようとしたとき、黒い影が走り込んで、黒木さんを投げ飛ばした。
「川村さん!」
川村さんは、そのまま、あっというまに梓さんを捕まえて、腕をねじり上げ、手錠をかけた。
糸田と永沢は、倒れた黒木さんを二人がかりで取り押さえる。
「話が違いますよ、糸田君」
ふうっと溜息をつきながら、川村さんが首をすくめた。
川村さんは、先に港に着き、様子を探っていたらしい。
結論から言うと、黒木さんたちはその場で拘束され、あとからやってきた船のメンバーと一緒に警察に引き渡された。
どうやら、塩野コンツェルンのライバル会社に雇われ、ほんの少し、脅しをかけるのが目的だったらしい。
黒木さんを誘った、ヨウさんは顔を青くしていたけれど、塩野のおじさまはヨウさんのせいじゃない、と言った。
その後の調べによれば、黒木さん夫婦は本当の夫婦ではなく、川村さんのような警備の仕事を主に請け負うひとではあったものの、ダークサイドで生きているようなプロではなかったらしい。本格的な調べを待たなければならないが、彼らも請け負わなければならない事情があったらしい。
とはいえ、理由があったからと言って、ナギをさらっていいという理由にはならないけど。
ナギは、その後、意識を取り戻した。
島から戻ると、念のため病院に行ったが、幸い、特に異常はなかったらしい。
「あーあ。せっかくの無人島だったのに」
ナギはがっかりしていたけど、無事で本当に良かったと思う。
今日は、無人島から帰って二週間後の日曜日。
私達は、会長の店へと集まり、反省会だ。反省と言っても、たいていは釣果報告会なのだが、今回は、いろいろなことがありすぎた。
「とりあえず、塩野さんが無事でよかったよ」
ニコリ、と永沢が笑う。目の前におかれたジンジャエールがふつふつと泡を立てている。
「んー」
ナギはちょっと頬を膨らませた。
「永沢君、遥を名前呼びするなら、私もナギと呼びなさい」
「え?」
永沢がびっくりして目を丸くする。
「だって、糸田君も、名前で呼んでいるのよ?」
そういえば、糸田は、私を名前呼びする前から、ナギは名前呼びだった。私が糸田に理由を聞くと、糸田は苦笑した。
「だって、塩野家三人、区別つかねーし。それ言うなら、遥だって、俺の兄貴は名前呼びするけど、俺は未だに糸田ってどういうことだよ」
あ、墓穴掘った。私は慌てて立ち上がり、飲み物を取りに行こうとしたが、糸田に手を引かれて、ぺたんと糸田の膝の上に座り込んでしまった。
「遥先輩も、糸田先輩も、お熱いのはいいですけど、人前ですよ」
くすくすと由紀子ちゃんが笑う。
「うわっ」
私と糸田は思わず、弾かれたように離れた。
「おいおい。若いのは羨ましいが、色恋に浮かれると、学業に差し支えるぞ」
ニヤリと、会長が笑い、美味しいサバの煮つけをテーブルに並べた。
ヨウさんは既にビールモードだ。
「えー、前回の釣り会は、私事で、たいへんなことになってしまいましたが、これに懲りず、皆さま、ぜひ、また例会には参加してくださいますよう、お願い申し上げます」
塩野のおじさんが立ち上がり、そう言って頭を下げた。
「学生班の、遥ちゃん、亮君、ナギ、永沢君は、今年が受験ということもあり、学業優先になるかと思いますが、いつでも気晴らしに参加してもらって、ぜひ、志望校に合格してもらいたいものです。では、ご苦労様でした」
「よし、では、乾杯しよう」
会長がそう言って、コップを掲げた。
「乾杯!」
私達は、全員で乾杯する。
無人島はいろんなことがあって大変だったけれど。やっぱり釣りは楽しいし、こうしてみんなで一緒に飲んだり食べたりするのは、とても楽しい。
ずっと、こうしていられるといいな。
ふとそう呟いて。見上げたら、糸田がこくんと頷いた。
了
釣りバカ女子をお読みいただき、ありがとうございます。
今作は、これにて、完結とさせていただきます。
長い間、お付き合いいただきありがとうございます。
またひょっこり番外編などを書くこともあるかもしれませんが、『なろう』という以前に、恋愛モノとして、超マイナ-な釣りという題材の作品であるにもかかわらず、たくさんのかたにお読みいただけて、本当に嬉しく思っております。
また、ご意見、ご感想など頂けるとたいへん嬉しいです。
本当に ありがとうございました。
2015.12.8 秋月忍




