一日目 午後がスタートしました。
バーベキューの仕込みはほぼ終わっているので、基本的には浜に運ぶ道具を用意するだけである。私たちはお弁当を食べ終わると、自分たちの部屋へ荷物整理に戻った。
女の子が三人集まったら、少し恐れていた女子トークが始まる。なんとなく、今回は自分が集中砲火を浴びる気はしていた。
「遥先輩、糸田先輩と本当にラブラブですね。私、見ちゃいましたー」
口火を切ったのは由紀子ちゃん。しかも、最初から砲弾投下されました。
「え?」
「船着き場で、糸田先輩に抱きしめられてましたよね?」
船着き場で、突然抱き寄せられた、アレを見られていた? 私は思いっきり蒸発しそうになる。
サーフ用の釣り具の手入れをしながら、私は表情を隠す。
「あ、あれは、その」
慌てた私を、ナギがくすっと笑った。
「糸田君、完全にデレデレねえ。ずーっと、ずーっと我慢していたから、少しくらいタガが外れても許してあげないと」
「糸田先輩って、硬派なイメージだったのですけどねえ」
と、由紀子ちゃん。それは、私もそう思う。
「硬派で堅物で、しかも一途だと思うよ、糸田君は。でも今は幸せボケしているのよ」
ナギは、ニヤニヤと笑う。
「それで、どこまでいったの?」
「デートの場所?」
「そんな古典的なボケ、いりませんよ、遥先輩」
由紀子ちゃんが呆れた顔になる。
「報告するようなことは何もないデスよ?」
恥ずかしくて、逃げたくなる。本当に何もないのだ。抱きしめられたり、手を握られたりはする。正直、私はそれだけでも、心臓が破裂しそうになるし。
「え? キスもしていないの?」
びっくりしたナギにコクンと頷くと「硬派っていうより、ただのヘタレだわ」と呆れた声で呟く。
「だって、まだ付き合って、三か月だし」
「告白した勢いで、キスまでいくのは、常識ですよ!」
と、由紀子ちゃん。常識って何? 世間様のカップルって、そんなにガンガン進んじゃうものなの?
「遥先輩、ガードが固すぎなんじゃないですか? 少しは隙を作ってあげないと、糸田先輩が気の毒です」
そ、そうなのかな? だんだん不安になってきた。
「由紀子ちゃん、遥の場合はガードが固いのではなく、鈍いのよ」
ふーっとナギはため息をついた。
「糸田君が迫っても、遥はスルーしちゃっている可能性があるわね。ま。いいんじゃない? 告白までだって超スローペースだったし」
「うっ」
ナギの言葉に言い返せない私。
「ナギ先輩は、恋人さん、いらっしゃらないのですか?」
不意に由紀子ちゃんがナギに話を振る。
「あ、それは」
思わず遮ろうとした私を、ナギの目が制した。
「私ねえ、一年くらい前に失恋したの。ま、もともとムリなのはわかっていたのだけど」
すっきりした表情で、ナギが笑う。
随分、割り切れるようになったのだなあと、私はホッとした。
「ごめんなさい」
由紀子ちゃんの表情が曇る。
そうだよね、ナギみたいな可愛い女の子が失恋するなんて、普通、想像できないよね……。
「気にしないで。もう立ち直っているから」
ナギは大人びた表情で微笑む。
「そのひと、今度、結婚するの」
「え? そうなの?」
初耳だった私は、ちょっと驚いた。恋人がいるとは聞いていたから、意外ではないし、もう大人の男性だから、当然なのかもしれない。でも。ナギは辛いだろうな、と思う。しかも、相手はナギの傍らにいつもいる。
「そーよ。結婚式、呼んでもらっているから、私、花嫁さんのブーケトス、しっかり狙っているわ」
ぐっと拳を握りしめるナギ。強い。見かけによらずにタフで。本当に素敵だと思う。
ナギなら、きっと、次の恋は素敵に上手くいくはずだ。
「結婚って、随分、大人の方なのですか?」
由紀子ちゃんが遠慮がちに問いかける。
「由紀子ちゃんも知っている人」
ナギは立ち上がって背を向けた。
「川村さんよ。私の、優秀なボディーガードの」
年が離れすぎで相手にされなかったのよねーと、ナギは首をすくめた。
「要するに、私は、恋人募集中なの。由紀子ちゃんは?」
「私は、モテないですよー」
「嘘でしょ?」
ナギが苦笑する。
「由紀子ちゃんも遥と同類かしら? ああ、でも。毎日、永沢君を見ているから、男を見る目が厳しいとか?」
「お兄ちゃんがどうかしましたか?」
由紀子ちゃんがキョトンとする。
「それなら、ナギも同類でしょ。保さん、カッコいいし」
「――うちの兄さん、なよっちぃじゃん。背も低いし」
ナギの保さんへの採点は厳しい。ま。川村さんが基準なら、たいていの男は弱々しいだろう。
「えーっ。保さん、素敵ですよー」
由紀子ちゃんのフォローに、ナギは首を振る。
「ダメダメ。兄さんは優柔不断だし、ナルシストだもん。アホだし」
「ナギ、さすがに、酷くない?」
ナギの理想の相手が保さんと全然違うのは、別に不思議なことじゃないけど。
「ナギ先輩、うちの兄、一応、それなりに筋肉ありますよ?」
唐突に、由紀子ちゃんが永沢を売り込み始めた。確かに、永沢剛は優良物件である。顔よし、性格よし。しかも、運動神経抜群で、均整の取れた体格。バレー部では低い方だが、世間的には高身長だ。
「え?」
ナギが固まる。パッと切り返さないところを見ると、完全に不意を突かれたらしい。ナギとしては珍しいことだ。
「永沢君、性格いいものね。私もいいと思うよ」
私は由紀子ちゃんに賛同する。
「そ、それは、無理! えっと。由紀子ちゃん、あのね、私が無理っていうわけじゃなくて、永沢君の方が無理だから。変なこと言っちゃダメだよ?」
さすがに妹の前で全面拒否するのがまずいと思ったのか、それとも、ほんの少し心が動いたのかよくわからないけれども、ナギは明らかに動揺しながら由紀子ちゃんを諭す。
「ごめんなさい。そうですね。うちの兄では、ナギ先輩のお相手はちょっと無理かもです」
由紀子ちゃんはどう受け取ったのか、しゅんとして首を振り、その話を引っ込めた。
「そういえば、黒木さん、結構、筋肉質よね。どんな職種なのかな?」
ナギが、突然話題を変えた。
「え? 全然気が付かなかったけど」
「でも、ゴツくはないですよね。川村さんも細マッチョさんですが、それより細身でしたよ?」
由紀子ちゃんが思い出すかのように首を傾げる。
「少なくとも銀行員じゃないよ。ヨウさん以外でも何人か知っているけど、黒木さん、匂いが違うもの」
「匂い?」
「うん。何となく、川村さんと同じ匂いがするの」
私には全く違いがわからないけど、ナギにはわかるらしい。お嬢様ってよくわからない、とつい思う。
「何にしても奥さんの具合、よくなっているといいですね」
由紀子ちゃんが心配そうに首を傾げた。
釣り道具を担いで広い土間に出ると「うわーっ、やっぱり!」と、そこに立っていた、永沢に笑われた。
元が漁師さんの家だけあって、土間がとても広い。昔は台所があったらしく、かまどの跡がのこっている。
ふと、目を上げると、釣り道具を担いだ糸田が目に入る。
「だから、そう言っただろ?」
糸田はとても得意げだ。
「へいへい。ごちそーさま」
ポンっと、永沢が、糸田の肩を叩いた。
「何?」
キョトン、とすると、糸田がニヤっと笑った。
「遥が釣り道具を持ってこない訳がないって、話していたんだ」
「ん? だって、せっかくのサーフだし?」
「……潮干狩りするって、言ったよね、遥ちゃん」
保さんは呆れたようだった。
「相変わらず、甘いわねえ、兄さん」
ナギは、ニコリと糸田の方を見た。
「遥は釣りの予定がなくても、釣り道具を持っていく子なのよねー、糸田君」
「ナギちゃんが止めなかったら、な」
つまりだ。ナギが「やめなよ遥」と一言いいさえすれば、釣り道具を置いてきた、という読みらしい。
いい読みです。涙が出てきそうです。
「ナギちゃんは、面白がって、絶対止めないだろーし」
くすりと、糸田がナギを見る。
この二人、本当に以心伝心していて、妬きたくなってしまう。
付き合ってから聞いたのだが、糸田はナギの恋の相談相手だったらしい。お互いが、他の人間に恋をしていることを知っているから、かえって、友情を育めた、ということらしい。
でも、糸田は、ナギみたいな女の子に頼られていたのに、よく私を選んだなあと思う。
「どーせ、私は釣りにしか興味のない女です」
糸田が私の頭をクシャとなでた。
「別に、それが、遥だから」
馬鹿にされているのか、褒められているのかわからない言葉に、ちょっとムッとしながら、私は、奥から出てきた人影に目をやった。
「黒木さん、お出かけですか?」
黒木夫妻の、旦那さん、黒木祐介さんが、釣り道具を片手に玄関へ出てきた。
「やあ。みなさんも、お出かけですか?」
黒木さんは愛想よく微笑む。
「奥さん、調子どうですか?」
糸田が心配そうに口を開いた。
「はい。お陰様で、だいぶ良くなりましたが、念のため夕食までは部屋でゆっくりするそうです。私は、女房に寝るのに邪魔だから、と追い出されまして」
黒木さんは少し恥ずかしそうだ。
奥さんとしても、旦那さんに楽しんできてもらいたいのだろうなあと思う。
「よかったら、ご一緒しませんか? 俺たち、サーフでやろうって思っているんですが。道具の予備もありますし」
糸田が声をかける。
「そうか。じゃあ、オジサンも一緒に行こうかな」
黒木さんはニコっと笑った。
「オジサンって、黒木さん、まだお若いですよね?」
保さんが、首を傾げる。
「二十九才の既婚者って、君たちから見たら、もうオジサンでしょ」
黒木さんは笑う。でも、薄いブルーのパーカーを羽織った姿はそんなに年齢の違いを感じない。
「オジサンというのは、真昼間だというのに、ビール開けてガンガン飲んでいる、奥の人たちのことを言うのです」
私がそう言うと、ぶっ、とみんなが噴き出した。
「じゃあ、私はオジサン予備軍だね。女房が船酔いしてなかったら、奥に混じって飲んでいただろうから」
ああ、このひと、意外と面白い人だな。
「黒木さんは、ヨウさんの銀行の人ですか?」
ふと、ナギの言ったことが思い出されて、そう訊ねた。
「いや、私は、警備会社に勤めている」
「警備会社?」
ナギが聞き返しながら、私に『当たりでしょ』というサインを送ってきた。
恐るべし、お嬢様。
「銀行とかと契約している会社だよ。いわゆるガードマンだね」
「ああ、それで、鍛えていらっしゃるのですね」
永沢が納得したように頷いた。
私が顔を向けると、永沢が笑った。
「さっき野郎で水タンクを降ろしたんだけど。黒木さん、力持ちでさ。俺や亮より、力があったんだ」
「荷物を持つコツを知っているだけだよ。若いころ、引っ越し屋のバイトをやっていたからね」
私たちは、それぞれに荷物を持って、浜へ向かって歩き始める。
キラキラと光る海面が眩しい。五月になって、日差しは強くなってきたが、頬なでる潮風はまだ涼しげだ。
「黒木さん、スポーツは何を?」
私が黒木さんの横を歩きながら問いかけると、すっと、その間に糸田が入ってきた。
黒木さんは、あまりに露骨な糸田の態度に苦笑する。
「昔は剣道を少しね。今は、ジムで筋トレだけだよ」
「奥様とはどうやって知り合われたのですか?」
由紀子ちゃんが興味津々で、問いかける。
黒木さんは、ちょっと困ったような顔になった。
「……そんなに面白くないよ。ただの職場結婚だから」
「うわー、オフィスラブですね。素敵です!」
目が爛々と輝く由紀子ちゃん。本当に、恋バナが大好きだなー。
「由紀子、やめろ。黒木さん、困っているじゃないか」
永沢は黒木さんに「すみません」と頭を下げた。
「いいよ。いいなあ、君たちは、若くて楽しそうだ」
なぜか、黒木さんの微笑みに陰りあるような気がした。




