カサゴは鍋に。想いは星に2 <師走>
ようやくホームに入ってきた電車に乗り込み、三人で開いた扉と反対側に立つ。
長身二人の男子に守られているような構図だが、守られている姫が私じゃ、絵にならないなあと、ふと思う。
「由紀子が、鯉釣りしたかったって愚痴るんだ」
永沢がぼそり、とそう言った。
秋に沼野先生の実家に行ったとき。永沢の妹の由紀子ちゃんと、とても仲良くなった。
いっしょに釣りをしようって言ったのに、いろいろあって、できなかった。お愛想だけじゃなくて、本当に楽しみにしてくれていたんだなあと思うと嬉しくなった。
「暇だったら、由紀子ちゃんと一緒に釣り会、来てみる? 今度の土曜日だけど」
「いいの?」
永沢は、私じゃなく、糸田の顔を見る。
「俺は構わないけど……保さんに聞いてみないと」
保さん、というのは、学生班の一番年上の、塩野保さん。現在大学一年である。
「私、聞いてみようか?」
「俺が聞く。遥は、ナギちゃんにだけ、連絡してくれればいい」
きっぱりと宣言される。なんか、私が言うと問題でもあるのか?
ちなみに保さんとナギは兄妹だけど、現在、いっしょに住んでいない。まあ、保さんに連絡しておけばナギにも伝わるとは思うけど。
「ナギには、糸田が話せばいいじゃん。同じクラスなんだし。」
私がそう言うと、糸田は首を振った。
「俺、学校ではナギちゃんと必要以上に話をしないって決めてるから」
知らなかった。確かに賢明な判断かもしれない。
「ナギって、まさか、塩野凪?」
永沢はびっくりして目を丸くする。そうだろう。ナギは学校でも有名な超美少女。しかも今をときめく塩野コンツェルンのお嬢様なのだ。
まさかそのお嬢様が、私と大親友で、釣り友だなんて、想像したこともないだろう。
「ナギは、私の親友なの。知らなかった?」
「知らない……というより、亮、お前、遥ちゃんだけじゃなくて、塩野さんまで知り合いだったのか?」
「……一応な」
しまった、というように糸田は顔をゆがめる。
そうだよね、ナギは、学校で知らない人がいないくらいの美少女で、ファンクラブまである。
下手に知り合いだって知られたら、妬み、やっかみだけでなく、仲の取り持ち依頼もいっぱいきて、面倒に違いない。
「俺も釣り、始めようかなあ」
ぼそり、と永沢が呟く。まあ、君の気持ちはよくわかる。
ナギにはそれくらいの魅力はあるよね。
「でも、永沢君、気を付けてね」
私はくすりと笑う。
「たぶん、塩野家のボディーガードの川村さんも一緒に来るから。ナギに下手にちょっかいだすと、怖いよ」
「ボディーガード?」
不思議そうな永沢に私は頷く。
「うん。お嬢様のためなら、なんでもするひとなんだ」
私がそう言うと、糸田が首を振る。
「剛が気を付けないといけないのは、川村さんじゃねえよ。ナギちゃんの兄貴の保さんだ」
「保さんは、優しいよ?」
私の頭の上で、糸田が首をすくめた。
「いいひとなのは間違いない」
糸田の言葉に、永沢が何か目配せをする。
「……そういうこと?」
永沢が糸田に謎の問いかけをし、糸田が深く頷く。
意味がわかりません。
「それで、何を釣るの?」
永沢が話を戻す。
「ロックフィッシュ。カサゴとか、メバル狙い。うちの近所のテトラポットの辺りでやるつもりなの」
「釣れたら、夕食は遥の家でそれを食べることになっている」
今回は学生班の忘年会を兼ねている。たった四人(本当は五人)で忘年会というのも変だけど。
うちは釣り舟のお客さんが食べて行けるように座敷があるから、こういう時にはうってつけなのだ。
「釣れなかったら?」
永沢が言ってはいけない質問を口にする。まあ、そういうこともあるけどね。
「白いご飯はあるから、それを食べて反省会」
あれは最悪。と、糸田が首を振った。
電車を降り、自転車を引きながら、私は糸田と夜道を歩く。
永沢と別れるまで明るかった糸田の表情がまた曇り、黙り込んでしまう。
夜の帳が降りて、海は空と解けあい、さざ波の音だけが規則正しい。
私の大好きなその『近道』は、街灯も少なく、人通りがほとんどない。
「ねぇ、見て」
西の空を私は指をさす。
「あれ、何座かわかる?」
沈黙に耐えられず、明るく私は糸田に話しかけた。
「白鳥座が、どうかしたのか?」
糸田が問い返す。
「そ。白鳥座。でも、今の時期は、クリスマス十字って呼ぶんだって」
「ノーザンクロスって言うのは聞いたことあるが」
「うん。そうなんだけど、ちょうど十二月の夕方だと、西の空に見えるでしょ。だからクリスマス十字」
私は、そう言って笑った。
「なんか、お願い事したらご利益有りそうじゃない?」
海の上に輝く十字架に、私は拝んで見せた。
「来年は、素敵な恋ができるかも…って、なんで、笑うの?」
私のしぐさに、糸田が噴き出した。なんで?
「お前、なんで、十字架に柏手うってるんだよ? 面白いなあ」
あ。しまった。
でも、糸田が笑っていることにホッとする。
「やっと、笑ったね」
私がそう言うと、糸田がごめん、と呟く。
「糸田が失恋したわけじゃないんだから、もっと胸を張ったら?」
私は、わざと明るい口調でそう言った。
「女の子に告白されるって、嬉しいことじゃないの?」
『好き』って感情は、本来、心が温かくなるものだ。
「彼女、女子のバレー部の一年生なんだ。かなり気まずい」
そういうこともあるのかな。
練習のたびに顔を合わせるのだから。話をしないといけない機会だってあるだろう。
そのたびにお互い意識して気まずい思いをしてしまうのは仕方がないことだ。
「未練、あるの?」
「それはねえよ」
意外、と言ってはなんだが、糸田はきっぱりと断言する。
「だったら、少しぐらい悪役になってやりなよ。男の子でしょ」
「悪役ね……」
糸田が苦笑する。
「ねぇ」
ふと疑問がよぎって、問いかける。
「糸田の好きな人って、どんな人?」
「な! なんだよ。やぶから棒に」
糸田の顔がみるみる朱に染まるのが暗闇でもわかった。
「聞くつもりなかったけど、聞こえちゃったから。好きな人がいるって言ってたよね?」
どちらかといえば強面の糸田の顔が、明らかに動揺している。
「断るための口実かと思ったけど、本当なんだ」
糸田があまりにはっきり動揺するから。
心に誰かが住んでいることが言わなくてもわかってしまう。
少しだけ、胸がチクリと痛くなった。
「いいよ。もう……。 素敵な人だね。きっと」
私は、ポンポンと、糸田の肩を叩いた。
「送ってくれてありがとう、もういいよ。ここで」
家はもうすぐだし、この辻で別れないと、糸田の家はどんどん遠くなる。
「遥……」
糸田は私の名を呼んで、黙り込む。
糸田の言葉は、何も続かなくて。
「そのひと、私の知っている人?」
つい出来心で聞いてみる。
「……ああ」
ハッキリ糸田はそう言って、頷いた。
私は。
糸田に別れを告げると、自転車に飛び乗った。涙が出てきたのは、きっと、寒さのせいだと思った。




