2,王女の素顔
「シェリルっ」
王宮の廊下を歩いていると、後ろからアリアさまに声をかけられた。
「アリアさま」
「どうです?姫さまとは……」
「ええ」
あたしがルーナの側で働き始めてから、2日がたった。
アリアさまは……心配してくれているのだろう。
「よくしていただいております。ルーナ……いえ、姫さまには」
「……ルーナ?」
アリアさまの眉がぴくりと動いた。……やばい。
「あっ、いえ、違うんです。その……姫さまが、自分のことはルーナって呼ぶようにおっしゃっていて……」
アリアさまはしばらく黙り込んでしまった。
そしてため息を吐いて、
「姫さまがそうおっしゃるのなら、仕方がありません。ですが、人前では気を付けるようにして下さいね」
「はい……」
お前のせいであたしが怒られちゃったじゃん……。
もちろん本人にはそんなことは言えないので、心のなかで叫んでおく。 しゅんとなったあたしを見て、アリアさまは何を思ったか、ふっと笑った。
「…その様子だと、仲もよくして頂いているのでしょうね」
「あ…はい。今日もこれから遊山に……」
「姫さまと、貴女だけで?」
「はい……それが心配なんですけど……」
別にたいして心配ではないのだが、表情を曇らせて言った。
「護衛とか……姫さまは必要ないとおっしゃるのですが……。本当に大丈夫なのでしょうか……」
「平気だと思いますよ」
即答。そんなに信用してるのか……?
「姫さまは、身を守る術をきちんとわきまえています。それも、並みではありませんからね。いざとなったら、貴女のことも守って下さるかもしれません」
「はあ……」
そこまで信用しちゃって、本当に良いのだろうか。
それに、いくら護身術が得意とはいえ、あたしの手にかかれば意味もないだろうに。
「では、気を付けて行くのですよ」
「あ……はい」
「あら……?シェリー、そのバスケットはどうしたの?昼食をとりに行ったんじゃ……」
「……これがそうらしいんですけど……」
昨日、昼食を2人分、と確かに頼んだハズなのに……これは何かの間違いだろうか。
やけに大きいバスケットを渡された。しかも、重さはハンパじゃない。普通の女の子だったら持てないって……。
「……きっと私達だけじゃあ食べきれないわね」
「そうですよねぇ……」
「でも、せっかく作ってくれたんだから、全部持って行きましょう」
そう言ったルーナは、すでに乗馬服に着替えていた。
さすがに、いつものフリフリドレスじゃあキツいのだろう。
「シェリーは?その格好で行くの?」
その格好とは、女官服の事だ。
踝までの長いスカートでは、そりゃあ乗りにくいけど……。
「ええ。慣れてますから」
結局、5人分くらいありそうな昼食を持ち、城を出た。 ルーナはもともと外にでるのが好きらしい。馬を見事に乗りこなしていた。
「昔はね、よく遊山に出かけたのよ。でも最近は、そんなことしてる暇があったら、舞踏や作法のお勉強をしなさいって言って、なかなか行かせてくれなかったの」
「王女って大変なんですね……」
「そうなの。だから今日はほんと久しぶりの遊山だわ!」
そう言って、ルーナは速度をあげた。
「あ……っ、ルーナっ!」
あたしも急いで後を追う。
活発な王女だなあ、なんて思いながら。
けれどこの後、
あたしはこの王女の本当の姿を見破れなかった事を、後悔することになる。
「気持ちいーっ。やっぱり山って良いわよねー」
しばらく走ったところで、あたし達は昼食をとることにした。
そして、殺すのも邪魔が入らない今にしよう。
死体も、どこか……見つからないようなところに隠そう。ここなら滅多に人は来ないし、地面の血も目立たないようにしておけば問題ない。
だから、今回はじっくり殺れる。思いっきり時間をかけて。
そして、今日中に、あたしはこの国を出る。城の人達が、王女が戻らないことに気付く前に。
……そして本家に戻れば、任務完了だ。
ルーナに出すお茶の中に、そっと薬を入れた。
簡単に言うと、痺れた薬だ。数秒で、体全身が痺れてくる。上手くいけば声も出なくなる。
「どうぞ」
その薬入りのお茶を、いつも通りの笑顔で出した。
「ありがとう」
ルーナもいつも通りの笑顔で受け取る。
そして、何も疑わず、お茶を口元へ持っていき……。
「……………」
……お茶を、捨てた。
「……ル……ルーナ……?」
ガラスのカップの取っ手を持ち、何も入っていない中を見せてくる。
緑色の瞳を細め、物騒に笑いながら。
「……この中に入っていたもの、なあに?」
心臓が激しく脈打つ。震えそうな声を懸命におさえ、何とか言った。
「何って……ただのお茶ですが……?」
ルーナはルーナらしくない瞳で、くすりと笑った。
「命落とすようなことは無いみたいだけど……ちょぉっと危ないわよねぇ」
声が、出なかった。
ルーナのどろりとした声が、あたしの頭の中で絡み付く。
「恐ろしいわね。もしかして、この薬で私をどうにかしてから、殺そうとか……考えてた?」
ずばりと 言い当てられる。
だめだ……。
これ以上、こいつを生かしておくわけにはいかない……っ!
「………っ!!」
スカートの下の靴下止めにさしてある短剣を抜き、ルーナの首を切りにかかる。
それを、ルーナは難なく避けた。
「な……!?」
「遅い」
次の瞬間、ルーナが目の前に迫り、避ける間もなくルーナの拳がみぞおちに入った。
「がっ………っ!!」
取り落とした短剣をルーナが拾い、動けないあたしの首にあてた。
「………っ!!」
「……貴女、もしかして、人をじわじわと苦しめるのが好き?」
肯定、できなかった。
動くことも、声を出すことさえできない。
ルーナは微笑みを浮かべたまま、あたしの首を切った。
「……ぁっ!!」
「痛い?痛いでしょう?」
痛い。血が流れる。馴染みのある匂い。
「大丈夫。そんなに深く切ってないから、多分死なないわ」
そう言いながら、今度は腹を切る。
「ぐ……っ!」
痛い。……痛いなんてもんじゃない……。
このまま……このまま殺してくれれば良いのに……っ!
「きっと……貴女がこうやって殺してきた人達も、早く死にたいって思ってたと思うわ。……つらいでしょう。早く死にたいでしょう」
「殺……っ……ごふっ……!」
血を吐いた。
腹からは、微かに内臓が見えている。
「さて……そろそろ助けを呼んでくるわ。貴女にはまだ、死んでもらっちゃ困るもの」
薄れる意識の中で、ルーナがわざとらしく息を吸う音が聞こえた。
「誰かあっ!!助けてぇ!!だれかあぁっ!!」
そこで、意識を手放した……。
目を開けると、そこはいつものあたしの部屋だった。
……悪い夢でも見ていたような気がする。
でも、首にふれると包帯が巻いてあって、夢じゃなかったんだと思い知らされる。
廊下のほうから、声が聞こえてきた。
「放して女官長っ!」
「いけません姫さま!まだ入っては……っ!」
「どうして!?シェリーに会わせてよ!放してぇっ!」
思いっきりドアーが開いた。
そして、本当に心配しているような表情の……ルーナ。
「シェリーっ!」
ルーナはあたしに抱きついてきた。
あたしは思わず身をかたくする。
「ごめんね……シェリー……私のせいで……っ!」
これは……本気か?
本当に……そう思っているのだろうか。
「シェリル……話は姫さまから聞きました。」
まさか……自分がやったと、話したのか?
しかし、アリアさまの口から出たのは、予想外の内容だった。
「刺客から狙われていた姫さまを、貴女が助けたのだと……。こんなにボロボロになってまで……」
後半は、ほとんど頭に入ってなかった。
刺客が……あたしを傷つけた……?
そんなことは……っ。
「ちが……っ、違います!あたしを傷つけたのは姫さまで……っ!」
アリアさまは眉をひそめた。
「……混乱しているようですね。姫さまは、貴女を傷つけたりしないハズですよ?」
そんなことはない……っ!実際あたしを傷つけたのだから……っ!
「女官長……悪いんだけど、ちょっと2人きりにしてくれない……?」
この子、ちょっと混乱してるみたいだから。そんなことを言いたげな表情で言った。
「……わかりました」
頷き、素直に出ていってしまった。
部屋には、あたしとルーナだけ。
「……貴女、馬鹿じゃないの?」
心底呆れたように、ルーナは言う。
「私、これでもこの国の王女なのよ?貴女の言うことより、私の方が信じてもらえるわ」
そんなの、知ってる。だけど、言わずにはいられなかった。
更にルーナは、続けた。
「しかも、よくあんなで刺客やってられるわね。演技の方はけっこう良いけど、殺しは全然。もっとどうにかした方がいいんじゃない?」
それだけ言って、ルーナは部屋を出た。
しばらく、放心した後、あたしは水道へ向かった。
今までのことを、全部洗い流すように、頭から水を被る。
「許せない……」
許せない……っ!
あそこまで言われて……黙ってなんかいられない……!
悔しい……。悔しい……っ!
絶対あいつを……
あいつを殺してやる……っ!!