─Ⅴ
あの日見つけた生きるための居場所は、いつしか私の大切なモノになっていた。唯一無二の、私の大切なモノ。だから。
『――絶対にさせない。あの人のためなら、命だっていらない』
ただ、そんな声だけが頭の中をグルグルと回っていて、だけどもどかしくて仕方がなかった。無力なのにどうにかして頑張りたいと思いながらも、どうして無力でしかいられないのかもどかしかった。
* * * * *
ただ静かに夜の音を聞いていて、研ぎ澄まされた刃と刃の擦れる音を初めて聞いた時のことを思い出した。甲高くて、綺麗で、全てを消し去りそうなほど──自分の好きな音。自分が選んだ自分なりの生き方を表すような、そんな音だから。
「・・すぅ・・・・」
聞こえてくるのは穏やかな寝息で、あの頃見ていたものと全く変わっていない幼さも残した彼の寝顔に、アリアは安堵の息を無意識に溢していた。
「レイ、様・・・」
時刻は誰もが寝静まった深夜、月明かりの射し込んでいる部屋のベッドに寝ている青年・レイリアことレイは、彼女が傍に近付いたことに気付かず穏やかな寝息を立てたまま眠り込んでいる。アリアもまた同じように穏やかな笑みを浮かべていた。彼女がこんな顔をする姿を見た者は、誰もいないだろう。──たった一人を除けば。
「・・・レイ様、私は役に立てているのでしょうか?」
「────」
「私はあなたの役に立ちたい。あなたが必要とするなら、この命を捧げても構わないから。でも、」
アリアは彼を傍で見つめながら、すぐに笑みを引っ込めながら悲しい顔をした。そして、自分の手を見つめて呟いた。
「──私はこんなにも汚れてしまっている」
アリアの見つめている手の中には、血の付着したダガーナイフがあった。血塗れになっていて、血はアリアの頬や服にも付着していて、青白い月の光に照らされた彼女を艶やかな魔女か悪魔のように見せた。
影ノ騎士が受けている任務は、例外を除くとほとんどが国の上層部から依頼された任務という名の『暗殺』である。そして、アリアが相手にするのは更に上層からの任務。失敗すれば、逆に命が危うくなるような極秘の暗殺だった。
あまり意識する者は少ないが、影ノ騎士団にも他の騎士団と同様に階級が存在しているが、彼らはに更に彼らは特有の階級を持っている。
前者は『騎士階級』といって、騎士団長または副騎士団長をトップとした階級のことを指し、以下を騎士隊長、小隊長とした大まかな三層で分けられていて、そこから更に分けられている。騎士団ごとに役割が違うので、それにあった名称の階級がある。聖騎士団は特殊で騎士階級はないが、団員は団長級だすると暗黙の了解のようなものはある。
そして、後者は『影ノ騎士境界』という階級で、影ノ騎士に属している者のみが知っている階級であり、神騎士と志騎士が与えられる地位だ。
影ノ騎士境界は騎士階級ほど複雑な作りにはなっていない。というのも、影ノ騎士団に所属する者は少数精鋭であり、訓練で培われた鋭い本能的な感覚で強いか弱いかを感じ取れるので、普段から地位を気にする者はいないと言っても過言ではない。
その一人であるアリアは、史上最年少といわれる14歳で神騎士の最高地位〈影ノ神騎士〉を当代の国王から与えられていた。現在のその地位を与えられている神騎士はアリアを含めたとしても片手で足りる数しかおらず、又、志騎士の最高地位〈影ノ志騎士〉に至っては現在はウルフィアのみが与えられている。それを合わせても、まだ片手で足りる数しかいない。それほどまでに、アリアは高い戦闘能力を有していた。
地獄を見るのが当たり前だった訓練で身に付いたものもあるが、アリアは訓練開始からすぐに生まれながらに持っていた戦闘に秀でた才能が引き出され、訓練所の中で一番早く影ノ騎士になった。そんな彼女について、その時の国王であった先代国王はアリアに関する情報を集めるように命じたが、彼女についての詳しい情報は全く手に入らなかった。何故ならば、彼女は〈世界の片隅〉から連れて来られていたからだった。しかし、国王は、影ノ騎士団のテリトリーに無理矢理踏み込もうとしたので殺されてしまった。禁忌を犯したのだ。
そうしてまで守られたアリアが訓練所での訓練を、地獄だとは思うことはなかった。〈世界の片隅〉での生活のほうが、よっぽど辛いと思っていたし、痛みに耐えるために感情をコントロールすることもそこで出来るようになっていたから。回りから、不気味だと言われても気にならなかった。訓練に集中して、力をつけて、いつか唯一あの人のためならばというアリアの成長は目覚ましいものだった。
影ノ騎士団に入ってからも、アリアは一日として訓練を怠らなかった。それが実を結んだからこそ今の彼女があるのだ。だが、今のアリアはそんなふうには見えなかった。穏やかな表情で眠っているレイを見ている彼女は、どこにでもいる普通の少女のようにしか見えないからだ。任務や日常での彼女を知る仲間が今の様子を見れば、どんな反応をするのか、考えなくとも容易に想像がつく。
「レイ、様・・・」
許しを請うように、アリアは彼の眠っているベッドの傍に静かに片膝をついて、窓から覗いている月に向かって頭を垂れる。その姿は、まさに罪人のようなもので。
「約束を守れなかった私を、どうか、許さないでください」
微かに震える唇から放たれたのは、懺悔に似た嘆きだった。