始まり―Ⅰ
誰がどう思っていようと、太陽は再び昇ってくる。結局、酒に酔うことができなかったレイは、いつものように王国の全騎士達が共用している訓練場で鍛錬に励んでいた。陽が昇り始めたばかりの早朝は少し肌寒く、辺りはうっすらと明るいだけである。
『王国軍』と呼称されている騎士団だが、それぞれで担っている役目が違う。分りやすいのが、レイの所属している第1騎士団・聖騎士団だ。全騎士団のトップに立ちながら、戦場には行かず、国の警護を全面的に行っている。だからこそ、彼らは民から絶大な支持を受けているし、子供たちに好かれているのである。
勿論、第2騎士団『戦闘部隊』や第3騎士団『王国治安部隊』、第4騎士団『近衛部隊』なんかもそうだ。それは、第1から第12まであると正式に公表されているからだろう。しかし、唯一正規軍でありながら公表されていない騎士団というのも存在している。
国の上層部の人間であっても、どのようなものなのか詳しくは知らない者のほうが多いだろう。聖騎士団の幹部級辺りで、国王から知らされてから、初めてその存在を知ることができる。12の騎士団とは違い、その構成から役目まで彼ら自身が決めており、立場的には、半ば独立した組織であるというべきか。建国当時からあった部隊であるからこそ、公表されなかったのだ。
「・・・『影ノ騎士』か」
早朝の独特が吹いているのを感じながら、誰にともなくレイは呟いた。国同士のいざこざが起こる度に、その名前を噂としてはよく聞くことはあった。幼馴染みのアルトは人脈が広く、所属しているところが第6騎士団『政府監査部隊』とい情報を取り扱う場所なので、そういった噂に敏感だ。
『影ノ騎士』は、そんな通称名の通りのような騎士団で、王城の東に聳える大きな屋敷のような場所をまるまる所有しているが、メンバーを見るなんて滅多にない。食事時には、その匂いがするので人がいるのは確かだ。
しかし、剣の組手をしているような音もなく、乗馬練習の音もない。騎士団の1つ、という認識に間違いがないのなら、任務があるなら何かしら見掛けるだろうし、音くらい聞こえるはずだ。だから、噂が多々あるのだろう。
『あくまでも噂だけどな、『影ノ騎士』は自由に王国を出入り出来るらしい。彼等専用の門があるとかどうとか』
数ヶ月ほど前に、国境付近にあるいくつかの村が、隣接する国の兵士になりすました賊に襲われたという事件があった時に、聞いた話だ。政府監査部隊の機密部は、影ノ騎士が動いたという情報を得たという。
機密部は、国民に公表されないような機密情報について、半ば『独立した第三者の立場』から情報監査を行っているので、影ノ騎士の情報を一番多く所持している。そこにいるアルトが言うのだから、『噂』の信憑性が高まってくる。
そこまで考えて、レイは剣の素振りを止めた。どうも調子がおかしい。
「・・・はぁ」
何がと言われてもうまく言えないが、どうも調子がおかしい。自分のことなのに訳が分からないと溜め息を吐いた。すると。
「レイーー!!」
遠くから幼馴染みが自分の名前を叫んだ。訓練場の入口から、慌てたように走り寄ってくる彼の手に、何やら紙が握られているのをレイは視界に認めた。すでに、勤務中のはずのアルトがどうしてここにいるのだろうかと不思議に思いたが、
「どうしたんだ、アルト」
そばにやってきた息を乱したままの彼が言ったことに目を見開くこととなった。
「『影ノ騎士』の責任者が、月光ノ宮まで来いって・・・!!」
* * * * *
王城の東に聳える大きな屋敷は、第13騎士団が所有しているもので『月光ノ宮』という。あくまでも、それを知っているのは所有者たちだけなので、外部の者たちからは一般的に第13騎士団塔と呼ばれている。なんとも、飾り気のない名前である。
元々人の数の少ない騎士団なので、影ノ騎士という単数扱いで呼ばれているという噂があるように、彼らは本当に人数が少ない。それゆえ、月光ノ宮の中は、独特な作りになっていた。その一つが彼の少女――昨夜、国王から任務を依頼された少女の部屋である。
・・・やっと、あの人に会える。
一人部屋にしては、やけに広さがあるのに物が少ないそこで、一番目立っているベッドもまた大きい。キングサイズのものを、五つほど並べたような大きさで、少女はそこに寝転がっていた。小さな掌には、鈍く光る銀色のネックレスがあり、彼女はそれを大事そうに磨いていた。
そこへ、コンコンというノック音が響いた。
「ここにいたのか」
「・・・何か用?」
入ってきたのは、彼女の上司にあたるあの東洋出身らしい男だった。彼女は、寝転がったままそちらを見る。シャツにショートパンツというラフな格好をしているせいで、彼女の細くて白い華奢な四肢が晒されている。男はその姿に、またか、といいたいのか呆れたように溜め息を吐いた。
「何度言えばわかる。そなたのように若い女性が、ひとりでいる時でも肌を露出するのは好ましくない。淑女を目指しなされ」
「それ何回も聞いたよ、ウルフィア」
今度は、少女のほうが溜め息を吐く番だった。
この男――ウルフィア・ファルミール=寧香=ファントムは上司であるが、いちいち格好についてもとやかく言っている。彼の出身国では、気品あふれる淑女というのが一番好ましいのか、言葉遣いや仕草にも煩い。彼女に至っては、ほとんど聞き入れていないので、毎度のようにこうして小言を食らっている。
そんな彼に、はいはい、と返事を返すと少女はネックレスをベッドヘッドに置くと、傍に投げていた薄手のローブを羽織りながら、のそのそとベッドから降りた。室内は土足禁止なのか、彼女はふかふかのラグの上に素足で立っていて、ウルフィアは室内履きをはいていた。
「それで、何か用?」
「そなたが護衛役を務める青年が、こちらに来ているぞ」
「・・・・・。・・・は?」
驚きのあまりか、少女の羽織っていたローブが肩から少しだけずれた。十代半ばに見える少女の肩は、やけに白くて華奢で、力を入れたら折れてしまいそうな印象を抱かせる。
・・・え?来ているとはどういうことだ。まさか、彼が、この建物に、いるということ・・・?
混乱しているのか、少女は首をかしげて――叫んだ。いつも冷静で、おとなしい彼女の大声は、存分に屋敷の隅という隅まで、響き渡って行った。