プロローグ―Ⅰ
初挑戦のダーク要素がある物語です。
色々な用語が出てきますが
おいおい説明が入っていきます。
その日、天候監査局は数百年に一度という間隔で起こる記録的大雨を観測していた頃だった。
とある場所で、『aria-cry』と呼ばれるそれを、一人の少女が窓越しに眺めていた。隅々まで磨かれた窓は、その建物の住人が、高貴な、あるいは重宝されている者が住んでいると思わせるほどの、ものであった。
華奢だ、と一番最初に思った。長髪も瞳も漆黒で、僅かに露出している白い肌が、やけに目立っていて異様だとも感じた。
外を眺めていた少女は、全身を闇に溶け込むくらいの漆黒の衣装で包んでいた。頑丈そうだが重くも厚くもないのか、身軽そうだという雰囲気しか感じない。
暫く立ち止まっていたが、彼女は再び、廊下を歩き進めた。しかし、ブーツを履いているはずなのに足音がしない。燭台の灯りだけの廊下を、少女は足音無く歩いていく。
艶のあるマーメイドスタイルの服が、ピッチリと華奢ながら起伏な身体に張り付いている。伸縮性があるのか、動きにくそうな様子はない。その上に着ているコートの様々な収納ポケット等には、たくさんの小物が容れられている。
腰の太いベルトには、銀色のダガーナイフ二刀や、金色の小型銃四丁がいつでも使えるような状態で、装着されている。物々しい装備は、まるで誰かからの襲撃を想定してか、恐れてなのかは分からない。
ところで少女の表情はと言えば、アシメにされた長い前髪で左目は見えないが、漆黒の右目だけは見ることが出来た。切れ長い瞳が、行く先を見据えていた。
少女が向かった先にあったのは、真っ白い扉。しかも、通常よりも天井が高いせいなのか、人の丈の何倍も高い。ここは、いわゆる城と呼ばれている建物だ。白塗りのこの城は、激しい雨の中に寂れた孤城のように、ただただ、ひっそりと静かに立っていた。
少女は静かに扉を開けて中に入った。そこは、今までの閑散とした雰囲気とは打って変わって重々しい雰囲気に包まれていて、普通の人間が入ってしまったら、泡を吹いて気絶してしまうほどだった。そんな中を、少女はゆっくりと歩いていく。
「--相変わらず、気配というものを知らんのだな」
「・・・私は、影の人間だ」
「それは、某も同じである。普段くらい、気を抜いて置かねば身が持たんぞ」
進んだ先、この部屋を支配している人物が、窓辺に闇と同化する様に佇んでいた。おそらく、少女でなければ気付くことは出来なかっただろう人物は、少しばかり愉快そうに笑った。
顔が見えないがおそらく二十代だろう彼は、少女と同様に漆黒の衣装に身を包んでいた。彼の場合は、コートではなくローブを着ているが。こちらも身軽そうに見える。東洋出身だという異国者は、古めかしい言葉遣いをしているので、周囲の者達から年齢を疑われている。
少女は、コートの懐から一冊の本を取り出すと、彼に近付いて差し出した。衣擦れの音が、雨音の響く部屋で一際大きく聞こえた気がする。
「頼まれていた本、例の奴等が持ってた」
「ご苦労だった。・・・して、そなたがここへ来るとはな」
「『直接持って来い』と言ったのは、貴方だ」
「・・・ふ、そうだったな。そなたに、新しい依頼が来たぞ--国王から」
愉快そうだった彼は、くるりと少女のほうに振り向いた。やけに整った顔の彼は、真剣そうに一枚の紙を彼女に渡した。『国王勅命』と書かれた紙は、上質な素材で作られたものであり、珍しいなと思いながら少女はその紙を受け取った。下のほうには、国王のサインが入っていた。
「・・・--!!」
依頼の内容に目をやった瞬間、少女は声も出ないくらいに驚いて、双眸を見開いていた。見覚えのある、『あの人』の名前が、そこに書かれていた。瞬時に思い浮かんでくる、あの日、あの頃の思い出が、少女の頭の中に。
この国にあるのは、白の歴史だけではなく、もちろん黒の歴史だって存在している。血と、鉄と、憎しみと、悲しみと--ありとあらゆる『憎悪』だらけの、暗黒の黒歴史。
この国には、ファルミアレイア王国軍の知られざる正規軍・第13騎士団『暗殺特殊部隊』──通称『影ノ騎士』というものが存在している。『影ノ騎士』は元より、王国軍の騎士よりも入団してなることが難しく、身体能力や動体視力を始めとする『能力』が高くなければ、入団はおろか、テストすら受けることは不可能なのである。
王立の養育専門学院があるが、そこも入試試験を受けるための資格が必要で、よほどの志願理由がないと、受けようとする者はいない。『影ノ騎士』の者は、大体二分される。志騎士と、神騎士である。何が違うかと言えば、誰もが神騎士を嫌悪するということだ。
彼らの多くは、幼い頃から国に尽くすように教育を施されてきた孤児だ。
幼い孤児にとって、国の上層部は拾ってくれたも同然の存在になる。よって、彼らは、拾ってくれた彼らの役に立とうと、何でもこなすのだ。だからこそ、彼らは『神騎士』--神が見捨てた騎士--と、皮肉を込めて呼ばれているのである。
ムトというのは、ファルミアレイア王国に伝わる、世界の創造主の妻--つまり神の妻を指している古代語での呼び名で、本来は表記すると『mauto』となっている。嫌悪しようにも、神と同じ名前でできるわけがないからか、ムトになっているようだ。イムというのが、そのミュートの夫である神の名前である。
「神騎士として、その者に会うのは初めてか?」
「・・・・・はい」
彼と少女もまた、『影ノ騎士』の一員である。そのローブと、コートの左腕部分に縫い付けられた金の紋様--漆黒のグリフォンのシークレット--こそが、その証である。そして、彼らのいる部屋のある本城の東棟が、国王から与えられている居城『影ノ塔』である。
少女は、表情には出さないが、胸中では、思いもよらない依頼に珍しく狼狽していた。あの人の役に立てる、あの人に恩返しができる。紙に視線を落としたままの彼女を見て、男は複雑な心境になっていた。
十年近く彼女を見てきたが、こんなに嬉しそうな彼女を見るのは初めてだなという嬉しさと、血の繋がりはないが娘が離れていくような、少し寂しいような気がした。