覚悟
「今晩少し時間貰えますか」
「どうした敬語なんか使って。檜山さんと飲むかも知れないから遅くなるだろうけどいいか?」
「大丈夫です。ただベロンベロンにはならないで帰ってきてね」
通話ボタンを切り、大きく息を吐く。
『超常的な現象に巻き込まれて、同じ時間を何度も繰り返している』
今までずっと黙ってきたそのことを今夜両親に打ち明ける。信じてくれるだろうかという不安は消え去った。子のことを心の底から心配し、信じてくれる素晴らしい人達だ。親父に怒られる時まで、その事を忘れていた。愚かで恥ずかしいことこの上ない。
記憶通りの時間、二十一時にほろ酔いの親父が千鳥足を装い帰宅する。大袈裟によっこらせと言い母さんの横に腰を下ろす。
「本当にすみませんでした」
「…何か悪いことでもしたのかしら?」
「…いや、今の二人にはなにもしてないです。それでも二人の忘れた所で俺は酷い態度をとってしまった、だから謝らせてください」
「これはふざけないほうがいい感じかな?」
「当たり前でしょ!」
親父は目を合わせずにごめんなさいと消え入るような声で呟き口を真一文字に結んだ。
「二人に相談したいことがあります」
例の紙を取り出し机に置く。当然ながらこれはなんだと言いたげな表情だ。
「俺は合格発表の日から入学式までの数日を延々とループしています」
両親は黙って話を聞いてくれた。ふざけているか、遅めの中二病患者としか思えない常軌を逸した話を腰を折らずに黙って聞いてくれた。一方的に話し続け、ふと時計を見ると既に日を跨いでいた。
「すみません、こんな遅くまで」
「いいのよそんなこと。大変だったのね」
「お前かっけえじゃん! 主人公じゃんそんなの!」
俺も最初の頃はそんなふうに考えてた。事はそんなに愉快なものではなかったが。
「ここまで一生懸命に話してるゆうを見たことある? そんなに楽観的なものではないでしょう。何故こんな時にもあなたはヘラヘラしてられるの?」
「え? いや、その…」
「いや、母さんいいんだよ。二人に話すべきだって覚悟をくれたのは父さんなんです」
「ふっ…さすが俺だな。覚えてないけど。良くやったぞどこかの俺」
「ゆうは、問題が解決したらどうなるのかしら。ゆうの常識が常識の世界に帰れるの?」
「分かりません」
「…そうなのね。答えは見つかってるの?」
分からない。だからこそ二人に助けを求めた。一人で解決ができないから、八方塞がりだから信頼のできる二人に縋った。
「何も分からないんです。ただ、これまでしてきた事が正解ではないのなら全く別の所に正解がある気はしてます」
「一つだけいいかな。これだけは教えてほしい。山神さんって美人?」
どうだろう。少なくともその部類だろうと思うが…目を閉じ深く考えていたお母さんがハッと目を開き親父を睨みつける。
「ごめん、違うごめんなさい。えっと俺はね、山神さんとの接点は大事にしたほうがいいと思う」
「それは、何故でしょうか」
「ゆうの初めての友達だからだ。俺はお前と違って人付き合いが得意な自負がある。学生時代の友達もたくさんいる。そして、友達ってのは時に親よりも力になってくれるんだよ」
映像記憶能力を得意げに自慢し、友達を全て失った日から両親に友達を作れと言われたことはない。
「俺達もお前に謝るよ。済まない、気を遣いすぎた。友達を無理に作る必要はない。ただ、自分を本当に理解してくれる人がいるのなら友達になるべきだ。映像記憶を凄いと言ってくれた人なんだろ? 間違いないよその人は力になってくれる」
ふふっとお母さんが笑った。意味深な笑みを浮かべている。
「もちろん私達も考えるわ。一緒に悩みましょ! 確かに父さんの言う通り山神さんにお話をしにいくべきだわ。もう時間も遅いし今日は寝ましょう」
時刻は深夜二時を回ったところだ。緊張の糸が切れたせいか猛烈な眠気が襲ってくる。その日の夜は憑き物が落ちたようにぐっすりとまるで泥のように眠ることができた。
親父に諭されたが、元より今回は山神さんにも全てを話すつもりだった。赤の他人でありながら、常に協力的で俺の話を信じてくれる数少ない人種だ。本当に暇なだけの人の可能性もあるがその線は考えないことにする。
「おはよう、ご飯できてるわよ。今日はどこかに行くの?」
「おはようございます。東大図書館で山神さんと知り合いに行ってきます」
「…あらあらまあまあ行ってらっしゃい!」
親からすると子に友達ができるのは喜ばしいことなのだろう。合格を伝えた時よりも嬉しそうな笑顔だ。
「いってきます」
この日はやはり寒い。厚着をしていこうかとも考えたが、初めて山神さんに出会った時と同じ服装のほうがなんとなく良い気がした。それに、缶コーヒーを美味しく頂く為にも寒く感じるこの格好がベストだろう。
構内の自動販売機でコーヒーを買い、図書館の例の席へと向かう。カイロ代わりに両手で包み込んでいたコーヒーを机に置き、小説を三冊確保した。せっかくなので読んだことのない本を選びたかったが、山神さんは俺の小説の読み方が不自然である事から映像記憶に関する確信を得ている。核心部分を信じてもらう為には映像記憶がある事を信じてもらわなければならない。よって嘗てと同様に、前の世界の記憶と照らしながら読む仕草を見てもらう為にも覚えている作品を選んだ。
準備が整ったら儀式のように、缶コーヒーを開ける。
「図書館は飲食禁止ですよ」
「…すみません。失念していました」
山神さんの声に懐かしさを感じてしまった。少しの感情の昂りを押し殺し、嘗てと同じ言葉で応える。外に出て、コーヒーを飲み干し席に着く。山神さんにお礼を伝えると、やはりウインクをしてきた。彼女は変わらない、いつもハツラツとしている。もはや意味はないが『風の歌を聴け』を確かめるように読み進める。…やはり素晴らしい作品だ。
「そんな!」
合図の声を確認し、学食へと向かい長い列に並んでカツ丼の食券を購入する。あたかも空席を探しているかのように彷徨い山神さんの正面へと座ることに成功する。
「先ほどはご迷惑をおかけしました」
反応はしない。初回の俺は反応をしなかったのだから。次の言葉を待ちカツを咀嚼する。
「あの、図書館にいた方ですよね? 大きな声を出して迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした」
その言葉を待ち顔をあげる。出来るだけ表情を崩さずに言葉を紡ぐ。
「いえ、こちらこそコーヒー飲もうとしてしまったところを救っていただきありがとうございました」
「救ったわけじゃないよ。ルールは守るためにあるからね」
「以後、気をつけます。教えてくれてありがとうございました。きっと言われなければそのまま飲んでいたと思います」
「お互いに気をつけるということで手を打とうよ! 私達きっとこのままだと謝り続けると思うの。ねえ、どこかで会ったことあるかな? 講義が同じだったとか」
正直、かなり驚いた。これまでもループの中でありながら行動や発言が微妙にズレることはあった。しかし、前回の親父といい、今回の山神さんといい微妙で片付く変化ではない。俺が関わると振れ幅が広がるのだろうか。
「多分初対面です。実は俺まだここの学生じゃないんです。来月入学します。今日は…やるべきことがあって図書館に来たんです」
「なんだ勘違いか〜。 年下とは思っていたけれどまさか未成年だったとは。私は山神明里、法学部四年生。よろしくね」
「佐原ゆうです。キャンパスは違いますがよろしくお願いします」
「ところでゆうくんはなんで私が叫んだか聞かないの?」
「見ず知らずの赤の他人に失態の原因について追求されたいのでしたら聞きますが」
「君は面白い事を言うね。そうね、確かに赤の他人には追求されたいとは思わないかも。でももう私達知人じゃない?」
「『知人』ですか。そうですね。では何かあったんですか?」
「そうなの! 聞いてくれる!?」
「もちろんです」
「私の地元はね、島根にあるんだ。実家はそこで農家やってるの」
「お米ですか」
「んーん、葡萄。それでね葡萄ってすぐ病気になっちゃう弱い果物なの。なんとか品種改良を重ねて今の葡萄があるんだけどさらなる改良を目指して色んな取引先の人とこんな葡萄があったらいいよね〜って話をしていたんだ」
「品種改良には結構お金がかかると聞きますが大きい農園なんですね」
「お金はね…そんなにないんだ。だから品種改良も融資をしてもらわないと出来ない話だったの。大手だと相手にされないから信金とか地銀に掛け合ってようやく仮審査が通ったって話だったのに…。さっき本審査通ったって連絡が来て叫んじゃった!」
「良かったですね。おめでとうございます!」
「今後葡萄を買う時は神戸川の山神農園をよろしくね!」
「わかりました。いずれ買いますね」
「その時は連絡してよ!ライン交換しよう!」
「分かりました、よろしくお願いします」
「ありがとー!なんかあったら連絡するね!」
「はい。…あの山神さんは春休み暇なんですか」
「あら〜ゆうくんってばついさっきまで赤の他人とか言ってたのに惚れちゃったのかな〜?」
「いえ、暇でなければ手伝って頂けないかなと思いまして」
「ここだけの話なんだけどね…すっごく暇。何かをしたいと思ってたところ」
「ありがとうございます。では一般教養について教えて頂きたいのですが明日はいかがですか?」
「一般教養についてってどういうこと? 東大受かったんだよね?」
「はい」
「世間一般の人よりは一般教養は身についてるんじゃないの? 義務教育の範囲とか人としての常識とかそういうことでしょ一般教養って」
「大学生として恥のない教養を身につけたいと思いまして」
「なるほどなるほど! いい心がけだね。じゃあ明日九時には来れると思うからそこで続きしよ。場所は学食でいい?」
「分かりました。ありがとうございます」
「あと一つだけ、大学生というか人間として押さえなければならないこと教えるからよーく聞きなさい!」
「なんでしょうか?」
「…火傷するぜ惚れんなよ」
「…では明日よろしくお願いします」
暫く雑談した後図書館へ二人で戻る。この後山神さんは用事があるため午後二時には図書館をあとにするはずだ。その時刻までは図書館で過ごすことにし、残りの本を読むことにする。
以前と同様、午後二時になると用事があるから、またねと言い残すと二冊程貸出手続きをし彼女は去っていった。これ以上ここで得られるものは何もない為自宅へと戻る。まだ日も昇っている為気持ちばかり暖かい。
「ただいま」
「おかえり。どうだった?」
友達というのが少し気恥ずかしい事もあったが、山神さんからも知人という認識をされている為事実を述べる。
「知人にはなれたと思います」
「あらあらまあまあ」
「久しぶりに歩いたら疲れたから少し寝ますね」
お母さんの反応が何だか少し照れくさかったのでその場を去るための口実として昼寝を選択した。事実、疲れてはいる為ベッドに横になる。
気がつくと完全に日が落ち、月が顔を出している。時計の針は午後七時を指していた。明日、山神さんに全てを打ち明ける。彼女は受け入れてくれるだろうか。ここでもし、拒絶されようものなら途法に暮れることになるが…頑張るしかない。何としても信じてもらおう。ただ一つどうしても気になってしまう。
『ねえ、どこかで会ったことあるかな?』
彼女のこの一言だけがどうしても。




