追究
「君はさ、心当たりないの?」
昨日山神さんは原因について考えるべきだと助言をくれた。それは客観的に見た場合、真っ当な意見に思える。俺はまだ、核心を彼女に話していない。正直、話すべきなのか迷っている。超自然的な現象が俺に起きたから信じてください、と言ったら彼女は信じてくれるだろうか。ただでさえ常識が乖離しているという状態を受け入れてくれた人だ。可能性はある。
「いきなりの事だったので心当たりはありません」
悩んだ挙句俺は伝えない選択をした。常識が変わっているという現象について俺と同じ目線ではなく別の角度から見て欲しかった。
「そうか〜。最近のことなんだよね?」
「はい。三月十日の午後のことです」
山神さんは図書館から貸出をしてくれたマンデラエフェクトについて記述のある書物を次から次へと捲るが手応えのあるものはない様子である。
「マンデラエフェクトはさ、結局のところ壮大な勘違いを大勢がしてましたって話なんだよね」
「そのようですね」
「君は一度見たものを絶対に忘れることのない記憶力を持っている。しかも本を一冊まるっと文章暗記出来るくらいの凄まじい記憶力」
「目で見たものなら基本的に何でも覚えてます」
「じゃあさ江の川がなんで江の川と呼ばれているのかは覚えてる?」
知らない。あくまで地理の勉強の際に日本地図で目にしただけでありそれについて調べたことはない。
「雲を掴むような話だけど動いているうちに方向性が定まることもあるのよ。レポートとか卒論とか書き始めはいつもそうなの。とりあえず江の川、こっちで言う神戸川の成り立ちを調べてみない?」
異論はなかった。図書館へ移り、郷土資料を探す。在校生のみが立ち入れるスペースだが、山神さんの後ろをついていくと事もなげに進入に成功する。中国地方について記された幾つかの資料を各自で読み進めることにした。
正午を過ぎた頃ようやく一冊目を読み終える。随分と古い時代のことから記述されているものの肝心の江の川に関する記述はない。
「ゆう君これだっ!」
両手で高々と資料を掲げている。資料室には他の利用者が五、六人おり、明らかに不審な表情で彼女を睨んでいた。当の本人は見つけたことが余程嬉しいのかまるで気に留めずこちらへ大股で歩み寄ってくる。
「これ! 神戸川のこ…」
人差し指を口元に寄せて『静かに』とジェスチャーで伝える。ハッとした表情で周りを見渡すと気まずくなったのか学食に行こう、というと貸出手続きを済ませ足早に図書館をあとにした。
飯時になるとやはり大混雑する学食は作業をする程のスペースは既になく、立ち往生するのも迷惑になる為山神さんの提案で喫茶店へと向かうことになった。どうやら行きつけらしい。
「凄く良いところなんだ〜。ナポリタンが美味しいんだよね」
「ナポリタンってあまりお店で食べないです。パスタって家でも食べられるじゃないですか」
「うわ〜将来デートする時にそういうこと思ってても言わないほうがいいよ? つまらない男だと思われるから。私は今君がつまらない男かもしれないと思っている」
「その時が来ることがあるのならば善処します」
十分ほど歩くと正午過ぎという書入れ時にも関わらず閑古鳥の鳴く寂れた喫茶店に到着した。看板もメニューも外には無いため中に入るまで喫茶店である事が全く分からない。入店したにも関わらずいらっしゃいの一言もないマスターが指さしたボックス席に座る。
「マスターいつもので!」
「…そちらさんは?」
「同じものでお願いします」
食べてからでいいよねと言われ頷く。ナポリタンである事は不服だが、メニューが見当たらない為他に何があるのかも分からないのだから仕方がない。お腹が空いていれば大抵のものは美味しく頂ける。直ぐに運ばれてきたナポリタンを頬張ると口内に予想外の衝撃が走った。数分前の自分を激しく呪う。あれほど奇天烈な人だと認識していた筈なのに、何故疑いもせず同じものを頼んでしまったのだろう。
「ゆう君はからいもの得意なんだね〜知らなかったよ」
「…なんで言ってくれなかったんですか」
「ナポリタンが美味しいんだよって言ったよ?」
「もしかして、ナポリタンって辛いのが常識なんですか」
「いや?これはナポリタン山神オリジナル」
つまり山神さん特製の常軌を逸したナポリタンということか。人生で食べたものの中で一番辛い。信じられないくらい辛い。だが食べ物を粗末にするのは許せない。何よりもこれは俺自身が注文してしまったのだから食べ切る以外に選択肢は無い。悔しさと激辛ナポリタンを噛み締め、なんとか食べきる。
「つまらない男かもと言ったこと謝るよ。君はやはり面白い! ご褒美に飲み物奢っちゃおう。ミルクティーでいいかな?」
「まともな甘い飲み物であればなんでもいいです」
「まともか〜。マスター、カフェオレ二つ!」
ミルクティーはどうやらまともな甘い飲み物ではないらしい。なんとも恐ろしい店だ。運ばれてきたカフェオレは舌を落ち着けるには丁度良い甘さだった。一息で飲み干し深呼吸をする。
「落ち着いた? 続きやるよ」
「言いたいことは山程ありますが、はい」
山神さんが見つけたという神戸川について記載された資料を机に広げる。
『中国地方最大の河川で、広島県・島根県をまたいで日本海へ注ぐ一級河川。下流の出雲では神様が使う川として神ノ川と呼ばれる。一方上流の広島では生活に密接する河川である事から愛称として可愛川と呼ばれていたが一九六六年の一級河川指定時に神戸川に呼び名を統一された』
「やはり昔から神戸川だったんですね」
「そうだね。だけどね、私は『一方上流の広島では生活に密接する河川である事から愛称として可愛川と呼ばれていた』ってところが気になった。読み方は違うけど、これ『江の川』にならない?」
「…確かにそうですね」
「この説明だと江の川にも神戸川にもなり得ると思うんだよね」
何かが繋がる感触があった。これまで漠然とした違和感があったが、輪郭が見え始めている。この世界では偶々神戸川が採択された…? 俺の中で一つの仮説が浮かび上がってきていた。
「ゆう君は、どう思う?」
「…そうですね。さっき、俺はナポリタン山神オリジナルを食べました」
「そうだね」
「それがこの世界では事実なんです。ですが、俺がきちんとマスターにナポリタン下さいと伝えた可能性もある気がするんです。ただ、俺が『同じもの』と注文をしたことでその可能性は消え去りました」
「シュレディンガーの猫か」
「観測した時点で重ね合わせの可能性が一点に収縮し事象が確定する。神戸川の件と似てませんか」
山神さんは強く頷く。
「一九六六年に一級河川指定を受けるその時まで神戸川と江の川どちらになる可能性もあった。そして神戸川と決定したことでこの世界であの川は神戸川になった。…俺は、江の川が採択された世界に元々居たのではないでしょうか」
パラレルワールドや世界線と呼ばれることもある。俺はそれを跨いでしまって今ここにいるのではなかろうか。俺は相違点を見つけ出し四月十一日を超えることがゴールだと思っていた。だが、本当にそうだろうか。
俺は元いた世界に戻らなければいけないのではないか。




